「起きろ、ベル! 修行の時間だ!」
まだ空が白み始めるよりも前、座禅を組んでいた煉獄は大声を上げてベルを起こす。数年前より行っている毎日恒例の修行の始まりだ。
冷たい水を汲んで顔を洗い、次に水を含ませた布を口に巻いて息をしにくくさせる。呼吸において肺の強化は必須であり、酸素の薄い山が近くにないので代わりにこの方法を取っていた。そのまま走り込みや腕立て伏せ、素振り等の基礎トレーニングを行う。それが終われば炎の型を一通り繰り返し、最後は煉獄との稽古である。
「ほらほら、どうした! 掠りそうにもないぞ!」
稽古と言っても煉獄は幽霊なのでベルの剣を避け続け、時折反撃に出る。ベルが防御したり体に当たる場合に寸止めをするのを繰り返し、最後に一連の動きを評価して次の課題を言い渡す。防御の訓練はモンスター相手の実戦で執り行うのでお預けだ。
「うむ! それではダンジョンに行くまでに出来るだけ回復をしておくように!」
「は…はい!」
恩恵を受けてステイタスを刻まれた肉体によって全集中の呼吸の継続時間が伸びたベルだが、それでも修行中ずっとは続かない。前に言われたが、煉獄が就いていた柱という役職クラスの実力になるには睡眠時すら続ける常中という超高等技術が必要であり、それでも万歩の内の一歩だと聞いている。つまりはスタートラインにすら立っていないのが今のベルという訳だ。
無論、そんな理由で諦める彼ではなかったが。ヘスティアが起き出すより前に食事の支度(三食食べろと煉獄に言われている)を済ませ、食べ歩きが出来る物を咥えながらベルはダンジョンへと向かった。
「そう言えば神様は今日の夕食は要らないって言ってましたっけ? バイトの打ち上げだとか……」
「うむ! 金も貯まっているし、今日くらいは外で食べても良かろう!」
ダンジョンに入る前、そんな会話をしていたベルだが、一歩踏み入ると同時に表情が切り替わる。昨日、ヘスティアから貰ったのはヘファイストス・ファミリアの見習いが作った作品を販売している店の商品で、最近ランクアップした鍛冶師が記念にととっておきの素材を作って打った物だ。純度が低い上層部の物とはいえ第一級冒険者が使う武器に使われるアダマンタイト製。今まで使っていたナイフとの違いを矯正すべく昨夜は浅い階層に出向いており、本日はそのまま下へ下へと突き進んでいた。
「勢いで此処まで来たが、あの担当アドバイザーに知られたら怒られそうだな!」
「うっ!」
現在地は霧が立ちこめる十一階層。インプやオークを斬り伏せてから昼食を摂っていたのだが、煉獄の言葉に気まずい思いがするベルであった。担当であるエイナが純粋に心配して出向く階層に制限を付けているのは分かっている。だが、足りないのだ。浅い階層のモンスターでは稽古にさえなりはしない。持ってきたパンの最後の一つを水で流し込み、立ち上がった視線の先には武器を持ったオークの姿。刀の柄に手を掛け、深く呼吸をした。
(全集中の呼吸!)
煉獄に言われたが、ベルの長所である身軽さと炎の呼吸は噛み合っていない。故に煉獄の真似をするだけでは劣化した模造品、憧れにたどり着けはしない。ならば、どうすべきかをベルは必死に考えた。
軽快な足取りでオークを攪乱し、刀で傷を付けて行く。昨日ミノタウロスと相対した通路と違って広いこの場所ならばベルの長所をフルに発揮できる。反応すら出来ず傷を刻み込まれるオークが呻いて体勢を崩した瞬間、踏み込みと同時に渾身の一撃を叩き込む。
「炎の呼吸 壱ノ型 不知火!」
脚で攪乱し、強烈無比な炎の呼吸で決める。これが試行錯誤の末にベルが辿り着いた答え。まだまだ荒削りであり狭い場所では力を発揮できない欠点も有るが確実な手応えを感じ取っていた。
「ドロップアイテムも結構出ましたし、早く頭金が貯まれば良いんだけど……」
ギルドで魔石やモンスターの素材を換金し(その事で十一階層まで潜った事が発覚してエイナに怒られ)、ベルは帰路に就いていた。今のホームは廃教会の地下室であり、新しいホームを建てるにも借りるにも頭金が必要だ。特に団員が一人の無名で弱小なファミリアでは信用が低いので大金が必要となる。ヘスティアは別に増やさなくて良いと言われたが、それでも頑張るベルは途中でうなだれて地面に座っている者達の姿を何人も見掛けた。
(確かソーマ・ファミリアの人達だっけ……)
何度も見掛け、町の人が話をしていたのを聞いたから覚えているのだが、どうも一ヶ月前に主神であるソーマが事故にあって天界に送還されたらしい。階段で足を滑らせ頭を打った事で脳内出血を起こしたのだろうと言う噂だ。その後、普通なら新しいファミリアに入るのだが、ランクアップを果たしていない者達は妙に無気力な上に金に関するトラブルが多かったので殆どの者が行く宛が無いと聞く。
「確かミアハ様の所にランクアップ済みの人が入ったって聞いたな。奥で調合しているかダンジョンに潜るかで会ったことは無いけど……」
ヘスティアと親交があり、よくポーションを買いに行く医療系ファミリアの事を思い出していたベルはとある店の前に差し掛かる。この前、布で口元を隠して人気のない町中を進む不審者として店員のエルフに警戒された店だ。誤解は解けたが何となく気まずい思いがするので別の店に行こうとした時、団体客の一人と目が合った。
「あー! あの子だよ、あの子! ほら、新人なのにミノタウロスを追い詰めてたって子!」
「テ…ティオナさん!?」
店の中から指差され彼女の仲間以外の視線もベルに集まる。もう立ち去れる雰囲気じゃなかった。
「いや、巻き込んで悪かったね。ナイフが壊れたそうだが此方で弁償しよう」
「い…いえ、挑んだのは僕の意思ですし、丁度買いたかった刀を神様がプレゼントしてくれたので……」
結局ベルはその店、豊穣の女主人に入店してしまった。運が良いことに食事代を出してくれるらしいが、代わりにジロジロと見られている。新しい武器こそ手に入れたが新人丸出しの彼がミノタウロスと戦えたという話はロキが真実だと告げても半信半疑。その上、第一級冒険者であるベートとアイズの二人の視線が突き刺さる様だった。
「本当に凄かったんだよ。あんなナイフで魔石が見えるくらいまで深い傷を付けてさ! ねぇ、何か息が凄かったけど、関係してるの?」
「そ…それは……」
「こら、ティオナ。他の派閥の子に根掘り葉掘り質問しないの。悪いわね、君」
特に困ったのがティオナが隣に座ってベタベタと触って来た事だ。女に耐性がないベルでは耐えられない。何か聞きたそうなアイズや凄く睨んでいるベートの視線も気になって料理の味が分からなかった。ティオナの姉のティオネが止めてくれなければ限界だっただろう。
この後、宴の邪魔になるからと席を移動したベルは手で食べられる物を含めて幾つか注文をして何とか一息付けた。
「美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い美味い。……ん?」
ベルの陰に隠れるようにして食事をする煉獄はご満悦で料理を堪能していたが視線を感じて手を止める。どうも煉獄が何処にいるかは分からないのに存在だけは感知している、そんな感覚がしたのだ。
「よし! そろそろ帰って修行の続きだ!」
朝の修行の後にダンジョンに潜っているベルだが、煉獄の修行は夜にもある。ただ、視線が気になるベルにとっては立ち去る口実になって有り難かった。