静寂――ではなかった。
リュンナがずっと、泣き腫らしながら、ハドラーの名を呼んでいるから。
仇敵同士だった。
報復のために、彼の満足のために、中身を与えられた。
尽くされたから尽くすことの延長だった。
恋をした。
「まさか……ハドラーが庇うなんて……おれ、夢にも思わなかった」
ダイがぽつりと呟いた。
「残酷な奴だと思ってた。卑劣な奴だって……。でも考えてみたら、いつも戦い自体は正面から挑んできたし……リュンナのことも操ってなかったし……。残酷だけど、卑怯じゃなかった……」
「だな……」
ポップが頷く。
「リュンナは正気だった。正気で先生をやりやがった。恨んでるワケでもねえハズの……! ならハドラーは、俺たちの大切な人を殺してねえ! そりゃリュンナに命じたのはハドラーだけどよ……」
「で……どうする」
クロコダインが冷静な声を出す。
「ダメージを受け、戦意も喪失しているようだが……。トドメを刺すのか? 赦すのか?」
「そりゃあもちろんッ……もちろん……」
ポップは迷った。
ヒュンケルも、流石に迷っているようだ。
リュンナと同じくらい、アバンも彼には大切な人だったから。正気だったとは――冷静に考えればそうだとしても――考えたくないのだろう。
だいたいリュンナ自身にとっても、アバンは大切だったハズなのだから。
それは間違っていない。
「トドメを刺すなら、私はその敵に回るけれど」
ソアラがリュンナの前に立つ。
「赦してあげてとも、なかなか言いにくいわね……」
「捕まえよう」
ダイが述べる。
「捕まえて、傷を治して……みんなで話し合うしかないよ。ここじゃ決められない」
「それがいいと思うわ。この状態からマジャスティスをかけるのも、それこそ……追い打ちみたいで……」
マァムはリュンナを心配してくれるようだ。
「それに、ハドラーの骸も……。お墓を作ってあげたいわ」
骸。骸か。
腕の中のそれを見下ろす。存外、安らかな表情だった。
ハドラーが庇いに来るなど、全く想定外だった。
ダイたちも驚いていたが、誰よりも驚いたのはリュンナだ。或いはハドラー自身だ、という線すらもある。
とんだ計算違いもあったものだ。
バーンは、ハドラーの目の上のたんこぶだ。恩人ぶって酷使しておきながら、黒の
バーンを殺す。そのために、ダイたちを強くする。そのために、リュンナやハドラーが戦う。自分たちも強くなる。
その結果がこれだ。どこまでも自業自得。
今ここで
幸運? これで?
今は祈るしかない。バーンがハドラーを蘇生することを。
バーンに祈るしかない自分に腹が立つ。
こんな計算違いでハドラーを失う危惧に陥った、自分の間抜けさに腹が立つ。
咄嗟に庇ってしまうほど、ハドラーが自分を大切に思っていただなんて。
そこまでではない――と、考えていた。
いや待て、自身の竜の血で復活出来ないだろうか?
なけなしの力を込めて、拳を握り締め血を流し、ハドラーの口に。
「……、」
しかし、何も起こらなかった。
力が足りないのか。
竜として不完全なのか。
ダメージが重過ぎるのか。
ダメージと言えば、自身の受けたギガブレイクのダメージが重い。
闘気そのものの位階の関係か、
リュンナはベホマをかけられ、マホトーンをかけられ、ニフラムをかけられ、マントをかけられ、縄をかけられ、ラリホーマをかけられ――意識が落ちていく。
「――て言うかよ! ずっと気になってたんだけど……」
ポップが天空を見上げると、そこに自分たちの光景が映っていて、声も聞こえる。
マヌーサを応用した広域幻影呪法だ。この砦の呪法装置によるモノ。
「どうなるんだろうな、これ。国中にいろいろとぶち撒けちまったワケだろ……」
さて、どうなるだろうね。
どうなったところで、もう、どうでもいい気分だ。
▼
懐かしの座敷牢。何日経ったのか、時間の感覚が曖昧だ。
ふと訪れたのは、老人のように掠れて力ない声の男だった。
「リュンナ」
「――父上?」
先代アルキード王。父だと、たった一声で分かった。
扉の鉄格子の向こうに、声のみではない、枯れて覇気のない老人めいた姿があった。
「あは」
笑ってしまった。
父も笑った。
「そうだな、おかしいだろうて……。今更この私が、お前をリュンナと呼ぶとは」
「本当に」
ベッドに腰掛けたリュンナは、体ごとそちらを向いた。
「……バランも、ダイも、人間ではないのだな?」
「バランは1/3が、ダイくんは2/3が人間ですよ」
「難しいな」
「はい」
事実を噛み砕くような間。
「ワシの義理の息子も、孫も、人間ではないが――人間だ」
「それは、『人間であることは素晴らしいから特別に人間だと認めてやる』、って意味ですか?」
「いいや」
父は緩く首を振った。
「言い方が悪かったな。ああ……こうだ。彼らは『我々と同じかそれ以上に素晴らしい』」
「あは。そりゃそうでしょ」
いっそ尊大に踏ん反り返ってみせた。
父は楽しそうに、寂しそうに笑っていた。
「彼らは、必死に、お前と戦っていた。誰も皆、あの戦いの光景に心打たれたよ。本当の勇気というモノを……愛というモノを……教えられた。
我々が間違っていたのだ。人間でない者にも、人間と同じように、善も悪もいる――そんな簡単なことに、ずっと気付かなかった」
「はい」
ベルベルやリバストを引き入れてそれを訴えてきたつもりだったが、意味はなかった。
竜眼を信仰にすり替えて誤魔化したことも、或いは事態を悪化させたのだろう。
「お前は人間か?」
「竜になりました」
「そうだったな」
処刑の頃はどうだったのだろう。
竜眼がある時点で竜だったのか、まだ人だったのか。
今となっては分からない。
「ならばお前はよい竜か、悪い竜か、だな」
「どっちだと思います?」
「よい竜とは言えん。相応の事情があったとは言え、魔王軍に
「はい」
然もありなん。
「だが悪い竜とも一概に言えん。お前も、配下の竜も、誰も殺していない。重傷者はいる、再起不能者もいる、トラウマを刻まれた者は数多い――だが、ひとりも死んでいない。なぜだ?」
看護に手を割かせて戦力を削るため。
恐怖の語り部を増やし、士気を挫くため。
竜戦士に作り替えて、人質兼戦力に使うため。
「怖かったからです」
「なに?」
――どれも、後付けの理由に過ぎない。
「わたしは、竜で――人間ですから。人間を手に掛けるのが怖かったんです。夢に見そうで」
「そうか。そうだな。あれは夢に見る」
父の声には、重い実感が籠っていた。
「リュンナ」
「はい」
「……すまなかった」
気付けば父が膝をつき、頭を下げていた。
「謝って済むことではない。だが……ワシが間違っていたのだ」
「仕方ないですよ。額に竜の眼が生えるとか、普通ビビるでしょ」
「うむ、ビビった。ビビり過ぎて、目が曇ったわ……」
こんな砕けた言葉を併せて使ってくれるほど、心の距離が近い。
ああ。
「だがそれを差し引いても、お前のやったことは悪だ。侵略だ。
――我が孫たちと共に戦え。それでお前は、帰ってくることができる。そういう話に決まった」
はい――とは、即答できなかった。
口を噤む。
「魔王軍に
「その呼び名はどうかと思いますけどね。今更ながら……」
「そうか?」
父は本気で首を捻っているようだった。
咳払いして続ける。
「こう言うのは躊躇われるが……ハドラーはもういないのだろう。あの魔王を好いたことが魔王軍についた理由なら、もういいハズだ。何を迷う?」
「蘇る可能性があります」
告げる。
「大魔王バーンの暗黒闘気で……」
「そうなるとよいな」
「なぜです」
それが理由で、裏切りに頷けないのに?
「奪ってしまえ」
「はい」
反射的に頷いていた。
遅れて驚く。
「――はい?」
「幻像で見たぞ。彼奴はお前を命を捨てて庇った。たとえ蘇るとしても、相当の覚悟が必要だろう。可能性止まりではな。見上げたものだ」
父は感嘆の声音。
「魔族にも素晴らしい者はいる、ということだな。あれならよい」
「よいって……」
「奪って来い。祝福するから」
獰猛なまでの笑み。
若い頃には鎧を着て戦場を駆けていた父らしい、力強い笑み。
枯れた老人めいた姿に、覇気宿る。
「恐らく、バランやダイが人間でないところを見せて、我が国と完全に決別させる策略だったのだろうがな。見事に逆効果だ。――もしかして狙ったか?」
「まさか」
魔王軍にはそういう策略だと説明した。そうなっても別に良かった。どうせ捨てた国だ。
だがこうなることを、心のどこかで期待してもいた。
ダイならやってくれる、と。
ダイ自身もバランも、救ってくれると。
「さて……。それで、どうする。我が娘よ」
「戦いますよ。あの人を奪うために」
――そう答えないと、流石に始末されるかも知れないし。
本当に蘇るかどうかなど、まるで分からないのに。