魔氷気が吹き荒れ、逆に大気はリュンナを中心に渦を巻いて収束していく。魔氷気が空間を冷やし、それが低気圧を生じているのだ。上昇気流が竜巻めいて駆け抜け、暗雲が天蓋を覆う。
天変地異のありさま。それに比べれば、リュンナ当人に現れる変化は小さい。
脱ぎ去ったドラゴンローブの下、手足が白銀の鱗に覆われていく。下着は弾け飛び、鱗がそこに生体鎧を構築した。
銀髪が伸び、絡み合って複数の束を作ると、それが骨格となって背には皮膜の翼が、臀部の上には細長い尾が形成される。更に頭部の左右には角が。
半竜半人。人竜。
その溢れる生命力が、胸や脇腹の傷を塞いだ。流石に右腕が生えるには時間がかかるが。
雨が降り始めた。
それはすぐに
「りゅ――竜魔人……!?」
バランが呻いた。
その言葉の意味を知らずとも、そこに込められた戦慄を、誰もが感じただろう。
「ドラゴラムって言ったじゃないですか」
「だが、その姿は……!!
「竜の身です」
そう、竜だ。
人の姿をした竜から、人の形をした竜へ。
竜の力の更なる解放。
「ハ――ハハハ……」
ポップが笑った。
「し、しかしスゲエ格好だよな……! 腹とか太腿とか丸見えじゃねえかっ! 恥ずかしくねえのか――な……?」
声はすぐに萎んでいった。
誰も皆、分かっているからだ。その力の強大さが。全身をガタガタと震わせ――いや、しかしそれは、恐怖のためではない。
「て、言うかよ! なんか、寒い……! 寒いぞ!?」
「魔氷気だ……! とにかく動け! 体温を上げないと凍え死ぬぞ!!」
叫んだのはバランだ。
氷の暗黒闘気である魔氷気は、ただ放出するのみでも冷気となって広がる。それでも普段なら、そんな垂れ流しの魔氷気は、各自の闘気や魔法力で無意識のうちに耐えられる程度でしかない。
だが今は、オーザムの地すら軽く凌駕する極寒のありさま。
雨から
それぞれが動こうとしても、いつの間にか身が凍てついているほどに。
「
それでもバランは、この世界における最強の闘気で身を守る。
更にソアラを自分の闘気の内側へと抱き締めた。
「メラミ!」
ダイは闘気に加えて、火炎呪文の魔法剣で吹雪に耐えた。
ヒュンケルに至っては、鎧の魔剣のお蔭で冷気が効かない。
だがバルトスは、既に全身が凍結し氷像と化していた。
「父さん!!」
「迂闊に触るな! 砕け散るかも知れん!」
「くっ……!」
マァムは
ポップはメラゾーマで自分とマァムの暖を取る。
だがそこから動けない。
クロコダインもそうだ。真空の斧で空気流の障壁を作り、内側に
「ベタン」
ポップ、マァム、クロコダインが――潰れた。
「なにッ!?」
「ぐわああああああーーーー!!!」
広範囲ベタンにわざと大きなムラを作り、個人個人に狙いを定めて無駄を省いたマルチロックオン・ベタンだ。
ダイ、バラン、ソアラ、ヒュンケルも狙ったのだが、こちらは闘気や鎧の呪文耐性で弾かれてしまった。
マァムの
「ポップ!!」
ダイが駆け出し、メラミ魔法剣で氷を融かし助け起こそうとする。
バランもソアラを守るために動けない。
自由なのはヒュンケルのみか。
「おのれ、父さんを……!! 父さんをよくも!! 如何なリュンナさまと言えどッ!!」
氷漬けのバルトスを前に自失していたヒュンケルが立ち直り、怒りの咆哮を上げた。
光と闇、ふたつの闘気が渦を巻く。リュンナへの敬愛と憎悪――いずれも本音。
渦は魔剣へと収束し、その勢いのままに螺旋の刺突剣圧と化してリュンナに迫る。
「ブラッディースクライドッ!!」
リュンナはまるで弓を引くように左手を大きく引き絞る。
この世界では、それは、リュンナが編み出した技だ。
「ブラッディースクライド」
左手、指を揃えた貫手の形。螺旋の貫手が光と闇の渦に出会い――宿した魔氷気が、闘気を殺し尽くす。どんな熱い感情も、冷やして冷まして塗り潰してしまう。
あとに残る剣圧の威力は、竜たるリュンナが遥かに上。
「うおおおおお……ッ!?!?」
ヒュンケルは剣を握る右腕を中心に、全身を鎧ごとズタズタに引き裂かれた。鮮血を散らして吹き飛ぶ。
「終わりですか?」
終わっていいワケがない。
勇者には奇跡が起きるべきだ。
新たな力に目覚めるべきだ。
原作で描かれた範囲で、ダイのこれ以上の力は双竜紋と、その先にある竜魔人化しかなく、それはバランの死を前提としている。バランが健在なこの世界で、それは望めない――分かっている。
それでも、それ以上を求めるのだ。
この人竜リュンナですら、真バーンには勝てないだろうから。
鎧に穴の開いたヒュンケルがマルチロックオン・ベタンに飲み込まれ、抵抗力を失い、凍えていく。
最早まともに動けるのは、
ここまでなのか?
本当にこれ以上はないのか?
このダイたちに、人竜リュンナと超魔ハドラーもしくは竜眼進化ハドラーを加えて――バーンに勝てるか?
ゴメちゃんは離れたマトリフとレオナのところにいる。だから奇跡が起きないのか? たったそれだけのことで?
先ほどのダイの剣戟は見事だった。あのダイなら、もっとやってくれると思った。
ベギラゴンすら使えるようになったポップなら、もっとやってくれると思った。
勝手に期待して、勝手に失望する――醜いな。
終わりにしよう。
「ダ……イ……!」
「ポップ、しっかりしてよ! ポップ!」
「俺に、構うな……!! 戦え……!」
ポップがベタンに潰されながら、魔氷気に凍えながら、それでも述べた。
「でもっ!」
「リュンナが倒れりゃ、みんな助かる……! それが俺たちを守ってくれるってことだ! 間違えるなよダイ……!! 見捨てろって言ってんじゃねえ。助けてくれって言ってんだ!」
「ポップ……!」
ダイが――ポップを守っていたメラミ魔法剣を下げ、立ち上がった。
「う――が、あああ……!!」
ポップは重圧に肉が裂け血を噴き、その血すらも凍っていく。
マァムやクロコダインが、既にそうなっていたように。
ダイは振り向かなかった。
「リュンナ……っ!! 勝負だっ!!」
「はい」
微笑んで、迎えた。
「火炎大地斬っ!!」
メラミ魔法剣を素手で受け止める。
魔氷気の膜、闇の衣――魔法の部分を殺し、ただの大地斬に貶めて。
「くそっ!」
それでもダイは剣を止めない。
そして理解している。魔法剣ではない素の剣で斬りつければ、剣ごと凍るのだと。
「ベギラマ!!」
だから何度でも閃熱を剣に宿して、より鋭く、より速く、より強く。
素手で受けられない。左手の竜鱗が裂かれた。
翼を広げて飛ぶ。トベルーラで追従してくる。
トベルーラのみのダイと、加えて翼を持つリュンナでは、三次元機動の自由度がまるで違う。翻弄。
――隙。ブラッディースクライド。
「閃熱海波斬っ!!」
弾かれた。
弾けるのか! その体勢から!
剣圧が本体に届く。生体鎧にヒビ。
突っ込んでくる。懐。
だが竜の尾が貫いた。
「がはっ……!!」
喀血。墜落。
バランとソアラの傍ら。
ソアラは――守ってくれるバランを振り払い、極寒と重圧に身を晒した。
「ソアラ!!」
彼女は応えず――ダイに空裂斬を撃って、傷に残留する魔氷気を排除、その上でベホマをかけた。
そのままの姿で凍てついていく。
「バラン」
「ソアラ、私から離れては……!」
「戦って」
バランが、踏みとどまる。
「ポップの言う通りだわ。ダイの友達……流石にいいことを言うわね。
お願いよ、バラン。私たちを――」
続きの言葉は紡がれない。
もう凍ってしまった。
「立て、ダイ!」
「う、と、父さん……! 母さん……!!」
バランがダイを助け起こした。
「もはや我々だけだ。
「うおおおおおおーー!!!」
トベルーラ。竜の親子が来る。
ダイはドラゴンキラーを構えて。真魔剛竜剣を失ったバランは素手で。
真魔剛竜剣――どこに行ったと思う?
リュンナは暗黒闘気で虚空に穴を開けるようにして、そこに手を入れた。引き摺り出す――神の金属で創られた、最強の剣を。
「お前、リュンナ……!!
「これだけ解凍して奪っておきました」
真魔剛竜剣で放つ真空斬りは、ただ一振りでふたりを纏めて斬り裂いた。
「うわあああっ!!」
「ぐおおおお……!!」
砦の屋上に叩き落とされたバランは、左目の飾り――
竜魔人と化す気か。
それを見たダイは、具体的に何をする気かは知らぬだろうに、時間稼ぎを務めようと斬りかかってくる。
だがバランの血は赤いまま、一向に蒼くならない。
「くっ!」
そこまで錆び付いていたのか。
ダイを失ってから腑抜けていたとは聞いたが。
「父さん!!」
そんなブランクを吹き飛ばすように、ダイが叫ぶ。
「一緒に戦ってくれ!!!」
「――ああ!」
喰らいついてくる。
真魔剛竜剣は暴れ馬だ。御するのは難しいが、支配下に置けたときの破壊力は抜群。
圧倒できる――ハズだ。
斬り払い、斬りつけ、打ち払い、打ちのめしながら、疑念。
なぜ倒れない? なぜ力尽きない?
それだけ血を噴いて、それだけ肉を抉られて。
その力はどこから湧いてくる?
ダイを斬っても斬っても、その剣のキレが衰えない。
バランを斬っても斬っても、その拳のキレが衰えない。
むしろ瞬間ごとに強くなっていくありさま。
ふたりの額で、
ダイの紋章がより輝けば、バランの紋章が追うように輝きを増し、バランの紋章がより輝けば、ダイの紋章が負けじと更に輝きを増す。
底のない、圧倒的な
「――ああ」
奇跡は、正義の勇者に、舞い降りた。