咲いた鮮血は、バランのものだった。
部屋に飛び込んでくるなりソアラを突き飛ばして、代わりに身に受けることになったのだ。
「ぐ、ううう……ッ!!」
「バラン!? リュンナ、どうして……」
部屋の奥側で、バランはソアラの上にのしかかる形で倒れている。
その背から脇腹にかけて、深く抉られ斬り裂かれていた。
「どうしてって――このためですよ。バランを斬るためです。部屋の外で隠れてるのは分かってましたからね。
分かっていた。
会話は聞かれていないが、殺気を感知されたのだということも。
「リュンナ、貴様……! 私が間に合わぬ可能性もあったのだぞ……!」
「ないですよ、そんなの。おふたりの愛と力を、わたしは侮っていません」
バランが傷に震えながら、辛うじて立ち上がっていく。
ソアラがベホマをかける――
「マホトーン」
封じた。
「!! ……ッ!」
声そのものが出まい。
助けも呼べない。
それを補うよう、バランが雄叫びを上げようと大きく息を吸い込んだ。
「ベタン」
収束された重圧が、その呼吸ごと彼を押し潰した。
再び這い蹲る。
空気すら重くて、ロクに呼吸も出来まい。
「う、お……! おおおあ……!」
必死の気合の声すら掠れて。
紋章はどうした? ああ、出すのに時間がかかっている。先ほどもそうだった。
この13年、ずっと封じてきたのだろう。錆びつき過ぎだ。
「――ッ!!」
ソアラが剣を抜いて斬りかかってくるが、吹雪の剣で打ち払う――冷気が彼女の剣を脆化、粉砕。
諸刃斬りを狙っていたのでしょう? 受けた部位を完全に破壊されては、その技はできない。
間を外されたソアラは、姿勢を崩して激しく転倒した。
その頃になってようやく、バランが
ベタンを破られる前に――
「氷魔傀儡掌」
氷の暗黒闘気――魔氷気の糸が、その心身を縛る。
心身を、だ。身のみではない。
「バカな、
凍てつく波動は魔法力を精神的に冷やして『自殺させる』技だが、それを相手の闘気に対してもかけ続けるのがこの技だ。
全盛期ならともかく、今のバランにこの技を弾くだけの強い精神力はない。
転んだソアラの背を――丹田の上を踏みつけ、動きを掣肘しながら。彼女が動こうとするのと逆方向へと、踏み方で丹田をズラしてやることで、動きを封じる技術。
弱点を見抜いて撃ち抜く、空裂斬の親戚だ。
こうなっては最早、肉体や闘気の技は繰り出せない役立たず。そして呪文はマホトーン済み。
詰みである。
「リュンナ、そこまで……我々が憎かったのか……。だが、ソアラは……ソアラだけは! お前の姉だろう……!!」
「前半はともかく……。後半はもちろん、はい。傷ひとつ付けていませんね?」
マホトーンと空の踏みで封じたのみだ。
斬ったバランと違って。
「バラン王……!」
「父さん! 母さん!」
「無事か!?」
ダイ一行が駆けつけてくる声、足音。あと数秒か。
メルル辺りに感知されたのだろう。
急がねば。
リュンナは傀儡掌を構成する魔氷気の糸越しに、呪文を唱えた。
「ヒャドカトール」
ヒャド系の力を利用した結界呪文。
バランの身をあっと言う間に分厚い氷が包み込む――その氷そのものがひとつの封印結界なのだ。
原作フレイザードがレオナに使ったアレを再現した独自呪文である。
如何な
その光景を、
「父さん……! 父さんっ!!! 母さんまで……っ!!」
今、ダイたちが目撃した。
「リュンナあああああああ!!!」
ダイが素手で殴りかかってくるが、
「ベタン」
部屋の扉前に這い蹲らせた。
一歩入ろうとすれば、その超重力場に巻き込まれるのだ。後続も二の足を踏む一瞬。
収束し範囲を狭めたベタンは、強い。
「父さんを……! 母さんを、放せッ!! うわああああああ!!!」
ダイが紋章を出した。バランよりずっとスムースだ。
ベタンが破られ、衝撃がソアラの私室に吹き荒れる。
仲間たちも部屋に入ってくる。
「氷魔傀儡掌」
そのダイの動きを止め、後続の仲間たちをも
ダイは
空間跳躍の出現先はベルベルの傍ら。
超竜軍団の対アルキード前線基地、境の山の砦である。
「リュンナ! ――んあ、それって」
「バラン」
「わあ」
蒼い肌の魔族の少女の姿をしたベルベルは、触手めいた金髪の束を揺らして笑いながら、冗談半分に怒った。
「ひとりで親玉取ってくるなんて! ぼくも連れてってくれたら良かったのに~」
リバストとボラホーンもいる。
腕が4本ある巨躯の猪獣人、それすら超える巨躯のトドマン。
「流石は我が姫。地上に敵なしよ」
「幾度となくドラゴンどもを追い散らした実力者を、傷ひとつなく……! これがリュンナさまのお力!」
このヨイショどもめ。
素でやっているから苦笑するしかない。
「バランの方に凄くブランクあっただけ、なんだけどね……。まあ何でもいい」
リュンナはバランを抱えたまま、砦の屋上へ。
背景に竜種が蔓延るアジトの様相。
「極大マヌーサを準備して」
「おっけ~」
ベルベルが結界装置に魔法力を送り、起動する。
かつてこの砦は魔王ハドラーの配下が使っていた――その頃に砦を包み隠す結界を司っていた装置だ。
巨大な幻影を映し出すことができる。当時より格段に広範囲に。
「準備よしっ! 3~2~1~ゼロ!」
途端、アルキード王国上空に、空を覆うような影が現れた。
リュンナの姿が、空に巨大に映し出されているのだ。
そしてその声もまた、王国全土に届く。
「えー、アルキード王国の皆さん、初めまして、或いはお久し振りです。魔王軍、超竜軍団長、『竜眼姫』リュンナです。以前の肩書きは――述べるまでもないですね?」
リュンナの背景には、砦周辺の竜種が多数映り込んでいる。その威容。
「今回は特別なお客さまをお招きしています。さて、誰でしょう――」
次いで映像は広がり、リュンナの傍ら、凍り付いたバランもが映り込む。
背中から貫通されたあと脇腹へと払われたと見える、深い、あまりにも深い傷が、生々しいままに凍て止まっている。
「はい! なんと勇者王バラン! 拍手~~」
ベルベルとリバストとボラホーンによる拍手の音が、ぱらぱらと入った。
「こんなに凍ってしまって、いったいどれだけ生命が持つのか? 1か月くらいかな……。1週間かも。1日ってことはないと思いますけどね。
もちろん皆さん、偉大なるバラン王を助けたいと思います。そこで交換条件を考えました」
息を吸い、ハッキリと。
「勇者ダイ一行を捕まえてください」
幻影に、ダイ一行の肖像が映り込んでいく。
リュンナの記憶にあるイメージの投影だ。
「この人たちですよ。こっちから順番に、勇者ダイ、魔法使いポップ、パラディンのマァムに、戦士ヒュンケル。パプニカ王女レオナ。それから、あとでこの国に来るかも知れない獣王クロコダインと、地獄の騎士バルトス」
取るに足らぬ戦闘力しかないレオナも、今この場にいないクロコダインとバルトスも。
「動けないように捕まえてくれたら、こっちから預かりに行きますからね。どこに連れて行くか、とかは考えなくていいです。とにかく捕まえてください。
あ、殺しちゃダメですよ。それはこっちの仕事です」
両腕でバッテンを作るジェスチャー。
次いでその腕を解き、バランを撫でる。
「期限は特に定めません、バランが死ぬまでです。あーあ、胴体こんなに斬られて、本当にどれだけ持つのか知らないですけど」
バランの足元から頭までを、ゆっくりと幻術は映していく。
その額にて輝きごと凍り付いている、
額に、竜の顔が、あるのだ。
「あは」
笑う。
この国に恨みはない。滅ぼしたいとは思わない。
だが愛もない。踏み躙って利用することに躊躇はない。
「まあともかくね、バランを助けたかったら――この国の王を失いたくなかったら、ダイ一行を捕まえてください。それだけです。ではまた……。ごきげんよう」
そこでベルベルが魔法力の供給を断ち、幻影の装置を止める。
空の幻影は消えた。
「あー。あー……」
砦の屋上で深呼吸。
そっと噛み締めるように。
「さあ……。どうします? ダイくん。おばちゃんが遊んであげますよ」
砦の玉座に座り、膝にベルベルを乗せて抱き、リバストとボラホーンを侍らせる。
そして鷹の目を全力発動。無数の視点を国中に飛ばした。
自身の戦闘力はほぼ封じられてしまうような技だが、今は問題ない。
民の声を聞く。無数。
バランを助けよう、ダイ一行を捕まえよう――という勢力は、ごく一部に過ぎなかった。むしろ大半は、それを妨害する動き。
だろうね。