午前の訓練を終え、昼食を摂ろうと通路を歩いていたときのことだ。
角を曲がって現れた兵士2名が、
「うおっ」
「わっ」
と驚いて仰け反り、転びそうになった。
その目線はリバストに向いていた。ベルベルを抱いたリュンナの隣を歩く、オークキングの巨躯に。
何とか転ばずに立ち直った兵士が、立ち止まったリュンナに気付く。
「し、失礼いたしました……!」
「申し訳ございません! 敵の侵入かと……一瞬……」
そして謝るのはリュンナに対してで、リバストに対してではない。
リュンナは憮然として溜息をついた。
ホイミスライムという比較的弱く無害な印象のあるベルベルはともかく、リバストは見るからに脅威的なのか、こういったことが度々起こる。
ベルベルに鈴を与えたように、王家の紋章の入った毛皮のコートを着せてあるのだが、それより先に猪顔に注目して驚いてしまうらしい。
ちなみに、リバストにも鈴を、という案は没になった。
ベルベルが「鈴は自分だけが」と主張したことと、リバストが「可愛過ぎてちょっと……」と難色を示したことによる。後者はベルベルを気遣ったのが真相ではあるが。
ともあれ。
「城を守る職務に忠実なのは素晴らしいことです。これからも、我々の頼れる味方でいてくださいね」
我々の、の辺りでリバストと腕を組み、その意味を言外に述べる。
直接は言わない。
実際、こうしてリバストに慣れない以外では、優秀な兵士たちなのだ。悪意があるワケでもない。あまり責めて萎縮させたくはなかった。
かと言って、このままでいいとも思わないが……。
やはり実績がないのが問題だろうか。
土壇場でベルベルを救ってくれたリバストは、リュンナにとっては正真正銘の英雄だが、それは第三者から見れば『お気に入りのペットが死んで姫の機嫌が悪くなるのを防いだ』のみである。
民を救ったワケでも、国を守ったワケでもない。
恐縮しながら巡回する兵士たちと別れながら、リュンナは思い悩む。
リバストは大切だが、国も大切だ。実績を積む機会として魔王軍に襲ってきてほしいだとか、そんなことは冗談でも考えられないし、考えたくもない。
それに今この瞬間に考えるべきは、リバストの気持ちだろう。
腕を組んだまま歩きながら、そこにぎゅっと力を込めた。ベルベルは頭の上に移動済み。
「ごめんね、ウチの兵士が」
「気にするな、我が姫は泰然としておられよ。俺が魔物なのは事実だ」
言われて気付く。
気にしているのはリバストではなく、自分ばかりなのだと。
「そうだけどさあ……。人間がひとりひとり違うように、魔物だって……。魔王の邪気にも、もう操られてるワケじゃないのに」
「邪気は関係ないのだろう。いや、歴史上これまで何度も、魔界からの侵略者がその邪気で魔物を扇動してきた。魔物とは、魔王の尖兵である――それが常識となるほどに。
常識を覆すのは、難しい」
「うん……」
リバストは冷静に述べた。
そこに怒気はないが、落胆もまたない。最初から期待していないのだろう。
或いは、期待がありそれを裏切られたのならば、リバストの側から奮起して関係の改善に繋がったかも知れない。
が、どちらからも歩み寄ろうとはしていない、それが現実だ。
兵士の意識を何とかしたいが、リバストの意識も何とかしたい。
しかし、具体的にどうすればいいのか? リュンナの頭は回らなかった。
「ぷる~」
回らないのは、ひょっとして頭が重いせいだろうか? 頭上に乗るベルベルの影が、思案するような間延びした声を出し――
「ぷるん!」
すぐに「いいこと思いついた!」の声に変わる。
そして触手で顔を引っ張ってくる。連れていきたい場所があるようだ。
「えぇ……。お腹空いたし、回り道したくないんだけど……」
「ぷるぷる……!」
「いたっ、ちょっ、分かった、分かったって……。仕方ないなあ」
触手の1本で、ほっぺをベチンとやられてしまった。一瞬痛いだけで、殆ど赤くもならない程度の力加減だが。
「こらベルベル、我が姫に手を上げるとは何事だ」
「ぷる~ん」
「確かにお前にとっては、姫だの何だの、地位や呼び名は関係ないのだろうがな……。しかし我が姫も、しっかり言い聞かせてくだされ」
「いや、わたしは別に……。ベルベルだからいいかなって」
リュンナもベルベルも、リバストの注意にどこ吹く風のありさま。
周囲からは、やれペットだの、いや腹心の側近だろうだのと扱われているベルベルだが、リュンナからすれば友達だし、ベルベルからすれば半ば親のようなものである。間を取って親友。
甘えたりじゃれたり、いちいち目くじらを立てるようなことではない。
ともあれベルベルに引っ張られていった先は、客室だ。今はアバンたちが滞在している辺り。
部屋の扉をノックすれば、アバンが顔を出した。
「おや、リュンナ姫。ベルベルにリバストも……。どうしたんです?」
アバンは極めて自然体だった。
ベルベルやリバストに対し、『魔物だから』どうこう、という態度が一切ない。
それは魔物だからと忌避することだけではない、忌避せずに受け容れてやらねば、という気持ちすらないのだ。
そう考える前に、既に自然と受け容れているから。
それがどれだけ稀有で、今のリュンナにとって心温まることか。
ここ数日の交流で分かっていたこととは言え、改めて突きつけられると胸が詰まって、咄嗟に声が出ない。
その沈黙の間をも、アバンは苦にすることはなかった。
ぱっと微笑み、まるでリュンナを代弁するかのように言う。
「そうだ、これから一緒にお昼を食べませんか。王さまや大臣との会談やら何やら、いろいろと予定の合わないことも多いですからね~。今日はご一緒しましょう。あ、ロカたちも呼んで構いませんか?」
「え、はい。はい。じゃあ一緒に……」
こくこくと慌てて頷いた。
するとアバンは一旦引っ込み、間もなく支度を終えて、改めて部屋を出る。
そしてリバストの肩に手を置いた。
「じゃ、手分けして呼びに行きましょう。リュンナ姫とベルベルは、先に食堂で待っていてください」
「あっはい。じゃあねリバスト」
「ああ、またすぐあとで、我が姫」
そうしてアバン、リバストと別れ、ベルベルを抱っこして食堂に向かう。
――はたと気付く。
「なぜリバストだけを? 別にわたしも一緒でいいのでは」
「ぷるん」
ベルベルが気のない相槌を打った。
釈然としないものを感じながら、仕方がないので、鷹の目でアバンとリバストとの様子を探ってみる。
額に開く仮想第三の目のイメージ――音声すらも読み取る超常の、架空の目。
「で、なぜ俺だけを?」
ちょうどリバストが、リュンナと同じ疑問をアバンに向けるところだった。
「まあまあ、こうしてふたりになる機会はなかったでしょう? 改めて、元カール王国騎士、今は勇者のアバンです。よろしくお願いします」
「あ、ああ……。オークキングの、リバストだ。我が姫の忠実なる騎士だ」
アバンが握手を求め、リバストがぎこちなく応じる様子。
手を握る、放し、その間にもアバンは言葉を続ける。
「国や王ではなく、リュンナ姫個人に忠誠を誓った騎士なのですね。そんな騎士を持てるとは、リュンナ姫はさぞ頼もしい気持ちでしょう。
私も故郷では騎士なのですが、騎士団長だったロカにはいろいろと迷惑や心配をかけてしまいましてね。貴方と比べれば未熟もいいところで、いやお恥ずかしい」
「いや、俺は……大したことはしていない。出来ることをしただけだ」
「それが大事なのですよ。私は出来ることもしませんでしたから……」読み切り短編の話だろうか? 力をひけらかすことを嫌い、道化を演じていたことの。「おっと、つまらない話をしてしまいました。ところで、これから昼食なワケですが、リバストは好き嫌いとかはあるんですか? 私は小さいころ、ピーマンがどうしても苦手でしてね~」
アバンの言葉は留まるところを知らない。
その勢いに押されながらも釣られて、普段は口数の少ないリバストも、最初は戸惑いながらも言葉を紡ぐ。
「そ、そうだな……。人間からは肉食だと思われることが多いと思うんだが、実は、芋が好きだ」
「お芋! いいですねえ~スープの具にしてよし、コロッケにしてもよし……。そのまま蒸かしても美味しいですよね」
「それだ! ホクホクに蒸かした芋……。こんなに美味いものはない。他には筍だな。あのコリコリした食感が堪らん」
「筍と言えば――あれっ、竹は、リバストのいた山には生えてませんでしたよね?」
「そうなんだよ。その前に住んでた場所では、いくらでも筍を食べられたんだが……この王都ではどうなんだろうな」
「料理長に聞いてみましょう」
「それがいい。……おい、俺が好きな食べ物の話をしたんだ。お前も聞かせろ」
「もちろん構いませんよ。実は甘いお菓子に目がなくて。作る過程も錬金術の実験のようで、なかなか面白いですよ」
「ほう……? 我が姫も甘いものは好きだな。おい、作り方を教えろ。今度作って贈ることにする」
「ナイスアイディアですね~! 私とリバストのふたりがかりなら、きっとリュンナ姫も喜んでくれるでしょう」
「フッ……。ところでロカたちを呼びに行くのでは? こっちなのか?」
「おや? おっと、どうやら道を間違えたようです。遠回りになっちゃいましたね~。まあ食前のお散歩だと思ってもらって……」
「こいつ……。まあいい。より腹を空かした方が美味いからな……」
「でしょう? そうそう、散歩と言えばリバストは――」
何なの? このコミュ力は……? リュンナは唖然とした。
話している内容そのものは、他愛のないことばかりだ。重要な話題など出ない、いや、お菓子を作ってプレゼントしてくれるのは重要だが。嬉しい。
しかしともあれ、リバストがここまでお喋りするのを、リュンナは初めて見た。なまじ言いたいことが心気で分かってしまうから、リュンナとリバストは意外と会話をしないのだ。
すれば良かった、と思った。
だって、そうして会話する2名とすれちがう人は、兵士も騎士も、侍従も、誰もリバストに驚かなかったから。角を曲がって顔を見る前から、普通に話す声が聞こえて、ごく普通に『リバストがいる』ことを認識するから。
『オークキングがいる』ではなくて。リバストという、ひとつの個性を。人間と大して変わらないのだと。
「ベルベル。まさかここまで見越して先輩のところに……?」
「ぷるん?」
ホイミスライムは素知らぬ顔をした。