暗黒の勇者姫/竜眼姫   作:液体クラゲ

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31 おかえりなさい

 マトリフのルーラで現場へと飛ぶ。

 ホルキア大陸の一角、人里離れた荒野。そこにアバンとハドラーは、向かい合って凍りついていた。

 周囲にはゴーレム、フレイム、ブリザードなど、非生物系の魔物が群がり、アバンを殴りつけたり、ハドラーを融かそうと炎を当てたりしていた。いずれも、まるで効果はないのだが。

 

 ハドラーの時間が凍ったことで地上を覆う邪気は途絶え、魔物は狂暴化から解放されたものの、それで全ての魔物が無害になるワケではない。

 そもそもハドラーの手で創造されたタイプの魔物は、邪気に関係なく生みの親に忠実であり、またハドラーが凍ったとは言え生きてはいるために、仮初の生命が尽きることもなかったのだ。

 もっとも魔王の指揮がない以上、そういった魔物も作戦行動は最早取らず、人間全体の脅威にはなり得ない。ここで無駄な足掻きを繰り返すのみだ。

 

 流星めいたルーラの着地衝撃、暴風が吹き荒れ魔物らを怯ませる。

 そしてマトリフは交差していた両腕を広げながら、

 

「ベギラマ!」

 

 左右それぞれの手から個別に、同じ呪文攻撃を放射。閃熱の帯は腕の振りに合わせて薙ぎ払われ、全周囲の魔物たちが焼かれ果てる。

 それでも熱に強いフレイムや、燃えにくいゴーレムは残る。それを、

 

「魔氷気……!」

 

 星の海めいて輝きを宿した常闇と冷気の具象化、氷の暗黒闘気が広がり、凍て殺した。

 フレイムは丸ごと鎮火され、ゴーレムは石材同士の隙間に入り込んだ氷によって割り砕かれ、バラバラに崩れ去る。

 

 そして距離があった故に生き延びた魔物たちは、すごすごと逃げ去っていく。

 その背にリュンナが魔氷気を伸ばそうとし、

 

「いい。キリがねえ」

 

 魔氷気は引っ込んだ。

 

「いつもこうだからな。俺が来る度に蹴散らしてんのに、一向に……。地底魔城で生産が続いてんのかね? ハドラーはここで凍ってるんだが。どうなってんだかな……」

 

 言い、マトリフはハドラーを一瞥した。それからアバンを。

 両者とも、瞬きひとつすることなく停止していた。呼吸も心拍もなく、風に髪や服が揺れることも、体勢がブレることもない。その辺に転がっている石ころの方が、まだしも生きた気配を感じられるほどに。

 表面は氷に包まれたように白く凍結していて、それだけ見れば火炎呪文などで解凍できそうだった。無論、そんなことはあり得ない。リュンナの仮想第三の目には、既に、凍れる時間の秘法の魔法構造が見えている。あまりにも強固で、精妙なそれ。

 

 だが何よりも目を惹くのは、時の静止したふたりの美しさだ。

 アバンの勇壮さも、覚悟も。ハドラーの邪悪さも、驚愕も。

 永遠に切り取られた一瞬。

 

 この秘法を、アバンは敵を封印するために使い、バーンは寿命の軛から解き放たれるために使った。

 実はその後者の方が、もともとこの呪法を開発した者の目的に近いのではないか。美しいものを美しいまま永遠とするために、編み出されたモノではないのか。

 そう思ってしまうほどに。

 

 涙が溢れてくる。

 そんな自分の感性に、嫌気が差す。

 

「ギリギリ――だな……! 明日にはもう解け始めていたかも知れねえ」

 

 リュンナに背を向け、マトリフはアバンの状態を解析呪文(インパス)で調べていた。

 正確には、アバンに作用している秘法の状態を。

 

 その隙に涙を拭った。

 

「マトリフさん」

「ああ……間に合ったってこった。お前が間に合わせたんだ。リュンナ姫! ――やっちまえ」

 

 マトリフが道を空けるように、アバンの傍らから下がった。

 歩み出て、触れる。

 

 凍ったアバンを見るのも、こうして触れるのも、今が初めてだ。

 マトリフは状態確認のため、頻繁に訪れていた。それについてくだけで良かったのに、リュンナは一度たりともそうしなかった。

 

 咎を突きつけられることが怖かった。アバンの痛ましい姿を見たくなかった。秘法の強固さを目の当たりにして、心が折れることを避けたかった。実は全てがマトリフの勘違いで、アバンは無事でピンピンしている可能性がある、という妄想を捨てたくなかった。何も知らされていないロカとレイラが当然ここに来ないことに、理不尽に腹を立てたくなかった。

 全て、もういい。

 もういいのだ。

 

 背伸びをして触れた頬は、思ったほどには冷たくなかった。

 荒野で吹き曝しにされている肌の、その相応の温度。

 岩よりも鋼よりも硬い。いや、きっと、この世の何よりも。

 

「先輩。今……助けます……」

 

 腰に抱き付いた。

 包み込むように、総身から凍てつく波動を発する。

 自他一如。魔氷気の波は、凍れる時間の秘法の魔法構造とひとつになる。染み入り、感染し、侵蝕する。騙す。お前は死にたいのだ、と。氷の棺に抱かれて、何も思わずに眠りたいのだ、と。

 皆既日食の力を利用した秘法の魔法力は莫大だ、正攻法では無効化など不可能。だから力ではなく、心で殺す。魔法力そのものを唆し、自殺させる。思考運動をマイナスにする、ヒャド系闘気の力で。

 

 解ける。

 融ける。

 

「やった……!」

 

 だからそれは、誰の言葉だったのか。

 

「一瞬巻き込まれたかと思いましたが……ハドラーだけが凍って! 私は――」アバンがふと見下ろした。自身の腰に抱き付く小柄を。「……リュンナ姫?」

「はい」

 

 震える声。

 

「これは……。どうやら、助けられたようですね?」

「はい……!」

 

 本人の主観では凍ったと思った直後だろうに、こうも瞬時に状況を把握できる。

 この欠点のなさが懐かしい。

 

 アバンの手が頭に乗せられた。ぽん、ぽん、と。

 

「ありがとうございます。貴方と仲間で良かった。……もちろんマトリフ、貴方もですよ」「ヘッ」

 

 彼の笑う声を聞いたのは、いったいいつぶりだろう?

 

「いつまでも寝こけやがって! だが甲斐はあった。魔王を倒した勇者は、しっかり凱旋しないといけないだろ」

「いやー面目ない。今更ノコノコ『私が倒しました~』とか名乗り出ても、皆さん信じないでしょうねえ。フローラさまくらいでしょうか」

「ウチも」

 

 リュンナがささやいた。

 

「アルキード王国も、信じますよ。わたしもマトリフさんも、頑張ったんですから」

「……ですね。それはそうと……」

 

 見上げる。

 やっと顔を見ることができた。

 柔らかく微笑んでいる。

 

「ただいま。リュンナ姫」

「はいっ。おかえりなさい、アバン先輩……っ!」

 

 凍っていたときよりもずっと、彼は美しかった。

 それに引き替え自分は何だ、こんなに大声を上げて、アバンの服のお腹を濡らして、こんなくしゃくしゃに歪んだ顔、とても見せられない。

 だから八つ当たりに、力ない拳で叩きながら。

 

「もっと早く帰ってきてくださいよ! わたし10歳になっちゃいましたよ……!」

「確かに――少し、背が伸びましたか。誕生日を祝えなくてすみません。その分、来年は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ぴしり、と。

 封印に亀裂の走る音が響く。

 

 振り返る。アバンもマトリフも、そちらを見た。

 魔王ハドラーの表面に、無数のヒビが。

 一瞬ごとにヒビは増え、広がっていく。

 

「くっ……。結局私のレベルでは、一時的な封印にしかなりませんでしたか……!」

 

 アバンが呻く。

 だが違う。知っている。

 原作ではこの倍以上の期間に渡って、ハドラーは封印され続けたのだ。このタイミングで自然解凍するハズがない。

 いわんや、原作のこの時点よりもアバンのレベルは高いのだ。ハドラーの封印期間が延びることはあっても、こうまで縮まることなどあり得ない。

 

 だからこれも、わたしのせい。

 恐らく、ハドラーとアバンと、ふたりの封印は『ひとつ』だった。どちらかを解けば、どちらもが解けてしまうものだったのだ。

 封印の中心はハドラーだとか、アバンは巻き込まれただけだとか、そんなことには関係なく。

 

「くそっ、ヒャダイン!」

「ヒャダルコ!」

「マヒャド!」

 

 マトリフが、アバンが、リュンナが、咄嗟に冷気呪文を放つ。集中攻撃。

 ハドラーの得意呪文は炎熱系であり、当然、それに耐性も持っている。ベギラマでは弾かれてしまう。リュンナに至ってはベギラマ自体を使えない。

 封印が解ける間際、ハドラーが動けず状況も掴めないタイミング。圧倒的な冷気の嵐は、それこそ秘法がなくても魔王を氷漬けに封印してしまいそうなほど。

 

 だが着弾の寸前、ハドラーは両手に光を宿した。

 3人の攻撃に反応したのではない。恐らく封印される寸前、先にアバンを吹き飛ばすことで逃れようと考えたのだ。事実はそうなる前に封印が成り、そして彼にとっては一瞬後である今、ようやくそれを実行するさま。

 それが中級呪文であれば、重ねがけされる冷気に耐えることは到底不可能だったろう。

 

 その光景は、実際は一瞬だったが、リュンナの目にはあまりにもゆっくりに見えた。

 ハドラーが両手を前方に伸ばして重ねると、それぞれの手に宿っていた光がぶつかり合い、渦を巻き、ひとつの破壊の奔流となって撃ち放たれる。

 極大爆裂呪文――

 

「イオナズン!」

 

 冷気が、蹴散らされる。

 


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