「何を謝るの? リュンナ。謝らなきゃいけないのは――」
ソアラは訝しげに眉を寄せた。
そして悲しみの表情。
「違うんです。そうじゃない」
処刑のことはいいのだ。自業自得だし、結果オーライだ。
ソアラが謝ることなど、何もない。何ひとつ。
「覚えてますか、姉上。わたし小さい頃、姉上のこと避けてましたよね」
「そうだったかしら」
「……」
「うそ。そうね。そうだったわね」
ソアラは観念したように肩を竦めた。
それだけ思い出したくもないのか。
違う? 思い出させたくない?
「一緒に戦い始めた頃からかしら、いつの間にか普通に仲良くなれていたけれど……。どうして避けていたのかを、今……?」
「はい」
「私が構い過ぎてしまったから、煩わしかったのではなくて?」
そんなこと、思ってもいないだろうに。
そういうことにしたいのか。
違う? 言わせたくない?
わたしがツラそうだから……?
それでも。
「何て言えばいいのか……。わたし――未来を知ってたんです」
「予知能力ということ?」
「まあ……そうです。この際そう。いや違うな……」
逃げたくなくなった。
「『物語』です。生まれる前に見た夢の中で、『この世界のことが描かれた本』を読んだんですよ」
「そこに私のことも載っていた――のかしら」
「はい。姉上は――バランとの愛に狂い、結果的に国を滅びに導く役回りでした」
飲み込めていない顔をしている。
然もありなん。このソアラは、あの流れを想像することも出来まい。
だから述べた。
バランが魔物扱いで追放されること。ソアラがついていって駆け落ちになること。王に発見され、連れ戻されること。処刑されるバランをソアラが庇い、死ぬこと。それを受けた王の言にバランが激昂し、
その顛末を。
ソアラは首を捻る。
「それ――リュンナはどこにいたの?」
「いません。『本』にわたしは出て来ないんです。わたしがいない世界です」
「そう……」
ますます不可解そうだ。
「じゃあリュンナのお蔭で、私は国を滅ぼさず、バランも独りにせずに済んだのかしら」
「あ、そっち行っちゃいます? ……でもね姉上、『この世界』でも『そう』なったかは分からないんですよ。わたしがいるかどうか。『本』と『この世界』は、わたしがいる時点で明確に分岐しています。同じ運命を辿った保証はない」
「辿らなかった保証もないわよね?」
「はい」
それもまた事実だ。
だからこそ……。
「同じ運命を辿ったかも知れない、辿らなかったかも知れない。『分からない』……。なのにわたしは……姉上のことを……」
震えるな、わたしの手。
「――姉上を、この国を滅びに導く存在として憎んでいました。あなたがまだやってもいないことで」
「そう……」
流石にソアラも少しずつ飲み込めてきた気配がある。
噛み砕いていく。
「私は、それをしたのかも知れない」
「しなかったかも知れません」
「あなたの目から見て、どう? しそうだった?」
「最初の頃は、かなり……」
「なら、いいんじゃないかしら」
えっ。
「例えば、落ち着きのない子供がいたとするわね。注意力が散漫で、常に、どこへ走り出してしまうか分からないような、元気過ぎる子……。大きな町中にでも行ったら、きっと馬車の前に飛び出してしまう。怪我をするし、迷惑もかける。ああ、なんて面倒な子なんだろう。
――そういうことじゃないのかしら」
「そう……です、ね……?」
ソアラは平静だった。
リュンナの方が、よほど当惑していた。
「でしょう? 未来を知っているだとか、そんなことは関係ないのよ。だって、人はもともと未来を考える生き物だもの。未来に期待し、未来を恐れ、そのために現在の態度も変わっていく」
「でもわたしは……! 嫌うばかりで、避けるばかりで、姉上を変えようとは……! 怖くて!」
「それも」
それすらも、ソアラの器からは溢れない。
泰然、微笑み。
「変わらないわ。『まだやっていない』んだもの。さっきの例の元気過ぎる子だって、自分が怪我をするまでは、何を言われたって真剣には聞かない、聞けないのよ。リュンナも、それは分かっていたのでしょう?」
「それは……」
「だから言わない。それこそ嫌われるだけで、何もいいことがない」
確かにそうだ。
だって、何と言って注意すればいい?
嫌われて、それこそソアラが城を出る決意に繋がってしまったら?
「もちろん、私があなたを嫌うなんてあり得ないけれど」
それは自信? 信頼……?
「ねえリュンナ。『本』の中では、もしかして私が勇者姫だったのかしら」
ふと話題が変わった。
「え? ――いいえ、姉上は戦う人ではありませんでした。ハドラーは先輩が一対一に持ち込んで倒したんです」
「そうなの? じゃあ――そうね、それなら確かに、リュンナがいなかったら、私は国を滅ぼしていたのかも知れないわ」
なぜそれを、そんなに平然と認めることができるのか。
しかも、いっそ嬉しげに。
「だって『本』の中の私には、『戦ってでもバランを止める』発想がなかったと思うの。でも『私』にはあった。あなたが教えてくれた瞑想の方法で、強くなったのだもの。だからあの時、バランを止めることができた……」
ソアラはテーブル越しに手を伸ばし、リュンナの手を握った。
「あなたがいたから。リュンナがいたから」
柔らかな手。優しい手。
強い手、だ。
「だから私は、あなたを『赦す』わ。リュンナ。あなたの懺悔を、私は受け容れる」
全てを受容するソアラの器は――ちっぽけなリュンナを、丸ごと飲み込んでしまうかのよう。
ふと立ち上がると、彼女もまた席を立つ。
ごく自然と抱擁し合っていた。
温かい。
視界が歪む。
声が真っ直ぐに出ない。
そっと髪を梳くように撫でられる。
「あね、うえ……ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「いいの。いいのよ」
「ありがとう……。ああ……」
今世、母はいなかった。物心つく前に亡くなったらしい。
だからと言って姉に母を感じるなど、予想だにしていなかった。
13年分、歳を取った姉。前世で言えばアラサーだ。ますます包容力に磨きをかけて――魅力は、衰えるどころか増していた。
そのまましばらく。
鼻を啜りながらも落ち着いたリュンナが顔を真っ赤にして離れ、再び座って俯いた。
「これからどうするの?」
「ダイくんに酷いことをします。この国にも」
「魔王軍として?」
「わたしとして」
顔を上げた。
真っ直ぐに見詰め合う。
「あの子には――ダイには、可哀想なことをしてしまったわ。可哀想なんて言葉じゃ、とても済まないくらいに……。あの子の敵になるのなら、今度こそ赦さない」
「あは」
ソアラが『赦さない』と来た。
なんて――素敵な。
「そもそもどうして手放してしまったんです。迫害を恐れたって言っても……」
「あなたの件で、国民の多くは極端に魔物を嫌うようになってしまったのよ。たとえ疑惑に過ぎなくてもね。それまでずっと受け容れていたことの反動で、逆にどうしても赦せなくなった……。
誰々は魔物だから処刑してほしい――だなんて嘆願が届く日々が、何年も続いたわ」
「ごめんなさい……」
「――あなたのせいじゃ、ないわね」
だとしても、リュンナが「どうして」と聞いていいことではなかった。
少なくとも問うた本人は、そう思う。
「私の方こそ、ごめんなさい。リュンナ――あなたを助けられなくて」
「それは本当にいいんですけどね……。わたしの自業自得ですし」
「それでもよ。あの日――私、バランと戦ってたの」
目を丸くしてソアラを見た。
姉上が? バランと?
「だってあの人、ギガデインであなたの周りを丸ごと吹き飛ばそうとしたのよ」
「えぇ……」
それは――困る。
「『あいつらいったい何様のつもりだ!』なんて言いながら……。そんな助けられ方、リュンナ、嫌でしょう?」
「はい」
全力ではい。
「だから必死で止めていたのだけど……。そのためにあなた本人を助け損ねるなんて、本末転倒よね。本当にごめんなさい」
「いいえ、めちゃくちゃグッジョブです。流石姉上! 大好き!」
親指を立てた。
彼女は苦く笑った。
「それ以来、私もあの人も腑抜けてしまって……。父上はもっとね。王位を譲られてからは、ただ国を維持していたわ」
「ありがとうございます。姉上になら任せられると思いました」
「その国を、あなたは荒らすの?」
「はい」
必要なことだ。
「仕方ないわね。でもダイは絶対に守るわ」
「そうしてください。
それじゃあ、姉上。また近いうちに……」
リリルーラで消え――
――出現したのは、ソアラの背後だ。
「まあ近いうちって今すぐなんですけど」
抜き放った剣の切先を、肉に埋める。