パプニカ王城内に与えられた居室で、アバンの使徒は一堂に会していた。
最初に重々しく口を開いたのはヒュンケルだ。
「俺の父さん――バルトスは、『地獄の騎士』だ」
魔王ハドラーの門番をしていたバルトスが、赤子のヒュンケルを拾い育てたのだ、と。
そしてハドラーが斃れても(生きていたようだが)、リュンナの暗黒闘気で永らえているのだと。
「道理で攻撃を受けても血が出なくて、骨だけ飛び散るハズだぜ」
「魔物に育てられたなんて……! おれと同じだね! ブラスじいちゃんは鬼面道士なんだ」
このご時世、ヒュンケルとしては、覚悟して開示したことだろう。しかしそれは、とりあえず仲間内のみとは言え、あっさりと受け容れられた。
「しかし、リュンナか……。ここでも名前が出るなんて……」
むしろポップはそこに引っかかっていた。
途端、ヒュンケルが身を乗り出してくる。肩を掴み揺さ振らん勢い。
「リュンナさまにお会いしたのか!? いつ、どこでだ!?」
「うわわっ!」
「す、すまん……!」
呼吸を整え、落ち着きを取り戻す間。
「少し前に……デルムリン島でよ……」
パプニカ王家からの依頼でダイに勇者の修行をつけるため、アバンと弟子のポップはデルムリン島に向かった。
そこで魔王改め魔軍司令ハドラーの襲撃を受け、彼は助っ人としてリュンナを召喚。彼女はハドラーに操られ、アバンを殺した――と。
憑けたシャドー越しに見聞きしているリュンナとしては、本当にごめんね、と肩を竦めるところである。
彼らより大切なモノがあるのだ。
「先生を――リュンナさまが!? おのれハドラー!!」
「……」
ポップは黙った。彼は疑っている――リュンナが正気であると。
だがそれを話してどうなるのか、とも考えたのだろう。
「リュンナって……どんな奴なんだ……?」
代わりにそう問うた。
ヒュンケルは少し考え……
「リュンナさまは――そうだな、よく月に喩えられていた。その美貌と、安らかな夜を思わせる護国の暗黒闘気に
俺にとっても……彼女と共に生まれて初めて見たあの月夜の美しさは、今なお忘れられん」
遠くを見る目だった。
遥か遠い過去を。
「立場としては、アルキード王国の第二王女であり、先生と共に魔王ハドラーを討伐した勇者のひとりだ。
その後は父さんが彼女の騎士となったことで、俺もついでに剣を教えていただけることになり――卒業に至ると、次はアバン先生に師事して共に旅をしたので、その間のことはよくは知らない。しかし……」
ヒュンケルは一度言葉を切り、用意された茶で喉を潤した。
それは覚悟を行う意識の集中でもあったろう。
「彼女は父王の手により、処刑される運びになった。阻止はされたが……」
「それだ! ロカのおやっさんから大筋は聞いたけど、あの人、嫌な話だから言いたくねえっつって、ホントに言わねえんだよ。詳しく教えてくれ!」
ポップが食いついた
「お前たちの会ったリュンナさまは、額に第三の目がなかったか?」
「ああ、あったな。不気味だった……」
その素直な感想に、ヒュンケルが沈痛に目を伏せた。
「あれは彼女が修行で後天的に得たモノだという。だがそれを理由に魔物扱いされてしまったんだ。
リュンナさまは抵抗せず火炙りにされ――幸いと言っていいのか、死ぬ前にハドラーに攫われた。それから10年以上……。俺も先生も、彼女を探していたのだが……」
「10年……? えっ、おれと同じくらいの歳に見えたけど……」
ダイがきょとんとする。
彼は12歳。リュンナは――外見的には13歳だ。
ヒュンケルもきょとんとした。だがすぐに表情を引き締める。
「ハドラーによる何らかの呪法かも知れんな。リュンナさまの身も心も好きに操るなど……! 早くお助けしなければ! たとえあの方が、どれだけ人間を憎んでいたとしても――これ以上、罪を背負わせるワケには行かない」
ふと東の方角を彼を見た。
「だが今はラーハルトだ。不死騎団長! 手傷は与えたが、放っておけば回復して再び攻めてくるだろう。その前に叩く!」
「バルトスさんも助けないとね!」
「……ありがとう」
そして彼らは――
「しかし、魔物扱いで処刑か。俺、隣の国のことなのに、聞いたことなかったな」
「もう13年も昔のことだからな……。処刑後すぐにアバン先生がリュンナさまの潔白を説明し、それを当時の王は信じず……彼は間もなく体調を崩して、処刑反対派だったバラン王に代替わりしたのだが……」
「そこで何か悶着が?」
「いや、バラン王がリュンナさまの潔白を布告しても、国民は多くが信じなかったのだ。ハドラーに攫われたのが、裏で魔物と繋がっていた証拠だ、と言う者もいた。結局リュンナさま本人がいらっしゃらない以上、何も証明できなかった……。
本物のリュンナさまがどこかにいると信じる者、リュンナさまを処刑してしまったと悔やむ者、恐れる者。状況は混沌として……。
以来、アルキードはリュンナさまの話を広めぬようにし、他国も言及をやめた。バラン王に気を遣ってな……。今では自ら興味を持って調べなければ、知ることの出来ない情報になっているようだ」
「なるほどねえ……」
眠くなってきた。
おやすみ。
▼
リュンナが目を覚ますと、傍らにハドラーの姿があった。
腕を組み、むっつりと口を引き結んで、ベッドの上のリュンナを見下ろす形。
きょとんとして、思わず見詰め合ってしまった。
そして数秒。
「……おはようございます。ハドラーさま」
「今は夜だ」
確かに、窓の外が暗い。
「こんばんは。ハドラーさま」
「言い直せという意味ではない」
では体勢の問題だろうか。ベッドに寝たままではなく、しっかり跪けと。
身を起こそうと力を入れると、痛みが走り――そしてハドラーに肩を押さえて止められた。
「無理に起きるな」
「……はい」
しばしの沈黙。
次に破ったのは、ハドラー。
「ザボエラには罰を与えておく」
「勘弁してあげてください」
リュンナが彼を放置せず、上手く誘導していれば防げたことだ。
罪悪感に襲われた。
「信賞必罰だ」
「……はい」
そう言われると仕方ない。
ここは魔王軍なのだから。
「ごめんなさい」
「何を謝る」
「負けました」
「いい。病み上がりに期待し、あまつさえザボエラを離さなかった俺が愚かだった」
淡々とハドラーが言う。
顔も仏頂面だ。
けれど。
「痛むか」
「動くと」
「動くな」
ノヴァのグランブレードに袈裟懸けにされた傷は、粗方塞がっているように感じる。
しかし如何な回復呪文でも、深い傷は治りにくい。しっかりと休息を取る必要が出る場合もある。
例えば、今がそうだ。
今――気遣われた、のだろうか。
「何か欲しいモノはあるか。喉が渇いたとか、腹が空いたとか」
どう考えても気遣われている。相変わらず表情も態度も硬いが。
リュンナは竜眼も含めて、目をぱちくりさせた。
そして改めて、自分の状態をよく認識する。
確かに渇きも飢えもある。斬られて血を失ったし、再生には栄養が要る。
だが何より――
「トイレ行きたいです……」
「!?」
「正直漏れそうです」
「ま、待て……! それはどうすればいいのだ!?」
おっ、やっと表情が崩れてくれた。リュンナは笑った。
そうそう、ハドラーはそうやって鼻水を垂らしているのが似合うよ。可愛い。
キリッとしてるのも、もちろん好きだけど。
それにしても狼狽え過ぎだろう。想定が甘い。
もともと寒い場所にいたし、その上で何時間も寝ていれば、誰だって催すモノだろう。実際に何時間寝たのかは分からないが。
北の海でノヴァと戦い、意図的に敗れ、ザボエラに回収され――
リンガイアのザボエラ基地でサタンパピーのベホイミを受けたが、呪文の位階が足りないのか治りが遅く――
そうこうするウチに悪魔の目玉を通してハドラーから報告を求められたザボエラは、誤魔化そうとしたのを見抜かれ叱責され、ハドラー親衛隊のアークデーモンによってふたりとも鬼岩城に連れ戻され――
ベホマスライムの呪文治療を受け、蘇生液に浸けられ――
その間ずっと動く体力がなくて暇だったので、自己回復を促しながら、憑依シャドーを通してポップの様子を見ていたのだが、やがて眠気に負けて――
目覚めたのが、つい先ほどだ。
「ええい、こうなれば誰かを呼んで……」
「間に合いそうにないんですけど」
「ならどうしろと!?」
「ハドラーさまが連れてってください」
「立てるのか?」
「無理です……」
真面目に無理だ。
グランブレードにカウンターを取ろうとしたのが不味かったらしい。少しでも防御を試みていれば、こうまでの直撃はなかっただろうに。
痛みに耐えて動こうにも、まず上手く力が入らない。
「くっ……! 仕方ない!」
ハドラーは布団を引き剥がすと、包帯まみれのリュンナを横抱きに抱え上げた。
姿勢や力のかかり方が変わり、胸から腹に痛みが走る。
「つっ……」
「我慢しろ」
「抱き方下手ぁ……」
「うるさい……!」
人を抱くことに慣れていないのだろう。むしろ抱く機会はあったのだろうか。
左右の腕の支える位置も、高さも、バランスが非常に悪い。胴体が自然と丸まってしまい、傷が圧迫されて苦しい。
ついでに下腹部も圧迫される。
「あっ……」
「えっ」
魔王軍の威厳を穢すなといつも言っているだろう、と叱られてしまった。
重傷者相手に理不尽だ。自分もよく鼻水垂らすくせに。
――けれど何だかんだ言って優しくて。
泣きながら笑った。
きっと、悪い記憶にはならない。