「バカな、バカな! 小娘――こんな……ッ」
深く斬り裂かれた腹から滂沱めいて血をこぼしながら、アークデーモンが呻く。
無論、そのセリフが終わるまで待ってやるリュンナではない。更に一閃、片膝を断った。骨の間を通り、肉や腱を切り離す手応え。気持ち良くはない。
巨躯の悪魔と9歳の童女――身長差から、首や心臓といった急所を一手で狙うのは難しい。まず脚を奪って体勢を低くさせるのは定石だろう。
もう片膝をついたアークデーモンには、しかし第三の脚があった。
フォーク槍――石突を地について杖代わり、腕力で跳躍。大きく後退し距離を取る。
「待ッ――」
咄嗟に追撃をかけようとするリュンナだが、間に合わない。
あまつさえ悪魔の投擲したフォーク槍を打ち払うために足を止めた瞬間、魔物の群れが道を塞いでしまった。
近衛らも奮闘してはいるのだが、数も平均レベルも敵の方が上のようだ。
既に何人かが血を流し倒れ、敵を押さえることが出来なくなっていた。
「リュンナさま、も……申し訳……」
「ちくしょう、魔物どもめ……」
息はあるようだが、時間の問題だ。
リュンナは邪魔なグレムリンを火炎の息ごと斬り捨てながら、最も近くに倒れていた近衛に駆け寄り、
「ベホイミ!」
回復呪文の光を灯す。傷が塞がり、蒼白だった顔に少し赤みが差した。
しかしこうしてひとりを癒すうちに、視界の端でふたりが手傷を負う様子、焼け石に水。
「リュンナさま……!」
ベホイミをかけた近衛が、這いつくばって何とか立ち上がろうとしながら、言葉を紡いだ。
「我らの命は、既に、リュンナさまの……モノです! どうかお気にせず……為すべきことを……!」
「為すべきことって……!」
「あなたさまは、既に、勇者なのですから……! 我らの希望!」
勇者だなどと、近衛隊長が先ほど急に言い出したばかりのことだ。
大方この緊迫した戦場における『その場のノリ』の産物であり、深い考えはあるまい。あったとして、『味方を鼓舞するため』程度か。
勇者たる覚悟も、実績も、リュンナにはないのに。
だがノリに流されるのはきっとリュンナも同じで、そして、今はそれでいいのだろう。
「国を害する魔物を斃します」
「はい! どうか、どうか……! 不甲斐ない我らに代わり、彼奴らに天誅を!」
剣を構え直し、アークデーモンに視線をやる。
距離を取った悪魔はそのまま逃げたのかと思ったが、そうではなかった。奴は離れた場所でホイミスライムの回復を受けながら、全身に気合を入れ、魔法力を高めていた。
「ふぬおおおおおおああああああ……!」
バチバチと放電すら伴うような光の塊を、それぞれ左右の手に宿して。
「あれは――ッ」
そうだ。
ゲームでのアークデーモンの得意技は、槍術でもイオラでもなかった。
極大爆裂呪文――イオナズン! 撃たせてはならない!
駆け出そうとしたリュンナを、悪魔たちが身を挺して足止めする。群がり、体重をかけてくる。
こいつら、巻き添えが怖くないのか!
「魔物は力が全て……! 強者の命令は絶対! そいつらは死んでも剥がれんぞ! お仲間諸共、灰になるんだな……! イ――オ――ナ――」
悪魔どもが組みつき、しがみついて、噛み付こう引っ掻こうとしてくる。
何とか身をよじり被弾は防ぐも、視界は真っ暗で、剣を振る隙間もロクにない。
「バギマッ!」
中級の真空呪文、吹き荒れる気圧差の嵐が、悪魔どもを斬り裂き散らす。
アークデーモンは詠唱を続けていた。
「ズ――」
巨躯の悪魔に真空斬りを放つ、ダメだ、スライムつむりが身を挺して庇ってしまった。それを貫通するような高威力がもう出ない。
だったらヒャダルコで凍らせて動きを止め――ようとして、既に魔法力の尽きていたを実感する。ここに来るまでの戦いで、いくらも消耗があったせいだ。
初陣の失敗――後先考えずに呪文を使い過ぎた!
「――ンンンンッ!」
アークデーモンは光を宿す両手を前方に伸ばして重ねた。ぶつかり合うふたつの光は渦を巻き、ひとつの極大威力の奔流となって迫る。手下をも巻き込みながら。
『イオナズン』。
命中すれば、文字通りに全てが吹き飛ぶ。
リュンナ自身も、近衛たちも、ともすれば後方に避難した町民も、その誘導を終えて戻ってくる最中の兵隊も。
――赦せない。
赦せるものかッ!
今、リュンナの集中力はそれこそ極大にまで高まった。
契約はしたものの実力不足で発動しなかったバギクロスも、今なら使えるだろう。だが肝心の魔法力がない。バギクロスの構えを取る時間もない。
できるのは剣を振ることのみだ。下段に構えた剣を、上に振り抜くことのみだ。
その事実に、リュンナは絶望を感じてはいなかった。
国を害する、民を害する、魔物ども。
わたしの国だ、わたしの民だ。国のわたしであり、民のわたしなのだから。
尽くされている以上、尽くさねばならぬ。
それは正義感ではなかった。
煮え滾る憤怒であり、深淵よりも深い憎悪だった。
子供や巣を守ろうとする野獣の母のような、容赦なく、善悪もなく、苛烈な想い。
だから魂の奥底から湧き出し噴き上がってくる莫大な濁流は、光ではなく暗黒。
「ぁ――」
突如の全能感。いける気がした。だからいった。
「――ッああああああああああああああああ!」
自らの暗黒の全てを剣に託し、ただ振り抜く。
どす黒い闘気の刃が、眼前にまで迫っていたイオナズンを左右に分けた。
あまつさえその光の爆発力さえも闇は喰い尽くし、極大呪文は静かに果てゆく。
「あ……あぁっ? へっ?」
リュンナとアークデーモンとを結ぶ直線状には、もう、魔物はいなかった。
イオナズンに散らされ、暗黒剣に斬り捨てられて。
いるのはその脇にだけ。
人間は無事だ。誰も皆、リュンナの後ろ。最も強いリュンナが、最も前にいたから。
そして誰もを守った。
アークデーモンは、あんぐりと口を開けていた。
「イオナズンを……! きっ、斬った、だと? め、目の錯覚……いやそんな……あり得ん。あり得んぞ!
新たな勇者……。ハドラーさまに、報告、報告しなくては……!」
大悪魔が背を向けようと身を捻ったとき、彼の左右半身がズレた。
「あえっ……?」
正中線を通るように、その身を左右に分かつ線があり、それに沿って――そのまま左右に分かれて、まず左半身が地に倒れ、そこに右半身が重なり崩れた。
血の海が広がっていく。
「……」
誰もが沈黙し、動きを止めていた。人間たちも、魔物たちも。
その圧倒的に過ぎる力に。禍々しい暗黒の様相に。
斬撃を放ったリュンナ当人でさえ、呆然のありさま――だったのは数秒。彼女が最も早く立ち直った。
「たっ――」
声が裏返ってしまった。
改めて、剣を振り翳しながら。
「大将首はこのリュンナが討ち取ったッ!」
戦国武将か。内心、自らへと。
いや、戦国武将なのかも知れない。人と魔物との戦争に立つ、武力振るう王女は。
実際、人々は雄叫びを轟かせて盛り上がった。近衛や町の兵隊はもちろん、避難したハズの町民たちでさえも日用品を武器に再び駆け付け、残った魔物どもを掃討していく。
それは最早戦いではなく、蹂躙だった。
魔物は力が全て、とアークデーモンは言っていた。圧倒的な力によって配下を従えていたそのアークデーモン本人が、より上回る力で斃されたのだ。
残敵の士気は最早ボロボロ。背を向けて逃げた者から順に始末されていくようなありさま。
ほどなくして人々の体力が半ば尽きる頃、もう、逃げる魔物はいなかった――全て殺されたから。
人々はリュンナを取り囲み、口々に褒め称え、賛辞を述べ、感謝を捧げ、その武勇を崇めるような言葉すらあった。
こうしてリュンナの初陣は終わった。