マトリフのルーラでパプニカ王国首都へ――そこから北東の山岳地帯に、地底魔城の入口はあった。
死火山の火口に続くあまりにも遠大な螺旋階段を、いちいち歩いて下りることはしない――陽光の影になっている底をアバンの
火口の底で扉を開き、中へ。
――ばたん、と。
扉は独りでに閉じ、鍵がかかって、外側で
しかし今更、入ったばかりの地底魔城を慌てて出るとでも思ったのか? その背を魔物の群れで討てると?
「来たか……勇者ども……!」
「グヒョヒョヒョ」
「殺せェ! 皆殺しだ!」
斧と盾を装備した上位の鎧兵士、悪魔の騎士。
おぞましい桃色に染まった体、スターキメラ。
黄色いローブを纏い杖を手にした亜人、大魔道。
その他諸々、群れ、無数。
火口の入口までは何もいなかった。
一歩入った途端にこれだ。
その全てを殲滅する余裕はないし、その必要もない。
ハドラーさえ斃せば魔物を操る邪気は断たれ、大半は戦意を喪失するハズだ。
無刀陣の習得に日数を要し、時間がないこともある。
六芒星飢餓結界呪法――ホルキア大陸全土の人間をハドラーの生贄にする儀式は、最早、今夜に満月が昇れば始まってしまうのだ。
だから、
「ラリホー!」悪魔の騎士の入眠呪文も、
「クワァッ!」スターキメラの火炎の息も、
「ベギラマ!」大魔道の閃熱呪文も、
「うおおおお!」「シャアア!」「死ねッ!」それ以外の全ての魔物の攻撃も、
「ここは俺が引き受けた……」
全てを、たったひとりの男が吹き飛ばす。
前に出たマトリフは、頭上を通って左右の手を繋ぐアーチ状の炎熱を掲げていた。
それを頭上で圧縮、前方に伸ばした両手から、圧倒的な光の砲撃として撃ち放つ。
今代の魔王ですら未だ身につけざる、地上では今唯一大魔道士のみが使い得るひとつの到達点、極大閃熱呪文――
「ベギラゴン、ッッ!!!」
問答無用の光が、全ての攻撃を飲み込み押し流し、魔物の群れを貫いた。
一瞬で蒸発できた個体は幸せだったろう。射線の端にいたばかりに半身だけが焼けて苦しんで死んだ者もいるし、掠りすらしなかったのに輻射熱のみで炙り焼きにされて絶叫を上げた者も多い。
極大の閃熱は魔物のみに飽き足らず、ダンジョンの地形すら削り飛ばした。本来はここの魔物を全て斃さねば開かぬハズの、呪法のかかった奥の扉も含めて。
「今だッ!」
魔物は全滅したワケではない、それどころか、これでようやく2割が削れた程度に過ぎない。モタモタしていれば囲まれてしまう。
だから、誰も、躊躇わなかった。
「任せましたよ、マトリフ!」
「ご武運を! マトリフさん!」
「ぷるん!」
アバン、リュンナ、ベルベル。それが先に進むパーティーメンバーである。
ロカとレイラは娘――マァムと名付けたそうだ――が生まれたばかりで、とても戦いには駆り出せない。ロカはそれでもと猛ったが、娘と妻に泣かれてあえなく諦めたという。
ソアラは第一王女だ、死地には引き摺り込めない。そもそも今アルキードで魔物の氾濫に対抗していること自体が、本来ならばおかしいのだ。
だから万一の蘇生担当として、ザオラル使いのリバストは残さねばならなかった――父王の指示だ。もちろん、リュンナは納得している。国のためだからだ。
隊長はついて来たがったが、魔王に挑むには単純にレベルが足りないと判断された。近衛騎士では飛び抜けて最強なのだが、それでもなお。
勇者アバン、大魔道士マトリフ、勇者姫リュンナ、ホイミスライムのベルベル。
だから、それだけ。
そして今マトリフが、道を切り開くために独り残る。
パーティーは広間を駆け抜け、先の通路へ。魔物たちがその背に殺到しようとし、
「ベギラマァ!」
立ちはだかったマトリフの双手ベギラマ薙ぎ払いが、それを止める。
攻撃範囲のみなら、反動が重く迂闊に射線を動かせないベギラゴンよりも上だ。あまりにも容易いこと。
「言ったろ? ここは俺が引き受けたってな……。理解できなかったか、三下ども」
そう、ベギラゴンは反動が重い。それは肉体にかかる負荷という意味でも。
不敵に笑むマトリフの口元には、臓腑から溢れてきた鮮血が垂れていた。高齢のマトリフでは、強過ぎる呪文には体がついて来ないのだ。
それをアバンは察していたし、リュンナも鷹の目で今まさに様子を窺い知った。そんなリュンナの雰囲気から、ベルベルもまた。
その上で、3名のうちの誰も、引き返そうとはしない。
たとえマトリフと魔物たちとの死闘が、本格的に始まっても。
「マトリフさん……!」
「リュンナ姫、前を向いてください。あれはそう簡単に死ぬような人ではありません……! 我々がハドラーに辿り着く頃には、ケロッとした顔で追いついてくるかも知れませんよ」
「……ッ、ですね!」
リュンナは前を向いた。いや、肉眼はもとから向いている――そうでなく、鷹の目を前に向けたのだ。
ヒャダルコで敵の前衛を凍らせて後続への障害物にしながら、なおも進撃を防ぎ切れず、死の蠍に刺される――そんなマトリフの姿から、無理やりに引き剥がすようにして。
瞑想――死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。額に第三の目が開くイメージ。
この仮想第三の目から視点を飛ばし、遠隔を眼前のように見る特技が鷹の目だ。遮蔽物すらモノともしない。
境の山の砦を走破したときのように、鷹の目の視点のみを先行させダンジョンの地形を探査――目的地に続く道筋を割り出し、それを辿って進むのだ。
「先輩、そこ右です! 次の階段は上!」
「その調子ですリュンナ姫! ――海波斬ッ!」
通路一杯に詰まるような巨体のキースドラゴンが吐く炎を、アバンが斬り裂き、剣圧が鼻先にまで届き穿つ。
痛みに呻くドラゴンは前進をやめ、十字路は塞がれずに済んだ――右に曲がる。
上下ふたつが並ぶ階段のうち上を選ぶ間際、ベルベルが下の階段に向けて刃のブーメランを放った。
「ぷるん!」
影に同化していた暗黒色の骸骨――影の騎士を、その投擲が斬り裂く。危うくリュンナの背を剣で突くところだったそれを。
リュンナが鷹の目で道を知り、アバンがその道を切り開く。ならば側面や後方を警戒するのは、ベルベルの役目なのだ。
入口広間に大半の魔物が集まっていたのか、3名の前に現れる魔物は散発的だったが、だからこそ時に警戒が弛緩し、その隙を隠密型の魔物が突いてくることが多い。
だがベルベルの触手は同時に触角でもあるらしく、目を向けずともほんの僅かな気配すら察して対処してくれる。
影の騎士を斃したブーメランは旋回し、リュンナの頭にしがみつくベルベルのもとへ戻ってきた。
「流石わたしのベルベル!」
「いやー頼りになりますねえ」
「ぷるる~ん」
如何に正しい道が分かろうとも、地底魔城は広大だ。満月が空に顔を出すまで半日、それは長いようで短いタイムリミット。
ならばと急げば体力を消耗し、精神も疲労する。
だから笑う。些細なことでも褒め合い、楽しく、嬉しく進む。そうして気力を保つのも冒険のコツだと、アバンは語った。
直進し、曲がり、上って、下りて。
時に同じ場所をぐるぐる回っているようであっても、鷹の目で全て見えている、騙されない、惑わされない。
出現は散発的ながらに、気を抜けばその瞬間に襲い掛かってくる魔物ども――休息を取る余裕はなかった。
体力の消耗は回復呪文で、呪文を使う魔法力は魔法の聖水で補う。
アルキード王国が後ろ盾になっているのだ、貴重なアイテムとは言えそれなりの数は揃い、背嚢に詰まっていた。
それでも気力の消耗は如何ともし難い。
リュンナに限っては瞬間的な瞑想で何度でもリフレッシュできるが、アバンとベルベルはそうもいかない。
だから笑う。ツラいときこそ、笑うのだ。
ベルベルは笑った。
「ぷるるん」
リュンナとアバンを進ませるために、キラーマシンに独り立ち向かいながら。