ちょっと大人なインフィニット・ストラトス 作:たんたんたんめん@オルコッ党員
シャンデリアの華やかな光が、今はどこか虚しく輝いて見えた。
天井から降り注ぐ光は豪奢であるはずなのに、まるで冷えた硝子の粒が空中に散らばっているだけのようで、温度を感じさせない。
広い室内に漂う静寂は、誰も触れたくない真実を前にして張り詰めている。
千冬は椅子を引き、一夏に座るよう促す。
その横には、セシリアも立っていた。
セシリアの指先はわずかに震えている。
けれど、一夏の息遣いの乱れまで聞き逃すまいとその青い瞳は逸れない。
「……千冬姉……俺は……」
絞り出すような一夏の言葉。
喉の奥が焼けるように痛む。声を出すたび、胸の奥に沈んでいた不安が形を持って浮かび上がってくるようで、一夏は自分の呼吸が浅くなるのを感じていた。
俺は、とその先の言葉が紡がれることはなかったが、繋がる言葉をセシリアは理解していた。
距離が離れていた事、雨音があった事で、マドカと一夏のやり取りをハリントンをはじめ、他の人は聞こえなかっただろうが、ブルー・ティアーズを纏っていたセシリアは、二人のやり取りを聞いてしまっていたから。
「一夏さん……」
セシリアの口から言葉が漏れるが、続く言葉が出てこない。
一夏とマドカのやり取り以上の事を、セシリアは何も知らない。
だから、何も言えない。
千冬が深く息を吸い、ゆっくりと語り始めた。
「一夏……お前の出生には、秘密がある。お前は――偶然生まれた子供ではない」
その一言で、一夏の肩が震えた。
空気が一瞬で重くなる。胸の奥に沈んでいた疑念が、鋭い棘となって突き上げてくる。逃げ場のない真実が、ついに目の前に姿を現したのだと悟った。
それは、予想外の言葉をかけられたが故の反応ではない。やはりか、という感情だ。
ずっと感じていた違和感。説明のつかない覚醒。誰にも言えなかった恐怖。
それらが一つの線で繋がっていく。
千冬は短く息を吐き、言葉を選ぶように続けた。
「お前とマドカは──計画の産物だ」
「計画……?」
「完璧な人類を造るための実験だ。お前たちは、その中心にいた」
夢の中の──否、遠い記憶の光景が脳裏に蘇る。
幼い少女の涙。
脈動する機械音。
その断片は、記憶というより刻印に近かった。忘れたくても忘れられない、身体に染みついた恐怖。
千冬はしばらく沈黙した。
言葉を選んでいるのではない。
どこまで言うべきかを迷っている沈黙だ。
その横顔には、強さではなく迷いがあった。普段決して見せない、姉としてではなく一人の人間としての弱さが滲んでいた。
「……一夏。お前は
「……ああ」
「だが──正確には、お前は
一夏は息を呑む。
胸の奥が冷たくなる。心臓が一拍遅れて脈打つような、嫌な感覚が全身を駆け巡った。
「お前の遺伝子には、通常の人間には存在しない第三の配列が組み込まれている。父親でも母親でもない、人工的に設計された起点だ」
「……じゃあ、俺は……」
「普通の意味での
千冬の声は淡々としていたが、その奥には怒りがあった。
その怒りは、過去の自分に向けたものか、計画を進めた者たちに向けたものか、あるいは両方か。
「完璧な人類を造る計画は、ただの遺伝子操作ではない。彼らは人間の限界を超える存在を作ろうとしていた。──それが私だ。私は、成功であり失敗作だった」
「失敗作……?」
千冬は頷く。
「束の存在だ。完璧な人類を造る最中に、完璧な人間が生まれてしまったのだからな」
千冬は一夏をまっすぐ見た。
その瞳には、過去を悔いる影が映っている。
「そこで計画を止めれば、お前は──マドカは生まれなかった。だが、悪魔の計画は進んでしまった」
千冬が拳をの握る。
その拳は白くなるほど強く握られ、爪が掌に食い込んでいた。彼女の中に渦巻く怒りと後悔が、その仕草にすべて表れていた。
「一人で届かないのなら、二人で超える。そうやってお前達二人は造り出された」
一夏の心臓が跳ねた。
胸の奥に、冷たい針が刺さったような痛みが走る。自分の存在理由が、誰かの
「……俺とマドカは……最初から……」
「
記憶の中の少女の声が蘇る。
──いちか……ずっと……いっしょに……。
その声は、懐かしさよりも痛みを伴って胸に響く。
幼い日の温もりが、今は鎖のように感じられる。
「私の戦闘適性、反応速度、耐性、怪我に対する治癒力……それらを極限まで強化し、人間の限界を超える存在として設計されたのがお前だ」
一夏は言葉を失った。
頭の中が真っ白になる。自分の身体が、自分の意思とは無関係に作られたものだという感覚が、全身を侵食していく。
「だからこそ、お前はISに乗ることが出来た。そして──マドカはその
「じゃあ……俺は……俺は……」
一夏の声は、もはや自分のものではないように聞こえた。
喉が震え、声が掠れる。自分の存在が揺らぎ、足元の床が崩れ落ちていくような感覚。
自分は何者なのか。
どこまでが自分で、どこからが 造られた役割 なのか。
その境界が、音を立てて崩れていく。
「俺は……俺の意思で生きてるんじゃないのか……?」
胸の奥が冷たく、空洞になっていく。
自分の人生だと思っていたものが、誰かの計画の延長線にあるのだとしたら――自分の感情も、選択も、存在そのものも、全部造られたモノなのではないか。
「俺は……俺って……なんなんだよ……」
両手が震え、視界が滲む。
涙がこぼれる寸前、世界の輪郭がぼやけていく。
呼吸が乱れ、胸が苦しくなる。
「一夏さん!」
セシリアが、一夏の肩を抱き寄せた。
その動きは衝動的だったが、迷いはない。
一夏を抱き寄せる彼女の腕も震えていたが、その抱擁には揺るぎない決意が宿っていた。
「あなたが何者として生まれたかなんて……そんなこと、どうでもいいですわ!」
「セシリア……」
涙が頬を伝い、声が震える。
セシリアの瞳も涙で潤んでいたが、その奥には強い光が宿っていた。
一夏の心の闇に手を伸ばそうとする、必死の想いがそこにある。
「あなたが造られた存在だと言うなら……では、あなたがわたくしに抱いた想いは何なんですの? あなたが笑ったこと、怒ったこと、悩んだこと……全部、全部……誰かにそうやれと、造られた事だと言うんですの?」
一夏は答えられない。
胸の奥に刺さった棘が、セシリアの言葉で揺さぶられる。否定したいのに、言葉が出てこない。
セシリアは一夏の頬を両手で包み、涙を落としながら叫んだ。
「そんなはずありませんわ! わたくしは……
一夏の瞳が揺れる。
その言葉は、一夏の胸の奥に小さな火を灯した。消えかけていた自分の存在が、かすかに温度を取り戻す。
「だから……お願いですから……自分を否定しないでください……」
セシリアは一夏を抱き寄せ、声を震わせた。
その抱擁は、壊れそうな一夏を必死に繋ぎ止めるように、彼女の温もりが一夏の冷え切った胸にじんわりと染み込んでいく。
「あなたが誰に造られたかなんて……わたくしにとっては、どうでもいいことですわ……わたくしは……あなた自身が好きなんですの……」
千冬は、二人の姿を見つめながら、静かに目を閉じた。
その表情には、後悔と安堵と、そして祈りが混ざっていた。自分では救えなかった部分を、セシリアが救ってくれている――その事実が胸に刺さる。
セシリアの腕の中で、一夏は呼吸を乱しながら俯いていた。
胸の奥に広がる空洞は、まだ埋まらない。
けれど、それは完全な闇ではなかった。
セシリアの温もりが、空洞の縁を少しずつ溶かしていく。
「俺は……俺って……なんなんだよ……」
その呟きは、誰に向けたものでもない。
ただ、自分の存在を確かめようとする、悲痛な声。
セシリアは涙を拭おうともせず、一夏の肩を抱きしめ続ける。
「あなたが……あなたであることに、理由なんていりませんわ……」
その言葉は優しい。
だが、一夏の胸にはまだ届かない。
それでも、その優しさは確かに一夏の心に触れていた。すぐには届かなくても、確実に染み込んでいく。
千冬は、口を挟まなかった。挟めなかった。
彼女は知っている。
今の一夏に、「それでもお前はお前だ」などと軽々しく言える資格がない事を。
だから千冬は、ただ見守る。
一夏が自分で立ち上がる瞬間を、セシリアが支えてくれると信じて待つ。
(……俺は造られた。計画のために……じゃあ、俺の人生は全部……誰かの思い通りだったのか?)
そう思った瞬間、胸の奥で何かが引っかかった。
(……違う。俺は……誰かに決められて生きていた訳じゃないだろ)
脳裏に浮かぶのは、
セシリアと出会った日。
彼女の涙。
彼女の笑顔。
彼女の怒り。
彼女の、必死の叫び。
そして――自分が、彼女を守りたいと思った瞬間。
(あれは……誰かに命令されたわけじゃない)
胸の奥で、微かな熱が灯る。
その熱は小さくても確かで、暗闇の中で唯一の光のように感じられた。
(俺が……選んだんだ)
一夏はゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れたセシリアの瞳が、真っ直ぐに自分を見つめている。
その瞳には、揺るぎない信頼と愛情が宿っていた。
「セシリア……」
声はまだ震えている。だが、その奥に意思が戻りつつあった。
「俺……怖いよ。自分が何者なのか分からなくなるのが……全部、誰かに決められた人生だったんじゃないかって……」
セシリアは首を振る。
「違いますわ……あなたは、あなたの意思で……わたくしを選んでくれたのですわ」
セシリアは一夏の手をそっと握った。
その手の温もりが、一夏の冷えた指先にじんわりと広がっていく。
「一夏さん。あなたは造られた存在かもしれませんわ。でも――」
彼女は一夏の胸に手を当てる。
「ここにあるものは、誰にも造れませんのよ」
胸の奥で、何かが確かに脈打った。
自分の意思、自分の感情、自分の選択――それらが確かに存在していると気づかされる。
「あなたが笑ったこと、怒ったこと、悩んだこと……全部、あなたが
セシリアは一夏の手を強く握りしめた。
「だから……これからも選んでくださいまし。あなたが望む未来を。あなたが歩きたい道を。そう約束したではないですか」
一夏は唇を震わせる。
「……俺は……」
「大丈夫ですわ。一夏さん」
セシリアが一夏の額にそっと触れた。
その指先は驚くほど優しく、一夏の乱れた呼吸を落ち着かせるように撫でた。
「あなたが迷う時が来たら、わたくしが隣で支えます
あなたが立ち止まったら、わたくしが手を引きます
あなたが泣きたいのなら、わたくしが抱きしめます」
涙が一夏の目に滲む。
「俺……そんな資格……」
「ありますわ」
セシリアは微笑む。
その微笑みは、夜明け前の光のように静かで、しかし確かな温度を持っていた。暗闇に沈んでいた一夏の心に、そっと触れてくる。
「だって――わたくしがあなたと未来を歩きたいんですもの」
夜明けの光が、淡く差し込む。
窓の外の空はまだ薄闇を残しているが、東の端から滲む光が、まるで一夏の決意を待っていたかのように静かに広がっていく。
一夏はゆっくりと身体を起こし、深く息を吸った。
胸の奥に残る空洞はまだ重く、完全には埋まらない。それでも、そこに小さな灯がともっているのを確かに感じた。。
セシリアが心配そうに覗き込む。
「一夏さん……」
一夏はしばらく黙っていた
言葉を探す沈黙は、苦しみではなく、これから歩く道を自分の手で選び取ろうとするための時間だった。
言葉を探し、心の奥に沈んでいた何かを掬い上げるように。
そして――静かに、しかし確かな声で言った。
「……俺は、前に進むよ」
セシリアの瞳が揺れる。
その揺れは涙のせいだけではない。彼女自身も、一夏の言葉に救われていた。
「俺が造られた存在でも……誰かの計画のために生まれたとしても……それでも――」
拳を握りしめる。
「俺は、俺の意思で生きたい。誰かの役割じゃなくて……俺自身の未来を選びたい」
その言葉は、震えていた。
だが、その震えは弱さではなく、初めて自分の足で立とうとする者の強さだった。
セシリアは涙を浮かべながら微笑む。
「……はい。それが、一夏さんの未来ですわ」
二人のやり取りを、千冬は背を向けて聞いていた。
背中越しでも、その肩がわずかに震えているのが分かる。安堵か、後悔か、それとも両方か。
「……千冬姉」
千冬は振り返らない。
「もう……私を
一夏は目を見開く。
その言葉は、胸の奥に冷たい刃のように突き刺さった。
「私は、お前の出生に関わった。お前を守るために嘘をつき……お前の人生を、私の手で形作ってしまった」
千冬はゆっくりと振り返り、一夏を見つめる。
その瞳には、強さではなく、罪を背負った者の痛みが宿っていた。
「だから……私は姉ではない」
一夏は首を振る。
「違う。千冬姉は……俺を守ってくれた。俺が知らないところで、ずっと……」
千冬は一夏の言葉を遮る。
「守ったのは、私の罪悪感だ。お前のためじゃない。私が……お前を失いたくなかっただけだ」
その声は、初めて見せる弱さだった。
千冬の声が震えるのを、一夏は生まれて初めて聞いた。
一夏が立ち上がり、千冬に一歩近づく。
「それでも……俺にとって千冬姉は、千冬姉だよ。血がどうとか、造られたとか……そんなの関係ない」
千冬の瞳が揺れる。
その揺れは、長い間押し殺してきた感情が溢れそうになっている証だった。
「……一夏」
「俺は、俺の未来を選ぶ。でも……千冬姉がいたから、今の俺がいるんだ」
千冬は目を閉じ、深く息を吐いた。
「……そうか。なら私は――」
一夏の肩に手を置く。
「これからも、お前の姉でいさせてくれるのか?」
「当たり前だろ。これからも千冬姉は、俺にとって世界最高の姉さんだよ」
「そう、か……」
その瞬間、千冬の肩から長い年月の重荷が少しだけ降りたように見えた。
☆☆☆
一夏が、少し離れた場所で空を眺めている。
夜明けの光が彼の横顔を照らし、影と光が交互に揺れていた。まるで、彼の心の中にある迷いと決意を映しているかのように。
その背中を見つめながら、千冬とセシリアは並んで立っていた。
二人の間には言葉にできない緊張と、同じ人物を想う者同士の静かな連帯感が漂っていた。
しばらく沈黙が続いた後、千冬が口を開く。
「……セシリア」
「はい」
「お前には……礼を言わなければならない」
セシリアは驚いたように目を瞬く。
「お礼……ですの?」
千冬は視線を一夏から離さず、淡々と続ける。
「私は、一夏の出生に関わった。そのせいで……あいつの人生を歪めた。守るためとはいえ、嘘をつき、真実を隠し……あいつの未来を奪いかけた」
セシリアは静かに首を振る。
「千冬姉さま。あなたは……一夏さんを守ったのですわ。それは、誰にでもできることではありません」
千冬は苦笑する。
「守ったというより……縛っただけだ」
「いいえ。千冬姉さまがいなければ、一夏さんは今ここにいませんわ。わたくしは、一夏さんと出会う事すらできませんでした」
その言葉に、千冬の表情がわずかに揺れる。
その揺れは、心の奥にしまっていた後悔が、少しだけほどけた証だった。
「……セシリア。お前は、一夏の未来を支えると言ったな」
「はい。わたくしは……一夏さんの隣に立ちたいんですの」
千冬は横目でセシリアを見る。
「覚悟はあるのか? あいつの人生は、普通ではないぞ」
セシリアは迷いなく答える。
「覚悟していますわ。わたくしは……一夏さんの弱さも、強さも、全部受け止めたいんですの」
千冬は短く息を吐いた。
「……強いな。私は……お前のようにはなれなかった」
セシリアは首を振る。
「千冬さんは……
その言葉に、千冬は初めて、ほんのわずかに微笑んだ。
その微笑みは、長い冬の後に訪れる春のように、静かで温かかった。
「……私は、一夏を手放せないと思っていた」
セシリアは息を呑む。
「私は、一夏を守ることで……自分の罪を誤魔化していた。あいつを
千冬は拳を握りしめる。
その拳には、過去の自分への悔しさと、一夏への深い愛情が入り混じっていた。
「だが……お前を見て、分かった。私は……一夏の未来を奪うところだった」
セシリアはそっと千冬の手に触れる。
「千冬姉さま。あなたは……一夏さんの
千冬は目を閉じる。
「……そして、お前が
「はい。でも……千冬姉さまも、一夏さんの家族ですわ。それは変わりません」
千冬の瞳が揺れる。
「……家族、か」
「ええ。わたくしたちは……形は違っても、同じ家族ですわ」
その言葉は、千冬の胸に静かに染み込んだ。
長い間、誰にも許されないと思っていた自分が、ようやく居場所を得たような感覚があった。
千冬は深く息を吐き、セシリアに向き直る。
「お前は……一夏の未来に必要な人間だ。あいつを支えられるのは……お前だ」
セシリアの瞳に涙が浮かぶ。
「千冬姉さま……」
「だが――」
千冬はわずかに口角を上げる。
「一夏を泣かせたら……容赦しないぞ」
セシリアは涙を拭いながら、力強く頷く。
「はい。泣かせませんわ。泣かせるくらいなら……わたくしが泣きますもの」
「……なら、一夏を叱るほかないな」
千冬が空を見上げる。
夜明けの光が、三人の未来を照らすように静かに広がっていく。
「二人で、笑っていられる未来を作れ」