王城の一角、兵士らの訓練場の隅を借り、リュンナはソアラの訓練を始めていた。
両者とも、服装は簡素な布の服である。本当に簡素で、本来なら王族の着るようなモノではないが、動きやすく汚れてもいい服としてこれ以上はない。
「姉上。準備はよろしいですか?」
「ええ、リュンナ。よろしくお願いね」
ソアラは頷いて、柔らかく微笑んだ。
まるで緊張感がない。緊張のあまりに変に力が入って思わぬ怪我をするよりは、遥かにマシと言えよう。
もし怪我をしても、隣でふよふよ浮いているホイミスライムのベルベルが治してしまう手筈だが。
「ではまず基本の瞑想から。一般的には魔法力を増す修行とされていますが、わたしの瞑想はあらゆる能力を高めることができます」
「確か……死を想う、のだったわよね。そんなことが本当にできるのかしら。兵士の人たちも、誰も成功しなかったんでしょう?」
「まあそうなんですけど。新しい伝授法を思いつきましたので、試してみたいなと」
「そうなの? やってみましょう」
人体実験に使うと言っているも同然なのだが、構わないのだろうか……?
リュンナが胡坐を掻き手指を組むと、ソアラも見様見真似で対面に座った。最初は隣に座ろうとしたが、対面の方が見てマネやすかったのだろう。
「なるべく力を抜いて、楽にしてくださいね。呼吸は口から吐いて、鼻から吸います。ゆっくりと、一度に何秒もかけて……」
ソアラは素直に従う。この素直さは好ましい。
素直過ぎて、バランからの求愛も素直に受けてしまう、ということだろうか。
いや、今はいい。
「目を閉じて……」
目を閉じる。
「額にもういっこ目があって、その目だけでわたしを見る、とイメージしてみてください。本当の目は開けちゃダメですよ。第三の目だけ……。まあイメージなんですけど」
説明している間に、ソアラは既に深い集中状態に移行しつつあった。
やはり、この素直さだ。太陽が万象に分け隔てなく光を注ぐように、この第一王女にはあらゆる差別というものがない。何でも受け容れてしまえる、受け容れてしまう。
それは圧倒的な才能であり、そして時に呪いであろう。
呪いを解くにはどうすればいい? 素直さの結果として、痛い目に遭ってもらう他ない。
原作では死に際ですら自分の悪性を自覚している様子がなかったから、望み薄だが……。そんな余裕がなかったのもあるだろうが。
ともあれ瞑想である。
今、ソアラはとても美しい。外見の話ではなく、それだけ深く瞑想状態に適応している、ただ第三の目で眼前のリュンナを見ることだけに没頭している、その集中力こそが美しいのだ。
試しにリュンナが自らの頬を両手で潰すようにしてあっちょんぶりけ顔を披露すると、ソアラがクスッと笑った。もちろん、肉眼は閉じているままだ。
そのことに本人も一拍遅れて気付いたようで、不思議そうに首を捻った。見えていないのに見えている境地。
「大変素晴らしいですよ、姉上。そのまま集中状態を維持してください」
ソアラの額に、彼女の気が窺える。
闘気というほど苛烈ではない、もっと静かで穏やかな気配。ただ感じ取ろうとする感覚の気。
そこ目掛けて、リュンナは自らの殺気を叩き込んだ。魂の奥から暗黒闘気をすら呼び起こし、その不吉で禍々しい匂いを乗せて、ソアラの首を刎ね――いや――火炎で全身を焼き払うイメージ。
びくん、と、ソアラが痙攣するように震えた。そしてすぐに、カタカタと、継続的な震えに移る。脂汗が噴き出し、涙すら幾筋も流れる。
しかし目は開けられず、姿勢は崩れなかった。呼吸すら乱れない。
本当に何なの、この人……? バラン処刑時、火炎呪文から我が身で庇うのは伊達ではない、ということなのか?
ならばと殺気を強めていく。
焼かれる苦痛は消えゆき、逆におぞましい快楽が緩やかに広がっていくだろう。死の恐怖から精神を守るため、脳内麻薬が分泌される段階だ。
ソアラの姿勢が僅かに崩れ出した。ふらふらと頭が揺れる。
そこから更に強めれば、最早、全てが消え去る死の境地――ソアラはその場に崩れ落ちるように倒れた。
「やべっ」
脈と呼吸を見る、弱い。意識もない。
ベルベルにホイミをかけさせ体力を回復しつつ、抱き締めてゆっくりと撫でてやる。そして殺気とは正反対、慈しみの心気をそっと送り込む。
リュンナの暗黒闘気は愛国心の裏返しだから、裏を表に返し直せば、そういうこともできると直感した。言わば、穏やかに安らげる夜の気。
様子を見ていた訓練中の兵士らが慌てて寄ってくるも、問題ないと追い払って数分、ソアラは実際に問題なく目覚めた。
「リュンナ……?」
「どうでしたか?」
ソアラは答えず、リュンナをぎゅっと抱き締めた。
しまった、こちらから抱き締めているままだったせいだ。
「あの……」
「こんなに。こんなに恐ろしいことに耐えて、あなたは戦うのね……リュンナ……。未熟な姉だけれど、必ず助けになるわ。待っていてね」
「あっはい」
タップしても放してくれないので、痛めないようにしつつも無理やり引き剥がし、改めて対面する形へと持っていく。
不満そうな顔をされた。
咳払い。
「えー、今の『死の感覚』――これを受けても平然と瞑想を続けられるようになれば、わたしと同じか近いところまでレベルアップできると思います。――できるといいなと思います」
言い直すと、ソアラは冗談とでも思ったのか小さく笑った。
冗談ではないのだが。まだ実験第1号だし。
「実際、どうでしたか? かなりの殺気を叩き込んだつもりですが」
「殺気……あれが殺気というモノなのね。まるで全身が燃え上がるような……火刑に処されたら、あんな感じなのかしら。とても苦しくて……このまま死ぬのかしらって……。
でもリュンナ、可愛いあなたのためなら、怖くはなかったわ」
「さようですか」
本当にこの人は……。
リュンナは呆れの溜息をついた。
「それじゃあ、もう一度お願いできる?」
「えっ」
「えっ?」
ふたりして、目をぱちくりして見詰め合ってしまった。
何を言っているのだろうか。たとえ本当に怖くなかったとしても、精神的な消耗、疲労は大きいハズだが。
疲労の自覚が薄いのか?
「いえ、ごく短時間とは言え、強烈な殺気を浴びたのです。少し時間を置かないと……」
「そうなの? ……そうね、焦ってはいけないわね。先生がそう言うんだもの」
「先生って……」
「こうして教わるんだもの、先生でしょう? リュンナ先生」
年下に教わるということに抵抗がないらしい。むしろ嬉しそうですらある。
リュンナがどれだけ素っ気ない態度を取っても、ソアラはずっとリュンナを構おうとしてきたのだ。それが成就したような気分なのだろうか。姉妹愛。
何だか気恥ずかしくて、リュンナは目を逸らした。
先生と言われて真っ先に思い浮かぶのは、やはりアバンである。
あれほど上手い先生にはなれまいが、せいぜい気張るとしよう。
咳払いをして気を取り直すと、再びソアラを向いた。
「この瞑想と殺気浴びは、なるべく毎日やりましょう。
実際に死の感覚を得て無の瞑想に至れるかどうかは、正直分かりません――が、戦いにおいて、痛みや死への恐怖は、最も注意すべき敵のひとつだと思います。その辺りの耐性を鍛えることにもなると思いますので」
「身が竦んでいては、何事も上手くいかないものね。分かるわ」
ソアラにも身が竦む経験があるのだろうか。リュンナには想像がつかなかった。
「じゃあ次は、実際的な戦闘手段――武器や魔法について考えてみましょうか」