現代のグレゴールと毒虫   作:親指ゴリラ

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 まだ彼が(ヴィラン)としての名前を与えられる前、趣味のために夜歩きをしていた頃のお話です。

 今回はあの方が満を持して登場します。


幕間 月の下の出会い

 夜というのは、良くないものを集める性質がある。

 

 夜にのみ活動する怪物の話というのは、古今東西あらゆる場所で語り継がれている。獣だって妖怪だって吸血鬼だって幽霊だってなんだって、姿を見せるのは決まって日が落ちたあとの事で。さらに付け加えるのであれば、強盗やらなにやらの犯罪行為も、だいたい夜を狙って行われる。

 

 普通の人であれば、寝静まる頃。目撃者が限定されて、リスクが少ない。理論的に捉えるなら、そういうことなんだろうけど。

 

 

 より抽象的な話をするのであれば。

 

 夜にはきっと、本質を暴く力がある。

 

 暗い世界が自分とそれ以外の境界線を曖昧にして、心の奥底に秘めていたもの()を剥き出しにしてしまう。夢と現実、男と女、陰と陽のバランスが崩れて、混沌とした感情だけが溢れてしまう。

 

 

 月の光は明るすぎず、かといって暗すぎることもなく。目の前に佇む者の顔を晒さない程度に、その輪郭を世の中に映し出す。僕のような悪い奴にとっては、最高の時間といっても過言ではない。

 

 獣は月に吠えるもので、怪物を照らすのも月の輝きだ。

 

 

 そう、現代的にいえば(ヴィラン)とか。世間に顔向けできない存在というのは、その多くが夜に現れるものだから。

 

 そんな時間帯に出歩いて、道行く人々を物色して、都合のいい路地裏を探しているような人間なんてのは。それはもう、悪い大人からしてみれば格好の獲物そのものであって。

 

 趣味に生きている以上、こういう事態に遭遇してしまうのは仕方のないことなのだろう。草むらを歩いていたら野生の◯ケモンが飛び出してきた、くらいには当たり前なんだと思う。

 

 まぁ、なにが言いたいのかというと────。

 

「肉、見せて」

 

 

 ────野生の(同類)に遭遇してしまった。

 

 

-1-

 

 あっ、と。そう思った時には既に、右腕の肘から先が切り飛ばされていた。

 

 

「────わ、びっくりした」

 

 断面から噴水のように溢れた血に、蜘蛛の糸のような粘性を持たせて。あらぬ方向へと吹き飛びつつあった腕へと触手のように血液を伸ばし、巻き取ることで回収する。

 

 断面と断面をくっつけて、元どおり。

 

 想像力が尽きない限りいくらでも再生できるから、わざわざ回収する必要もなかったけれど。血痕やらなにやらの痕跡を残したくないし、全く無駄な行為というわけではない。

 

 それに……地面に物を落としそうな時は、誰だって反射的に腕を伸ばしてしまうものだろう? いやまぁ、僕の場合はその伸ばすための腕が落ちかけたんだけど。

 

 

「アぁ! 肉、肉が────」

 

 僕の腕を切り飛ばした犯人が、元の位置に収まった腕を見て哀しそうな声を出した。

 

 長身で、髪は伸ばしっぱなし。服はボロボロで、長いことまともな食事をしていないのだろう、異常なくらい線が細い。

 

 瞳が月の光を反射してギラギラと輝いているからか、見た目の印象とは相反して、凶暴そうな雰囲気を漂わせている。

 

 うわ言のように「肉」という言葉を繰り返す口からは、長く鋭い歯が僕の元へと伸ばされていて。先ほどの攻撃の正体が、彼の個性によって行われたことがよく分かる。

 

 

 歯を伸ばす個性、そんな感じだろうか。

 

 言葉にすると大したことないような印象を受けてしまうけれど、僕の腕を抵抗もなく切り裂いたあたり、なかなかバカにできない殺傷力があると思う。

 

 歯は人間の体で最も硬い部位といわれているし、個性による強化もあるんだろうけど。それにしたって、あそこまで綺麗に骨ごと肉を断つことが出来るだろうか。

 

 慣れ、あるいは天性のものか。

 

 そこまで至るのに、いったいどれだけの人間を傷つけてきたのだろう。

 

 少なくとも、躊躇いの一つも見せずに。ただの通行人である僕を襲ってくるような人間が、まともだとは思えないけれど。その獣じみた相貌には、ちょっとだけ親近感を覚えてしまう。

 

 

 まぁ、(ヴィラン)なんだろう。見るからにマトモじゃないし、唾飛んでるし。僕と同じような、自分の欲望に正直に生きている者特有の匂いを感じる。

 

 体が、心が波打つ。人を怖がらせている時の高揚感とは違う、トガちゃんと一緒にいる時の安心感とも違う。言葉にできない昂りが、僕の心身を満たしていくのを感じる、感じてしまう。

 

 路地裏でカツアゲをしているような、チンケなそれとは違う。本物の破綻者(ヴィラン)で、正真正銘の犯罪者(ヴィラン)だ。

 

 仲良くしたい。

 

 

「こんばんは、いい夜だね」

 

「肉、肉、見せて、肉、きれいな肉」

 

「ほら見てよ、綺麗な満月。僕はね、こんな夜はとびきり大きな悲鳴を聴きたくなるんだ」

 

「こども、こどもの肉、肉が見たい、肉が好き、きみの肉」

 

「情熱的だね。まずはお友達からどう? 僕たち、仲良く出来ると思うんだよね」

 

「アアアァ我慢できない! 肉! 肉ニクにく!」

 

「奇遇だね、僕も我慢は苦手な方なんだ」

 

 彼の口から歯が伸びる。一本だけではなく、全ての歯が僕へと向かってくる。

 

 個性の都合上開きっぱなしの口からは、これでもかというくらい唾液が溢れていて。それが、彼がどうしようもないほど後戻り出来ないところまで行ってしまった証明のようで。

 

 環境による抑圧なのか、人としての理性が中途半端に蓋をしてしまっていたのか。タガが外れてしまって、感情の器が壊れているようにも見える。それがちょっぴり嬉しくて、少しだけ悲しい。

 

 

「肉ゥ!」

 

 彼の歯の刃が僕の元へと届き、肉体はあちこちが縦に横にと大きく裂ける。だけどそれは、彼の歯が僕に触れたからではない。

 

 

「────ァ?」

 

『そう焦らないで、僕はどこにも逃げたりしないよ』

 

 僕の意思で(・・・・・)割れた断面から歯が生えて、裂けた箇所が大きな口へと変化する。二口女の後頭部のように、あるいは、寄生虫に取り憑かれた犬の頭部が悍ましい怪物へと転じるように。

 

 身体中の裂傷が口の形になって、歯同士がぶつかり合ってカチカチと音を立てる。今の僕を例えるならば、目の代わりに口が生えた百々目鬼だろうか。

 

 一瞬で姿の変わった僕を見て、彼が怯んだように動きを止めた。

 

 

 …………あぁ、安心した。ちゃんと彼にも「畏れ」という感情はあるらしい。

 

 そう、僕にも断面があるように。彼にも恐怖心がなければ、対等(フェア)ではない。友達というのは、対等な関係でないといけないのだから。

 

 お互いに相手に求めているものがあるのだから……彼はきっと、僕の友達になれる。

 

 一緒に遊ぼうよ。

 

 

『────悲鳴、きかせて?』

 

 

-2-

 

 血が吹き出し、肉片が宙を舞い、心が躍る。

 

 肉が見たい、断面が見たい。そう口にする彼のリクエストに応えて、切り落とされた部分はそのまま地面に放置してある。

 

 彼も嬉しそうで、心なしか歯を動かす速度が徐々に上がっている気がする。

 

 そう、速い。

 

 自分の肉体を動かすというのは、これがなかなか難しい。歩いたりなんだりっていう、人間に元から備わっている機能であるならばともかく。個性によって一部や全てが異形化している場合というのは、個人差こそあれ、十全に動かすためには努力が必要だ。

 

 いや、人間本来の機能もそうだ。二足で歩行するという段階に至るまでに、ハイハイやらなにやらの経験を辿っているわけなのだから。生き物である以上、自分の体を思い通りに動かすためには努力を避けて通れないといっていいだろう。

 

 

 一般的に、自分の肉体を変化させるタイプの個性持ちは、常識があるほど人の型から外れることが難しくなる。

 

 人とはこういう形で、普通はこういうふうに動く。そういう思い込みが個性の邪魔をして、本来の性能を発揮できなくなるらしい。

 

 普通の人間に翼なんて生えていないのだから、飛べるはずがない。そういう言葉を親や他人から浴びせ続けられた子供は、本当なら持ち得たはずの飛行能力を失ってしまったという。

 

 そういう事例は個性黎明期にはとても多くて、今でも個性差別やら虐待として問題になっているわけだけど。とりあえず今はその話は置いておくとして。

 

 

 まぁ、なにが言いたいのかというと。

 

 人間ならこうあらねばならない、という思想は個性の成長の邪魔にしかならないというわけで。

 

 逆にいえば、そういう考えが希薄だったり全く存在しない者。自分が他の人とは違うということを受け入れて個性に向き合っている人というのは、力のコントロールがとても上手い。

 

 歩くために足を動かすように、物を持つのに手を使うように、個性を肉体の一部のように操る。

 

 

 人間離れしているんだ、文字通り。

 

 ヒーローも、(ヴィラン)も。

 

 人を傷つけることができる力を、躊躇わず使う。人の形に拘ることなく、個性までひっくるめた自分の全てを受け入れて。良くも悪くもイカれているからこそ、どこまでも強くなっていく。

 

 

 彼がここまで速く正確に自分の歯を操ることが出来るのは、イカれているからだ。息つく間もないほど絶え間なく、僕の体を切り落とし続けられるのも、イカれているから。

 

 そして、何度体を削られても元通りにできる僕も。客観的に見れば、どうしようもないイカれ野郎なんだろう。

 

 

「ァ……ァ…………」

 

 だけど……個性があったとしても、どれだけ人間離れしていたとしても。結局のところ、誰もが人間であることには間違いないわけで。

 

 気力や体力、その他諸々。人間である以上は、限界が訪れるものだ。

 

 それが今回は、僕よりも彼の方が早かった。この結果はつまり、それだけの話であって。

 

 彼が絶え間なく攻撃し続けていたのに対して、僕は体を再生しながら近づいていただけなのだから。彼の方が先に疲れてしまうのは、当然のことなのかもしれない。どちらにせよ、彼の様子を見る限りでは、これ以上遊び続けるのは不可能だ。

 

 

『楽しかった?』

 

 彼は満足してくれたのだろうか、満足してくれたならいいんだけど。

 

 そんな思いを込めて口にした問いかけに、彼は答えてくれない。喋れないほど疲れているのか、あるいは、物思いに耽っているのか。

 

 これだけ派手に血肉を撒き散らしても足りないのなら、それだけ彼の業が深いということでもあって。どれだけやっても満たされない欲を抱え続けるのは、さぞかし辛いことだろう。

 

 少しだけ、同情しそうになる。

 

 

『じゃあ、次は僕の番だね』

 

 ただ…………完全には満たされないという意味では、僕も彼と同じようなものだ。

 

 一時的には満足していても、また次の夜には飢えたように恐怖心を求めている。悲鳴が聴きたくて、怖がる顔が見たくて堪らなくなる。

 

 その欲望が尽きぬうちは、僕は普通の人のような生活は出来ない。そして…………今さら、普通の生活を求めようとは思わない。

 

 

 だって、楽しいんだもん。

 

 

生成(エスキース):肉の壁(デッド・エンド)

 

 彼が切り落とした肉片を、むせ返るような臭いを放つ血液を。

 

 引き寄せて、かき集めて、増やして。視界を遮るほど高く伸ばして、彼の四方八方を囲う。

 

 彼があれほど見たいと言っていた、肉の断面。それをそのまま拡大したようにも見える、赤くて生々しい壁。それに周囲を覆われているのだから、きっと喜んでくれていることだろう。

 

 見やすいように、天井部分だけは空けてある。満月の光が差し込んで、そこそこ明るいはずだ。歯を地面に刺しながら伸ばすことで体を浮かせられるらしいから、彼の足は僕の肉に埋めることで固定している。我ながら、結構いい仕事をしたと思う。

 

 嬉しすぎて興奮しているのか、ところどころ壁が歯で切り裂かれているのを感じる。肉の壁は僕の体だから、すぐに再生する。

 

 

 

 逃がさないよ。

 

変身(タブロー):月下美刃(ムーン・フィッシュ)

 

 何回も、何十回も。彼の個性をこの身で受けながら、観察し続けたことで完成したイメージ。

 

 彼を覆う肉の壁に腫瘍のような膨らみが無数に生まれ、蠢き騒めき、少しずつ形を変える。

 

 それはまるで、デスマスクのように。彼のそれと全く同じ顔が壁を埋め尽くすように発生して、彼を無言で見つめる。

 

 

 肉を通じて、彼の体の震えが伝わってくる。

 

 心地よい振動、恐怖の感情が放つ周波数。

 

 それを満喫しながら、最後の仕上げを行う。

 

 壁の全ての口が一斉に開いて、健康的な白い歯を月の光の下に晒す。何度も触れて感じたからこそ、再現できたものだ。

 

 その歯が一斉に、されど不規則に。彼のそれとは比べ物にならないほどゆっくりと、彼をめがけて伸び始める。

 

 

「ァ……あァ…………!」

 

 傷つけはしない。僕の体と違って、彼の傷が癒えるのには沢山の時間が必要だから。怖がらせたいとは思うけれど、怪我をさせたいとは思っていない。

 

 だから、その代わり。

 

 出来る限り大きな声で鳴いてほしい。

 

 僕の欲望が、満たされるように。

 

 瞳を閉じれば、思い出せるように。

 

 

 月まで届くような悲鳴を、聴かせてほしい。

 

 

『おやすみなさい、いい夢を』

 

 ────最後にかけた言葉はきっと、彼の耳には届かなかったことだろう。

 

 僕でさえ、聞こえなかったのだから。




 ムーンフィッシュ回でした。

 このあと気絶した状態で発見され、そのまま逮捕されます。

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