結局、バルトスは無事だった。ハドラーは現れないまま。
どの行動がどう作用してそうなったのかは分からないが、とにかくそうなったのだ。
となれば次は、バルトスの案内でヒュンケルを回収することである――と思うや否や、当のヒュンケル少年の叫ぶ声が聞こえてきた。
「父さん! 父さーん!」
「おお、ヒュンケル! ここだ、父さんは無事だよ」
「父さん!」
地獄門前。
銀髪の男の子が通路の先に現れ、あっと言う間に駆け寄り、地獄の騎士に抱き付いた。
「父さん! 良かった……! 勇者をやっつけたんだね!」
「いや、そういうワケではないのだが……」
バルトスがチラリと動かした視線をヒュンケルは追い、そこでようやく勇者2名に気付いた反応を見せる。
彼の表情にまず浮かんだのは、強い警戒心だった。バルトスを庇うように前に出るそのさまは、幼くとも戦士の素養充分か。
「初めまして。アルキード王国第二王女、リュンナです」
「アバンです」
とりあえず挨拶をすると、ヒュンケルはポカンとした。
「これ、お前も挨拶をしなさい」
「え、あ、うん。えっと、ヒュンケル、です……」
父に促され、戸惑いながらも名乗りを返すヒュンケルに、勇者たちは満足げに頷いた。
「ヒュンケルくん。ハドラーはわたしたちが斃しました」
「えっ……? 嘘でしょ。ハドラーが死んだなら、父さんが――無事なハズがない……!」
振り向く彼の目に、バルトスは健在だ。
触って確かめても、結果は同じ。
「それはバルトスがハドラーの眷属である限りのことです。そこで、新しくわたしの眷属になってもらいました」
「そ、そんなことが……!? じゃあ、アンタも魔王なのか!?」
ヒュンケルが驚愕を見せる。
なるほど、そういう解釈もあるのか。竜眼は今は閉じているが。
しかし否定する前に、バルトスがヒュンケルを窘めた。
「これ、アンタじゃない、『リュンナさま』だ。ワシは魔物の身だが、本当は殺戮など嫌いだった……ヒュンケル、お前を拾って育ててしまうほどにな。
リュンナさまは、ハドラーの呪縛からワシを解放してくださったのだ。そしてワシらを自国にお招きくださるという。
分かるかヒュンケル。お前は人間の中で暮らせるようになるのだよ」
「人間の中で――って言われても……」
困惑の様子。
それはそうだろう。そもそも、今初めて自分以外の人間と会ったほどではあるまいか。
ずっと魔物の中で育ってきたのだ。人間と暮らせることをさも幸せかのように語られても、そんなモノより父さんがいればいい、という感想が関の山に違いない。
「まあまあ……」アバンが取り成しの声と手つき。「いきなり言われても、はいそうですか、とはならないでしょう。ともかく、まずはこの地底魔城を出ませんか? ヒュンケルは出たことがないんでしたね?」
「えっ、うん。ハドラーが出るなって言ってたって、父さんが」
そこで見せた柔らかい笑みは、流石アバン、と言うべき代物だった。
一切の敵意を持たず、一切の敵意を持たせない、純粋な笑み。
「我が家に別れを告げるのは寂しいでしょうが、一度は外を見てみましょう。広い景色、太陽の光……。一見の価値がありますよ。ねえバルトス」
「そうだな……。特に太陽は美しいモノだ」
地獄の騎士がしみじみと頷いた。
魔王として太陽を――陽の光を浴びる土地を求めていたハドラー、彼の創造した魔物であるバルトスは、創造主の影響を受けているのだろう。太陽への憧れ。
父がそう言うならと、ヒュンケルも少し乗り気になったようだ。表情から硬さが取れた。
「では……」
そうして4人は、勇者たちが進んできた道を逆に辿っていく。
魔物の死骸が転がる凄惨な光景だが。生きている魔物は、魔王の邪気から解放され、既に逃げ去ったのだろう。
途中でベルベルを拾って抱き上げ、ベホマで再生を促しながら進み、更にマトリフと合流――戦闘の痕跡を辿り、勇者たちに追いつこうと進んできていた。
互いに事の顛末を説明しながら、更に入口へと。
「やれやれ……。地獄の騎士を眷属にした上に、そいつが人間のガキを育てていたとはな。珍妙なこともあるもんだぜ。どうするんだ、そんなの」
マトリフが呆れた声を出し、父子を眺める。
ヒュンケルがバルトスの陰に隠れた。骨なので、ロクに陰はないのだが。
「ウチに連れて帰りますよ。バルトスはもうわたしの騎士で、ヒュンケルはその息子ですからね」
「おいおい、そこのベルベルや、オークキングのリバストとはワケが違うだろ。地獄の騎士だぞ、地獄の騎士。アンデッドだ。いくらオメエが王女でも、相当な反発がだな……」
「そこは魔王討伐の功績で黙ってもらって」
「それでいいのかよ……」
国に尽くされたから、国に尽くす。それがリュンナである。
ならば国に尽くした以上、国からも尽くしてもらう。それもリュンナだ。
「ぷるる~ん」
「いや楽観し過ぎだろ! 人間、皆が皆お人好しじゃねえんだ……!」
「ベルベルの言葉分かるんですか?」
「半年も一緒にいりゃ、何となくな」
人語を理解はするが発声できないベルベルと、平気で会話するマトリフ。
その様子を見て、ヒュンケルのマトリフへの態度は軟化した。バルトスの陰から出てきただけだが。
そしてベルベルをチラ見する。
「ぷるる?」
気付いたベルベルがリュンナの腕を抜け、ヒュンケルの方へと浮いていった。
「わっ……」
ヒュンケルは慌ててそっと抱き締めた。鈴が鳴る。
ひんやりぷにぷにのスライムボディーは、さぞ可愛くて気持ち良かろう。思わず嬉しそうに笑ってから、恥ずかしげに顔を引き締めるさま。
微笑ましい。
やがて地底魔城を出た。火口の出入口。
頭上に広がるのは、満天の星月夜だった。満月。
「あちゃ~」アバンが額に手を当てる。「とっくに陽が沈んでいましたか……! 呪法の阻止は間に合ったみたいですが、脱出にも時間がかかりましたからねえ……」
「太陽はまた明日ですね」
苦笑する勇者たちを後目に、ヒュンケルはキラキラ輝く目で夜空を見上げていた。
釣られてリュンナも改めて仰ぐ。
太陽ではないが――なるほど確かに、美しい。さながら空いっぱいの宝石の海。
「スゲエ……! ねえ父さん、あのデッカイのが月ってやつ!?」
「そう、あれが月だよ。満月だ。しかしこんな見事な満月……いつ振りに見るのか……」
父子揃っての月見、邪魔するのも悪い。
勇者たちはしばらく思い思いにその場で休み、ヒュンケルが飽きるまで待とうとしたが――結局彼は、飽きる前に笑顔のまま眠ってしまった。
バルトスが多腕を使い、安定感抜群の抱き方で持ち上げる。
ルーラの加速負荷や着地衝撃で起こすのも忍びない。
その夜はそこで野宿を取り、翌日にルーラでアルキード王国に帰還した。
魔王討伐の報告を受け、王はその日を祝日に制定。更に盛大な宴を開き、国を上げてのお祭り騒ぎとなった。
祖国カールへ報告に飛んだアバンも、恐らく似たような激しい歓迎を受けているだろう。
それはそれとして、当然、地獄の騎士バルトスの受け容れは容易いことではなかった。
一も二もなく「流石はリュンナさま! 不死者にすら新たな生きる喜びを!」と納得したのは、側近の近衛隊長くらいだ。
ソアラですら、一度は「うーん」と悩んだ。2秒後には「ではバルトス、よろしくお願いね」だったが。
「リュンナ、我が娘よ」
そして今は、まず父王を説得する段である。
「流石に骨は……何とかならなかったか」
「やはり難しいですか」
「うむ……。ホイミスライムはよく見れば愛らしいし、オークキングも逞しくて精悍だ。人間に受け容れられやすい、と言える。だが骨は……。骨はな……」
「骨ですからね……」
「うむ……」
何しろ骨である。性格や立場云々の前に、まず見た目が強烈に過ぎる。
「腐った死体でないだけマシだがな……」
「はい」
そうだ、前向きに考えよう。
骨だから悪臭まではない、と。
ともあれ、ここで諦めるワケにはいかない。
ベルベルとリバストに次いでバルトスをも受け容れさせることで、この国に『人外にも味方はいる』と印象付けたい。
すると――バランが受け容れられやすくなるから。彼が人間でないのは事実なのだが、かと言って悪い人物でもないのだ。
むしろ竜の騎士を――ともすればその血筋を王家に取り込めれば、最早アルキード王国は地上最強である。バランとダイ(ディーノ?)に加えて、更にダイの兄弟が増えれば、それはもうバーンにも勝てるのではないか。
結局、バルトスには実績を作ってもらうことになった。
魔王の邪気が晴れて魔物の狂暴化が解け、ハドラーを創造主とする非生物系の魔物は全滅し、魔王軍は瓦解した――が、元から狂暴だった魔物は、変わらず人を襲うことがある。
それを探し出し、お忍びで出ていたリュンナかソアラが適当に襲われて、そこをバルトスが颯爽と助ける筋書きである。
半ばマッチポンプだが、仕方ないことだろう。
何だかんだ言ってベルベルとリバストで魔物に慣れている、バルトスも少しずつ受け容れられていくハズだ。
ハドラーを倒したのはアバンだが、バルトスは生存し、これならヒュンケルが闇堕ちする要素はない。
歴史の変わる手応え。ほんの少し――だがきっと、確実に。
ならば次の時代も変えていこう。
魔王ハドラーの時代は終わった。
遂に現れるのだ。
バランが。
「ところで父上」
「うむ」
「その……目がですね……」
「目……?」
その前に言い訳が必要だが。
【あとがき】
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
明日から始まるバラン編には、欝展開が含まれます。予めご承知おきください。