当然ながら不定期更新となります。
本日2話投稿予定です。
その男が西方教会にやってきたのは数年前のこと。昔というほどでも、最近というほどでもないそんな時期だ。
「こんにちは。何か手伝える事はありますか?」
そんな言葉を毎日皆に言うものだから、初めのうちは信用せずに遠巻きにしたり、或いは面倒な仕事を押し付けるように使ったりと酷いものだったらしい。
しかし、彼は笑顔を崩さなかった。
彼の誠実さは人々の心を溶かし、人々は彼を信用し、信頼するようになっていった。
……たった数年で、西方教会の長よりも。
そんな最中、彼が服を大いに汚しながらこんなことを伝えてきた。
「西方教会は中央に反乱を起こそうとしている。このままでは、巻き込まれて皆死んでしまう!」と。
その言葉を疑うものは居なかった。
それから彼は、人々に密かに逃げの支度をさせていった。少しずつ金を、道具を、食料を貯めさせた。
その過程で、滋養に効く薬として、
それは、人の心を薄め、人の体を強くし──人の体に、竜の力を馴染ませるようにする下準備。
自ら望んで、自ら進んで、人々は彼の走狗と化していた。
それに気づけたのは、今話している男性が漁に出てしばらく戻れず長らくアレを飲まなかったからだろう。
そうして、アレの効かなかった僅かな人々以外は彼の言葉のままに、船に乗り帝国へと落ち延びた。
或いは、囚われた。
それから先の未来は想像に難くない。かつて己の受けたような地獄のような実験の被験体となり、ゴミのように捨てられる。
それが、この村に起きた出来事。
予期せぬ反乱によって暴かたのか、収穫の期限が来た為に臭い消しをしないで実験体をかっぱらったのか実際の所はわからない。
けれど、確かにそこにはあった。
薬の効果が不十分だったモノを切り捨てるために投与された質の悪い紋章石と、それによってひたすら街を成すだけの獣と化した人々が。
明確な、“人への悪意”によるモノだ。
■□■
そんな事を聞いた自分は、ふと何かを感じ取れてしまった。思うに、この土地の水にも何か仕込まれていたのだろう。
この土地に残された、とても小さな声。
その断片はとても小さく、重なって大きな波になった瞬間に聞き取れたその思いは一つ。
『滅べ』
ただ、それだけの混じり気のないもの。
重さはない。強さはない。鋭さはない。心に響かない。
ただ、無性に吐きたくなった。
それだけだった。
■□■
西方教会の反乱鎮圧を終えて、ガルグマクへの帰路に着く私たちは、一つの異変に頭を抱えていた。
基本的に陽気に振る舞う彼は、とてもよく喋る。時には笛を吹き、時には(無駄な)魔法で景色を彩る。
そんな彼が、明らかに警戒を解いていない。
どこに対して警戒しているのかと問えば、「わからない」と答える。
何に対して警戒しているのかと問えば、「わからない」と答える。
完全に、お手上げ状態だった。
こうなっている彼を見たのは随分と昔に一度だけ。私と共にコーデリアに引き取られた時だ。
その時、コーデリアには敵は居なかった。もう絞り尽くされた後だったから。しかし、彼は絶対に“守る”という意志を衰えさせず、その身を削っていた。
そんな彼に私は何をしただろうか? と思い出そうとするも、特別何かをした覚えはない。
ふとした拍子の気の緩みが、だんだんと日常になっていただけだった。
「ジョニー、とりあえず一旦顔でも洗ったらどうですか? そんなに悩んでても何にもなりませんよ」
「……でも、感じるんだ」
「警戒は私がしておきますから、その感じるものを私たちに伝えられるようにして下さい。今のあなた結構鬱陶しいんですよ」
「酷くない? 姉さん」
「酷いのはアンタの顔でしょう」
その言葉を受けたジョニーは、素直に言う事を聞き顔を洗って、ついでに水を飲んで一息つこうとした。
しかし、その水を地面へとぶちまけた。
「虫でも居たんですか?」
「ここからも、感じる……ッ⁉︎」
そんな事を言ったジョニーは、条件反射のように私の方にやってきて、彼にしか分からない何かに警戒していた。
というか、怯えていた。
「ていっ」
そんな馬鹿は叩いて直すに限る。
「何すんのさ姉さん⁉︎」
「あんたこそ何してんですか? 何に怯えてるのかくらいは言って下さいよ。笑い飛ばすか馬鹿にするかはそれから考えるので」
「……いや、真面目に取り合ってよそこは」
「寝言は寝て言って下さい」
「……まぁ、突拍子もない上に意味わからないしな」
そうして、ポツリポツリと彼は言う。
言葉にも音にもならない何かを、聞いてしまった。
それから、その何かが常に聞こえているようで、けれど実際には聞こえていなくて。現像がどうなのか分からない。
そんな話だった。
「つまり、幻聴が聞こえているか分からないって事ですね」
「……そうなるのか?」
「だったらその幻聴に合わせて笛でも吹いたらどうです? 明るい感じになるように」
「……ごめん、真面目に意味わからない」
「考えて喋ってませんから」
「姉さんって意外とそういう所あるよな」
「……で、やるんです?」
「やるけどさ」
そんな、いつも通りに引き戻すような一言。それは私たちには普通の事だった。
そうして、かの笛から音楽が奏でられる。
その悲しくも未来を願うような不思議な曲調は、昔を思い出させた。
かつて、地獄で
一曲が終わると、彼は不思議そうな顔をしていた。
自分が何をどうやって演奏したのか全く覚えていないと彼は言った。
けれど、その声は半分くらい“いつも通り”の弟が帰ってきている事を示していた。
「もう一度吹けます?」
「多分無理。意味もなく神懸かってた」
「劇場とかでやりなさいよそういうのは」
「劇場で吹く事は無いと思うぞ。余興では吹きまくるだろうけども」
「今のをパーティで吹いたら参加者は感動に呑まれてそのまま家に帰りますよ。多分」
「しっとりしてた感じ?」
「
「あー」
「それくらいは覚えてなさいよ」
そんな言葉を交わしながら、ジョニーは周りを見る。彼の笛に、彼の声に、自然と人が集まっていた。
「ジョニー君! 今の凄かったよ! なんて曲なの⁉︎」
「あれは私の、私たちの心を打ったとも! 同盟に刻むべきその一曲の名を教えてくれないかね!」
「……とても、良かったです」
ヒルダが、ローレンツが、マリアンヌが声をかける。
フレンは感動で泣いており、セテスさんも涙ぐんでいた。
先生は、よくわからないが感動しているように思える。
「ジョニー、今の曲の名前は?」
彼に、そんな言葉をかける。間違いなく決まっていない上に曲自体ももう一度吹けるかわからないらしいが、それでも名を付ける事は大切だろう。
名無しの孤児が、『ジョニー』になり、『ジョニー=フォン=コーデリア』になったように。
「……“滅びた者から”?」
「自信どんだけ無いんですか」
「しっくり来ないんだよ!」
そんな若干の逆ギレもあり、ジョニーがどう吹いたか覚えていないのもあり、その曲に名前は付けられることはなかった。
尚、皆から多くの意見が出てきたが何一つ取り入れはしなかった。こういう時にキレているジョニーは変に頑固だった。
そんな一幕の後に、私たちはガルグマクへと帰還するのだった。
……その曲を聞いた時の『死への渇望』を、気のせいだと切り捨てて。
■□■
「こんばんは、随分と良い曲を作ったらしいわね、ジョニー」
「冷やかしはごめんだよ、エガ姉。フィーリングでできちゃった曲は譜面にするのが難しいんだから」
「そんなものなのかしら」
「知らん。俺は雰囲気で音楽をやってる趣味人なんだから」
そんな言葉を述べながら、エガ姉はワインを見せてくる。帝国の、なかなか良い感じのワインだった。
「それで、何の用?」
「お誘いに来たのよ。帝国へ」
「一応俺は同盟貴族なんだけど」
「今回は士官じゃなくてパーティへの誘いね」
「……フォーマルな服装そんなに持ってないから、やめて欲しいんだけど」
「学生を連日連夜の乱痴気騒ぎに引き込んだりはしないから安心して」
「へぇ、そうなんだ」
「えぇ、そうなの」
そんな言葉を紡ぎながら、どうやって断ろうか頭を悩ませているとどうにも引っかかる。
こんな時期に、パーティなどあるのだろうか? と。
「なんか、俺が知ったらいけない類の事だと思うんだけど」
「勘づいたわね」
「なし崩しに引き込む系の策略かよ……」
「けど、それだけじゃ無いの。私の決意を、貴方に見て欲しかったの」
「なら、やめとくよ」
「どうして?」
「これから荒れるんだろ? だから、備えないと」
「帝国側に着く事は、悪い選択肢じゃないと思うのだけど」
「分かってる。だから、まだ日和見するよ。どう動くかは、ある程度流れが決まってからでも遅く無い。天下を獲りたい訳じゃ無いからさ」
「……良いの?」
「……もう、どうにもならない。うん、これがきっと言葉にするとしっくり来る」
「いま、このフォドラには大きな流れが出来上がってる。教会の支配力の弱まり、王国の腐敗、帝国の暗躍、同盟の傍観。そして、残り続けてる遺志」
「多分、どこ勝っても変わらないんだよ。どこが勝っても総取りできるように流れが作られてる。だから、今更雑な後手を打つくらいなら、ある程度構えていたい」
これが、今の俺の結論。
コーデリアの件で、同盟の今は知っている。
ダスカーの件で、王国の今は理解できた。
そしてロディ海岸の件で、帝国の仕込みは少し 見えた。
もう、致命的に遅い。
「……その話を教会にはしたの?」
「した方が良いのは分かってるんだけど、どうにもさ」
「煮え切らないわね」
「どうしたらいいのか、分からない」
「これからの戦争も、これからの時代も絶対にロクなモノじゃないのは分かってる。けど、だから止めるってするには今は“腐り過ぎてる”。それが犠牲を認めていい理由には絶対にならない。だから何かしなきゃいけないけど、何をするべきなのかが致命的に分からない」
「……貴方らしくないわね」
「一応、行動を起こす前は結構考えるなんだぞ俺」
……実際にはその場の勢いで考えた事の8割は放り投げるのが自分なのだけれども。
「……ねぇジョニー、聞いて良いかしら」
「改まって何さ」
「貴方は、私と居て楽しかった?」
「あぁ。これからどんな関係になるにしたって、エガ姉個人と仲良くいられたのはとても楽しかったよ」
その言葉にエガ姉は「ありがとう」と小さな声で返した。今にも消えてしまいそうな『人』の声で。
それが、俺と皇女エーデルガルトとの最後の会話だった。
■□■
アドラステア帝国、帝都アンヴァル。
宮殿にて行われるその小さな式典の為に私は歩いて行く。一歩その場所に近づく度に、大切な日々を思い浮かべながら。
私は、あの日々に残りたかった。私の大切な日常に。大切な友人達、尊敬できる教師達、想いを寄せた人。そんな彼らと共に過ごす日々の先には、きっと人としての幸せがあったのだろう。
一歩ずつ、進んでいく。
けれど、それは違う。学園で見える世界は優しすぎた。彼が気付かせてくれたこの世界は鮮やかなものだった。多くの人が生き、多くの人の感情が渦巻き輝いている。善人にも悪人にも、輝いた心を持っている人がいた。
その輝きは、もうすぐ踏み躙られる。私が居なくても、別の誰かを頭に立てて同じような事は起きるだろう。
一歩ずつ、歩いて行く。
それが、私が皇帝の座から逃げない。けれど、私が皇帝になると決めたのは怖かったからだ。弱い事が、何もできないでただ死を待つだけの暗闇が。
一歩ずつ、歩いて行く。
道に伯父様が控えている。その顔は愉しげだ。思い通りに踊る人形ができたと思って居るのだろう。
その瞳の引力を、私は忘れてはいない。何もなかった、何もできなかったエーデルガルトという小娘に火を付けたのはこの人なのだから。
けれど、その引力は私にとってなんの枷にもなっていなかった。
叔父様の火は私を立たせてくれた。けれどその火はもう要らない。私の炎は私という一人の愚かな人間のモノだから。
扉を開き、父の前に立つ。父は顔色の悪さを隠す事なくそこに居た。父は床に伏せる事はせず、私の前に立っている。余命いくばくもないその身で、誇りを胸に抱いて。
「……とても大きくなったな」
「はい。良き出会いがありました」
「……お前には辛い思いをさせた。その上これからより苦しい想いをするだろう椅子を譲ろうとしている」
「それは、もう違います」
「……エル?」
「辛く苦しい過去だとしても、それが無ければ今の私は居ません。今の私でなければ出会えなかった人たちがいて、今の私でなければ進もうと思わなかった道がある!」
「我が名はエーデルガルト=フォン=フレスベルグ!」
私の火に気付かせてくれた彼と戦うしかなくなるという確信だけが、私の足を鈍らせる。けれど戦って奪い取るというのも、私らしくてきっと悪くない。
「アドラステア帝国の、新たなる皇帝である!」
この世界は腐っている。教会が、貴族が、闇に蠢く者たちがその澱みの現れだ。
だから、私の炎で燃やしてみせる。この世界を変えるために。