現代のグレゴールと毒虫   作:親指ゴリラ

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個性は、人格に直結する

『個性で為人(ひととなり)を判断するのはやめよう』

 

 

 児童書にだって書いてある、個性教育の中で最初に学ぶ言葉だ。

 

 その人の持ち得る個性が、見た目がどれだけ恐ろしいとしても、人を傷つけてしまうものだとしても。たとえ、殺めてしまうような危険なものであったとしても。

 

 それはあくまでその人の個性、人間としての要素のうちの一つであって。人格や行いに問題があるわけではない。

 

 

 だから、個性だけで人を判断してはいけない。偏見の眼差しで見つめ、差別してはならない。

 

 その人を取り巻く排他的な思想や行動こそが、当人を傷つけて、歪めてしまうのだから。

 

 

 大雑把な解釈だけれど、だいたいこんなところだろう。いい言葉だと思う、僕も幼少期からなんども聞いている。

 

 ただまぁ、それはあくまで綺麗事というか。そもそも人間というのは、どうしたって集団から爪弾き者を生み出したがるものだから。

 

 口にするのと、実際に行動するのとでは。あまりにも難易度が違いすぎるのだろう。

 

 個性差別、イジメ、謂れのない誹謗中傷の数々。それは人々が異能を手に入れて、それまでとは違う社会を作り出した現代においても。黎明期同様に解決していない、社会問題の一つだ。

 

 個性がない人、つまり無個性の子供が弱者扱いされる問題もあるけれど。それはそれで話が少しそれてしまうから、まぁ、置いておくとして。

 

 

 強すぎる力、普通からかけ離れた力。あるいは、単純に生理的嫌悪を与えてしまう力そういった個性の持ち主というものは、結構な割合で腫れ物扱いされてしまう。

 

 いや、それだけならまだマシな方かもしれない。

 

 もっと直接的に、正面から悪意をぶつけるような。そんな扱いを周囲から受け続けて、結果的に不安定な人格になってしまう。そんなケースも少なくはない。

 

 個性が強ければ強いほど、悲惨なことになる。

 

 なにせ、ただ虐げられるだけではないのだ。個性という力を持っていて、その気になれば報復ができてしまうのだ。

 

 報復(それ)を恐れているにも関わらず、人々はなぜ刺激してしまうのだろうか。多数派であるという事実は、それだけ人を傲慢にしてしまうのだろうか。爆弾が目の前にあるにも関わらず、どうして衝撃を与えてしまうのだろう。

 

 そういった経緯の果ての、誰も望まない結末というのは。少し調べれば、いくらでも出てきてしまう。

 

 幼い頃から不当な扱いを受けてきたせいで人格が歪み、(ヴィラン)への道を歩まざるを得なかった。そんな話は枚挙に暇がない。

 

 

 だから、そうなってしまわないように。

 

 個性に関する研究、教育というものは。日々進化し続けている。個性の誕生により複雑化した人権や社会問題に警笛を鳴らして、よりよい世の中を作っていけるように。

 

 誰もが生まれ持った力に振り回されない、当たり前の人生を送っていけるようにと。

 

 

『個性で為人(ひととなり)を判断するのはやめよう』

 

 いい言葉だよね。

 

 個性が理由で同い年の子供達に避けられた時、先生が言い聞かせているのを何度も耳にしたよ。

 

 正直、意味なかったと思うけど。

 

 

-1-

 

 教科書では、そんなことないって否定しているけれど。ぶっちゃけた話、個性と人格は密接な関係がある。

 

 それはちょっと考えてみれば、誰にでも理解できることで。

 

 生まれた直後はまっさらだとしても。その後の生活環境によって、人は色々な影響を受けていく。

 

 人間関係、生活水準、そして個性。この三つが人格を定めていると、僕は思っている。

 

 人間関係と生活水準というのは、言わずもがな。家族や友人からどれだけ愛されているのか、衣食住には困っていないのか、まともな教育は受けられているのか。

 

 元がまっさらだからこそ、子供は周囲の色々なものに影響されて個人を確立する。それはいつの時代、どこの国であっても変わらないこと。

 

 

 そして個性は、最も身近にあるものだ。

 

 周囲が沢山の色で個人を彩るというのなら、個性はその人がもともと持っていた固有の色だ。だから、まぁ、本当の意味では……最初からまっさらな人間というのは、実はそんなにいないのかもしれない。

 

 生まれ持った、自分だけの力。いやでも一生付き合うことになる、大切なアイデンティティ。

 

 それが果たして、人格に影響を及ぼさないといえるのだろうか。というより、どう考えても影響を与えて然るべきというか。

 

 たとえば、相手を意のままに操ることができる個性があるとして。それを自覚した、自制心のない子供が………悪いことに使わないなんて、誰が言い切れるのだろう。

 

 仮に教育が実を結んで、無闇矢鱈に個性を振り回すような性格にならなかったとしても。心の奥底、瞳の奥、胸の内ではこう考えているに違いない。

 

『困ったら他人に命令すればいいか』

 

 いや、これはあくまでも一つの例なのだけれど。

 

 誰だって考えるものだろう。こうしたい、こうすればいい。楽に生きたい、楽しく生きたい、自分の力を誇示したい。

 

 抑圧で形を変えて、理性でコントロールして、うまく社会に適合できたとしても。恐らくきっと、それは変わらない。

 

 

『生まれ持った自分の力を使いたい』

 

 最も原始的な願望。

 

 それが『他人のため、社会のため』という建前を持っているのか、いないのか。ヒーローと(ヴィラン)の違いなんていうのは、案外紙一重に近いのかもしれない。

 

 

 だから僕が、夜な夜な街に繰り出して。通行人を驚かせて、怖がらせて。その反応を見て楽しんでいるのには、間違いなく僕自身の個性が関係しているんだと思う。

 

 

『個性:変身』

 

 頭の中に思い浮かべた姿へと、肉体を変化させる力。イメージが明確であるほど細部が作り込まれ、形が人に近いほど早く変化できる。

 

 イメージ次第でクオリティが変わるから、見たことがないものを想像力だけで賄おうとすると……出来の悪いデッサンみたいなものへと変わってしまう。当たり前だけど、変化する対象の実物を見た方がよりよい結果になる。

 

 

 出来ることは多くて、それなりに便利だけど…………まぁ、ごくごく普通の個性というか。自分の姿を変える個性は『変形型』と呼ばれているのだけれど、そこらへんを探せばそれなりに似たような個性の持ち主は見つかるんじゃないだろうか。

 

 ただ、僕の個性はその中でも少しだけ特殊で。『変形型』と『異形型』の特徴を併せ持った複合型らしい。

 

 何が違うのかを理解するためには、まず普通の変形型の個性がどのようなものなのかを知っている必要がある。

 

 たとえば、全身を金属に変えることができる個性があるとする。その個性を持っている人は平常時は普通の人間の姿で、個性を使った時だけ金属の体になる。

 

 つまり、個性を解除すれば元の姿に戻る。気絶とかで意識を失ったりしても、元に戻る。

 

 

 だけど僕の場合、変化した後の姿が『異形型』として固定される。

 

 つまり、個性を解除すれば元の姿に戻るとか。そういう親切な設計はされていないわけで。

 

 元の姿に戻りたいならば、もう一度個性を使って肉体を変化させるしかない。

 

 

 これが、どういう意味を持っているのかというと────。

 

 

「うん、前回の測定時と変わりないね。体に違和感はないかな? 自分の写真を見て、おかしいと思ったところはある?」

 

「いや、問題ないです」

 

「うん、以前と比べるととても安定しているからね。これなら、通院頻度を下げても大丈夫だよ。もちろん、たまには顔を見せてもらうけど」

 

「はい、ありがとうございました」

 

「お大事にね」

 

 

 自分の個性によってまともな生活が送れなくなる。そういうケースっていうのは、実はそれなりに存在している。

 

 僕の場合は、個性の性質が良くなかったらしい。

 

 たんなる発動型や変形型の個性だったら、変身した後にも元の姿に戻れる。でも、僕の変身は一方通行のものであって、自分の見た目を「元の容姿に設定」しなければ、戻ることができない。

 

 つまり、取り返しがつかないのだ。

 

 自分の姿を思い出せなければ、元の体を手に入れることも叶わない。そもそもイメージが貧弱だったとしたら、元の姿に戻れたと思っていても……実は違う容姿になっていました、なんてこともある。

 

 

 今でこそ、自分の個性に慣れてきて。それなりに見た目を修正できるようになったけれど。幼い頃は、それはもう酷かった。

 

 初めて個性が発現した時。

 

 僕はいつも通り幼稚園で友達と遊んでいて……そして、盛大にやらかした。沢山の子供達の心に、決して消えないトラウマを植え付けてしまった。

 

 

 僕の変化に一番最初に気がついたのは、仲良しの斉藤くんだった。

 

 

『し、しょうくん……そ、そのかお…………っ!』

 

『え? どうしたの?』

 

『か、かお! かおが!』

 

『へ、かお?』

 

 その日の朝は、雨が降っていたから。遊び場のあちこちに点在していた水たまりが、太陽の光を反射していて。

 

 斉藤くんの言葉で異常に気がついた僕は、咄嗟にそれを覗き込んだ。

 

 鏡のような水面に映った僕の顔は、間違いなく『斉藤くん』のもので。

 

 あれ? っと、不思議に思った時にはもう遅かったというか。発現したばかりの個性が、目の前にいた『斉藤くん』を無意識のうちに真似ていたなんてことに気がつくはずもなく。

 

 視線を斉藤くんに戻して、もう一度水面を覗き込んで。そのあと…………なんとなく周囲を見渡して、そして、個性が暴走した。

 

 いや、あれは暴走というか。どちらかといえば、単にコントロールが下手くそなだけだったんだけど。

 

 怪我をしないように配慮されたゴムボール、園内で遊ぶ子供達、たまたま頭上を通り過ぎた鳥の群れ、異変に気がついて近づいてきていた先生たち。

 

 そして、斉藤くん。

 

 目に入るものを、視覚で認識したものを。そのままイメージとして受け止めて、片っ端から自分の肉体へと反映した。

 

 それは僕がそうしようと思って発動したのではなくて。コントロールすることを、イメージを抑えることを知らなかったが故の。子供が癇癪を起こしたかのような、そんな事故だったわけなのだけれど。

 

 まぁ、結果として。

 

 その場にいた人々が見たものは、数多の肉片を無理やり溶かして一つの団子にしたかのような。それも……見知った姿がいくつも入り混じった、不恰好なオブジェで。

 

 その時の姿を、僕自身は覚えていないけれど。人づてに聞いた話によると、体のあちこちから羽のついた人間の頭部が生えていたらしく。しかも、本体から離れて飛び立とうとしていたとのことで。

 

 それ自体が、何か危害を加えた訳ではなくても。見た目の悍ましさというものは、人々が忌避する最たるものの一つであることは間違いないから。

 

 平和だったはずの昼過ぎの幼稚園は、あっという間に地獄のような光景へと早変わり。子供たちはもちろん、先生や通行人、通報を受け取って駆けつけたヒーローを含めた大人たちの心の中にさえ、トラウマを植え付けてしまった。

 

 僕の所属していたクラスの担当の先生が必死に庇ってくれなかったら、僕は(ヴィラン)と誤解されて捕まっていたかもしれない。

 

 

-2-

 

「ショウ、先生はなんて言ってた?」

 

「心配ないよ、よくなってるって」

 

「そう、よかった……トガちゃんだっけ? お礼もまだしてないし、今度連れてきなさいよ」

 

「えー、女の子を自分ちに誘ったらみんなになんて言われるかわからないからやだなー」

 

「もう! いつもはなに言われても気にしないくせに! ……そういうところだけ気にするんだから」

 

「僕も思春期なので」

 

 

 診察室の外で待っていた親に結果を伝えて、ぶつくさと小言をもらいながら診察費を払って、夜ご飯のおかずについて話しながら車へと乗り込む。

 

 

 個性が目覚めたあの日から、ずっと。

 

 中学生になった今でも、僕はこうして定期的に個性のカウンセリングへと通っている。正直なところ、僕的にはもうとっくに必要ないとは思っているんだけど。両親的には、どうしても心配らしい。

 

 

 もう何度も何度も言われてきたことだけど、僕の個性はコントロールが難しい。

 

 一度姿を変えれば、あとは自分自身の力で元の姿に戻らなければいけない。それが出来なければ、ずっと化物の姿のまま。事件があった日に、個性診断を受けた僕が最初に聞いた言葉がそれだった。

 

 僕の個性の発動は、イメージが大切だと。自分という存在をしっかりと認識して、いつも頭の片隅に入れておかないといけないと。

 

 そう説明してくれたハゲた医者の頭部を無意識のうちに身体中に生やしつつも、ちゃんと自分の頭で頷いたのを覚えている。いや、まぁ、身体中に生えた頭部も一緒に頷いていたから、あれはあれでホラーじみた光景だったんだろうけど。

 

 

 ただ、やっぱりというか。言われたことをそのまま実行できるのであれば、個性カウンセリングなんて必要ない訳で。

 

 何日も何日も入院して、毎日毎日リハビリのように自分の個性を使って。巨大な肉塊から、百面(モモヅラ)(ショウ)という少年へと。ゆっくり時間をかけて、個性を体に慣らして。

 

 一年ほど経って、やっとの思いで。両親が家中から集めてきた僕の写真に包まれながら、僕は元の姿を取り戻した。

 

 というか、一応取り戻したことになっていた。子供の持つイメージ力というのは、やっぱり貧弱そのものだから。何しろ、過去の記憶を覚えていられる期間があまりにも短い訳だし。

 

 元に戻ったと思っていても、それは「百面(モモヅラ)(ショウ)」の紛い物だったのだろう。

 

 ほら、自分の見た目を想像しろって言われたって。どうしたって、偏見や妄想が細部を変えてしまうじゃないか。

 

 もう少し鼻が高かった、もう少し顎が整ってた、もう少し歯並びがよかった。そんな感じで、個人の美意識によっていい方へと修正してしまうだろう?

 

 大人でさえ、きっとそうなのだから。そういう個性を持っているわけでもないのなら、自分自身の容姿を正確に思い浮かべることなんて、出来やしない。

 

 それが分かっていたから。両親も、病院の先生も、そして僕も。頭の片隅で理解していたからこそ、僕はこうしてカウンセリングを受けている。

 

 

 より「百面(モモヅラ)(ショウ)」に近い見た目になるために。そして、自分を見失ってしまわないように。

 

 まぁ、もう必要ないと思うけどね。

 

 トレードマークになっているフード付きの衣装も、個性をコントロールして、日常生活に影響を与えないようにするために必要なものだ。

 

 毎日同じ服を着ることで、自分という存在のイメージを固める。年齢に合わせてサイズを変えることで、その中に収まるようにと、異能が最適な肉体を作り出す。人型に沿った輪郭のデザインにすることで、異形ではなく、自分は人間であるということを印象付ける。

 

 フードが付いているのは、話し相手の顔を無意識のうちに真似て驚かさないようにという気遣いで。

 

 つまりは、空想によって無際限に肥大する肉体を抑えるための、拘束具のようなものなのだ。もちろん、そこそこ頑丈。

 

 

 あの日…………仮に「肉塊事件」と呼ぶことにする。あれが起きた直後、僕がリハビリを始めた時にはもう、両親と病院側で発注をきめていたらしい。

 

 異形型が自分の肉体に合った衣服や装備を特注するというというのは、あまり珍しくないけれど。特注品である以上、それなりに値は張る。

 

 それでも文句ひとつ言わず、個性が目覚める前から変わらない愛を注ぎ続けてくれている両親のことを思えば、親不孝は出来ないなと思うことも多い。

 

 

 本心から、そう思っているんだけど。

 

 

 ありがとう、ごめんなさい。そんな感情でさえ、背徳を為す快感へと変わってしまう。趣味をより一層楽しむための、スパイスに成り下がってしまう。

 

 忘れられないんだ。「僕」の顔を見て、怖がっていた人たちのことが。表情を恐怖に歪ませて、必死に逃げようとしている人々の有様が。

 

 フードの下で輝く瞳の中、瞼の裏へと焼き付いて離れない。

 

 もっともっと、反応が見たい。怖がらせたい、驚かせたい、泣かせたい、失禁させたい。

 

 そう考えてしまうのは、それが出来てしまうからなのか。それとも、元からそういう素質があったからこそ、出来るようになってしまったのか。

 

 

『個性で為人(ひととなり)を判断するのはやめよう』

 

 いい言葉で、正しいと思うけど。

 

 

 それでも、やっぱり。

 

 個性(いのう)は、人格に直結する。

 

 僕がこうして、歪んでしまったように。

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