メルルは咄嗟に占い用の水晶玉を掴むと、
「わああああっ」
震える声で叫びながら、地面に――ポップの影に叩き付けた。
途端、影が起き上がる。比喩でも何でもなく、地面に横たわる影の中から、影の化物が立ち上がったのだ。
デルムリン島以来、ずっと憑けていたシャドーが。
別に水晶玉でダメージを受けたワケではないが、彼女の感知能力でバレた以上、もう誤魔化しは利くまい。
大人しく姿を現すことにした。
「なっ、何なのそれ……!?」
「レオナ離れて!」
急な展開に驚くレオナを、ダイが庇いながら下がらせる。
「これ……シャドー!? 魔影軍団なの!?」
「俺に憑いてくれれば、すぐに気付けたものを……!」
マァムとヒュンケルは武器を構えた。
そしてポップは、驚きのあまり尻餅をついていた。
「いやーバレちゃいましたね」
このシャドーの自我は薄い。創造してからこちら、大半の時間をリュンナの目としてのみ過ごしてきたからだ。自分の思考というモノを持たない。
その声も、言葉も、リュンナ自身のモノだ。
「その声……!! バカな!! そんな前から……!?」
「はい正解ですよ、ポップくん。お久し振りです」
「どういうことだよ、ポップ!? そいつは誰なんだ!?」
ダイはデルムリン島ではハドラーと戦ってばかりで、リュンナとほとんど会話をしていない。気付けなくても無理もない。
ポップは地を這って後退し、それからようやく立ち上がりながら述べる。
「リュンナだ……! こいつリュンナなんだよ! たぶんデルムリン島で俺に取り憑かせてやがったんだ! いつの間に……!」
「リュンナさま……! 本当にリュンナさまなのですか!?」
ヒュンケルもまた、すぐに気付いていたようだ。
ただ衝撃が大き過ぎて、数秒固まっていたが。
「はい、わたしです。リュンナですよ。大きくなりましたね、ヒュンケルくん」
「リュンナさま……。やはり、人間を深くお恨みに!? しかしそんなことをしても――」
「いえ別に、恨みとかそういうのは。ところで、そっちはいいんですか? わたしの名前なんか連呼して」
リュンナの名は、この国では半ば禁忌となっている部分がある。
小さな子供はともかく、周囲を行き交うある程度以上の歳の者は、皆恐々と、そして不審者を見るように一行を見た――それからシャドーに気付き、或いは叫び、或いは縮こまる。
誰も皆、まるで一行がシャドーを引き入れたかのような視線。
ポップに憑いていたのだから、ある意味で間違ってはいないのだが。
どちらにせよ、一行としては歓迎できる状況ではないだろう。
「早く倒しちゃった方がいいんじゃないかしら……!」
レオナが焦燥の顔で言う。正しい手だろう。
だがヒュンケルは会話を続けたいらしく、まごまごしている。
「ごめんなさいね、わたしここじゃ歴史上の汚点ですから。それとも、わたしを処刑したことが汚点なのかな。まあいいや、近いウチに――」
「ベギラマ!」
動いたのはポップだった。
魔道士の杖の力で増幅した魔力で、先端の魔宝玉から閃熱を放つ。
シャドーはあっと言う間に蒸発した。
「ポップ……!」
「文句は言わせねえぞヒュンケル! 昔はどうだったか知らねえけど、今のリュンナは敵なんだ。その辺の人にでも取り憑いて人質にされたら困るだろ!」
「それはそうだが……!」
言い争いが始まりかけた――だがヒュンケルの口から溢れたのは、言葉ではなく鮮血だった。
「――ぐふっ!」
「えっ……」
ヒュンケルが膝を突く。
ドラゴンメイルに穴が開いていた。空中に鮮血が連なっている。まるで透明の剣に後ろから貫かれたかのように。
――ようなでは、ない。
「後ろだ! ヒュンケルの後ろにいやがる!」
「大地斬!!」
ダイが虚空に鋼鉄の剣を振り下ろす――と、鈍い音と共に、それは一見何もない空中で止まった。
彼の感覚ならば分かるだろうか。それは、闘気で強化した素手で受け止めたのだと。
直後、ダイが吹き飛び、商店街の店先に突っ込んで、商品を撒き散らした。
「ダイ!?」
「ちょっと、大丈夫!?」
ベホマを使えるレオナが、ヒュンケルを治療しようと近付く。
マァムが慌てて止めようとした。
「ダメ! まだいる!」
そう、透明な下手人はまだヒュンケルの背後にいる。
今――透明な剣を引き抜いた。空中に連なる鮮血の移動で分かるだろうか。
「あっ――」
そしてマァムの伸ばした手は間に合わず、不用意に前に出たレオナもまた腹を貫かれる。
「――ッ、……!!!」
声も出せずに崩れ落ちた。顔は苦痛に苛まれるより、何が起こったか分からないという混乱の色が濃い。
「地雷閃!」
マァムのハルベルトが唸りを上げる。
透明の剣が受け、透明の使い手ごと吹き飛んだ。
その威力の衝突衝撃が、剣に付着した血を、吹き飛ぶ軌跡に尾を引くように撒き散らす。
ヒュンケルの血、レオナの血。充分な『素材』だ。
「ベホマ!」
マァムは一瞬迷い――レオナを先に治療し始めた。
レオナならある程度回復すれば自力でベホマができるし、戦士と賢者では、より体力に劣るのは後者のレオナである。妥当な判断だろう。
一方、ポップはダイを助け起こし――彼の
今――透明なリュンナを止める者はいない。
軽くリストカット、透明ではない赤い血を流す。
続いてその身から噴き出す暗黒闘気も透明ではなく、どす黒い。闇が六芒星を描き、地面に撒かれた鮮血が暗い輝きを放つ。
そして血が沸騰したように泡立ち、次々に膨張し――それぞれの『形』を成し、仮初の命を得るのだ。
ヒュンケルの血からは――曲刀、盾、胴鎧、兜を装備した、翼ある竜人剣士。黄色い鱗、シュプリンガー。
レオナの血からは、蝶のような翅を生やした小さな竜、フェアリードラゴン。
更に自傷の血からは、黄金に輝く二足歩行の巨竜、グレイトドラゴン。
その姿のみで既に、人々の悲鳴が弾けた。
「うわああああっ!!」
「ちょ、超竜軍団だ! ついにここまで……!」
「聖騎士隊を呼べ!」
逃げ惑う人々に、グレイトドラゴンがマヒャドめいた凍てつく息を吐き出す――
「ベギラマー!!!」
ポップの閃熱が相殺。
ダイがその下をくぐるように駆け抜け、剣を構える。折れた剣の代わりに、その辺の店から拝借したモノだ。
構えはストラッシュのそれ。
「ギシャアッ!!」
だがそこに、シュプリンガーの海波斬。
打ち払うために、ダイは構えを解くことを余儀なくされる。
そしてフェアリードラゴンが不思議な踊りを踊ると、ポップが呻いた。
「クソッ、魔法力が……!」
シュプリンガーがダイに斬りかかり、足止めをする。
同時にグレイトドラゴンが長大な尾を振るうと、商店街の向かい合う建物が薙ぎ払われ、瓦礫が散った。
建材の散弾が人々を打つ。悲鳴、怒号、流血。
一方マァムは、レオナをある程度回復。レオナは自力回復に移り、マァムは更にヒュンケルの回復に移っていく。
そしてヒュンケルもそこまで放置されていたワケではなく、ナバラとメルルの回復呪文を受けていた。
肺に穴を開けて呼吸を封じたが、そろそろ立ち上がってくるか……?
「ブラッディースクライドッ!!」
立ち上がるどころか、未だ座り込んだままながらに技を撃ってきた。
フェアリードラゴンが翅を撃ち抜かれて墜落、踊りを封じられる。
「くっ! 狙いがズレたか……!」
一撃で殺すことを狙っていたらしい。
弟子ながら何とも恐ろしく育ったものだ。
「それにしてもどういうことなんだ!? いきなりこんなに敵が現れるなんて……! それにヒュンケルやレオナが刺されたのも……!」
ダイがシュプリンガーと切り結びながら叫ぶ。
シュプリンガーのルカナンが剣を脆化し、斬り飛ばした。
勇者は呻き、また別の剣をその辺の店から拝借する。苦渋の顔。
「リュンナだろうよ! レムオルだ……! 透明呪文! ここに来てた! この場で魔物を作りやがった……!」
ポップはグレイトドラゴンにベギラマを放ち、その鱗にあえなく弾かれていた。
凍てつく息を吐いたから炎熱が効くと思ったか? 炎の息も吐くのだ、そいつは。
証明するように、その口から激しい炎がポップへと迸る。ヒャダルコで防ぎながら、しかしベギラマほどの威力のないその呪文では防ぎ切れず、逸れた炎で人々が焼かれていく。
「リュンナさま……! いらっしゃるのですか! くっ、心眼でも見えない……!」
ヒュンケルは今遂に立ち上がり、
――メダパニ。
フェアリードラゴンの声なき呪文が、混乱に陥れる。目が虚ろに。
彼には全てが敵に見えているのだろうか――しかし、グレイトドラゴンに迷うことなく突貫していった。
確かに、その巨体が味方であるハズはない。クロコダインはこの場にいないのだから。
もっとも巨体がグレイトドラゴンであることは分かっても、その具体的な動作の認識さえ混乱させられているようだ、剣が当たる気配がない。
逆に爪の一撃を受け、人混みに吹き飛ばされる始末。
「ヒュンケル!! くそっ……!」
だから、さあ、見せてあげたらいい。
ダイ――あなたの力を。