魔王ハドラーの復活を、世界は間もなく認知した。
大半が大人しくなっていた魔物たちが、再び狂暴化したからだ。
狂暴性を失っていた魔物たちはそれゆえに人里を離れ、人間に殺されない場所で繁殖していた――それが、一斉に邪悪の尖兵となった。
つまり封印前と比べて、魔物の個体数が爆発的に増大している。
各国は迅速な、そして命懸けの対応を迫られた。
個体数増大は恒常的なものではなく、今を凌げばやがて落ち着くものである。しかし逆に今を凌げねば、そこで人間は滅ぶ。
アルキード王国でも、ソアラが陣頭に立ち、騎士兵士を総動員で対応に当たることとなった。
傍らにはベホマを覚えたベルベルと、更にザオラルを使えるリバストが控え、万一に備える形。
日に何度もルーラを使い、救援要請があった中でも、特に危険で重要度が高いと判断された町から順に巡っていく。
巡る合間に帰ってくる度に、顔に浮かぶ疲労の色は濃くなっていった。
「なのにわたしたち、こんなコトしてていいんですか? 先輩……。修行は? 連日こうですよね!?」
いつものテラスで、リュンナとアバンはお茶をしていた。
今日の茶葉はアルキード伝統の高級茶。スッキリと爽やかな苦みが、ケーキの甘みを引き立てる。
アバンは鼻歌を歌いながら、ケーキをフォークで割って頬張った。
「いいんですよ。これも修行ですから」
「やっぱりそう来るんですか……」
いったい何の修行だというのか。
国全体が未曽有の危機に殺気立っている中、呑気におやつタイムを楽しむことが?
「てゆーか、『修行は?』って聞きはしましたけど、それ以前に、そもそも修行してる場合ですらないですよね? どこかの国が落ちる前に、とっととハドラーを斃しに行くべきでは……」
ゆっくりと香りを楽しみながら茶を飲むアバンに、リュンナは常識的な言を述べる。
全く応えた様子はない。
リュンナは溜息をついた。
凍れる時間の秘法による封印期間が約半年だったこの世界と、1年以上だった原作――魔物の個体数爆発のによる氾濫の被害は、原作の歴史の方が大きかったハズ。
そこを考えれば、確かに多少は悠長にすることも出来なくはない。ギリギリまで修行をして万全のレベルアップを果たし、それから挑む、という。
だがアバンは原作だの何だのは認識していないのだ。なのになぜ、この判断に至る?
「ちょっと先輩?」
「集中力の配分を間違えてはいけませんよ、リュンナ姫。ゆっくりするときには、ゆっくりしなくては……」
「ゆっくりするときじゃない、って言ってるんですけど」
アバンは微笑んだ。
「それが意外とそうでもありません……! これが修行である以上は。
しかし、そうですね、そろそろ修行の成果を確認してみましょう。訓練場へ……。あ、これ食べ終わってから。残したら勿体ないですからね」
「……」
お茶とケーキをお腹に片付け、まるで腹ごなしの散歩めいたゆっくりさで、訓練場へと赴く。
そこは新兵に溢れていた。
国の危機に、新たに志願してきた一般人たち――彼らに促成訓練を施し、魔物の大発生から国を守る一助とするためだ。
彼らの視線を、リュンナは「痛い」と感じた。
勇者姫と呼ばれたリュンナが、連日アバンとのんびりティータイムを楽しんでいることは、既に王城では噂となっていた。なぜ戦いに出ないのか、と。
アバンに無理やり付き合わされているからなのだが、そのアバン自身も勇者のハズなのにこの行動であり、批判の的となっている。
マトリフはメドローア開発を間に合わせようと、邁進しているというのに。
もっとも視線を痛いと感じはしても、もはや柳に風と受け流せるようにはなってしまったのだが。
アバンもまた気にした風もなく、訓練場の隅に陣取る。リュンナの定位置を、以前逗留していたころに見知っていた。
そして自らの
しかしアバンは、リュンナに剣を捨てるよう促した。
「鞘に入れるのもダメです。完全に手放してください。その辺に放るのでも構いませんから」
「はあ……」
指示に従い、とりあえずその辺の地面に突き立てた。
多少汚れはするが、この程度で傷がつくような粗大ゴミではない。
アバンは、右逆手に握った剣を、身を捻り大きく振り被る――ストラッシュの構えを取った。
殺気と闘気を漲らせ、それは空気が鳴動すらするほど。
「あの、先輩。殺す気ですか?」
「なーに、見立て通りなら死にませんよ。闘気も呪文も使わず、避けずに受けてみてください」
「殺す気ですか!?」
悲鳴。
「貴方は既に知っているハズですよ、リュンナ姫。殺気立った環境の中で、自らは殺気を持たぬこと。想像してみてください――さっきのお茶会の光景を。今貴方の眼前に、その光景が広がっていると」
目を閉じる。想像する。
何だかんだ不平不満を述べながらも、お茶会は楽しかった。憧れの先輩とふたりきりなのである――さもありなん。
それは殺気もなく、闘気もない世界。平和、平穏。平常。
「そう、そうです、リュンナ姫。行きますよ――アバンストラッシュ!」
突進し直接斬りつける、
避けずに受けろと言われたが、そもそも避けられる速度ではない。
リュンナは無防備に刃を受け――刃はドレスを裂き、皮を断ち、肉に食い込んだ。骨にまで届かない。なぜだ? 一瞬で両断されるハズでは。いや、そうはならないだろうとアバンを信じたから受けたのだが……。
リュンナを斬れない刃はそれでも振り抜かれ、リュンナは剣の長さの分だけ押され、後退した。
振り抜かれたストラッシュ、その直後のアバン。溜め込んだ力を命中の瞬間に爆発させた、だから、今は力が抜けて全身が弱い。
あ、隙だらけだ。ごく自然に思った。
剣を振った腕をくぐるようにそっと踏み込み、突き立てておいた皆殺しの剣を拾って――やべっ、斬ったら死んじゃうな――柄尻を、ごくソフトに胸に打ち込んだ。
「うッ、……!」
途端、アバンが後方へと吹き飛び、壁に激突する。
打った力は柔らかくても、無防備な瞬間に、アバン自身が爆発させた力をカウンターで返した形になったからだ。
これは、この技は……
「ごほっ、ぐ、おおお……べ、ベホイミ……!」
アバンは自らに回復呪文をかけながら、何とか立ち上がる。
その時ようやく、自分が忘我状態になっていたことにリュンナは気付いた。無念無想と言えば聞こえはいいが、要は理性よりも体の反応が優先されている状態である。
自らの頬を張って気を入れ直すと、駆け寄り、身を支えながら、ベホイミを重ねてかけていく。
「おっと、ありがとうございます……。ってリュンナ姫は自分にベホイミをかけてくださいよ!」
「あっ」
そうだった、ストラッシュで胴を斜めに斬られたのだ。幸い、臓腑どころか肋骨にすら達していないが、出血で服が染まっていた。
しばし、互いに自分自身へとベホイミをかける。
傷が粗方塞がったころ、アバンが口を開いた。
「さて、どうでした? アバン流奥義『無刀陣』の威力は……!」
「無刀陣……」
やはり、これは。
「自らの闘気を完全に消し去ることで、防御回避不能な大技でさえ確実に受け流す……。舞い落ちる羽毛を斬ろうにも、軽さで押してしまい、斬ることができないように。そうしながら冷静に敵を観察、大技直後の隙にカウンターを入れる――これが無刀陣です。
魔王は強い……。まともに正面からぶつかっては、勝ち目はないでしょうからね。
そしてそのためには、殺気立った環境下においてさえ、闘争心を抑えることが出来ねばなりません。お茶会はそこを掴む修行でした」
なるほど確かに、対魔物の軍勢で殺気立った王城内で呑気にお茶会をできるメンタルがあれば、戦場でもその境地に至れるかも知れない。
「それでも自分が剣を手にしてしまえば、それも難しいでしょう。だから剣を手放してもらったのですが……。リュンナ姫なら、剣を持ったままでも行けるかも知れませんね」
「いえ、剣を手放せば敵は油断か、或いは警戒か――何かしら態度を変えるでしょう。そこに隙を見い出すこともできるかと」
「おっ! 目の付け所がグッドですよ!」
――無刀陣。
原作においてアバンは、地底魔城での対ハドラー決戦において、この奥義を掴んだという。
それをほんの数日の差とは言え、決戦前に、それもひとに教えられるレベルで習得している現状。
「実は、もとは空裂斬なんですよ、この技。ほら、あれも剣を鞘に収める構えを取ることで昂ぶった心を抑えて、落ち着いて敵の弱点を探るでしょう? それの究極形と言いますか。
リュンナ姫と修行をしていたお蔭ですね」
つまり、確実に勝てる、ということだ。
原作においてハドラーを斃した、静と動の奥義が揃った。ぶっつけ本番でアバンが原作通りに開眼することを祈る、最早そんな必要はない。
ロカとレイラが参戦しないマイナスをリュンナが埋めて、アバンひとりでもハドラーのところに送り込めば、それで勝ちは決まる
ならばあとは、実行するのみだ。
ハドラーが原作通りの強さなら、だが。