現代のグレゴールと毒虫   作:親指ゴリラ

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グッバイ、マイフレンド

 

 恐怖、忌避、嫌悪、それらは元を辿れば一つの感情であって。不快……つまり、嫌な気持ちから派生したものに過ぎない。

 

 生理的に無理、という言葉があるように。人は理性ではなく、本能で不快な感情を抱くものだ。どれだけ聖人君子であっても、立派な倫理観を持っていたとしても。人間である以上は、胸の奥底に秘められた本能に逆らうことは難しい。

 

 ニュアンスに違いこそあれ、不快だと感じるのは人間なら当たり前に備わっている機能だから。

 

 大切なのは、その感情にどう向き合うか。受け入れられないものを、どのように扱うのか。

 

 怖い、そう思うのは恥じることじゃない。

 

 関わりたくない、そう思うのは仕方がないことで。

 

 気持ち悪い、そう思ってしまうのは責められない。

 

 

 だけど、自分の中にある不快感を認めるのは。これがなかなかどうして、難しい。

 

 不快であるという事実は、どうすることも出来ないのに。人々はまるでそれがいけないことのように、存在してはいけないもののように扱って、本質から目を逸らしてしまう。

 

 負の感情そのものが、醜いとでもいうように。

 

 人は自分の抱いた感情を認めない。

 

 認めたくないから、原因を取り除こうとする。異物を、自分たちの生活を脅かす何者かを排除しようと立ち回る。

 

 醜い感情を向ける対象が消え去れば、自分の中の醜さも消えて無くなるだろうと、そう信じて。

 

 

 結局、紙一重なのだ。

 

 不快感に対して、隷属的なのか、攻撃的なのか。受動的か、能動的か、あるいはどっちつかずか。その境目こそが、恐怖、嫌悪、忌避を感じる分け目になる。

 

 リアクションの違いだ。

 

 脅威に対してどう対処するか、どう行動するか。その判断が変わるだけであって、全ては一つの感情から生まれている。

 

 それはつまり、キッカケ一つで人の態度は変わってしまうということ。

 

 どれだけ恐れていたものでも、大したものではないと判断してしまえば。それまで抱いていた恐怖心は薄れて、その代わりに、一つの思想が頭の中に浮かび上がる。

 

 抑圧されていた、攻撃的な本能が目を覚ます。今までの恐怖心を忘れたいがゆえに、不快感を与えてきた存在へと危害を与えようとする。自分の方が上だと、お前なんか怖くないのだと、言い聞かせるように。

 

 拳を振り下ろす対象が、どんな事情を抱えていようと関係ない。彼らにとっては存在自体が許し難く、相手こそが悪そのものであり、自分たちこそ被害者であると思っているのだから。

 

 心が弱いほど、不快に耐えられない者ほど。その行為に疑問を抱かず、正義の行いであると思い込む。

 

 だって、そうでもなければ耐えきれないから。

 

 いくら理性が働いていたとしても、怖いという気持ちに嘘はつけない。居なくなってほしいと思うことをやめられず、だけど自分が加害者になるのも恐ろしい。

 

 だからこそ、流れていく。楽な方へと、自分を守る方法へと、流されるままに傾いて、恐怖心で失った何かを理論武装で補う。

 

 その理屈こそが、どれだけ脆く儚いものかも知らずに。自分を正義だと思い込んでしまう瞬間が、どれだけ危ういのか自覚せずに。

 

 

 そして、逆に。

 

 恐怖が嫌悪に変わり、攻撃の対象になるように。

 

 嫌悪もまた、キッカケ一つで恐怖へと転じることもあるということを。知っているはずなのに、理解しようとしない。

 

 自分たちが優位に立っているんだと、そう信じていたものが崩れ去った時こそ、人は最も強い恐怖を感じる。

 

 心の一番弱い部分に、それは潜んでいる。

 

 切り離せるものじゃないんだ、絶対に。

 

 

 …………だけど、だからこそ。

 

 嫌悪と恐怖のサイクル、そこから抜け出せる者が眩しくて仕方がない。恐怖を押し殺して前へ進む者、嫌悪を飲み込んで手を差し出す者。楽な方へと流されず、むしろ険しい道へと自ら進んでいく者たち。

 

 それこそが、人の可能性。

 

 誰もが知っている、人類の輝き。

 

 

『しょうくんを、いじめるな!!』

 

 人は彼らのような者を、ヒーローと呼ぶのだ。

 

 

-0-

 

 個性が当たり前のように存在して、超常が物語の世界だけの話ではなくなったこの社会において。ヒーローという言葉は、旧時代よりも遥かに身近なものに変わった。

 

 市民の救助、現場からの避難、(ヴィラン)の撃退。ヒーローに求められる基本三項という概念にある通り、彼らはそれぞれのやり方で多くの人々を救っている。

 

 個性には向き不向きがあって、活躍できる現場はそれぞれ違うわけだから。実際のところは、基本以外にも幅広く活躍しているといってもいい。

 

 個性を使える人間は、個性を使えない人間よりもできることが多い。

 

 合法的に個性を使用できる彼らにとっての戦場とは、自分の個性が最も輝く場所なのだから。自分が役に立てる、目立てる場所で活躍しようとするのは、なにもおかしくない。それこそ、厨房がテリトリーというヒーローもいることだろう。

 

 それはつまり、ヒーローの活動とは非常時だけに発揮されるものではないということで。彼らは僕たちが思っている以上に、人々の生活に貢献しているのだろう。

 

 それこそ、誰もがヒーローに救われたことがあるくらいには。未来ある子供達がその背中を見て、自分もそうなりたいと思えるくらいには。ヒーローとは身近で、馴染みある存在だから。

 

 

 そんな社会の一部である僕も、当然、ヒーローに救われたことがある。

 

 いや…………ヒーローという言葉であの人たちを括るのは、厳密には間違っているのかもしれない。

 

 この超人社会において「ヒーロー」というのは、あくまでも職業の一つであって。物語の中に出てくるような、無償の奉仕を捧げる存在のことではない。個性を使うことでお金を貰っていて、傾いた見方をするならば、ショーを盛り上げる役者にも等しい存在。

 

 ただの市民で、免許を持っているわけでもない。さらにいえば、個性を使ったわけでもないあの人たちのことは。世間一般的には、ヒーローとは呼ばないのだろう。

 

 

 それでも、僕の中では。ヒーローといえばその人たちのことを指していて、助けられたと思う気持ちに嘘はつけない。

 

 だって、手を差し伸べてくれた。

 

 なにも悪くないたくさんの子供達に、消えないトラウマを植え付けた僕に。

 

 醜く、悍ましい容姿に恐れることなく……いや、恐れていたとしても、けっして目を逸らさず。その恐怖心を乗り越えてまで、救おうとしてくれた。

 

 個性が発現してからも態度を変えることなく、惜しみない愛情を注いでくれた両親。誰もが逃げ惑う混乱の中でただ一人、僕に語りかけ続けてくれた幼稚園の先生。

 

 そして、あんな事件があったにも関わらず。僕を排除しようとする周囲の流れに逆らって、イジメてもいい人間として扱われそうだった僕を庇ってくれた『斎藤くん』。

 

 みんながみんな、輝いていて。

 

 彼らの存在があったからこそ、僕は人間として社会の枠組みに収まろうと思えた。自分の本性、抑えきれない熱情に正直に生きつつも、出来る限り平穏な日々を過ごしてみようと努力できた。

 

 それが……愛と勇気(化物の殺し方)を行動で示したことに対する、最低限の礼儀だと思ったから。

 

 

 恐怖に満ちた表情が好きで、絶望を孕んだ悲鳴が心地いい。人としてではない、化物としての僕はそんな歪んだ趣向をしていたけれど。

 

 それと同じくらい、恐怖を乗り越えた人の表情も好きだった。恐れ知らずではなく、怖くても、逃げ出したくても、それでも立ち向かおうとする人々の。弱くても輝き続けようとする、決意に満ちた瞳が大好きだった。

 

 その瞳に映る僕の姿に、気持ちが昂ぶる。もっと僕を見てほしい、もっと強く輝いてほしいと心が叫びたがる。

 

 救いようのない化物ほど、光に強く焦がれる。それはまるで、自ら火へと飛び込む虫のように。

 

 

 でも、彼らの手を取ることはできない。

 

 僕たちに必要なのは、地獄から掬い上げてくれる蜘蛛の糸ではなく────共に地獄で笑ってくれる、化物(同類)だけなのだから。

 

 

「トガちゃん、迎えにきたよ」

 

「あ、ショウくん」

 

 だからこそ、こうなってしまったのは必然であって。陳腐な言葉を使うのならば、運命というやつなんだと思う。

 

 血に濡れたカッターナイフを手に、返り血で赤く染まった頬を拭うこともなく。惚けた表情で遠くを見つめていたトガちゃんは、いつもと変わらぬ調子で僕の名前を呼んだ。その目は僕の姿を映していながらも、何か別のものを見つめている。

 

 ぴょこぴょこと、跳ねるような足取りで。こちらへと近づく彼女の背後には、一人の少年が横たわっていて。

 

 勿論、こんな場所で寝ているわけではない。

 

 トガちゃんに付いている血の持ち主で、つまり、彼女の凶行の被害者。遠目でも重傷なのが分かるくらい、彼の周辺は赤い水たまりで覆われている。

 

 出血のショックによるものか、意識は失われている。呼吸によって体は上下しているから、死んではいないのだろう。ただ、それも時間の問題というか。このまま放置すれば、彼にとってよくない結果に繋がるのは間違いない。

 

 

 僕にとって唯一といってもいい幼馴染、幼稚園からの知り合いである『斎藤くん』が、そこに倒れていた。

 

 瞳は薄っすらと開かれていて、そこに輝きは宿っていない。どこか遠くを見ているようで、何も映していない。気絶しているのだから、当たり前だろうけど。

 

 変わり果てた、と表現するのは縁起が悪いだろうか。まだ生きているわけだし、僕的には、死なせるつもりもないのだから。

 

 袖の中から伸ばした(・・・・)腕を、彼の傷口へと当てる。そこからトクトクと漏れ続ける命の源を止めるために、細く尖らせた指先を傷の中へと侵入させる。体内を流れる血液を止めないように体を作り変えて、傷ついた箇所を補うための、擬似的な内臓と血管を作り出す。

 

 トカゲの尻尾を切るように指を自切して、応急処置の真似事は終わり。よほど運が悪くない限りは、死ぬこともないだろう。

 

 個性をコントロールするために身につけた人体の知識が、こんなこと(人命救助)で役に立つとは思わなかった。

 

 

 具体的に何をしていたのかは分からなくても、僕が救命行為をしていたことくらいは理解しているのか。トガちゃんは何も言わずに、その様子を見つめていて。

 

 斎藤くんの呼吸が落ち着いたのを確認してから、彼女は固く閉じていた口を開いた。

 

「ショウくん、怒ってますか?」

 

「えっ? なんで?」

 

 親に叱られるのを恐れる子供のような、震えた声音で。今まで見たことのない不安そうな表情を浮かべながら、彼女がそんな事を聞くものだから。その意味を問い返した僕の声は、自分でもビックリするくらい間抜けそうなものだった。

 

「だってショウくん、斎藤くんのこと好きですよね。わかるんですそういうの、私もショウくんのこと好きですもん」

 

「怒ってはいないよ」

 

「そうなんですか? …………それは、ちょっと冷たいんじゃないですか?」

 

「えぇ……なんで僕が責められてるの?」

 

 やや責めるような口調になったトガちゃんに、流石に困惑してしまう。そもそも、彼を刺したのはキミじゃないかと。思わずツッコミそうになる。

 

 ムッとした表情で見上げてくる彼女の目を、何故か見つめ返すことが出来なくて。視線をあっちこっちへと彷徨わせながら、言葉を返す。

 

「…………正直、ちょっと悲しいかな」

 

「悲しい、ですか?」

 

 今度は不思議そうな顔で、彼女は首を傾げた。コロコロと変わる感情表現の豊かさと、この状況でいつも通りの態度をしている不自然さが相まって、不気味ですらある。そういうところが、好ましくもあるわけだけど。

 

 なるべく分かりやすいように、ある程度かいつまんで。僕と斎藤くんの関係を伝える。

 

 幼稚園、小学校と同じだったこと。幼稚園の時に事件をおこして、それまで一緒に遊んでいた子達が離れていく中で、唯一友達として振舞ってくれたこと。イジメから助けてもらったこと。

 

 

「え、じゃあどうして疎遠になっちゃったんですか? 三年間、一度もそんな素振り見せてなかったじゃないですか。ずっと同じクラスだったのに……喧嘩でもしちゃったんですか?」

 

 あらかた説明が終わったところで、トガちゃんは先ほどよりも理解できないと言いたげな様子で感想を口にした。

 

 確かに、傍目からすれば不自然に見えるのかもしれない。少なくとも、トガちゃんと一緒に行動するようになってからはそういう態度をした覚えはない。クラスメイトとして、最低限の会話だけはしていたけれど、それだけだ。

 

 喧嘩したわけじゃない。単に、僕から離れていっただけ。

 

 ただ、それには僕なりの理由があって。それを、どう説明すればいいものだろうかと。考えて……それで、疑問に思った。

 

 そもそも、トガちゃんはどうして斎藤くんを刺したのだろうか。

 

 

 それを尋ねれば、彼女はチラッと斎藤くんの方へと顔を傾けて。それから、僕の方へと視線を戻して。

 

 いつも通りのいたずらっぽい表情を浮かべて、人差し指を口の前に立てた。

 

 

「秘密です」

 

「えー」

 

「ショウくんと斎藤くんの関係を教えてくれたら、教えてあげます。そうじゃないと、斎藤くんにフェアじゃないですから」

 

 私に、ではなく、斎藤くんに。

 

 その言い回しが、なんとなく引っかかったけれど。それはそれとして、この場所にいていい時間はあまり多くないから。

 

 説明するのにも、都合がいいかと。

 

 

「じゃあ、僕の家に行ってからにしようか」

 

 この三年間で初めて、僕は彼女を自分の家に招くことにした。

 

 多分、最初で最後になるだろうけど。


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