「お前が強いことは分かっているつもりだったが、まさか初陣でこうまでとはな……。本当に怪我はないのだな?」
「はい、結局敵の攻撃は受けませんでしたから。自爆してしまったダメージも、既に呪文治療を終えています」
アルキード国王は、私室にリュンナとソアラとを呼び、本人の口からの報告を聞いていた。
しかしこの同じ会話を、もう何度繰り返したろうか。9歳の娘が魔物と戦ったともなれば、当然の心配ではあるのだろうけれど。
ソアラに至っては、リュンナを膝の上に乗せて抱き締めたまま放そうとしない。そんなリュンナの膝にも、ホイミスライムのベルベルが乗っていた。
王は興味深そうにベルベルを見詰める。
「ベルベル――と名付けたのだったか。魔物を仲間にするなど……いや、魔王がいない時期であれば不可能ではないが……」
「そうなのですか?」
と思わず驚いてしまったが、考えてみれば当然か。
ダイ大の世界では、野生の魔物は魔王の邪気によって狂暴化させられているのだ。本来の性格は温厚だとか、人間に友好的だとかいった者も多い。
そういった個体と運良く出会い、運良く分かり合えれば、魔物と心を通わすこともできるだろう。
と考えていると、父王の口からも実際にそういった説明がなされた。
ソアラがリュンナの銀髪を撫でながら、その後を続ける。
「わたしもね、小さいころはスライムのスラリンと友達だったのよ。リュンナも会ったことはあるのだけど、小さかったから覚えていないかしら」
「そう言われてみると……そんなことも……?」
転生してからしばらくは、意識や記憶が曖昧だった。
明確にいろいろを自覚し始めたのは、ここ最近のことである。
「スラリンは、ちょっと怖がりだけれど、優しい、いい子だったわ。でも数年前に魔王ハドラーが現れて、世界中の魔物は……。そのときに……」
ソアラの声音が沈み、窄んで消える。
ああ――思い出した。確かに昔、スライムが身近にいた気がする。まだ意識が曖昧で、ドラクエの夢を見ていると思っていた頃だ。しかしいつからか、姿を見なくなってしまった。それからしばらくソアラが酷く塞ぎ込んでいた。
ソアラのスラリンは、ハドラーの邪気に飲まれ、危険な魔物として……恐らく……。
ベルベルを仲間にすることに近衛たちがうるさかったのも、そういう過去があったからなのかも知れない。
或いはソアラのスラリンは、処分されたのではなく、ほかの魔物と間違えられて? だとすれば、まず装飾品を、と具申してきた隊長は、それを踏まえたものだったのか。
「だからねリュンナ、わたし、嬉しいのよ。まるでスラリンが帰ってきたみたいで……。なんて、ベルベルに失礼かしら」
「ぷるる?」
ソアラはリュンナ越しに、ホイミスライムのぷるぷるボディーを撫でた。
なるほど、もともとソアラは、人間だ魔物だなどで差別をしない性格だった――ということか。後にバランを受け容れることも、その延長線上にあるのだろう。
それが厄災の種なのだが。
ついそう思って、ソアラには冷たくしてしまうリュンナである。ベルベルを撫でる彼女の手をそっとどかし、自分の腕だけでベルベルを抱き締めた。
それは傍から見れば、お気に入りのペットをひとに触れさせたくない、子供らしい独占欲にでも感じられたろうか。そこ、微笑ましそうな顔をしない。父上! ちょっと!
リュンナは頬を膨らませた。転生してからこちら、こういう仕草は普通に出てしまう。あー若返った気分で嬉しいなー、と皮肉めいて思っておく。
咳払い。
「ともあれ、父上。先ほども述べました通り、わたしという新たな『勇者』の誕生の噂で、プレーシの町は持ち切りです。早晩、ほかの町にも伝わっていくでしょう」
「うむ。新たな勇者の噂が広まれば、魔王軍も怯むだろう。そうして牽制しているうちに、軍備を改めて整え――」
「そうじゃなくて」
「どうした」
この父上、分かった上で分からないフリをしているな。
「軍備増強はもちろん必要ですが、わたしが本当に勇者として――」
「ならぬ」
喰い気味に遮られてしまった。
ソアラも後ろからぎゅっと抱き締める力を強めてくる。苦しい。
「そうよリュンナ。あなたはまだ、こんなに小さいのだから……。戦う必要なんてないわ。そういうのは大人に任せればいいの」
「その大人が頼りにならないから言ってるんですが」
「それは……」
「むう……」
国のために命を懸けている騎士兵士らに対し、あまりにも思いやりのない言葉ではあろう。
が、事実である。プレーシの町では、アークデーモンどころか配下の魔物たちにさえ、近衛部隊は押されていた。リュンナなしでは、町ごと全滅していたのだ。
「何なら今から騎士団長を伸して来ましょうか? それとも近衛を全員纏めて?」
「いや、言いたいことは分かるが、しかしだな……」
「小さければ、魔王軍は待ってくれるんですか」
「いや……いや、そのようなことはないが……」
中にはバルトスのように、待ってくれるどころか拾って育ててくれる者もいるが。
いや、あれはあれで、ちょっとどうなのかなとリュンナは思うけれど。
ともあれ。
「国に尽くされている以上、国に尽くす義務がある……! そう教えてくださったのは父上ですよ」
「父上?」
「いや違うぞソアラ、そういう意味で言ったわけでは……だが……。ぐぬぬ」
父王が歯ぎしりをした。苦悩の顔。
もちろんリュンナとて、戦わずに済むなら戦いたくはない。
原作にリュンナの存在はない――それは、この世界が必ずしも原作通りに進むワケではないことの証明なのか? それとも逆に、原作展開が始まる前にリュンナが世を去ってしまう運命だということなのか?
分からない。分からないなら、危険からは遠ざかっておきたい。それは本音だ。
しかし危険から逃れることは、義務から逃れることなのだ。
それはそれで心が死んでしまう。かと言って、王女たる身が、義務から自由になるために身分を捨てるなど、それこそ認められるハズもない。
既に、戦う他ないのだ。
そして何より、リュンナ自身が戦いたい。何不自由ない暮らしを約束してくれているこの国に、その恩を返したい。
前世では思いつきもしなかったこと。
立場が変われば、人は変わるものだ。
「確かに……ワシも若いころには、陣頭に立ち剣を振るったこともある。国のために、民のために。血は争えぬ――か」
「父上! ありがとうございます!」
戦う許可を明言されてはいないが、もう明言されたテイで進めてしまうことにした。
勢いが大事だ。
父王は重々しく頷いた。
「ただし次の条件を課す。まずルーラを習得せよ。そしてキメラの翼と魔法の聖水を用意させるゆえ、それらを常に携帯するのだ」
つまり――いつでも逃げられる足を持っておけ、と。
言われてみれば当然の用意だろう。問題ない。
「承知しました」
「そんな……! リュンナはまだ9歳なんですよ!」
「しかし既に、この国の誰をも超える力を持っている。それを振るう覚悟もな。天の導きやも知れぬ……」
ソアラはまだ納得していないようだが、父王さえ分かってくれれば充分だ。
とは言え、ソアラの膝の上で抱き締められているこの拘束を外す必要はあった。意外と力が強い……。しかもその力が、更に一段と強まっていく。ぐええ。
それは別にリュンナを苦しめるためではなく、ソアラの硬い決意が表出してしまった事故のようだが。
彼女は深呼吸の後、遂に言い放った。
「ならば父上! わたしも戦います!」
「えっ」
「は!?」
爆弾発言であった。
「もちろん、すぐにとは申しません。戦いの練習などしたこともありませんし。しかし必ずや力をつけて……! 可愛い妹ばかりを戦わせるワケにはッ!」
それは明らかに、国のためよりも、リュンナのためという言葉だ。
しょっちゅう素っ気ない態度を取ってしまっているのに、なぜこうまで可愛がられているのだろうか。リュンナは首を傾げた。
とは言え、戦ってくれるならありがたい。実戦の恐ろしさで頭の中のお花畑が多少散れば、バランへの対応も変わり、国の消滅を免れるかも知れないし。例えば駆け落ちをやめるとか。
などと思ってしまうリュンナは、やはり自分は相当冷たくドライなのだな、と自覚しつつだが。
しかし、どこの馬の骨とも知れぬ男を引き入れ、未婚の身で子作りに及び、あまつさえ全てを捨てて駆け落ちした挙句、バランを始末することでソアラの名誉だけでもという父王の想いさえ無にする――
国に尽くされていたハズの王女が、国に尽くし返さないばかりか、全力で弓を引くありさまである。自覚がないからなおタチが悪い。
信じられない、とはこのことだ。
変わるのだろうか。そんな未来が。