暗黒の勇者姫/竜眼姫   作:液体クラゲ

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78 ソアラという女 その3

「何を謝るの? リュンナ。謝らなきゃいけないのは――」

 

 ソアラは訝しげに眉を寄せた。

 そして悲しみの表情。

 

「違うんです。そうじゃない」

 

 処刑のことはいいのだ。自業自得だし、結果オーライだ。

 ソアラが謝ることなど、何もない。何ひとつ。

 

「覚えてますか、姉上。わたし小さい頃、姉上のこと避けてましたよね」

「そうだったかしら」

「……」

「うそ。そうね。そうだったわね」

 

 ソアラは観念したように肩を竦めた。

 それだけ思い出したくもないのか。

 違う? 思い出させたくない?

 

「一緒に戦い始めた頃からかしら、いつの間にか普通に仲良くなれていたけれど……。どうして避けていたのかを、今……?」

「はい」

「私が構い過ぎてしまったから、煩わしかったのではなくて?」

 

 そんなこと、思ってもいないだろうに。

 そういうことにしたいのか。

 違う? 言わせたくない?

 

 わたしがツラそうだから……?

 それでも。

 

「何て言えばいいのか……。わたし――未来を知ってたんです」

「予知能力ということ?」

「まあ……そうです。この際そう。いや違うな……」

 

 逃げたくなくなった。

 

「『物語』です。生まれる前に見た夢の中で、『この世界のことが描かれた本』を読んだんですよ」

「そこに私のことも載っていた――のかしら」

「はい。姉上は――バランとの愛に狂い、結果的に国を滅びに導く役回りでした」

 

 飲み込めていない顔をしている。

 然もありなん。このソアラは、あの流れを想像することも出来まい。

 

 だから述べた。

 バランが魔物扱いで追放されること。ソアラがついていって駆け落ちになること。王に発見され、連れ戻されること。処刑されるバランをソアラが庇い、死ぬこと。それを受けた王の言にバランが激昂し、(ドラゴン)の騎士の力で半島ごとアルキードを消し飛ばすこと。

 その顛末を。

 

 ソアラは首を捻る。

 

「それ――リュンナはどこにいたの?」

「いません。『本』にわたしは出て来ないんです。わたしがいない世界です」

「そう……」

 

 ますます不可解そうだ。

 

「じゃあリュンナのお蔭で、私は国を滅ぼさず、バランも独りにせずに済んだのかしら」

「あ、そっち行っちゃいます? ……でもね姉上、『この世界』でも『そう』なったかは分からないんですよ。わたしがいるかどうか。『本』と『この世界』は、わたしがいる時点で明確に分岐しています。同じ運命を辿った保証はない」

「辿らなかった保証もないわよね?」

「はい」

 

 それもまた事実だ。

 だからこそ……。

 

「同じ運命を辿ったかも知れない、辿らなかったかも知れない。『分からない』……。なのにわたしは……姉上のことを……」

 

 震えるな、わたしの手。

 

「――姉上を、この国を滅びに導く存在として憎んでいました。あなたがまだやってもいないことで」

「そう……」

 

 流石にソアラも少しずつ飲み込めてきた気配がある。

 噛み砕いていく。

 

「私は、それをしたのかも知れない」

「しなかったかも知れません」

「あなたの目から見て、どう? しそうだった?」

「最初の頃は、かなり……」

「なら、いいんじゃないかしら」

 

 えっ。

 

「例えば、落ち着きのない子供がいたとするわね。注意力が散漫で、常に、どこへ走り出してしまうか分からないような、元気過ぎる子……。大きな町中にでも行ったら、きっと馬車の前に飛び出してしまう。怪我をするし、迷惑もかける。ああ、なんて面倒な子なんだろう。

 ――そういうことじゃないのかしら」

「そう……です、ね……?」

 

 ソアラは平静だった。

 リュンナの方が、よほど当惑していた。

 

「でしょう? 未来を知っているだとか、そんなことは関係ないのよ。だって、人はもともと未来を考える生き物だもの。未来に期待し、未来を恐れ、そのために現在の態度も変わっていく」

「でもわたしは……! 嫌うばかりで、避けるばかりで、姉上を変えようとは……! 怖くて!」

「それも」

 

 それすらも、ソアラの器からは溢れない。

 泰然、微笑み。

 

「変わらないわ。『まだやっていない』んだもの。さっきの例の元気過ぎる子だって、自分が怪我をするまでは、何を言われたって真剣には聞かない、聞けないのよ。リュンナも、それは分かっていたのでしょう?」

「それは……」

「だから言わない。それこそ嫌われるだけで、何もいいことがない」

 

 確かにそうだ。

 だって、何と言って注意すればいい?

 嫌われて、それこそソアラが城を出る決意に繋がってしまったら?

 

「もちろん、私があなたを嫌うなんてあり得ないけれど」

 

 それは自信? 信頼……?

 

「ねえリュンナ。『本』の中では、もしかして私が勇者姫だったのかしら」

 

 ふと話題が変わった。

 

「え? ――いいえ、姉上は戦う人ではありませんでした。ハドラーは先輩が一対一に持ち込んで倒したんです」

「そうなの? じゃあ――そうね、それなら確かに、リュンナがいなかったら、私は国を滅ぼしていたのかも知れないわ」

 

 なぜそれを、そんなに平然と認めることができるのか。

 しかも、いっそ嬉しげに。

 

「だって『本』の中の私には、『戦ってでもバランを止める』発想がなかったと思うの。でも『私』にはあった。あなたが教えてくれた瞑想の方法で、強くなったのだもの。だからあの時、バランを止めることができた……」

 

 ソアラはテーブル越しに手を伸ばし、リュンナの手を握った。

 

「あなたがいたから。リュンナがいたから」

 

 柔らかな手。優しい手。

 強い手、だ。

 

「だから私は、あなたを『赦す』わ。リュンナ。あなたの懺悔を、私は受け容れる」

 

 全てを受容するソアラの器は――ちっぽけなリュンナを、丸ごと飲み込んでしまうかのよう。

 ふと立ち上がると、彼女もまた席を立つ。

 ごく自然と抱擁し合っていた。

 

 温かい。

 視界が歪む。

 声が真っ直ぐに出ない。

 そっと髪を梳くように撫でられる。

 

「あね、うえ……ごめんなさい、ごめんなさい……!」

「いいの。いいのよ」

「ありがとう……。ああ……」

 

 今世、母はいなかった。物心つく前に亡くなったらしい。

 だからと言って姉に母を感じるなど、予想だにしていなかった。

 13年分、歳を取った姉。前世で言えばアラサーだ。ますます包容力に磨きをかけて――魅力は、衰えるどころか増していた。

 

 そのまましばらく。

 鼻を啜りながらも落ち着いたリュンナが顔を真っ赤にして離れ、再び座って俯いた。

 

「これからどうするの?」

「ダイくんに酷いことをします。この国にも」

「魔王軍として?」

「わたしとして」

 

 顔を上げた。

 真っ直ぐに見詰め合う。

 

「あの子には――ダイには、可哀想なことをしてしまったわ。可哀想なんて言葉じゃ、とても済まないくらいに……。あの子の敵になるのなら、今度こそ赦さない」

「あは」

 

 ソアラが『赦さない』と来た。

 なんて――素敵な。

 

「そもそもどうして手放してしまったんです。迫害を恐れたって言っても……」

「あなたの件で、国民の多くは極端に魔物を嫌うようになってしまったのよ。たとえ疑惑に過ぎなくてもね。それまでずっと受け容れていたことの反動で、逆にどうしても赦せなくなった……。

 誰々は魔物だから処刑してほしい――だなんて嘆願が届く日々が、何年も続いたわ」

「ごめんなさい……」

「――あなたのせいじゃ、ないわね」

 

 だとしても、リュンナが「どうして」と聞いていいことではなかった。

 少なくとも問うた本人は、そう思う。

 

「私の方こそ、ごめんなさい。リュンナ――あなたを助けられなくて」

「それは本当にいいんですけどね……。わたしの自業自得ですし」

「それでもよ。あの日――私、バランと戦ってたの」

 

 目を丸くしてソアラを見た。

 姉上が? バランと?

 

「だってあの人、ギガデインであなたの周りを丸ごと吹き飛ばそうとしたのよ」

「えぇ……」

 

 それは――困る。

 

「『あいつらいったい何様のつもりだ!』なんて言いながら……。そんな助けられ方、リュンナ、嫌でしょう?」

「はい」

 

 全力ではい。

 

「だから必死で止めていたのだけど……。そのためにあなた本人を助け損ねるなんて、本末転倒よね。本当にごめんなさい」

「いいえ、めちゃくちゃグッジョブです。流石姉上! 大好き!」

 

 親指を立てた。

 彼女は苦く笑った。

 

「それ以来、私もあの人も腑抜けてしまって……。父上はもっとね。王位を譲られてからは、ただ国を維持していたわ」

「ありがとうございます。姉上になら任せられると思いました」

「その国を、あなたは荒らすの?」

「はい」

 

 必要なことだ。

 

「仕方ないわね。でもダイは絶対に守るわ」

「そうしてください。

 それじゃあ、姉上。また近いうちに……」

 

 リリルーラで消え――

 ――出現したのは、ソアラの背後だ。

 

「まあ近いうちって今すぐなんですけど」

 

 抜き放った剣の切先を、肉に埋める。

 


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