初陣を勝利で飾ったのはいいとして、それで全てが丸く収まるワケではない。
町民に死者は少なからず出ているし、生きていても怪我をしている者は更に多い。破壊された建物などもある。
回復呪文の使い手たちも、残り少ない魔法力をリュンナに回したため、人々は呪文治療を受けられなかった。町の道具屋が薬草を無料で配布したことで事なきを得たが。
この薬草の分は、あとでわたしのお小遣いから出そう――リュンナは、奉仕が無料では済まないことを学んでいた。
比較的被害の少なかった宿屋に部屋を取り、湯浴みを終えて着替え、ようやく一息をつく。
触っても温かいで済むほど微弱なメラで、髪を乾かしてくれる侍女を背後に、向き合う先には近衛隊長の女騎士。
もう何度目かになるか、隊長が頭を下げてくる。
「本当にお疲れさまでした。リュンナさまなくして、とてもこの勝利はなかったでしょう。
ある程度復興が進んだ町を再び襲い、半壊と復興とのイタチゴッコに陥らせて苦しめようとは、魔王軍もエゲツナイことを考えるものです。しかし我らが勇者姫のお力の前では、そんな粗雑な策はこの通り……! いや、あのような神話の如き戦いに立ち会えるとは、まことに騎士冥利に尽きます」
うんうんとひとりで頷き、とても満足そうだ。
リュンナもそうまで言われて悪い気がするハズもなく、気恥ずかしさはあるものの、素直に褒められておいた。
「まあ『勇者姫』はちょっとどうかと思いますけどね。そんなガラじゃないでしょ」
「何を仰いますか! 剣と呪文とを自在に操り、圧倒的な強さで邪悪を砕く! これが勇者でなくて、いったい何だと仰るのでしょう!」
拳を握って力説された。鼻息が荒い。
しかしそこでふと、隊長の顔が訝しげに顰められた。
「ところで剣と言えば、気になっていることがあるのですが」
「うん?」
「最後の、あの敵将をイオナズンごと斬り捨てた凄まじい技は……剣が黒く染まっておりましたが、あれはいったい……?」
あー、そこ聞いちゃいます? そっかー。そっかあ……。
リュンナは反射的に目を逸らした。
「リュンナさま……?」
隊長の声が不安げに揺れる。
感付かれたか? あれが邪悪な力であると!
原作知識を持つリュンナは、あの闇の濁流が暗黒闘気であろうことを察している。
闘気とは攻撃的生命エネルギー。中でも暗黒闘気は負の感情などから生じ、禍々しく邪悪な雰囲気や用途を持つ、半ば呪いのような危ない力である。
本来勇者が使うべき正義の象徴、光の闘気の正反対に位置するものなのだ。
そんな力を使ったことが明るみに出れば、どうなるか。
勇者姫どころか、逆に魔族扱い一直線の可能性が高い、とリュンナは感じていた。それはもう清々しいほどの掌返しが待っているに違いない。
「何か危険なお力なのですか? じゅ、寿命が縮まってしまうですとか……! 我々のためにご無理をなさったのでは!?」
「そんな! リュンナさま!?」
隊長の疑念に、侍女も悲痛な声を出すが……。
えっ、いや、特にそういうことは。たぶん。
むしろ寿命が延びそうな気すらするよね。暗黒闘気って回復に使われる場面も割とあったし。
闇堕ちの気配も別に感じないし。あれは自分自身の素直な怒りと憎しみの発露であり、それはすなわち愛国心の裏返しだから。愛国心!
などと考えているうちに、ふたりの顔がどんどん暗くなっていく。
リュンナは思考を切り上げ、適当に取り繕うことにした。
「ええと、あれは『闘気』の一種なのですが……」
「闘気……ですか?」
あっ、まず闘気を知らない。キョトンとしている。
思えば気まぐれに武術書などを漁ったときにも、闘気のとの字も出て来ない文献が殆どだった。闘気が出てきた文献は、王家以外は読めない伝説級の古文書か、胡散臭い眉唾モノかだ。
「攻撃的生命エネルギー、と言って伝わります? 魔法力とはまた違うんですけど……」
「ピンとは来ませんが、何となくは……。生命エネルギー……。思うに、超一流の戦士や武闘家は時に常識を超えた技を繰り出すとされる――それでしょうか?」
「そうそう! それですそれ! たぶんそれ!」
しきりに頷いてみせた。
正解した隊長は鼻高々の様子だ。
「しかし生命の力ということは、やはり寿命が……!」
「いえ、特にそういった代償はないです。よほど使い過ぎない限りは……」
ヒュンケルみたいに。
「そうですか、良かった。
闘気……まさにリュンナさまが超一流となられた証ということですね! 目にするのみで身震いし、肌にビリビリと来るほどの、空恐ろしさすら感じるお力……流石です……!」
やはり誤魔化し切れないのだろうか。と一瞬危惧したが、そうでもないようだ。
自分が感じた不吉さを、単純に力の強大さに戦慄したものだと、隊長は誤解している様子。
そして戦闘のプロである隊長がそうと結論を出したのなら、ここにいる侍女も、この場にはいない近衛のメンバーも、誰もが納得するだろう。
これでひとまずは安泰だ。助かった。
しかし、いずれは説明せねばなるまい。でなくばアルキード国軍に闘気を伝授する道が閉ざされる。
リュンナ当人も完全に感覚やノリで開眼したため、そもそも伝授方法が分からない、という問題はあるのだが。
しかし試してみない選択肢もない。
成功すれば、無数の闘気使い兵士が国を守ることになる。最強では?
カールの騎士団、リンガイアの城塞、パプニカの賢者たち、ベンガーナの戦車隊――それら各国に勝るとも劣らぬ重要な戦力となり、バーン軍の攻撃を防いでくれるハズだ。
バランに国を吹き飛ばされなければ、だが。
考えたら非常に腹が立ってきた。癒しが必要だ。
「おやつを所望します。甘いの」
「はい! お任せください!」
唐突な甘いものの要求にも間髪を容れずに応えてもらえる、王女とはかくも恵まれた身分であった。
リュンナの髪を整え終えた侍女が、宿屋の主人に菓子を貰いに行くのだろう、下階に下りて――ややあって、
「きゃあーっ」
悲鳴。
闘気の習得方法を知りたい隊長と、ノリとは言い難くシドロモドロになっていたリュンナは、一瞬だけ顔を見合わせると、すぐに部屋を飛び出していった。
1階、侍女は外に出ていく間際の位置。菓子を買いに行くところだったか。
そんな彼女を守る位置にほかの近衛らも立ち、おのおの剣を抜いていく。
「おのれ魔物め!」
「たった1匹になろうとリュンナさまを討ち果たすべくここまで来るとは、魔物ながらに見上げたものだが……看過はできぬ!」
「ひええ、ひい……」
侍女は腰が抜けて座り込んでいる。
近衛らの首の角度からして、彼らの足元に小さな魔物がいるらしいが、侍女が邪魔でよく見えない。
「どうした!」
隊長が近衛たちを掻き分け、リュンナがそれについていく。
「隊長! リュンナさま……! 魔物の残党が」
そこにいたのは、1匹のホイミスライムであった。
傷はないようだが、浮く体力がないのか、黄色い触手で這っている。
「あら可愛い」
「リュンナさま!?」
思わず近付いて抱き上げてしまった。
いやだって、可愛いでしょ……ホイミスライム……。戦闘中はスライムつむりに呼ばれ、折角削った敵を回復させてしまう邪魔者として、真っ先に薙ぎ払っていたが。
ゲームでは、仲間にできる作品なら毎回使っていたものだ。たとえただのホイミタンクだとしても。
しかし近衛たちは緊張を顔に浮かべ、ホイミスライムを剣で突くべきか、まずリュンナから引き剥がすべきか、と深刻な表情を浮かべる。
「リュンナさま! 危険です!」
「今すぐ其奴をお捨てください!」
「えぇ……。そんな皆さん、ホイミスライムに危険とか……」
回復は確かに厄介だが、それは相手に味方がいてこそ。
単独なら恐れることはない。
ほら、ひんやりぷるぷるだし。
触手を顔に絡めてきたが、これも別に呼吸を塞ごうなどの意図もなく、じゃれているだけのようだ。
「リュンナさまああああああああああ」
うるさい。
しかし、とは言え、どうもホイミスライムに懐かれていることが不思議なのは事実だ。
戦闘中に目についたホイミスライムは全て殺したと思うが、そのうちの1体が起き上がり、『仲間になりたそうにこちらを見ている』をしに来た――のか?
まさか。
まさか、とは思うが、見詰めあってみる。
仲間になりたそう――ではない。
既に、仲間だ。
このホイミスライムの内に、リュンナは自分の暗黒闘気を感じた。もうリュンナの色に染まっている。
イオナズンごとアークデーモンを斬り捨てた暗黒闘気斬に巻き込まれた個体か? 暗黒闘気が隅々にまで染み入った末に復活し、最早、半ばリュンナ自身の体の一部とすら感じるほど。
そしてホイミスライム自身も、リュンナを親のように感じている。
ゲームの魔物使いというよりは、バーンがハドラーを復活させた技術に似ている気がする。
これも暗黒闘気の力の一端、ということか。魔物を狂暴化させるハドラーの邪気よりも、このホイミスライムに限ってはリュンナの支配力の方が上回ったのだ。
ならば結論は出た。
「この子、飼います」
「リュンナさま!?」
ホイミスライムが仲間に加わった!
ああ、名前つけてあげないと。