「竜ということは魔物ではありませんか!」
最初にそう口にしたのは、例の大臣だった。
父王に提案し、許可を得て、まず国の首脳陣のみで発表し話し合う席でのこと。
その場では大臣が説き伏せられて終わったが、翌日にはもう悪性の噂が野火のように城下にまで広がっていた。
それがバーンの工作なのか、大臣の素直な暗躍だったのかは分からない。
前者なら竜眼で影すら捉えられない時点でどうしようもなく、後者なら幾ら何でもこうまでするとは思わなかった時点で負けだ。
竜は竜であって魔物とは別種なのだが、知恵ある真の竜族が地上から去って久しい今、それを説いたところで何の意味もないことだった。
「バランを出せ!」「追放しろ!」「殺せ! 処刑だ!」「魔物の分際でソアラさまを誑かすなど!」「城に潜り込んだのも、アルキードを滅ぼすためだろう!」「魔王軍の残党なんじゃないのか?」「そうか、リュンナさまはハドラー討伐の勇者。復讐に来たのか!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」――
王城を民衆が取り囲み、喉よ枯れよとばかりに叫び続けている。
彼らは恐ろしくはないのだろうか。バランが本当に凶悪な魔物なら、それこそ自分が殺されてしまうとは考えないのか。
それが分からないほどに、正義に酔っているのか。
「リュンナさま! バランを討ってください!」「そうだ、ハドラーを討ったように!」「勇者姫!」「俺たちの勇者! 希望!」「でもバランを拾ったのはリュンナさまだって聞いたわよ」「騙されてしまったんだろうぜ! 魔物は卑劣だからな」「なあ、竜眼と
王城のどこにいようとも聞こえてくるような、地獄の底から響いてくるような、声、声、声。何となれば、城内の者たちも多くがその考えに染まっているのだ。
白昼堂々トベルーラで分かりやすく逃げようとしたバランを、リュンナとソアラは止めた。
「なぜだ、なぜ止める! いや、ソアラは分かる――私と離れがたいと思ってくれることは嬉しい。だがリュンナ、お前は……!?」
「姉上」
竜眼で既に察している。だがリュンナの口から言うのは無粋だ。
だからソアラを促した。
「リュンナは分かっているのよ、バラン。私の、私の中に――今――」自らの腹をさすった。「もう、いるの。私たちを……置いていかないで……!」
「ま、まさか……子供が……!?」
第一王女は頷いた。
とんでもないことだ。
だが、止めなかった。
変えなかった。
「この私が――
感極まったバランは彼女を抱き締め、そのまま浮く。
「分かった、ならば共に――」
「いいえ」
「なに……!?」
だが、何も変わらなかったワケではない。
ソアラは強くなった。
無責任に投げ出すことをしなかった。
バランを掴み、リュンナを掴み、浮いた彼を引き摺り下ろす。
「私が出ていけば、残ったリュンナに全てを押し付けることになってしまう。貴方も、人間に受け容れられないままに……!」
「私は君さえ、いや、君と子供さえいてくれれば……!」
「そうしたら、子供には私たちしかいなくなってしまうのに? それを本人が望んだワケでもないのに?」
「そ……それは……!」
そうだ、逃避行は、あまりにも我儘だ。
生まれてくる子供には多様な可能性を用意してやるべきだと、ソアラは至極真っ当なことを述べた。
俄かに立ち上る闘気は、戦ってでも止める心の現れか。
それを受けたバランは気を静め、トベルーラを解いた。
「そうか……。子供には、そうしてやるモノなのだな。私は――歴代の
だがしかし、現実問題としてどうする? 私はこの国に拒絶されてしまったのだぞ」
結局、そこだ。完全にリュンナが墓穴を掘った形。
最早バラン擁護派と排除派で争いが始まる始末だ。
ひいてはソアラ排除派、リュンナを王妃に派の勢いすらある。
「本当にごめんなさい……」
「いや、私もこれは予測できなかった。お前のせいではない……」
「私もよ、リュンナ。だって、リュンナの仲間の魔物さんたちは受け容れられたのに……」
ベルベル、リバスト、バルトス――リュンナの眷属は、それがリュンナの眷属だから受け容れられたのだろう。つまり、明確に人間の下だからだ。
だがバランは、このままでは王になってしまう――人外の者を従えるのではなく、人外に従うことになってしまう。
その差異。
そこまでか? そこまで拒絶感のあることか? リュンナには分からなかった。
どう見ても人間で、心も人間で、それは城中の者たちが分かっていたハズなのに。
竜眼を得て、人間の感覚からズレてしまったのか。
転生者故に、この世界の感覚からズレているのか。
浅はかな凡人故に、当然のことさえ見誤ったのか。
ともあれ、何とかしよう。
「一応、考えてる策はあるんです。実績もある」
「それは?」
「魔王軍残党の本物を探し出して、それを正義の勇者としてバランがやっつける……。人間の味方だと証明するんです。リバストもバルトスも、特にバルトスは、そうやって立場を作りました」
「オークキングと、地獄の騎士だったか……。後者は会ったことはないが」
バルトスは、旅のアバンのもとに出向させている。
しばらくはリュンナに剣を教わっていたヒュンケルが、後にアバンにも弟子入りしたため、それに付随する形だ。
それにこうしておけば、バルトスを介していつでもアバンに連絡を取ることができる。
今がそのときだろうか? いや……。
「しかしそう都合よく残党がいるか? 本当に凶悪で、積極的に人を襲うようなモノでなくてはならんだろう」
「探します。わたしの竜眼で」
「! そうか……。多少ならば未来すら見通せるという目。それなら希望は……」
――ない。希望は、ない。
既に探したのだ。見付からなかった。
それはそうだ、ハドラー討伐から既に3年以上が経過している。そういった危険な魔物は治安維持のために積極的に狩っていたこともあり、既に残っていないのだ。いつか使うために残すことも考えたが、リスクが大き過ぎて自ら却下した。
狂暴化を解除された結果、本来の温厚さを取り戻した魔物を標的にするワケにもいかない。それはあまりに無体に過ぎる。
ならば――。
「必ず探し出します。わたしはハドラー討伐の勇者姫ですしね……。そういった魔物からすれば恨み骨髄。必ず、この国にもまだ潜伏しているハズ」
とにかく今は、そう述べるしかない。
「分かった……。それまで待つ。だが私は良くても、この国は待てぬかも知れんぞ。今はまだ声高にがなり立てるだけだが、もし実力行使をしてくるとあらば……そのときは……」
バランがソアラを一瞥した。
ソアラも決意と共に頷きを見せる。
「ええ。――リュンナには悪いけれど」
「そのときは仕方ないでしょうね。わたしも覚悟しておきます」
いっそふたりをデルムリン島にでも駆け落ちさせてしまおうか。
流石の父王も、そこまでは探しに行かないし、行けないだろう。ブラスとご近所付き合いでもしながら、ディーノを育てたらいい。
だがそれは最後の手段だ。まだ、全ての手を試してはいない。
リュンナ自身は、まず国の味方である。
そして次に、ソアラとバランという『個人』の味方でもある。
こんなことなら、自分が女王になっておくべきだったか。それも容易いことではないが。
ソアラとバランを支えればいいと思っていた――それが失敗だったのか。
リュンナは呼吸ひとつ、気を入れ直して。
「ただ出奔は本当に、万一の場合ですからね。決して早まらないように。
わたしはちょっと国内を飛び回って、魔物を探してきますので――少し留守にしますけど……。帰ってきたら姉上もバランもいなかったとか、本当ショックですからね!? なるべくベルベルかリバストを攫って逃げてください、そしたら合流できますから」
「あ、ああ」
「気を付けてね」
その日の極秘会談は、おおむねそれで終了した。
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――数日後、アルキード王国内、ノドンの村が魔物の群れに襲われた。
死者は出なかったが、多くの村人が拉致されてしまった。魔物ども曰く、魔王復活の生贄に捧げるのだという。
折りしも勇者姫リュンナは突如の病で臥せっており、討伐に出向くことが不可能なありさま。
しかし自らの代わりにバランを向かわせよ、と提言。それが身の潔白の証明にも繋がるだろう、と。
バランが魔物なら、魔物の群れの味方をするハズ。
バランが人間なら、魔物の群れを蹴散らし、村人を救うハズ。
世論がそうなったことで、バランの出撃が決定した。
助力と監視に、多数の騎士を伴って。