暗黒の勇者姫/竜眼姫   作:液体クラゲ

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38 戦いのとき その1

 地獄門をくぐった先は、長い長い上り階段であった。

 闇の中を、リュンナが鷹の目を先行させて罠のないことを確認しながら、アバンのレミーラで照らして駆け上っていく。

 ふと振り向いても、まだそう経っていないハズなのに、もはや入口の光すらロクに窺えない。

 

「事ここに至って、ハドラーはひとりで待ち受けているハズです。マトリフとベルベルとは別れてしまいましたが、リュンナ姫と共に戦える……! 2対1! 頼もしいことです――本当に!」

 

 足を止めないまま、アバンは語る。

 傍らのリュンナを見下ろして、ぱちんとウィンクすらしてのけた。

 余裕のある所作、それは己への鼓舞でもあろう。

 

「それで、先輩。作戦は?」

「激しい攻撃が予想されます。ベホマも必要な集中力が高く、戦闘中に使うのは難しい……。守勢に回れば勝ち目はないでしょう」

「ではガンガン行きます?」

「いえ、攻撃ばかりを考えても無防備になり過ぎます。バランスが肝要……! 集中力の配分を間違えないことがね。互いにフォローし合い、バッチリ頑張っていきましょう!」

 

 高度な柔軟性を保ち、臨機応変に対処するらしい。

 実際、それしかないだろう。ハドラーがどんな手札を持っているのか、幾度か戦ったことのあるアバンでも、未だに底が見えていないらしい。

 そんな状況で、相手を上手く嵌めるような策など実現は不可能だ。想定外の手札がひとつあるのみで全てが瓦解するのに、想定外の手札は必ずあるのだから。

 それを確認し頷き合うと、あとは黙って上っていく。

 

 地獄門前で、回復は既に済ませてある。

 呪文による体力の回復、魔法の聖水による魔法力の回復。そしてそれを座って行うことで、僅かな時間とは言え休息を取り、気力の回復までも。

 万全とは到底言えないが、それでもこの状況でこれ以上は望めない体調だ。

 

 原作において、アバンは最終的にひとりで魔王ハドラーに勝った。

 この世界ではリュンナがいて、アバンのレベルも上がっている。負ける要素はない。勝てるハズだ。

 リュンナは確信と共に歩を踏み――

 

 アバンに押し倒され、階段に伏せた。

 

「先輩!? 何を――ッ」

 

 血の匂い。魔物とは違う、人間の。

 回復は済ませたばかりだ。服に染み込んだ古い血か、いや、新鮮な匂いがする。

 アバンの血。

 

「ぐう、ううう……!」

 

 彼の体の体越しに振り向けば、アバンの背に『影』が突き立っていた。

 赤黒い影の体、悪魔めいた異形――その鋭利な爪の貫手が。

 もしアバンに庇われなければ、自らが貫かれていたと知る。鷹の目に集中していて、自身の警戒が疎かになっていた。

 しかしその鷹の目を掻い潜って接近してくるとは!

 

「先輩、今ベホイミを――」

 

 アバンは応えず身をよじり、影の異形の貫手を振り払う。

 すると影はもう片手を向け、

 

「ザラキ」

 

 死の言葉の渦が迫る。

 アバンはリュンナを階段の上へ向けて押しやり、渦から逃れさせた。

 

「ちょっ……何で――」

「行ってください、リュンナ姫! 急いで!」

「何を!? ふたりがかりで……!」

「ダメなんです! 早く!」

 

 鬼気迫る様子に、リュンナはもう迷わなかった。

 アバンに背を向け、階段を駆け上がる。広い空間の気配がある。

 そして鷹の目だけを後ろに残し、アバンの言葉を読んだ。アバンもそれを心得ていた。

 

「ハドラーがバルトスの異変に気付いた可能性があります。裏切り者として処刑に向かう可能性が……! せっかく助けた命を散らさせてはなりません!」

 

 一度新生した魔物は、再び同じ方法で復活できるのか? 不明だ。

 それが可能だとしても、条件に『リュンナの暗黒闘気でトドメを刺すこと』がある以上、離れてしまった今はどの道、実現できない。

 

「この影の魔物は、そのために我々を足止めするつもりでしょう。或いは影を無視してふたりで進めば、影自身がバルトスを始末する手筈か……。

 残念ですが、我々は分断されざるを得ません」

 

 リバストのザラキとは比較にならぬ呪いの奔流に、さしものアバンも動きが重い。

 あまつさえ影は、同時に甘い息すらも吐いてきた。ザラキの渦の中で眠ってしまえば、それこそ永遠の眠りに就くことになる。

 アバンは海波斬で息を散らすが、それが精一杯。ザラキは健在で、剣圧も影本体まで届かない。

 

「影を斃し、必ず後から追い付きます……! 先に行って、ハドラーを止めてください! 斃してくれとは言いません、時間稼ぎで構わない……! どうか!」

 

 そこまで読んでから、鷹の目を引き戻した。

 声を届ける。叫ぶ。

 

「ええ、時間を稼ぐのはいいですが……! 別に! 斃しちゃってもいいんですよねえ!?」

 

 冗談でも言わなきゃやってられない! リュンナは心中で嘆息した。

 激しい攻撃が予想される、守勢に回れば勝ち目はない。そんな相手にひとりで時間稼ぎなど――半ば自殺だ。

 

 だが行く。

 だって、嬉しかったのだ。アバンはバルトスに対し、原作ほどの思い入れはあるまい。けれど彼を拾い上げたリュンナの意を汲んで、彼を生かそうとしてくれている。

 そもそも身を挺してリュンナを庇い、それを当然のこととして動いた。

 

 それだけ大切に思われている、ということだ。他でもないリュンナが、アバンに。もちろん、仲間として。

 大勇者の大切な仲間! これほど誇らしい立場が他にあるか?

 

 だからリュンナは駆け上がった。疾風のように走った。

 階段を駆け抜け、大広間――地獄の間に辿り着く。闇の中、一定の間隔で幾本もの柱が立つそこ。

 

 そこに、魔王はいた。

 暗黒のローブとフードを纏い、大きな宝石の首飾りを下げた姿。

 魔王ハドラー。

 

「む……!」

 

 彼はリュンナの姿を認めると、眉根を寄せた。

 

「貴様は確か、あの時アバンにくっついていた……! 我が影め、しくじりおったな」

 

 ハドラーの影――いや、『魔王の影』か、あの魔物は。

 そんなことはどうでもいい。

 

 疾風の走りが歩きに変わり、間もなく止まった。ハドラーまではまだ距離がある。

 なのに、これだけ気圧される。

 凍れる時間の秘法を解いた時と違い、今は傍らにアバンもマトリフもいない。ベルベルもリバストも、この場にはいない。

 呼吸が速い、鼓動が速い。知らず、冷や汗が噴き出す。

 

「貴様ごときに用はない……! アバンが来ないのならば、失敗作のバルトスを俺自ら処刑しに行くまでよ! まさか俺以外の暗黒闘気に阿るなどとは……」

 

 眷属との繋がりの切れ方に、不審さがあったのだろうか。バルトスの状態を把握しているようだ。

 リュンナにはまだできないこと。ベルベルが無事かどうかも。

 

「ともかく、そういうワケだ。どけ」

「いいえ」

「……ほう?」

 

 ハドラーが不敵に笑んだ。即答は予想外だったのだろう。

 自分でも予想外だ。リュンナもまた笑った。不格好に引き攣っていようとも。

 

「それは……俺と戦う、ということか? この魔王ハドラーさまと……!」

「はい」

 

 はいだのいいえだの、ドラクエの主人公かよ。ウケる。

 ああ、冗談のひとつやふたつ飛ばさなきゃ、とても耐えられない。

 ハドラーとは、これほどまでに圧倒的な怪物だったか。ただ気配のみで。

 

「クックックッ……! そんな無様な姿でか!」

 

 魔王の指さした先は、リュンナの足元だった。

 見下ろすと、いつの間にか水溜まりができていた。

 何これ? どこから湧いて出た?

 ああ――自分からだ。この両脚の間から。涙がこぼれた。視界が歪み、揺らぐ。

 

 ぎゅっと目を閉じる――けれどそれは、逃げるためでなく、立ち向かうため。

 瞑想――死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。

 額に第三の目が開くイメージ。

 リュンナは自分の恐怖を見た。恐怖の形を知った。恐怖の乗り越え方が見えた。

 

「あなたは」

「ククッ、どうした」

「アルキード王国を、どうしますか」

 

 思わぬ問いだったのか、ハドラーは少しだけ沈思黙考した。

 だが間もなく答える。

 

「無論、滅ぼすとも。アルキードのみではない――地上全ての国を破壊し、全ての人間を我が家畜としてやろう! なに、案ずるな……。少し世代を重ねれば、人間ども自身がそれを幸せだと感じるようになる」

 

 牛や豚が、外敵に襲われずエサの豊富な生活に耽溺するように?

 

「赦さない」

 

 そんなことは赦さない。

 

「わたしの国。わたしの民」

 

 国のわたし。民のわたし。

 

「絶対に守る」

 

 それは正義感ではなかった。

 煮え滾る憤怒であり、深淵よりも深い憎悪だった。

 子供や巣を守ろうとする野獣の母のような、容赦なく、善悪もなく、苛烈な想い。

 形振り構わぬ魔獣の境地。

 

 だから魂の奥底から湧き出し噴き上がってくる莫大な奔流は、光ではなく暗黒。

 星の海めいて無数の輝きを宿す、常闇と冷気の具象化――魔氷気。全身に纏う。

 

 恐怖を乗り越えるのは、愛国心だ。

 

「わたしはアルキード王国第二王女――『勇者姫』リュンナなんですから……ッ! ハドラーッ!」

「フンッ! やっと楽しめそうな面構えになりおったか。良かろう、遊んでくれる」

 

 今――戦いのとき。

 

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