旅とは言っても、別段、数日ほど馬車に揺られるのみだが。
この世界は『狭い』のだ。各大陸は日本列島をモチーフにされているが、実際の総面積も日本とそう変わらないのではないか。地図の縮尺、実際の旅程――リュンナはそう感じる。
それでも楽な旅ではない。魔王ハドラーによる地上侵略中の今、そこかしこに凶暴な魔物が跋扈している。
大半の魔物は、馬車を守る近衛の上等な装備や覇気を見て逃げていくが、そんな弱小ばかりではないこともまた当然。日に1~2度ほどは戦闘になる。
その戦闘の全てにおいて、リュンナには出番がなかった。近衛で充分だった。
ミーハー根性で修行しているのみで実戦経験のないリュンナとしては、こうして外に出た以上は経験を積みたいという考えもあり、一方で「でもやっぱ戦うの怖いよね」という思いもあり、何とも悶々とした時間を過ごすハメになった。
こんなときには瞑想だ、瞑想に限る。
リュンナは馬車内の座席で胡坐を掻き、目を閉じた。
この世界の瞑想は上下逆さの姿勢で行う場合もあるが、そうするとスカートが思いっ切りめくれてしまうので避けた。それをするのは、部屋でひとりのときのみだ。
「リュンナさまー! ご覧になりましたか!? おおありくいを一撃で――」
「バカ静かにしろ、瞑想なさっている」
いや別にいいよ、そのくらいで途切れるほどヤワな集中してないから。
そう思って片手をひらひら振ってみせたが、近衛らは逆の意味に捉えたのか、敬礼して静かに馬車の護衛に戻っていった。
進みを再開する馬車に揺られながら、集中を深める。
思い出す――できれば思い出したくはないが――前世の死に際を。
いや、本当に詳しく思い出したくない。車に轢かれたですらない、何もないところで独りで勝手に転び、頭の打ち所が悪くて死んだなどと……!
ともあれしかし、リュンナは死の感覚を知っているということだ。死にゆく感覚ではなく、死そのものの感覚を。何の感覚もないという感覚を。
それを想う。心の中に死を再現する。絶対の無。
全てが消えたとき、逆に全てがよく見える。自己の内も、外界も。死者は物理に囚われず、自由だ。
何もないから、悩みも苦しみもない。落ち着く。
「リュンナさま……?」
馬車内の近衛が、ふと視線を巡らせた。
「どうした?」
「いや、リュンナさまは……どこへ……?」
「は? お前の隣に――おられぬだと!?」
いや、いるけど。
無の瞑想が深まると、こうして気配も無になってしまうのが常だった。
死から転生してきた再誕の感覚を想起、無に同化していた気配をリュンナは戻した。
慌てて馬車内外を探そうとしていた近衛らが、声を上げて驚く。
「リュンナさま!? いつそこに!?」
「最初からずっといます」
「ああ……。って、そこまで深い瞑想はどうかご遠慮ください! 肝が冷えます」
「ごめんなさい」
気軽に瞑想もできないとは、王女とは窮屈なものである。
この無の瞑想こそが、年齢の割に異常に強いことの理由なのだが。
自他も内外も等しくよく見える無の瞑想により、理想的な姿勢が体で理解できた。すると芋蔓式に、理想的な動き方も。
健全な精神は健全な肉体に宿るとはよく言ったもので(誤訳らしいが)、そうして体の使い方が分かれば、それに必要な筋力も伸びるし、更に心の使い方も分かってきた。剣術に重要な無念無想も、呪文に必要な集中力も。
この世界の瞑想は普通、魔法力を増す修行として扱われるが、リュンナの場合はそれのみに留まらないということだ。
この瞑想を誰にも教えることができないのが、本当に残念である。
正確には、教えたのだが、誰も実践できなかった。死んだことがない以上は当然なのだろうが。
リュンナ自身はその際、「死んだ夢を見た」と説明したが、普通に恐ろしい悪夢を見たのだと思われ、しばらくソアラに添い寝されることになった。暑かった。
ともあれ暇潰しに瞑想をしたりしなかったりで馬車の旅は過ぎ去り、やがてプレーシの町が見えてくる。
プレーシの主な産業は漁業や海上貿易で、リュンナが王都で美味しい魚介類を食べることができるのも、一端にはこの町の貢献があってこそ。
そう思えば、仕事に気合も入るというものである。
問題があるとすれば、潮風の香りに混じって、血と炎のニオイもまた強烈に漂ってくることか。
それに遠目に見ても、町から煙が無数に上がっている上、何ならガーゴイルやキメラなどの空飛ぶ魔物の姿すら見える。
恐らく町中には更に魔物がいるだろう。
様子を見た近衛たちが、緊張の面持ちで述べる。
「これは……いかん! リュンナさま、王都へ引き返します!」
「えっ?」
「えっ?」
思わず素で疑問の声を出してしまった。
数秒の静寂の後、リュンナが改めて口を開く。
「王国の町が、魔物に襲われてるんですよね?」
「さようでございます。ここにいては危険です!」
「わたし王女ですよね……?」
「いかにも! 御身は必ずお守りいたします!」
「助けに行かないと」
近衛らがぐっと言葉を詰まらせた。
もちろん彼らも助けに行きたいのだろう。だが彼らの役目は、民を守ることよりも、王家を守ることだ。今は特に、この場にいる第二王女リュンナを。
それが近衛という役職の義務なのだから。
しかし、しかしである。
「あのね、ぶっちゃけ、今近衛の皆さんが一度に襲い掛かってきても、わたしひとりで無傷で制圧できますよね?」
「そ、それは……そうですが……」
「ね? 強いんですよ、わたしは。じゃあ行くでしょ。わたしの民が襲われてるんですよ!? わたしの! 民が!」
リュンナは使命感に燃えた。出発前、父王の語った言葉を思い出す。
国に尽くされているのだから、国に尽くさねばならぬ。
力がないならともかく、リュンナには力があるのだ。そして意志も。
その意志は、しかし結局、遂に実戦で力を振るうことができる、というミーハー根性にしか過ぎないかも知れない。だとしても、それで助かる民がひとりでも増えるなら。
経験もないくせに力ばかりはあるから天狗になっていて、いざ現場に立てば震えて動けなくなるのかも知れない。だとしても、回復呪文で後方支援くらいなら。
「リュンナさま……!」
近衛も侍女も、感動に胸を詰まらせたように涙を溢れさせていた。
前世的に普通に考えれば、ここはそれでも帰還を選ぶところだろう。
だがこの世界、高潔と勇敢を体現する騎士道精神が罷り通っているのだ。前世では騎士が戦場の主役を退いてから理想化されて生まれた精神性が、騎士現役の時代に生きているのである。
だからリュンナのそんな言い分も、全く通ってしまう。
近衛らは決意の頷きを見せ、反転しかかっていた馬車は再び鼻先をプレーシの町に向けた。
「全速力!」
命令を受けた御者が、馬に鞭を入れる。加速、激しい揺れ。
数分をそうして走ると、町を囲む魔物の群れの背後に出た。
何とか逃げ延びようとする町民たちに、フォーク槍を持った小悪魔、ベビーサタンらが立ちはだかっている。
そんな場面に王家の紋章を掲げた馬車と、それを囲む乗馬騎士らが走ってくるのだから、絶望に染まっていた町民たちの目に一転して光が戻った。
それを見たベビーサタンどもも気付き、馬車に反転、一斉に冷たい息を吹きかけて迎撃してくる。
「剣を!」
「は!」
リュンナは近衛の持っていた予備の
迫る冷気は、触れるのみで身が凍結し壊死に至るだろう酷寒。
近衛らは対抗してメラの呪文を唱えているが、それが放たれるより、リュンナが剣を振るう方が早い。
「真空斬り――ッ!」
横一文字、圧倒的剣速が太刀筋の延長線上に剣圧の刃を広げ、冷気を斬り裂いて散らし、その向こうのベビーサタンどもすらをも両断した。
それでいて打ち下ろす角度のこの斬撃は、獲物の背後で地に突き立ち、更に奥の町民たちまでは届かない。
リュンナが純白のドレスの裾を翻し着地する頃には、近衛らは冷気の余波をメラの炎で滅し、ダメージを完全にゼロに抑えていた。
「あ、あなたは……!」
町民たちが、まるで救世主でも見るかのような目を向けてくる。
いや、ようなではないのか、この際。
リュンナは剣を下段に下げながら、鷹揚に頷いた。
「第二王女、リュンナです。助けに来ました」