ラスト・クリスマス
自分が歩んできた道を、後悔したことなんて一度もない。
たとえそれがどれだけ踏み外した道であっても、人々から受け入れられないものであったとしても。
普通からはかけ離れていて、歪んでしまったものであったとしても。
それが僕の本質であって、
胸の内から湧いてくる衝動、情熱に身を任せて生きるのは心地よくて。間違っていたとしても、楽しかったから。その行いに後悔したことなんて、一度もない。
『ひっ、く、くるなよ! ばけもの!!』
会いたい、その一心で。
努力の果てにたどり着いた先、拒絶されて、化物扱いされた時も。普通の精神なら耐えきれないような現実に心折れることなく、自分を保っていられたのは……僕自身がそれを受容できる性質だったからであって。
化物呼ばわりされたから、楽しむようになったのか。もともと素質があったから、化物と呼ばれるようになってしまったのか。
逃避か、
今の生活は、悪くないと思う。
個性に理解のある両親、内面の歪みを共有できる友人。満ち足りていて、恵まれている。
常識的に考えて、この生活を手放そうと思う人はそういないだろう。リスクを負ってまで犯罪行為に手を染めて、いつか訪れる破滅をただただ待ち続けるなんて。そんなの、僕だってバカだと思う。
両親のことは好きだ。優しく、正しく、僕という存在そのものを受け入れて。ただ一人の子供として愛してくれている。
あんなに問題を起こして、悍ましい姿に変わり果てて、今も病院に通い続けている我が子に、思うところがないわけないのに。それを少しも態度に示すことなく、普通に接してくれている。
それが、どんなに難しいことか。
子供を愛するのは親として当たり前なんて、世の中の人々は当たり前のように言うけれど。その
僕はまだまだ子供で、両親の苦労を完全に理解できている訳じゃないけれど。それでも、凄いことなんだってことくらいは想像がつく。
悲しませるようなことはしたくない、親不孝なことはしたくない。そう思っているのだって、紛れもなく僕の本心だというのに。
どうしてだろう。
僕が歩いてきた道にも、これから先進んでいく未来にも。あの二人と一緒にいる姿は、これっぽっちも想像できない。
想像できないんだ、普通の生活が。
進路を考えている時だって、何も思いつかなかった。歪んだ欲望だけが僕のアイデンティティじゃなくて、絵を描いたり、友達と遊んだりするのも好きだというのに。学校という空間で過ごした日々は、大切な時間だって分かっているのに。
その全てを手放すことになったとしても……僕は変わらず、笑っているんだろう。
これまで後悔したことがないのだから。
これから先も、僕は全てを受け入れていると思う。
自由に生きるって、そういうことだから。
-1-
瞬く間に季節は過ぎ去って、中学生最後の冬がやってきた。
「ショウくん、今からでもどこかに遊びに行きませんか? …………せっかくのクリスマスなのに勉強ばっか、いやです」
「僕は別にいいけど、トガちゃんは大丈夫なの? 点数かなりギリギリじゃなかったっけ」
「あう」
高校受験を控えたクラスメイト達は、それぞれが最後の追い込みをかけていて。僕やトガちゃんのような存在であっても、それは変わらない。
むしろ、外面だけは良くしているつもりだから。少しでも好印象を与えられるように、落ちこぼれることのない程度には勉強はこなしている。
当然、教師達からの期待もそれなりだから。将来こうしたい、こうなりたいっていうイメージが薄い僕は……担任の先生から勧められるがままに、地元の偏差値がそこそこ高い高校を志望校に決めた。
ヒーロー科に入ったらどうか、という話もあったけれど。情熱がないというか、流石にそこまで頑張るつもりもなかったから。適当に美術部がある所を選んだ。
そして、案の定というか。予想していた通り、トガちゃんは僕と同じ高校を志望校に決めた。
割と最後の最後まで意思決定が出来なかったこともあって、僕とトガちゃんは二人揃って担任に呼ばれることが多かったから。進路が決まった時の先生の顔は、それはもう安堵に満ちていて。教室を出た後にトガちゃんと二人で笑ってしまったのは、仕方がないことだと思う。
「ほら、あと少しだけ頑張って……一緒の学校に行くんでしょ?」
「そうですけど……」
頑張らないといけない。それが分かっているからこそ、トガちゃんの主張もいつもに比べて控えめだ。これが普段通りだったら、とっくの昔にノートとペンを放り出している。
そうしないのは、きっと……それだけ僕と一緒にいたいからであって。そういう健気な所を見るたびに、心の底から愛おしく感じる。
これで僕の勘違いとかだったら、少し恥ずかしいけど。彼女の直球な言動の数々を見ている限りでは、あながち間違っていないんじゃないかと思う。
僕だって、出来ることならこれからも一緒にいたいと思っているのだから。その気持ちが通じていると思えば、退屈な勉強にもそこそこ力が入るというもの。
でも、たしかに。クリスマス当日までこうして二人で勉強する必要があるのかというと……まぁ、ちょっとどうかと思うけど。
そこはなんというか、家庭の事情というか。そういう口実じゃなければ、彼女の親は外出を許可しそうになかったらしくて。
だから本当は、遊びに行くつもりだったわけだけど。証拠を残しておく意味で、こうやって勉強会を開いている。
アリバイ工作ともいう。
「ショウくんは、私が落ちちゃったら一緒に浪人してくれますか?」
「いやいや……せめて、私立に行くとかさ。もっと色々あるでしょ、なんで高校浪人する気満々なの」
「私だって浪人はいやです。そういうことじゃないんです、乙女心なんです」
「えー…………まぁ、二人で自由気ままに暮らすのも悪くないかもね」
「ショウくんのそういうところ、大好きですよ」
「はいはい」
トガちゃんが口を尖らせてポカポカと腕を振り回してくるのを、背中から生やした手で押さえつける。行動自体は可愛らしいけれど、手に持ったペンの先端がこちらを向いているのもあって結構危ない。
彼女の不満そうな視線の先は、僕の首筋へと向かっていて。この行動が計算された上でのもので、事もあろうに、ファミレスという人の目に触れやすい場所で
ジト目でその行動を非難すれば、彼女は不服そうにしつつも大人しく席へと戻った。
いや、まぁ、本気で刺そうとしたわけじゃないんだろうけど。
普段はちゃんと擬態している彼女が、こんなに分かりやすく欲望を解放しようとしたのは…………やっぱり、クリスマスという特別な雰囲気が原因なんだろうか。
うん、それなら仕方ない。
「やめよっか、勉強」
「えっ、いいんですか?」
「多少は真面目にやんないとダメかなーって思ってたけど、楽しくないしやっぱ無理する必要ないかなーって。一日くらい大丈夫でしょ」
やったー! と、まるで子供のようにはしゃいで。机の上を片付け始めた彼女の姿は、それこそ普通の中学生となんら違いはない。
僕たちは色々なところが人と違うけれど、だからといって感性の全てが人と異なっているわけではない。嬉しい時には喜んで、楽しい時には笑って、悲しい時には泣いて、怒りのあまり我を忘れることもある。
そうやって生きている間は、社会の中に自分を当てはめられる。世の中の「普通」に迎合して、ヘラヘラ笑って擬態していられる。
だけど、そうしていられる時間というのは。多分だけど、もうそこまで長くない。
さっきだって、危ないところだった。トガちゃんは比較的自制が効く方だし、それは今までの人生を何事もなく過ごしてきたことから察せられる。そんな彼女でさえ……甘噛みのようなものだとしても、自分を抑えきれなくなっている。
個性と
「ショウくんショウくん、どこか行きたいところあります?」
「うーん、特に考えてなかったからなぁ。トガちゃんは?」
「ショウくんと一緒ならどこでもいいです!」
「そう言われると、逆に困っちゃうね」
そして……それは、僕も同じことであって。
時間が経つにつれて、日が進むにつれて。夜に出歩く時間も増えて、欲望に抑えが効かなくなってきた。
あれだけ楽しんでいるというのに、朝になれば物足りなくなってしまう。まるで感情を受け止める器に穴が開いて、そこから楽しいって気持ちが全て抜け落ちてしまっているみたいに。
どれだけの悲鳴をきいて、どれだけの恐怖心を味わっても、満たされない。
昼と夜、優等生の自分と
街は見渡す限り、笑顔に溢れていて。
特別な日の、特別な笑顔。その表情が恐怖心に塗りつぶされる瞬間は、どれだけ素晴らしいものなのかと。
まだ夜には遠く、ヒーローだって大勢巡回しているだろうに。僕の心は、胸の内の熱情は、彼らにその姿を晒そうと暴れまわっている。
まるで、獣のような。
その衝動が理性を超えた時にこそ、僕たちは
地を這いずり回ることをやめられなかった、哀れで愚かなグレゴールのように。
-2-
『学校、いってみない?』
クリスマスらしいことをして、散々遊び呆けて、日も沈んだ頃に。そう誘ったのは、僕からだった。
気温の冷たさとは裏腹に、僕の手はとても温かいものに包まれている。この中学校生活の間に数え切れないほど肌で感じ取った彼女の体温が、掌を通して伝わってくる。
手袋の一つくらい、つければいいのにと。
個性を使用しているか否かに関わらず、彼女の肉体は平均的な人類とほとんど変わらないのだから。僕と違って寒さに震えることもあるし、冷やし過ぎれば凍瘡になるというのに。
話を聞かない彼女が寒さに震えないようにと、体温を上げてみせれば。ぬくい、と。嬉しそうに口にするものだから、ついつい甘やかしてしまう。
「でもでも、どうして学校なんですか?」
「うーん、特に意味はないんだけどさ。僕たちもそろそろ卒業するわけだし、その前に満喫しようかなって思って。ほら、夜の学校って面白そうでしょ?」
「そっか……そうですね、ちょっと寂しいかもしれないです。ここには、ショウくんとの思い出も沢山ありますから」
夜の学校に侵入するなんて、ホラー映画だったらフラグそのものだけど。ここは現実であって、お化けも妖怪も存在していないし……何より、僕が一番化物らしい存在だから。雰囲気こそあれど、怖いと思う気持ちはあんまりない。
それは、トガちゃんも同じみたいで。彼女には珍しいくらいしんみりとした声音で、どこか懐かしむように校内を回っている。
結局、この三年間で彼女が何かに恐怖する姿を見ることはなかった。僕が積極的に怖がらせようとしないのも理由の一つなんだろうけど、そもそもとして、彼女は「怖い」という感情をそこまで持ち得ていないように感じられた。
残念だなと、心の底からそう思う。
彼女は僕にとって大切な友人であることには変わらないけれど、それ以前に、僕の醜い欲望の矛先でもあるわけだから。
他の人が、大切な相手を抱きしめるように。
僕は、大切な人を怖がらせたいと思ってしまうわけで。
その本心に誤魔化しや妥協は一切挟まずに、真剣に向き合ってきた。
向き合うべきだと、受け入れるべきだと思えるようになった。
それは全部、彼女と出会えたからであって。そういう意味でいえば、彼女が僕を
彼女こそが、僕にとっての────。
「トガちゃん、今日は何の日か知ってる?」
「えっ? クリスマスですよね? ショウくんの誕生日はこの前祝いましたし」
「そう、クリスマス! ……じゃあ、クリスマスといえば?」
トガちゃんと二人で歩いた、夜の校舎。あちこちに残る思い出を噛み締めて、一つ一つ確かめて進んだ先の終着点。
僕と彼女の「約束」が始まって、三年間の中で最も多くの時間を過ごした場所。
彼女に感謝を告げるのであれば、ここにすると決めていたから。だからこそ、中学校最後のクリスマスはここで過ごしたかった。
二人の全てが始まった、この美術室で。
「メリークリスマス! 僕からのクリスマスプレゼントだよ!」
恰幅のいい、赤い衣装の老人に変身したりはしない。彼女が教えてくれた
体のラインがハッキリとした、フード付きの上着。どの季節でも着られるようにと、耐久力と温度調整に優れた素材で仕立てられた特注品。女の子的には、毎日同じ服を着るなんて論外だろうけど。
つまり、僕が着ているものとほとんど同じもの。
普通に考えたら、多感な思春期にペアルックなんてハードルが高いと思う。だけど、彼女も僕も普通じゃないわけで……さらにいえば、彼女は口癖のように「ショウくんになりたい」って言ってくれているから。
きっと、一番喜んでくれる。彼女へのプレゼントには、きっと、多分、これが最も相応しい。
「Aラインが可愛い服が好きって前に言ってたじゃん? その辺の好みも考慮して、ちょっとだけデザインは変えてるけど……あとは、僕の着ているやつと同じだよ。どう? …………もしかして、気に入らなかった?」
ポカンとした表情で固まって、あまりにも反応が薄いものだから。「ハズした」のかと、普段よりも早口になってしまった。これで喜んでもらえなかったら、ちょっとだけ恥ずかしいかもしれない。
そんな気持ちを込めて、伺うように顔を見つめれば。トガちゃんは呆然とした様子のままで、両手をこちらへと伸ばしてきた。
その動きに合わせて、彼女へとプレゼントを手渡す。
目の前にあるものが信じられないのか。彼女は腕の中にあるものを確かめるように、受け取った服を撫でて……そのまま、ゆっくりと抱きしめた。
その反応だけで、十分だった。
言葉なんていらない、これ以上ないほど分かりやすい態度。それを見て……いつの間にか緊張していたんだろう、僕の口からため息がこぼれる。
心配は、杞憂に過ぎなかった。
今の彼女の様子を見て、プレゼントを気に入らなかったなんて、そう考える人はいないだろう。
それくらい、綺麗な笑顔をしているのだから。
「…………ありがとう、ショウくん」
こちらこそ、いつもありがとう。