現代のグレゴールと毒虫   作:親指ゴリラ

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(ヴィラン)と現代の都市伝説 下

 恐怖という感情は、水物だ。

 

 初めて目にした時は怖かったけれど、今見るとそこまででもない。そんな経験をしたことなんて、数え切れないほどだ。

 

 ファーストコンタクトでピークを迎えた感情が、時間経過と共に霧散していく。冷静に考える時間ができたとか、単純に慣れてしまっただとか。あるいは、知識が身について事象への理解を深めただとか。

 

 そこに至るまでの過程や手段というのは、状況によって違うものだけど。結果だけを見るのなら、人間は恐怖を「克服」することができるといってもいい。それも、そこまで多くの労力をかけることなく。

 

 

 だけど、その中でも最も効果があるのは「恐怖の対象がどんな存在であるか」を知ろうとすることだと思う。

 

 恐れるほどのものではない。そう判断できる何かがあるとしたら、それは紛れもなく恐怖という感情への特効薬へと変わる。弱点だとか、習性だとか、実態だとか。現代に伝わる神話、伝承、昔話、都市伝説……それらに登場するありとあらゆる怪物たちは、その存在が白日に晒されることで、明確な欠点を持った空想の存在へと落とし込まれたのだから。

 

 基本的に「知る」という行為は恐怖心に対して有効であって、それを否定するつもりはない。

 

 (ヴィラン)として周知された僕の存在は、彼らにとって単なる迷惑な犯罪者程度に成り下がってしまった。

 

 恐怖は脳が知覚する情報の一つであり、当然、そこに異物が混ざり込めば急激に劣化する。

 

 

 知らないからこそ、理解されていないからこそ恐れられるものがある。

 

 僕はそういう類の存在であって。ヒーローが飽和している世の中では、ヒーローに対する信頼が(ヴィラン)への恐怖心を朧げなものにしてしまう。

 

 怖がらせようとするだけの存在を、誰が恐れるというのだろうか。道行く人の誰しもが力を持っているこの個性社会で、いったい誰が。

 

 僕自身、実質的になにもしてこない相手に遭遇したところでどうということはないと思っているのだから。自衛の範囲で個性を使って反撃すればいい、そう考えてしまうのだから。

 

 これから先は、手酷いしっぺ返しを受けるかもしれない。これまでのように、なにも考えずにただ変身すればいいという次元での話ではなくなった。

 

 

 だけど、それでも。バカじゃないかと思われるだろうけど、これが僕のやりたいことだから。僕が楽しく生きていく上で、必要なことだから。やめるつもりはないし、諦める気はサラサラない。

 

 だから、やり方を変えていく。

 

 知られることで薄れる恐怖心が存在するように。

 

 知られることで色濃く陰を落とす恐怖心もまた、存在しているということを。証明してみせればいい。

 

 

-1-

 

『ショウくんショウくん、七不思議って知ってますか?』

 

『え? うん……それぐらいは知ってるけど』

 

『違います、違うのです。七不思議は七不思議でも、この学校のって意味なのです』

 

 いつも通り美術室で二人だけの部活動をしている最中、文化祭の準備をしていた時期のこと。何気ない会話の一つとして、トガちゃんが『学校の七不思議』を話題にあげたことがある。

 

 そういう、学校っぽい話題が好きなのだろう。トガちゃんは目を爛々と輝かせて、期待するような目で僕を見ていた。僕も話に興味があったから、文化祭で展示するための作品を描く手を止めて、彼女の言葉に耳を傾けた。

 

『最近ですねぇ、女の子の間で流行ってるんですよ。七不思議』

 

『えっ、そうなの? その割には聞いたことないっていうか……そもそも、この学校にそんなもの(七不思議)あったんだ』

 

『なんかですね、本当に最近できたばかりのものらしくて』

 

『…………それ、七不思議として扱っていいの?』

 

 七不思議、学校の怪談。個性が当たり前になって、個人が下手な心霊現象よりも非科学的な現象を起こせるようになった昨今においても。決して廃れることなく、学校と深く結びついている逸話の数々。

 

 だけど、それはあくまでもフィクションの話であって。実際に七不思議が存在している学校なんてのは、現実だと滅多に見られない。トイレに花子さんはいないし、夜の校舎で階段が一段増えたりもしない。

 

 僕が通っているこの中学校も、その一般的な分類の中の存在だから。少なくとも、この校舎で一年以上過ごしてきた中で一度も話を聞いたことはなかったし。

 

 つまり、彼女が言っている通りに。この学校の七不思議は、ごく最近になって産まれたものなんだろう。どんな偶然が重なったのか、あるいは、どこかの誰かが流布したものなのか。少なくとも、自然発生するなんてのはあり得ないのだから。

 

 そこにはきっと、誰かの悪意が存在しているはずで。驚かせよう、怖がらせようという。幼く歪んだ精神性が存分に発揮されていて、僕に刺激を与えてくれるだろうから。

 

 

 そんな軽い好奇心で話題に乗ったことが、僕の活動に大きな影響を与えたのは。いま思えばなんとも運命的というか、原因を考えれば、いつかは僕の耳に入っていたのは間違いないんだろうけど。文化祭の出し物のことを考えれば、そのタイミングの良さには驚かされた。

 

 

『放課後の校庭に巨大な怪物が現れ、部活動の帰りに偶々居合わせた女子生徒が追いかけ回された上で犠牲になった』

 

『三年生の教室にはドッペルゲンガーが現れる』

 

『学校には吸血鬼の末裔が潜んでいて、人目につかない場所で生徒を襲って血液を吸い取っている』

 

 彼女が口にした内容は、どこか聞き覚えのあるものばかりで。だけどそれは、決してありふれているからというわけではなく。

 

 どちらかといえば、経験談に近いものであって。というか、どうして彼女が気がついていないのか不思議なくらい、身に覚えがありすぎるから。

 

 七つ目は秘密で、それを知った者には不幸が訪れる。そんなお決まりの言葉で彼女が怪談を終わらせたタイミングで……僕は口を開いて、思っていたことを正直に告げた。

 

 

『それ、全部僕たちの事じゃない?』

 

 そんな会話が、ヒントになった。

 

 

 学校の七不思議、これは基本的に都市伝説の一種だ。

 

 七、つまりは素数。『割り切れない』から転じて『不可解な』を意味する現象、それを七つ集めることで一種の伝承として『七不思議』と称したのが始まりだとされている。ごく一部の地域や空間だけで言い伝えられることから、今となっては本来の意味よりも都市伝説的な意味合いの方が強調されやすい。

 

 

 つまり、噂話に過ぎないわけだけど。その噂話というのは、これがなかなかバカにできない。

 

 基本的に、恐怖とは『知られる』ことで弱まる感情だ。なぜならば、古今東西あらゆる言い伝えは結局のところ、幽霊やら妖怪やらのせいではなく。その時代において論理的に解明できなかった現象に、『お化けの仕業だ』と間に合わせの結論を出しただけに過ぎないのだから。

 

 時代が進み、原因が明らかになっていくにつれて。そして、その解決策が提示されていくにつれて。恐ろしいという感情は、目減りしていく。

 

 ましてやこの個性社会、超常が身近に存在してしかる現代においては。大抵の不可思議な現象は『個性』の一言で済んでしまう。

 

 そういう意味でいえば、『個性』という暴力を手に入れた人間そのものが、人類の歴史の中で最も恐ろしい存在なのかもしれないけれど…………まぁ、今はその話は置いておくとして。

 

 つまり、最初から空想上の存在であると認識されているのであれば。そして、それが本当か否か判別がつかない曖昧な状態であるのならば。

 

 それは一定の層から取り上げられて、恐怖の対象になりえるということであって。

 

 

 断片的な情報だけを、あえて与える。正体を濁して、出どころを誤魔化して、都市伝説の一つとして昇華する。

 

 

 見えないものに怯えるのは、人間である以上は当たり前のこと。正体が知られて格が下がるのであれば、正体の存在しない怪物を作り出せばいい。

 

 何かが原因で生まれたわけでもない、十割空想から生まれた怪物。その真の姿を探そうとしても、そんなものは存在していないのだから。話を集めて、目を凝らしたところで。見えてくるものなど何もない。

 

 

 誰もが恐れる存在を、僕が作り出せばいい。僕の知らないところで、僕たちが七不思議として扱われていたように。

 

 科学で証明できないものだけが、都市伝説として残っているのだから。

 

 『怖い(怪物)』は、創れる。

 

 

-2-

 

 準備、そして潜伏のために夜の活動を休止してから二つほど季節が巡って。僕とトガちゃんは、三年生になった。新入生が入学してきても、美術部の部員は増えることなく。放課後の美術室は依然として、僕と彼女の二人だけの空間で。

 

 それが嬉しいやら、ちょっと寂しいやら。そこそこ賞も取って、実績は重ねているというのに。どうして部員が増えないのだろうかと、少し疑問に思うこともあった。

 

 それ以外は……特にこれといった刺激のない、退屈な時間。もちろん、トガちゃんと一緒にいるのは楽しいし。趣味のための準備をしているのだから、つまらないわけではなかったけれど。

 

 それでもやっぱり、人々を驚かせられないというのは物足りなく思えたから。

 

 没頭するように絵を描いて、代替品として名作のホラー映画を見る毎日を過ごした。

 

 絵を描くことは、どちらかというと好きだ。それがほかの趣味の役に立つのであればなおさら、筆を持つ手に力が篭る。

 

 学校で絵を描いて、家に帰ってからも絵を描く。

 

 イメージを現実に持ち込むという点で見れば、僕の個性と絵画はとても似通っている。見せるための技術が必要で、努力のやり方次第でどこまでも伸ばせるというところも。

 

 自宅に用意されたアトリエには、これまでに僕が描いた絵が全て保存されている。どれもこれも、僕の成長と紐付いた大切な作品で。この積み重ねがあったからこそ、今の自分が存在しているのだと……見るたびに、実感できる。

 

 

 そして、ようやく描き上がったこの作品も。僕を形作る(・・・)要素の一つとなった。

 

 

変身(タブロー):呪いの絵画(アーバン・テイル)

 

 

 イメージを固めるために、色々な都市伝説や怪談を調べた。絵柄や塗りで身元がバレないように、今まで使ったことのない技法を身につけた。満足がいくまでなんども下絵を描いて、色々な構図を試した。

 

 『スケアリー・モンスターズ(恐るべき怪物たち)』という(ヴィラン)が姿を見せないようになって、数ヶ月の月日が経った。話題に事欠かないネット上において、追加情報が出てこない(ヴィラン)なんてすぐに忘れられる。

 

 そんな奴もいたね、と。世間からの興味関心は薄れて、新しい怪異と発想を結びつける者も、そこまで多くは残っていない。

 

 

 (ヴィラン)ではなく、空想上の怪物(モンスター)

 

 まっさらなキャンパスの上に、新しい都市伝説を描くこと。それが七不思議から着想を得た、新しい僕の姿。

 

 体は興奮して、その時を今か今かと楽しみにしている。肌は波打ち、骨子は歪み、シルエットが人型から離れていく。

 

 だけど、まだだ。僕がこの姿を世の中に晒す前に、もう一つだけやっておかなければいけないことがあるから。

 

 

 逸る気持ちを抑えて、携帯を取り出す。

 

 画面に触れる指さえも震えて、勝手に蠢きだす。彼女へ電話を掛けよう、そう思うよりも早く、指先が枝分かれして画面の上を走る。

 

 その光景を見て、自分でも気がつかないうちに我慢を重ねすぎていたのだと気がついた。まるで薬物の禁断症状のようだ。

 

 一つ一つが、別の生き物のように動いて。いつのまにか映し出されていた彼女の連絡先をタップして、通話ボタンを押す。

 

 ワンコールも掛からない程度の時間で通話中に切り替わったことを確認してから、耳に当てる。とても楽しそうに捲したてる彼女の声を遮って、いつものように名前を呼んだ。

 

 

「トガちゃん、いま暇?」

 

 

-3-

 

 見たら呪われる、そんな言葉と共に一枚の絵がネットの海へと放流された。

 

 不気味な雰囲気を放つその絵は、主に中学生を中心に拡散されて。自分以外に絵を見せなければいけない、古典的なチェーンメールの手口だが……単純ゆえに、その恐怖心に耐えられる子供は少ない。拡散するだけなら、送るだけなら。そう思ってしまうのも、無理はない。

 

 それだけであるならば、時間とともにブームは収まったことだろう。実際に被害に遭った者がいないことなんて、狭いコミュニティの中であればすぐに分かること。

 

 

 そうならなかったのは、絵画に描かれた女性を見たという目撃証言があったから。それも一つや二つではなく…………されど、事件として問題視されない程度。嘘か真かの判断が難しく、大人たちが子供の流言だと聞き流してしまう程度に。

 

 呪いの女、と。そう呼ばれる女性が、彼ら彼女らの中には存在していたから。だからこそ、恐れられていた。

 

 

 しかし、そのあまりにも悪質な都市伝説は。ある日を境に新しい目撃者が出なくなったことで、都市伝説としての終わりを迎えることになる。

 

 

 それは季節の変わり目、三月のとある一日で。

 

 僕たちしか知らないことだけど、普通の中学校の卒業式があった日のことだった。

 


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