天気は見事なまでに雨模様。外はジメジメとした匂いが充満し、人々は皆一様に顔を下に向けて道を歩く。眼に映る情報に新鮮味などありもせず、たまに道路を通る車両の音ぐらいが退屈凌ぎである。
そんな時間を過ごしながら、私ー琴葉葵は、ポツリと吐き慣れた言葉を吐き出す。
「…何が違うんだろ。」
勿論、答えは出ない。生まれた頃から、人と…それも私より優秀な人間と比べられる人生を送って来た私にとって、評価いうものは自分を認める事の出来る唯一のものであった。例えそれが自分自身を縛るものだとしても、私はそれに応えようと努力をしてきた。あの天才と、同じように評価をされたかった。天才も、私の願いに賛同してくれていると思っていた。
だから、私の努力が否定されるとは、思いもしていなかったのだ。
・・・
「葵ちゃん、今日もお勉強するんか?」
私が勉強道具を小脇に抱えて自室へ向かおうとした時、茜からそんな言葉を掛けられた。
「ん、そうだけど。」
茜の言うその通りなので、私は適当に相槌を返した。
「…うん、そっか。頑張ってなー。」
茜から返って来た返事は、私に何かを隠すような言葉。はっきりとしない、要するに、私を少し不快にさせるような返事であった。
「…何が言いたいの?」
「…ん、いや、楽しいんかなーって。」
「…はぁ?」
嫌な予感がした。とにかく、私はそれを言わせないように口を開こうと…
「葵ちゃんは、そんな事して楽しいんか?」
その瞬間、私の中で何かが切れた。零れないようにと抑え込んできたものが溢れる感覚。
「ほら、だからちょっとぐらいウチと一緒に遊びに行って息抜きでもせぇへんかなーって…」
「茜には何が分かるの!!!!!」
自分でも驚く程の大きな声が出た。本来、茜には向けまいとしたいた感情が、堰を切ったように流れ出した。怒り、常に余裕な姉を見て自分がどれだけ惨めに感じていたか。あの姉は理解しているのだろうか。いや、していないから言えるのだろう。
「あ、ごめ…」
「私だって…!」
そこまで吐き出そうとして、私は正気に戻った。自分がすべきでは無い事だったのに、私は今更気付いてしまった。
「…ごめん。今の、忘れて。」
「あ、あぁ…うん。」
茜の言葉を聞いて少し落ち着いた私は、脇に抱えていた筆箱と教科書に目を向ける。
もう勉強する気も無くなってしまった。このまま惰性でやっても意味が無い事を、私は経験則で理解していた。
「…ちょっと出掛けてくるね。夕飯までには帰るから。」
「あ、うん…分かった…」
一旦落ち着く為、私は茜にそう言った。この気持ちも、きっと少しすれば無くなる筈だから。勉強道具をテーブルの上に置き、私は部屋を出る。
「気ぃ付けてな…」
心配そうな茜の声が、居間の方から微かに響いた。
・・・
『私の存在意義とは?』
別に哲学的な意味は無く、もっと現実的なものだ。他人からの評価で生きていた私は、それに頼る生き方しか知らないのだ。
その為に、評価を得るための努力をしても、それを私より優れた者が否定する。
「伽藍の堂…空っぽだったなぁ…」
薄々気付いてはいたが、やはり結論は決まっていた。それしか無かった私には、やはり何も無かったのだ。
そんな自分を実感しながら、私は再び思考をする。
『気付いたのなら、どうするんだ?』
こればっかりは、すぐに解決出来る物でもないだろう。私は伽藍堂なのだ。今更、優等生以外の生き方を見つけようにも時間がかかる。
…詰まるところ、私は私という存在を認めて欲しいのだ。優等生なんていう他人からのレッテルが貼られていない私でも受け入れて欲しい、そんなただの感情。(エゴ)
そんな取り留めのない事を考えていた所為なのか、はたまた休憩もせずに歩き続けていた所為か。私はふと、喉の渇きを覚えた。下げていた視界を上げて、私は周囲を見渡す。自販機が見つかれば上々。そう思っていたが、どうやらそこまで都合良く自販機は存在して居なかったようで、私は溜息を吐きながらコンビニへと向かった。
〜〜〜
最初は、こんな物を買うつもりでは無かった。
最初は、コンビニで適当なお茶を買うだけのつもりであった。ただ、レジが長蛇の列を成している事は考えておらず、私は思いもしない足止めを食らったのだ。思った以上に長い待機時間は、私の心に微かな隙間を作った。
魔が差した、というのだろう。レジをボーッと眺めていると、一つのものが映った。ガラスケースの中に入った長方形の箱。俗に言うタバコという代物である。
それを見た私の頭に、一つの考えが浮かんぶ。
「アレを吸ったら、少しは変われるのかな」
レジ袋をぶら下げて、私は店を出る。薄いコンビニの袋からは、お茶のペットボトルと、パッケージが一つ入っているのが伺えた。
買った事を主張したい訳では無かったのだが、この対応は如何なものか。理不尽な怒りがコンビニの店員に向けられるが、私はすぐさま頭を振り、そんな事はどうでも良いのだと正気に戻る。
取り敢えずは試してみようと考え、私は袋からタバコを取り出した。ライターなんぞ持っては居ないが、まぁ家に一つぐらいはあるだろう。
「吸えば、少しくらい変わって…」
そんな事を考えた時、頭の中に姉の笑顔をふと浮かんだ。
…いや、関係無い。茜に害の及ばないところで吸えば…
『葵ちゃんは健康で居てくれるだけでウチは良いんよ?』
『ただ詰め込み過ぎもアレやし…』
…あぁ、なるほど。これが引っかかっていた(抵抗感だった)訳だ。大好きな姉が、私にくれた評価には不変的な意味があるのだから。私は、無理に背伸びをする必要は無いのだろうと。
肩の荷が全て下りるような、安堵感に包まれた。
…ポツポツと雨が降って来た。次第に勢いを増す雨に危機感を感じ、私は走り始める。心なしか、行きと比べると、足取りはとても軽いものであった。
・・・
家に着くと、服もビニール袋もびしょ濡れだった。
「ただいまー」
「おかえりあお…葵!?びしょびしょやんか!?」
「あはは、気にしないで良いよ」
「気にするわ阿保!葵になんかあったらウチが悲しいんやからな!」
そう慌てる茜の姿に、私は少し安心する。私の知ってる姉の姿が、なんだか懐かしく感じた。いや、私が目を逸らしていただけかもしれないが。
「取り敢えず!ウチがお風呂沸かしてくるから!葵はちゃんと身体拭いて、服も着替えるんよ!分かったか!?」
「うん、分かったー」
そう言ってドタドタと廊下を走って行った姉を見送り、私は手に持ったビニール袋を覗く。
「あはは、お金無駄にしちゃったなぁ。」
中には、お茶のペットボトルとぐちゃぐちゃになったタバコのパッケージがあった。これではもう吸えないであろう。捨ててしまおうかと考え、私はゴミ箱の前まで歩いた。
「…やっぱり良いや。」
貧乏性では無い。ただ、私を中身を思い出させてくれたこの箱を残して置きたくて。私は自分の机の引き出しを開けて、ぐちゃぐちゃなタバコの箱を仕舞う。
「…ん!よし、ささっとお風呂入りますか!」
空虚な私の中身を埋めたものは、煙なんて味気ないものでは無かったようで。姉から貰った愛情は、しっかりと心の中で形を残していた。
伽藍堂を満たす者
-fin