現代のグレゴールと毒虫   作:親指ゴリラ

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断末魔

 問題を起こした者に、周囲の人々がどんな視線を向けるか。生まれ持った力を暴走させて、なんの罪もない小さな子供達にトラウマを植え付けた化物に、どのような処分を下すのか。

 

 その化物が子供であったとしても、その出来事が偶発的な事故であったとしても。問題が発生した以上は、然るべき対処が必要であって。なんでもない日常を続けるために、責任を取らなければいけない者がいる。

 

 大人だったら、少し考えれば分かることだけど。自他の区別も曖昧だった当時の僕にとっては、それはとても難しいことで。

 

 自分が何をしてしまったのか、その結果、誰が被害を受けたのか。

 

 悪いことをした、他の人を傷つけた。その意識があったとしても、その先の現実まで想像する力は、僕に存在していなかったから。

 

 結局、その目で確かめるまで。僕は自分が引き起こした事態の深刻さを、本当の意味で理解することは出来ていなかったんだ。

 

 

 信用して預けていた子供が、トラウマを抱えて帰ってきた。眠る度に悪夢にうなされるようになって、外に出るのを怖がり始めた。結果だけ語れば短く纏まってしまうその中に、どれだけの苦しみが含まれていたことだろうか。

 

 僕の両親がそうであったように、親という生き物は自分の子供に愛情を持って接している。個性に溢れる社会の中において、腹を痛めて産んだ子供は唯一無二の存在だから。その可愛い息子や娘がひどい目にあって、大人しく黙ってられる親なんていない。

 

 自分の子供を守ってくれなかった幼稚園に対して、抗議がいくのは当たり前のことで。

 

 なぜ未然に防げなかったのか、どうして自分の子供が苦しまなければならなかったのか。そういった非難によって園が閉鎖されるまで、それほど多くの時間はかからなかった。

 

 その場所があるだけで、あの日のことを思い出す。近くを通るだけで、子供たちが声を上げて泣き出す。

 

 呪われた場所、あるいは事故物件のような。そんな建物を残し続けられるほど、世間の声は優しくなかったから。

 

 その幼稚園に通っていた子供たちの家族は、次々に他の土地へと居住を移して。残された園の関係者たちも、バッシングに耐えきれずに。一人、また一人と姿を消していって。

 

 僕が退院して、自分の家に戻った頃には。かつての日々を思い起こさせるものは、そこに何一つ残っていなくて。

 

 どうして幼稚園に行ってはいけないんだと、あれだけ頑張って個性をコントロール出来るようにしたのにと。僕の悲しみと怒りをぶつけられた両親は、弱り切った笑みを浮かべて。それでも僕を罪の意識から守ろうと、幼稚園の現状を話さなかったのに。

 

 一人家を抜け出して、記憶を頼りに。友達と一緒に過ごした場所へ向かった僕を迎えたのは、人影一つなく、かつての風景とは程遠い思い出の成れの果て。

 

 それだけなら、まだ良かったのかもしれない。幼稚園を見に行くだけで諦めて、そのまま家へと帰る選択肢を取れたのならば、まだ許された。

 

 諦められなかったから、会いたかったから。またあの時のように、一緒に遊びたかったから。

 

 記憶の中にある、遊びに行ったことのある友達の家を訪ねて回った。その全てがとっくの昔に転居済みで、誰もいなかったけれど。

 

 偶然、相手からすれば最悪なことに。

 

 どんな理由があるのかは知らないけど、一つだけ引越していない家庭があったから。

 

 見知った顔の、よく駆けっこをしていた友達を見つけて。嬉しくて、懐かしくて。だから、相手が僕にどんな感情を持っているかなんて、考えることも出来なかった。

 

 かつての友人は、僕の顔を……正確には『個性が発現する前に撮った写真に残っていた僕の顔』を見て。顔を引きつらせて、後ずさって、そして叫んだ。

 

 

『ひっ、く、くるなよ! ばけもの!!』

 

 騒ぎに気がついた彼の両親が現れて、僕と彼を遮るように立ち塞がって。虫を見るような目を僕に向けながら、どこかに電話するまでの間。かつての友人から投げかけられた言葉が衝撃的すぎて、僕は少しも動くことができなかった。

 

 やがて、警察と両親が僕を迎えにきて。両親が申し訳なさそうに、何度も頭を下げている姿を見て。

 

 その時初めて、僕は自分(化物)に居場所がないことを自覚した。そして、誰かの居場所を奪ってしまったことも、想像がつかないほど迷惑をかけていることも。どうしようもないほど、理解させられた。

 

 

 僕の見えないところで、どんなやり取りがあったのかは知らない。

 

 両親が何度頭を下げて、どれだけのものを差し出して今の生活を残したのかなんて、想像すらできない。

 

 だけど、結果として。あれだけのことをしでかしたのにも関わらず、僕は住んでいた街を追い出されることはなかった。

 

 本当だったら、僕こそ遠くへ引っ越すべきだったんだと思う。近隣住民の心の平穏を考えれば、僕を街に残すのはあまりにも問題がありすぎるから。

 

 だけど、そうならなかったのは。僕の個性を診る専門医がこの街にいて、何か起きた時にすぐに搬送しなければならなかったから。そして、個性が精神に関係する都合上、環境は出来る限り変えない方がいいという診断を下されたから。

 

 それでも、最低限の配慮はしなければいけなかったから。僕は家族と一緒に、街から少し離れた山の中の家に引っ越すことになった。

 

 ────そう、人の手が入らず、ヒーローの目も届かない。世間から隔離された、山の奥へと。

 

 

-0-

 

「ショウくんは……その、後悔してるんですか?」

 

 

 個性を使って姿を変えて、なるべく人目につかないように気を使って。そうして辿り着いた山奥の家の中で、僕は彼女に全てを語った。そして……全てを聞いた彼女が一番最初に口にした言葉が、それだった。

 

 気遣うような視線、躊躇うような声音。それでも問いかけたのは、彼女なりに、僕の過去に感じ入るものがあったからなのか。

 

 普段は遠慮のない言葉をぶつけてくる彼女も、今回ばかりは歯切れが悪そうにしている。さっきまで「ショウくんの匂いがします!」とかなんとか言ってはしゃいでいたのに、今となってはその面影もない。

 

 

「後悔かぁ……トガちゃんからはどう見える? 後悔してるように見えた?」

 

「えっと、あの…………」

 

 彼女は両手の五指をそれぞれ突き合わせてモジモジと動かしながら、顔色を伺うように上目遣いで視線を僕へと向ける。返しに困っているのは明白だから……自分で尋ねておいてなんだけど、助け舟を出すつもりで話を進める。

 

「両親に必要のない苦労をかけて、恩人の先生からは職場を奪って、イジメから庇ってくれた友達が代わりにイジメられそうになって。これで罪悪感がないっていうのなら、かなりの人でなしなんじゃないかな」

 

 その言葉に、嘘はない。

 

 僕と同じ立場になって考えるのならば、殆どの人は罪悪感を抱えて、その行いを後悔して生きるのだろうし。それが当たり前で、人間として正しい感性なのは僕でも理解できるから。

 

 

「じゃあ────」

 

「でもね、不思議なんだ」

 

 トガちゃんの言葉を遮って、そう呟いて。そのまま、胸の内から湧き上がる衝動に身を任せて、本心を吐き出す。

 

 

「両親のことは、好きだ。先生も、斎藤くんのことも、好きで…………好きなのに、その人たちが苦しんでいたり、悲しんでいても、僕の心は痛んでくれない。そこにあるべきものが抜け落ちてしまったみたいに、空っぽで、何も感じないんだ」

 

「最初は、自分がおかしくなったんじゃないかと思ったよ。色々なことがありすぎて、気持ちの整理がついてないんじゃないかって。両親が頭を下げている姿を見ても、僕を元気付けようとしているのが分かっていても、一度だって自分のやったことを後悔したことはなかったよ」

 

「それが変だってのは、幼い頃の僕でも理解してたから……だから、今まで誰にもこの話をしたことはないよ。薄情で、恥知らずの自覚はあったからね」

 

「斎藤くんから離れたのもね、彼のためとかじゃないんだ。僕と一緒にいると不幸になっちゃうから……みたいな、そういう気持ちがないわけじゃなかったけど。僕のために喧嘩して、僕のために傷ついていく斎藤くんの姿を見て……それでも、何も感じなくて。それがなんとなく気持ち悪くて……だから、距離を取ったんだ。自分勝手な理屈でね」

 

 一言、また一言と。これまで一人で抱えてきた反動か、堰を切ったように言葉が溢れてくる。自分の口じゃなくなってしまったように、コントロールできない。

 

 口を動かす度に、気持ちを吐き出す度に。自分の中に溜まっていた膿のような何かが、言葉と共に吐き出されていくのを感じる。

 

 そして、自分の中に残っていた人間らしさも。罪悪感を抱かないことへの葛藤や違和感も、その膿と一緒に流されていく。

 

 心が、軽くなる。

 

 

「斎藤くんが倒れている姿を見た時もね……やっぱり、何も感じなかったんだ。怒りも、焦りも、なんにもなくて……それが、ちょっとだけ寂しくて。だから、だから────」

 

 

気がついたんだ(・・・・・・・)

 

 

「彼らの存在は、僕にとって()だった。家族への愛も、恩人への感謝も、幼馴染への情も。全部作り物で、全部嘘っぱちで……化物が人間を真似しようとして産み出した、偽物の感情だったんだ」

 

 その言葉を口にした瞬間、僕の中の何かが悲鳴をあげた。それはきっと、人間だった頃の名残で。個性に目覚める前の、まだ人らしい感情があった時の僕自身が、消えたくないと叫んでいる。

 

 それ(・・)を、握りつぶす。

 

 

(化物)は、心まで化物だ」

 

 

-0-

 

 約束していた通り。

 

 僕の独白を聞いて、少し経ってから。トガちゃんはポツポツと、学校で何があったのかを話し始めた。

 

「斎藤くん、全部知ってたらしいのです」

 

「全部って?」

 

「私とショウくんの関係……あと、ショウくんの趣味(夜遊び)も。本当に、全部」

 

「どうやって……あぁ、個性を使ったんだ。ヒーロー志望なのに、結構悪いところあるんだね」

 

「…………それ、少なくともショウくんは言っちゃダメだと思うのです。悪いことに一番個性使ってるの、ショウくんですよ」

 

 流暢な口笛を吹きながら目を逸らした僕の横顔に、鋭い視線が突き刺さる。なんだろう、トガちゃんはやけに斎藤くんの肩を持つというか。他の人のそれと比べて、ちょっとだけ優しく感じる。いつのまに仲良くなったんだろうか。

 

 

「私がそれを知ったのは、たまたまでした。個性でショウくんの姿になって歩いている時に出会って、卒業式が終わったら校舎裏に来るように言われたんです。本当だったら、ショウくんのことを呼び出すつもりだったんだと思います」

 

「その誘いに乗って、私はショウくんのフリをして校舎裏に向かいました。誘われた時は明確にそうと口にしてた訳じゃないんですけど、私たちの秘密を知っているような口ぶりだったので」

 

「ショウくんを脅すつもりだったんなら、口止め(・・・)するつもりでした。そうじゃなくても……秘密を知られている以上は、平和的な解決は出来ないと思っていましたけど。私たちの関係だけじゃなくて、ショウくんの趣味を知っていたのに通報しなかったのは不自然だったので……直接会って、確かめようと思ったんです」

 

 そこまで口にしてから、トガちゃんは椅子から僕の方へと身を乗り出した。僕の両頬を掴んで、逸らしていた視線を自分の方へと向ける。

 

 ギラギラと輝く瞳の中に、僕の顔が映り込む。

 

 

「斎藤くん、ずっと悩んでたらしいですよ。ショウくんを犯罪者にしたくない、だけど、危ないことはやめてほしい……どうすれば止めてくれるのか考えて、今までも何度かショウくんに接触しようとしたそうです。でも……また昔みたいに拒絶されるんじゃないかって思うと、出来なかったらしくて」

 

「だから、卒業式になってようやく覚悟できたって。進路も違う、住む場所も離れてしまう。その前に決着をつけたかったって……遅すぎますよね」

 

 口にする言葉の静かさとは裏腹に、彼女の瞳は輝きが増していって。口は横に大きく広がって、息は荒く、明らかに興奮状態になっている。

 

 まるで、僕たちが出会ったあの日のように。あるいはそれ以上に、本性が溢れ出している。抑えていたものが抑えきれなくなって、表情に出てしまっている。

 

 変身(・・)している。

 

 グレゴールが毒虫になって、這いずり回る快感に目覚めたように。僕が自分の気持ちに向き合って、化物として生きていこうと決めたように。

 

 彼女もまた、自分自身の殻を破ろうとしている。

 

 

だから(・・・)、刺したんです」

 

 

「斎藤くんの言葉からは、ショウくんへの気持ちが伝わってきました。斎藤くんは本当にショウくんのことが好きで、ショウくんに普通(・・)の生活を送ってほしいんだって、心の底からそう思ってたんです」

 

「でも、普通(・・)ってなんですか? 自分の好きって気持ちに嘘をついて、我慢するのが『普通の暮らし』なんですか? ……私はカワイイのが好きです、血が好きです、自分に正直に生きるショウくんが好きです。ショウくんみたいに……ううん、ショウくんになりたいです」

 

「斎藤くんの、ショウくんが好きって気持ちはとてもよく分かります。私も、同じ人が好きですから。でも……だからこそ、私の好きな『ショウくん』を取られたくないって思っちゃいました」

 

 

「私は、私の好きなものを守りたい」

 

 

「それって、いけないことですか?」


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