首筋に食い込むハドラーの牙――が、魔氷気で凍り止まる。
だが、
「メラゾーマ……!」
自分自身を地獄の炎に包み込み、氷を解かしてしまう。
ゼロストラッシュで渾身の闘気を打ち込んだ呪いの氷はともかく、それ以外の氷は地獄の炎に耐えられないようだ。
腕が完全に解凍される前に身を沈め脱出、首から剣を抜きながら距離を取った。
「ぐ、はあ……はあ……。おのれ……!」
「ハドラー……」
リュンナは竜眼を開いたが、肝心の体がボロボロでベホイミでは追い付かず、体力の余裕が少ない。
ハドラーは左腕を失い、呪いの氷が更に胸へ、腹へと広がりつつある。だがそれ以外の物理ダメージは自然回復してしまう。ただし回復したところで、魔氷気の膜を無傷では突破できない。
互い、決め手に欠ける。
膠着状態を、言葉で繋ぐ。
「魔王だから戦うって……。魔王って、何なんですか。どうして地上を侵略するんですか」
「魔王とは、俺だ。このハドラーこそが魔王!! 必ずや地上を支配してくれる……!」
なぜ地上を支配しようとするのか。今更のように、リュンナは気になっていた。命を懸けて戦う理由。『ドラクエの魔王だから』――で済む領域では、最早ない。
支配する必要があるから、ではないのか。
支配する必要とは?
これは侵略戦争だ。人間同士なら、土地や資源が欲しくて仕掛けるモノ。
ハドラーは魔族だ。魔界から来たのだろう。
魔界は太陽がなく、マグマの海が広がる、不毛の大地。
土地があっても資源がない。
資源――具体的には?
まず思いつくのは。
「食べ物ですか?」
「……!」
ハドラーが、息を呑んだ。
「魔界では、太陽がなくて、ロクな作物が育たないから……。家畜も……。そうなんですね?」
「黙れッ!」
叫びながら右拳で床を叩き砕く、その時点で、それが答えだ。
野心でも、嗜虐心でも、支配欲でも、権力欲でもなく。
「ハドラー、あなたは……あなたも……!」
「黙れと言っているッ!」
魔王が更に闘気弾を床に叩き付けた。
建材が弾け飛んで瓦礫が飛ぶ――散弾めいて。
「うぐ、ッ……!」
ただ単純に飛来してくるだけの物体に、未熟な氷魔傀儡掌で滞らせるべき力の流れは乏しい。暴発させて防ぐことができない――剣で打ち払い切れず被弾し、蹲った。
「やっと攻略法が見付かったな……! クハハ! 今すぐ、その小うるさい口を聞けなくしてやろう……!」
ハドラーは足元に転がる瓦礫の中から、一際大きな――人の頭ほどもあるそれを拾い上げた。
ゼロストラッシュの後遺症、呪いの氷は既に彼の左脚にも及んでいて、屈むためにハドラーは凍った脚を自らへし折りすらした。
笑う顔も、左半分に霜が降りている。
「国のため……なんですね……。自分の国民に、食べさせてあげるために……。自然の恵み豊かな……地上を……」
「だったらどうした……!?」
振り被る。
身を捻ると、凍った部位に亀裂が走り、彼の破片が散った。
「俺が何のために戦っていようと、貴様ら人間どもの敵であることに変わりはない……! そもそも、あんな役立たずどものために戦っているツモリもないがな!」
「ウチに来ませんか」
「はあ……?」
流石に呆けた顔で止まった。
「土地を用意します。あなたも……あなたの民も……。あまり広くはないかも知れませんけど。わたしは勇者でなく、勇者姫ですから……そういうことも、できます」
もちろん、相当な無茶だ。魔王に土地を明け渡すなど、常軌を逸した国策である――いや、たとえ人間同士だったとしてもだ。
「ふん、くだらん……」
しかしハドラーが拒んだ理由は、もっと感情的なモノのように思えた。
「俺が欲しいのは地上全てよ! 小娘のママゴトに付き合えるかあーッ!!」
ハドラーが瓦礫を投擲する――リュンナの頭部を微塵に砕く威力――その寸前だった。
「アバンストラッシュ!!!」
彼が背後から両断され、床に倒れ転がったのは。
「ア……バ……ン……!?」
悲しげな顔をした勇者を、彼は見上げた。
「ハドラー、貴方にも貴方の正義があったのですね。しかしそのために、誰かの平穏な幸せを踏み躙っていいことには……なりません……!」
「い、いつの間に……!」
リュンナと会話しているうちに、だ。
竜眼でアバンの接近を感じていたから、会話で気を引きながら時間を稼いでいた。
そして皆殺しの剣のルカナンがかかったままのハドラーでは、不意打ちのストラッシュに耐えることはできなかったのだ。
「くッ……!」
それでも死なぬ魔族の生命力。
闘気弾を放つ――間際、空裂斬で右の心臓を撃ち抜かれ、暗黒闘気の操作が不全となり霧散。
それは単なる心臓の破壊よりも深刻な――暗黒の生命力の源泉を光の闘気で撃ち抜く行為は、まるで魂ごと破壊するかのような、決定的な致命傷。
「勇者ども……! 忘れん、決して忘れんぞ、この恨み!! たとえ死すとも蘇り、必ずや――!!」
逆側の左心臓も、呪いの氷に呑まれて。
「リュンナ……!! アバン……! 必ず復讐してやる! 必ず! 必ずだ……首を洗って待っていろ……! ――ぐふっ!!」
内臓の損傷によるものか、最後に激しく鮮血を吐き、ハドラーは息絶えた。
リュンナは知っている。この後、本当に蘇ってくることを。15年か16年か後まで自分が生きていれば、再び会うだろうことを。
――またね。
唇すら動かさず、心の中のみで思った。
「リュンナ姫……。遅れてすみませんでした」アバンが頭を下げる。「しかし流石ですね。本当に斃す寸前まで追い詰めてしまうとは……! その額は――ええ、気になりますが」
額。
縦に開いた眼窩に嵌る、縦に割れた瞳孔の第三の目。
「これは竜眼です」
「竜眼」
自己の内側から生じたものであること、高い感知能力と、高い闘気生成及び操作能力を持つこと、これは竜眼であると直感的に何となく理解したこと、あとは分からないことを伝える。
「そうですか……ふーむ。私の方でも、あとで文献などを漁ってみようと思いますが……。発生原因に心当たりはないのですか?」
「瞑想するとき、第三の目をイメージするじゃないですか。それがそのまま現実になったような感覚……ですね」
本当に何が何だか分からないため、会話もどこかボヤけていた。
とりあえずといった風情で、アバンが顎を撫でながら述べる。
「普段は隠しておいた方がいいかも知れませんね。隠せますか?」
ずっと閉じていた肉眼を開けると、入れ替わるように竜眼は閉じ、額に1本の縦線が刻まれているような外見となった。
アバンはまじまじと見て、
「うーん、それなら斬られた傷痕のように……見えなくも……。まあ大丈夫でしょうか……」
自信なさげに首を傾げた。
その下に竜眼があると知っていればともかく、知らないなら、実際、傷痕だとしか思わないだろう。
隠すか、開示するか。
隠せば何かの拍子にバレたときに詰む。
開示すれば、その時点で詰まないように言い訳が必要だ。
「それはともかく……先輩」
「ええ、ともかくで片付けていい事ではありませんが……ともかく、ですね。ハドラーの骸を……」
話している間に、ハドラーは遂に全身を呪いの氷に蝕まれ――氷に無数の亀裂が走り、粉々に砕け散るところだった。
「ニフラム」
それをアバンは、聖なる光の呪文で浄化する。
二度と蘇らぬように、という対策だろう――実際にはバーンから新しい肉体を与えられてしまうため、意味はないのだが。
新しい肉体……。
そうだ、バルトスは無事か?
原作では、ハドラーの断末魔の声からバルトス粛清までは、ほぼ間がなかったハズ。竜眼を開き、暗黒闘気の繋がりを確かめる――バルトスの感覚を共有する。
ハドラーの気配はない。アバンが念入りに葬ったからか?
しかし、一瞬後には来るかも知れない。
「先輩、バルトスが心配です。マトリフさんもそうですけど……。戻りましょう」
「ええ。――ベルベルは心配ではないのですか?」
共に地獄の間を出て、階段を駆け下りていく。
呪文治療を施し施されながら。
だいぶ内股気味なのは気にしないでほしい。
「あの子は生きてますから。竜眼で見えました」
そう、見えた。
あのマグマの落とし床の次の部屋で、ぐったりと壁に凭れつつも、自分に呪文治療を施している姿が。
傍らには、何か長いワイヤーのようなモノ。途中で焼き切れていて、その辺りの端に、大きな手が炎上しながら握ったような跡がある。
ベルベルは何度も、そのときの記憶を想起していた。感覚共有に伴い、ふと知る。
マグマに落としてやったキラーマシンが、そのままならベルベルを道連れにできたものを、勝者を称えて助けたのだ。ワイヤー、いやクロスボウの弦をマグマで焼き切り、掴み振り回し、上の無事な床に投げた。
敵が騎士道精神の持ち主で助かった。
「なるほど、仲間にした魔物の様子を窺えるのですか。……じゃあバルトスのことも見えるのでは?」
「……そうですね?」
笑って誤魔化した。
バルトスもキラーマシンも、ハドラーの作品だ。作品は作者の精神性の影響を受ける。
ハドラー、本当はあなた、高潔なんじゃないの……?
地獄の間を振り返ったところで、もう誰もいない。