暗黒の勇者姫/竜眼姫   作:液体クラゲ

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23 大魔道士マトリフ

 契約の間。

 その名の通り、呪文の契約に使う部屋だ。下は砂地で、魔法陣を描きやすくなっている。また内から鍵をかけることのできる構造は、選ばれた者にのみ赦される高位の儀式を流出させないため。

 

 今日は朝からずっと、リュンナがこの部屋を独占していた。魔法陣を描いては中央に座り契約し、の繰り返しだ。

 アバンからもらった呪文書を、早速使っているのである。当のアバン本人は、今日はソアラや仲間たちに修行をつけてくれていた。

 

 呪文書に記されていたのは、例えば境の山の砦で使っていたレムオルやインパス、先日の模擬戦(?)で使ったドラゴラム、ほかにもラナ系やパルプンテなどなど。

 直接的な攻防系よりも、特殊系の呪文が多い印象だった。

 

 それらを片っ端から契約していく。

 契約そのものは、儀式に手間と時間を要する以外にはデメリットなどない。

 全ての呪文を使いこなせずに持て余す可能性こそあるものの、使いたいときに使えないよりは遥かによい状態だろう。

 

 しかし今更ながらこの『契約』、何とどんな条件で契約しているのだろうか。

 儀式は各呪文ごとの魔法陣の中央で瞑想をするのみで、祈りや供物なども必要とされない。何か神や精霊などのような存在と繋がるような感覚もない。むしろ自分の内側の奥底に繋がっているような。

 

 ドラゴラムの契約儀式に伴い、リュンナは瞑想を深めた――死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。

 魔法陣の発光、その光が空気を歪める音、歪んだ空気の独特の匂いと味、渦巻く風の感触、頭の中で何度も響き渡る呪文。

 儀式がもたらす全ての刺激は、脳を通して無意識の深層へと辿り着き、そこにひとつの『構造』を焼き付けるように刻んだ。リュンナの額に意識される仮想第三の目には、それは魔法陣がそのまま写し取られたように見える。

 

 同じ無意識の深層に、魔法陣がいくつも並んでいた。これまで契約してきた全ての魔法だ。

 呪文を意識することで、これらの中からその呪文と繋がる魔法陣が活性化、魔法力を引き込み、魔法に変えて放出するのだ、と――そう理解できる。

 

 契約儀式とは、無意識の変容、反射行動の追加。

 それを契約と呼んだのは、その事実を知らず、神霊との取引によって魔法を得るという迷信を信じた古代人だろうか。

 いや、ミナカトールなど、本当に神と契約する呪文もあるのか。

 

 ともあれ、脳内魔法陣をこうしてイメージ化できた以上、そこに手を加えることもできそうな気がした。

 例えば既存の呪文を改造したり、合成したり、或いは新たな呪文を創造することさえも――

 

「アバカム」

 

 部屋の外から呪文。

 マトリフの声か。

 

「入ってますよ」

「だから来てんだろうが」

 

 鍵のかかった扉をノックもせずに開錠呪文で開け、無遠慮に入ってくるさまは、まさに横暴が服を着て歩いている風情。

 リュンナはジト目を向けた。

 

「もしわたしが裸だったりしたらどうするんですか……。ほら契約って意外と体力使って汗かきますし」

「ガキの裸に興味はねえよ。そんなことより、どうだ、調子は」

 

 述べた通り、契約は意外と疲れる。

 汗を拭き、用意しておいた飲み物で喉を潤しながら、座ったまま立ちもせずに老爺を見上げた。

 

「まあぼちぼちですね。契約できた呪文のうち、どれだけが実際に使えて、更にそのうちどれだけを効果的に使いこなせるやら、全く分かりませんけど」

「ふん。――ドラゴラムか」

 

 魔法陣を一瞥して看破するマトリフ。

 いちいち呪文書を開きなどしなくても、その頭の中にあらゆる魔法陣が入っているのだろうか。

 ――頭の中に魔法陣。知識という意味ではなく、脳内魔法陣のイメージが彼は完璧にできているのでは?

 聞いてみた。

 

「あ? ……お前……」

 

 ドン引きされた。

 深い溜息つきで。

 

「どういう才能してたらその歳で……。まあ、しかし、実際そういうことだ。呪文の契約ってのは、言わば自分自身との契約なんだよ。そこを認識することで、呪文の改造や創造も可能になる――まあ、並大抵のことじゃねえがな。

 この大魔道士マトリフさまでさえ、独自呪文なんて数えるほどしか持ってねえ。確かにお前は天才だが、調子に乗るなよ」

 

 嫌味や揶揄ではなく、純粋に心配してくれているのが分かる。

 微笑んだ。

 

「ありがとうございます。気を付けます」

「ちッ……。やりづれえお姫さまだ」

 

 不機嫌そうにしながらも、不満そうではない。

 ふとマトリフは、今もリュンナが中央に座しているドラゴラムの魔法陣を、足で砂を払って消した。

 そして新たな魔法陣を描き込んでいく。

 

「あの……?」

「ひとつ伝授してやる。使いこなしてみろ」

 

 瞑想、魔法陣に意識を集中。陣が起動し、光を放つ。

 頭の中に響く呪文名は――ベタン。

 

「これは……」

「分かるだろ? 使ってみなくても」

「はい。重圧呪文――ってところですね。範囲は結構広い? んーでもこれ……んー」

「何だ。言いたいことがあるなら言ってみろ」

 

 マトリフは睨みつけてくるようだが、そこに敵意や怒りはない。

 ひとつの呪文をどこまで応用できるか。まず発想がなければ、技術を磨くこともできない、そこを試すような。

 

「たぶん、もっと収束して……敵単体に威力を集中したら、必殺性がかなり高いですよね。広範囲を巻き込むと無駄やムラが多く出ますし。――あ、逆にムラを大きくして、範囲内の各単体に威力を集中? 誰もいないところは威力ゼロで。マルチロックオン的な、できるかな、どうかな……。ほかには自分自身に使うとか。打撃を当てる瞬間に発動して、衝撃をより重く! みたいな……」

「ほう……」

 

 マトリフが目を見開く。

 

「センスもあるみてえだな」

「まだ発想だけですけどね」

 

 前世の知識、無数のフィクション作品に触れた経験がある。

 応用案そのものは、いろいろと思いつくものだ。

 

「修行でもつけてやろうかと思ったが、出来が良すぎて教え甲斐がなさそうだ」

「そんな! せっかくだから何か教えてくださいよ。わたし剣も呪文も両方やるから、器用貧乏になりそうで怖いってゆうか……。器用万能になれるように。ね、大魔道士さま」

「ふん……」

 

 マトリフは背を向けた。

 考えを纏める間、顔を隠すかのように。

 数秒の後には、もう次の言葉を語り始めたが。

 

「魔法使いの役目。分かるか?」

「パーティーの頭脳になることですか?」

 

 原作にあった彼の信念を、リュンナなりに噛み砕いた解釈である。

 同時に先日の山の砦への侵入作戦で、彼の指揮ぶりに触れての感想でもあった。

 

「そうだ。そのためには、魔法使いは常に冷静でなくちゃいけねえ。一方で勇者ってやつは、仲間を引っ張る熱を持ってなきゃいけねえんだ。相反してるんだよ。心は熱く、頭は冷たく……言うほど簡単じゃねえ。

 お前のパーティーには専業魔法使いがいない。お前は勇者だとして、ほかに誰がその役目をやる?」

 

 振り向いた彼の目は、これまでのどの瞬間よりも真剣。

 それに対して、リュンナは苦々しげに。

 

「わたしが兼ねちゃダメですかね……?」

「兼ねるのがメチャクチャ難しいと言ってるんだ。だが……そうだな……」

 

 ふとマトリフが両掌を上向け、右手にヒャドの冷気を、左手にメラの炎を同時に宿した。

 

「できるか?」

 

 固まった。一瞬メドローアかと思った。

 だが今の時期、マトリフはまだそこに辿り着いていないハズ。

 単純に適当に思いついた呪文をふたつ並べただけで、できるかと聞いているのは、つまりふたつの呪文を同時に発動することだろう。

 

「……」

「おい?」

 

 と頭では理解しても、フリーズからの復帰に時間がかかった。

 慌てて頷く。

 

「あっはい! はい。えーっと。無理です。たぶん無理。やったことないですし」

 

 頷いたのは間違いだった。

 

「やってみろ」

 

 顎をしゃくって促してくる。

 

「えーっと。まずヒャド」

 

 右手にヒャドの冷気を宿す。

 更に左手に意識を集中し――

 

「バギ、って、ああああ……」

 

 真空の渦を宿すと同時、ヒャドが消えてしまった。

 

「できません」

「いや、できる」

 

 マトリフは断言する。

 どういうことなの。

 

「本当にできねえやつは、まず右手のヒャドを維持しながら左手に意識を向ける、ってことができねえ。バギを唱える前に、左手に意識を向けた時点でもうヒャドが消えちまうんだ。

 だがお前は、集中力を配分するところまでは出来た。配分のバランスが悪かっただけだ。あとは練習すりゃいい」

「はあ」

 

 生返事。

 確かに強力で便利な技術だが、魔法使いの役目と勇者の役目、の話からの繋がりが分からない。

 

「分からんか? ふたつのことを『同時』にやる練習なんだよ。それができたとき、勇者の役目と魔法使いの役目を兼任できるようになるだろう。右手と左手を、心と頭を、意識と無意識を、『統括したまま分離』できるようになるんだ。上手くいけばな」

「統括したまま分離……」

 

 言葉で言うのは簡単だが、並大抵のことではあるまい。

 だが分かる。もしそれが可能になれば、剣と呪文との連携もより洗練される――両方を使える勇者として、単に使い分けるのではなく、相乗効果でより高めていくことが。

 その極致が魔法剣だとしたら、人間の身でも使えるようにならないだろうか。流石に無理か。

 とは言え、だとしても勇者として格段にレベルアップすることはできるハズ。

 

 リュンナは立ち上がり、マトリフに頭を下げる。

 顔を上げると、彼は部屋を出ていくところだった。

 

「なぜ」

 

 呼び止めるでもなく言う。

 

「なぜ、わたしにここまで?」

「アバンのためだ」

 

 間髪入れずに彼は答えた。

 

「あいつは善良で正しい。過ぎるほどにな……。オメエみたいな――ちょっと悪い奴と付き合うことも必要なんだよ。そして対等に付き合うには、力が要る。それだけだ……!」

 

 そして出て行く。

 普通に見送った。

 

「こうまで言って罰しようって気配が全く出て来ねえんだから、本当にどういうお姫さまなんだか……」

 

 独り言。

 

 ――悪い奴、か。

 本当のことを言われたのは、ここに生まれて初めてだ。

 リュンナの暗黒闘気は愛国心の裏返し。それは、もし必要なら、祖国のためになるのなら――地上や人間全体はどうなってもいい、ということなのだ。

 

 いつか、来るのだろうか。人間の敵に回るときが。

 


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