11 予感
リュンナの毎日は忙しいものとなった。
自分の修行をして、ソアラやベルベルに修行をつけ、兵士たちの訓練にも付き合う。
それだけならともかく、国内の町々を視察に訪れる用事が劇的に増えたのだ。
視察の目的は、ひとつには、リュンナのルーラでの飛び先を増やすため。魔王軍がどこを襲ってきても、勇者としてすぐに駆けつけることができるように、という準備。
そしてもうひとつ、リュンナの顔を売るためである。ソアラと違い露出の少なかったリュンナは、名前はともかく顔を知る者が少ない。
もちろん顔のみでなく、周辺の魔物を掃討したり、各町の腕自慢と模擬戦したりで実力も知らしめ、信頼を勝ち得ていく。
これはいざというときへの備えであると同時に、その備えているという事実をアピールすることでもあった。
勇者姫が助けに来てくれるなら、魔王軍の攻撃があっても安心だ――こうして国民は、恐怖に負けず、日々を平穏に過ごすことができるのである。
そのためには、いちいち馬車で行き来していては時間がかかり過ぎる。
宮廷魔法使いのルーラで各町へ赴き、帰りも同じくか、もしくはリュンナ本人のルーラで。
同時に飛べる人数はそう多くないが、往復すれば近衛も侍女も同行できる。
そして同行者の中には、ソアラも含まれていた。
彼女もリュンナと同じく、戦いに出るなら常にルーラを使えるように――と条件を課されたのだが、それを姉妹ともども早々にクリアしてしまったのだ。
だからと言って本当にふたりして戦いに出ようというのだから、父王の心労は如何ばかりか。
もっとも魔王軍の跋扈を放置すれば、最早心労では済まない。
原作通りに進めば最終的にアバンがハドラーを倒すとは言え、それまでに出る犠牲を少なくすることには意味があるハズだ。
――バランに帳消しにさえされなければ。
この思考も、いい加減に飽きてきたものである。
どうせ今はできることなどない、ハドラーが倒れるまでは忘れてしまいたい。
ともあれ、そんな多忙な日々を過ごすこと数週間、視察に回るべきも残すところあと僅か。
今回は北のベンガーナ王国との国境近くにある、ルアソニドの町へと訪れていた。
ベンガーナとの交易によって商業が盛んであり、かの国を通してカールやリンガイアなどの品も入ってくる、珍品や高級品に溢れた町だ。
それだけ重要な町であり、魔王軍に落とされたら困る――が、だからこそ元々かなり強固な防備を敷かれており、実際、これまでも魔物の襲撃を跳ね返し続けている。
その実績が逆に、視察を後回しにすることに繋がっていた。
とは言え後回しで問題がなく、実際に後回しにしたということは、それだけ町が国から信頼されている、ということでもあるだろう。
町長に至っては、「なぜいちばん最後にしてくださらなかったんです?」などと冗談を飛ばしてくる始末である。
それに対して、「そろそろまた遊びに来たかったから」、と間髪を容れずに答えたソアラは流石と言えた。
町長は上機嫌で、茶と菓子で持て成してくれた。
さて、すると次は、町の内外をどう視察し巡っていくかの計画を練ることになる。関係各所に連絡もしなくてはならない。
電話もメールもないこの世界、面と向かわなければ話は進まないのだ。
カール産だという高級茶を味わいながら、町長はふと「そういえば」と切り出した。
「先日、勇者を名乗るパーティーが訪れましてな」
「勇者を名乗るパーティー」
「ええ。ウチで勇者と言ったら、勇者姫リュンナさまのこと。なのに勇者を名乗るとはフテブテシイ手合いだと思ったものです。
しかしそのパーティーのリーダー当人はむしろ謙虚で、何かお困りのことがあれば――などと言い出しまして。では試しにと、境の山の調査に行ってもらったのです」
テーブルに地図を広げ、ここです、と指さす。
境の山――その名の通り、ここアルキードとベンガーナとの国境に聳える山だ。
両国の貿易は主に海路で行われており、山には魔物が住み着いていることもあって、基本的に人は寄りつかない。
そしてその魔物も、狂暴化こそしているものの、ハドラー率いる魔王軍に組み込まれているワケではない野生の魔物であり、近付かなければあまり害はない。
それでも繁殖し過ぎて食料の足りなくなった魔物の群れが、町まで下りてくることは稀にある。
時期的に今はそういった氾濫が起きる可能性はごく低いのだが、念のため魔物の様子を調べるよう、町長は『勇者パーティー』に依頼したのだ。
しかし――
「帰って来ないのですよ。これが」
数日で帰ってくると言ったのに、音沙汰がないまま、もう1週間にもなるという。
「魔物にやられてしまったのか、それとも遭難したのか……。我々も捜索を考えていたのですが、そこへ勇者姫リュンナさまにソアラさま、両王女がいらっしゃった。
我々の兵では、山を下りてきた魔物から町を守るならともかく、相手の慣れ親しんだ場所である山中で戦うのは厳しいのです。
どうかお力添えを願います」
町長は丁寧に頭を下げた。
しかし言っていることは、要するに、どこの馬の骨とも知れぬ輩の尻拭いである。断ったら断ったで、町長は諦めるのみだろう。どうせこの町の人間ではないのだから。
毎年欠かさず税を払っている民であってこそ、いざというときに上に助けてもらえるのだ。
とは言え町長はそれでいいが、リュンナは王女である。町単位でなく、国単位で考えねばならない。
勇者パーティーがこの国の別の町から来たのなら、探しに行く必要があるだろう。
聞いてみた。
「仲間は知りませんが、勇者当人は確かカール王国出身と」
――カール王国。最強と言われるカール騎士団を擁する、騎士の国である。
なるほどその出身ならば、勇者を名乗れるほどの強者がいても不思議ではない。
「カール王国……。勇者、ですか」
「どうしたの? リュンナ」
「いえ……」
訝しんだソアラに首を振る。これは説明できないことだ。
カール王国出身の、勇者。――アバンでは? という疑念は、原作知識を前提としているから。
もしこの世界が原作通りに進むなら、わざわざ探しに行く必要はないのでは。彼はハドラーを倒す運命なのだから、ここで遭難して終わりなどあり得ない。
いや、『リュンナ』がいる時点で原作からは乖離している。保証はない。
本当に乖離しているか? 原作では全てが描かれていたワケではない。実はあの世界にもリュンナはいて、ここでアバンを探しに行くのが正史だったりはしないか。まさかだが……。
そもそも、山に行った勇者はアバンなのか? 聞き出した容姿は知識と一致しているが――でろりん系の偽物かも知れないし。
アバンなら会いたい。本当にハドラーを倒せるのか。いっそ対バランに協力してもらえまいか。
アバンでないなら骨折り損だが、マイナスを避けるためにプラスを捨てるのは本末転倒だろう。
結論は出た。
「行きましょう」
「おおっ、行ってくださりますか! ではこちらも、町の兵士から腕利きを遣わせましょうぞ」
勇者姫などと持て囃されようと、流石に国の王女に護衛を出さなかったとあっては、この町の立場が悪くなってしまうだろう。
リュンナの強さは既に、そういった護衛が全く不要なレベルにあるのだが。
とは言え勇者ではなく勇者『姫』、政治も大切である。仕方ない。
かくしてリュンナらは、境の山に向かうこととなった。