「どうして逆手持ちなんですか?」
以前、そう問いかけたことがある。
アバンは悪戯っぽく笑み、逆に問い返してきた。
「どうしてだと思います?」
「えぇ……。カッコいいから、とか? いえ、あり得ないですね……」
「そうでもありませんよ。カッコいい技は、自分や味方を鼓舞し、敵を威圧することができます」
確かに、アバンストラッシュはカッコいい。
如何にもな必殺技感がある。
「もちろん、それだけではありません。
人体の力の出しやすさや刃物の性質などの要素から、この逆手の構えの方が、実はよく斬れる面もあるのです。まあ人それぞれ体格や癖など違いますし、場合によりけりな面もありますから、一概には言えませんが……。
つまり心身両面で、私という人間に合致している。そういう技だということです」
必殺技に自らの名を冠するのは、何よりも自分に合った技だから、という背景もあるのか。
「じゃあ、もしわたしが使うなら」
「おっ、リュンナストラッシュにします?」
「えぇ……ヤです……」
アバンストラッシュはカッコいい。だがリュンナストラッシュはちょっと……。
そのアバンストラッシュにしても、アバン自身やその使徒が使うからカッコいいのだ。リュンナには荷が重い。
暗黒闘気版の空裂斬を会得した以上、闇のストラッシュは撃てるハズだが、どうにも気が乗らなかった。
――だが今、全ての力と闘気を一瞬で爆発させる技として、これより相応しい技はないと思った。
光の闘気ではなく魔氷気を込めた、ゼロストラッシュ。
「ぐおッ、おッあああああああ! バカなッ! こんな!」
ハドラーがよろめき、後退する。その身には左腕がなかった。
無刀陣ですら反応防御された、ということだ。剣の前に左腕を差し込まれた――だがルカナンで脆くなっていた腕は、耐えられず、斬り裂かれながら魔氷気に凍てつき、粉々に砕け散った。
腕を失った左肩口も凍って、出血がない――代わりに、氷の範囲がじわじわと呪いのように広がっていく。
これでは魔族特有の再生力も働くまい。
だがリュンナにも、追撃をする余裕はなかった。
闘気を消耗し過ぎた。視界が暗い。音が遠い。
打撃で拉げた魔法の鎧に内臓が圧迫され、呼吸が浅い。
そうだ、鎧を脱げばいい。しかし留め金や紐をひとつひとつ外していくのは大変だ。
リュンナは魔氷気を鎧に作用させ――結露から凍結へ――氷の膨張力で鎧を内側から破壊し、ガラガラと部品を足元に落としていく。
あとに残るのは、鎧下の布の服のみ。
これで呼吸ができる。呪文にも集中しやすい。ベホイミ。気分が楽になってくる。
「メラゾーマ! メラゾーマァァ! 解けん、なぜだ、この俺の呪文で……! あり得ん……!」
ハドラーは左肩の凍結を火炎呪文で排除しようとしているが、凍結の広がりを遅らせる効果しかないようだ。
暗黒闘気によるダメージは回復呪文を受け付けない、という話があったが、その現象の親戚だろうか。
好都合だ。
「もはや女子供と侮らんぞ! リュンナッ! 全身が凍りつく前に――バラバラにしてやるッ!!」
ハドラーは左肩の直接解凍を諦め、殴りかかってきた。闘気の源であるリュンナが死ねば、氷も解けると考えたのだろう――リュンナ自身にも確証はないが、恐らくそれは正しい。
対してリュンナは満身創痍。ベホイミでは焼け石に水。
だから剣を捨てた。
「バカめ! 勝負を捨てよったかああーッ!!」
暗黒闘気を込めた右拳。
純粋な肉体の力のみなら先ほどから既に全力だったが、それを超える本気の本気。
なけなしの闘気では防ぎ切れない。
ならば無刀陣しかない。
「……ッ」
「くっ、さっきと同じか! 面妖な動きを……ッ!」
頬を打ち抜く拳を受け流し、それでもなお首が折れそうに軋んだ。
反撃はハドラーの手首への手刀。
闘気はゼロのまま、しかし、敵の威力を吸収反射する諸刃斬りの術理、その手首をへし折る。
「うがあああー!?」
ハドラーが絶叫を上げて苦しむ。
やはり無刀陣は効く。だがアバンほどの才人でないリュンナでは技が不完全なのか、トドメを刺すに至らない。
ここまでのダメージで体力が足りないのもあるだろう。
そして次の一撃で死ぬ。
受け流しも100%ではないからだ。流し切れなかった僅かな威力でも、もう充分に死んでしまう。
「ならばこうだ! 喰らえッ!」
後退したハドラーの闘気弾。イオラめいて飛び来る暗黒の塊。
受け流したところで距離がある、これでは最後に反撃もできない。
せめて。
せめてもう一撃。
追い付いてくるアバンが、ほんの少しでも楽になるように。
既に役に立たない目を閉じた。濃密な死を感じる。
瞑想――死の感覚――無の境地――全てが消え去れば、全てが見える。
全てを見通す第三の目、額に開く。
闘気弾。迫る。見る。
なにか隙は、弱点は、突破口は。
暗黒闘気。負の感情。
ハドラーは何に怒り、何を憎んでいる?
或いは力を振るって我を通し、弱者を虐げて愉しむこと、それもまた負の感情なのか。
違う。見える。
怒りの裏返しの、使命感。憎しみの裏返しの、愛。
同じだ。
なら、ひとつになれる。
闘気弾を受け――リュンナは、小揺るぎもしなかった。
耐えたのではない、弾いたのでもない。
闘気弾は消えた。リュンナの中に吸い込まれて。
「な――に?」
ハドラーが困惑する。
狼狽えて仰け反っている。
「何だ……それは……。貴様、本当に人間なのか!?」
「自他一如、凍てつく波動に開眼したわたしなら、闘気の吸収も――」
「違う、違う!」
魔王の声が、不自然に震えた。
「そんなことを言ってるんじゃあない! き、気付いて……いないのか……?」
ハドラーが鼻水を垂らしながら指さした先は、リュンナの額だった。
第三の目が開く――イメージに過ぎない、彼に見えるワケではない。ただの額があるのみだ。
そのハズだった。
第三の目が、ある。
瞬きできるし、肉眼と同じ感覚で視線をあちこちに向けることもできた。
動かす度に、ハドラーがビクリと反応する。
鷹の目――視点移動の特技。自分を見た。
最早イメージではなかった。そこにあった。
縦に開いた眼窩、縦に割れた瞳孔。
竜の瞳の様相。
竜眼――という言葉が、自然と浮かんだ。
「人間……ではない……! 貴様は! だが魔族でもない……血は赤い……。いったい何なんだ!?」
「人間ですけど」
「人間の目はふたつだ!」
そう、人間の目はふたつだ。リュンナにもふたつのみ。
新たに生じたのは、竜の目なのだから。
瞑想。死を想うこと。だが、それのみではなかった。転生に伴う再誕の感覚。『生まれ変わる』瞑想。
それが積み重なるうちに、後天的に人から竜へと生まれ変わったというのか?
正確なところはリュンナ自身にも分からない――分かるのは、それが外的な何かが宿った結果ではなく、あくまでも自己の内に起因しているということだ。
竜眼の使い方が分かる。その力が理解できる。
著しく体力の減っている今、それも万全ではないが。
「くっ……! しかし! だからどうした……!? たかが気味の悪い目がひとつ増えただけ! この俺の勝ちに変わりはない!!」
ハドラーが気を取り直し、
「イオラ!」
爆裂光弾を撃ち放ってくる。
竜眼。呪文の構造がよく見える。どこにどう隙があるか。竜眼から湧き出す魔氷気の膜は、光弾が触れたとき、隙に染み入って感染、掌握、呪文に自殺させ――残った魔法力を吸い取った。
闇の衣――と呼べようか。
回復した魔法力でベホイミを唱え、体力を補っていく。
「と、闘気のみならず呪文までをも……!」
ハドラーは忌々しげに歯軋りをすると、右腕を振って調子を確かめた。
魔族の再生力、先ほどの無刀陣からの手刀で折った骨が治ったらしい。
逆に左の肩から胸、脇腹にかけては、氷に覆われていたが。
「ならばこの身で直接! 打ち殺してくれるわーッ!」
ハドラーは暗黒闘気を漲らせると、瞬く間に距離を詰め、右拳を繰り出してきた。
その右拳にそっと手を触れる。流し込んだ魔氷気で力の流れを滞らせた――ハドラー自身が込めた力が暴発し、右拳が炸裂する。
「げえッ……!?」
高速で動くべき部位に無理やりブレーキをかければ、そこで力は暴発し負傷に繋がる。まるで相手自身がそうしたいかのように、ブレーキをかけさせる操作。
凍てつく波動の親戚――いや、むしろ未熟な闘魔傀儡掌か。今は一度に一部位を一瞬だけしか操作できず、操作内容も魔氷気の性質を利用して自爆させる以外にはないが。
言うなれば氷魔傀儡掌。
膝蹴りを入れれば膝が、肘打ちを入れれば肘が、回し蹴りを入れれば脛が、頭突きを入れれば額が、肩から突進すれば肩が、力の暴発で内から弾け飛んでいく。
リュンナはその全てに、ただ手で触れていくのみ。物理的な力を込める必要はなく、ただ素早く触れればいい。
「バカな……! バカなバカなバカなバカな……! かっ、完全無欠――なのか!?」
魔王は立つ力を失って座り込み、それでも襲い掛かってくる。
「いやそんなハズはない! 俺は魔王ハドラーだぞーッ!!」
組みついたその右腕は、破裂しなかった。
「はッ! ク、ククッ……! 読めたぞ! 理解したぞ! 俺自身の力を使って反撃していたなら、力を一気に爆発させなければいい……! こうして!」
リュンナの後ろに回り込み、右腕のみで首を絞める構え。
「ゆっくりと圧迫してやれば……! 思った通りだ! もはや貴様には、自分自身の力で戦う余力は――」
魔氷気がその腕を物理的に凍らせ、扼殺を阻害した。
「うおおおおああああ!? こんな、こんな余力あるハズが……!」
ハドラーの闘気や魔法力を吸収したのだ、これくらいはできる。
それでも魔王は諦めなかった。
必死に首を捻り、こちらの首を噛み千切ろうと試みてくる。
どうして。
「どうして、そうまでするんです?」
「知れたこと! 俺は魔王――」
「止まって」
再び踏んで跳ね上げ手に戻した皆殺しの剣、その切先を、すぐ背後のハドラーの喉に突きつけ、
「止まらんッ!」
貫いた。
いやダメだ、骨が硬くて逸れた。延髄を断てていない!
「かはァーッ!」
ハドラーの牙が、首筋に食い込む――