本質的に。
人間は自分が持ち得ていないもの、その中でも、自分が求めているものを有する相手に心惹かれるという。
自分にはできないことを成す相手には、自然と尊敬の念を抱いてしまうもので。だけどそれは、どんなものにでも当てはまるわけではない。
志す道の先達が持つ技術や、かくあるべきという理想の中に含まれる規範的な姿。それは知識があって、想像力があって…………そこへ至るまでの道程がどれだけ険しいものなのか、その姿勢を貫くことがどれだけ難しいことなのか。それを理解できていなければ、魅力的には感じられない。
逆にいえば。
理論的にでも、直感的にでも。そのどちらにせよ、相手の長所を美点と感じることができるのであれば。それは本能的に、自らが求めているものを相手の中に見出しているということであって。
あの人のようになりたい、あの人のように生きたい。無意識のうちに生まれたそういう感情に気がつかないままの状態を、心惹かれると表現しているのだろう。
つまり、根本には欲があるわけで。手に入れたい、そういう気持ちが先走って、それを好意と勘違いしている。
全てがそうとはいえないけれど、少なくとも僕にはその自覚があった。
人に対してあんなにも衝動的な熱情を覚えたのは、いつぶりだろうか。
異常者なりに、歪んでいるなりにと、周囲に心配をかけないように我慢して。自分以外の誰かが望んだ「
それが、嫌だったわけじゃないけれど。
息苦しい、そんなふうに思った事はなくて。期待とか、願望とか。望まれた姿を見せ続けることに、楽しみを見出していたのは嘘じゃないのに。
どこか物足りない、そう思っていた最後の一欠片を。僕がもっともっと楽しく生きるための、最も必要ななにかを。
見た瞬間、認識した瞬間。直感で、心で、個性で理解した。
彼女に目を奪われたのは、僕がそれをずっと探していたからだ。すぐに気がついたのは、彼女と僕が色々な意味で似通っていたから。
彼女が本性を隠して、社会に紛れ込んでいるから。明らかな異物なのに、人間のふりをしているから。だからこそ、すぐに見つけることができた。
僕が彼女の正体を見破ったように、彼女もきっと、僕の中身に気がついていることだろう。
僕たちは根っこの部分から社会不適合者で、個性があるからこそ苦しくて、個性があるからこそ隠しきることができている。
これはもう、感性の問題だと思う。
仕草、表情、
あの瞬間、中学最初のホームルームで。
自己紹介の言葉なんかよりも遥かに多くのことを、彼女と僕は理解し合った。個性はなによりも雄弁に、自らのことを語り尽くした。
だからもう、嘘はつけない。どれだけ姿を変えてみても、どれだけ表情を偽り続けたとしても。そんな外側の外側なんて、いまさらなんの役にも立たない。目をそらすことなんて、逃げ切ることなんて、出来やしない。
そして────いつの時代の物語も、正体を暴かれた怪物が取る行動は決まっているものだから。
本性を晒して、思う存分に暴れる。
隠していたままでは出来なかったことも、知られているのならば関係ない。縛るものは何もない、僕たちは自由に振舞ってもいいんだ。
だから、僕と彼女の関係を一言で言い表すのなら────。
「トガちゃん、ちょっといい?」
「────もちろん、いいですよ。モモヅラくん」
-1-
「それで、話ってなんですか?」
「まぁまぁ、まずは座ってからにしようよ」
黄色の虹彩と、縦に大きく裂けた瞳孔。どこか獣のようにも見える瞳に映っている感情は、やはり空虚な雰囲気をまとっていて。
心ここに在らず、というふうにも見えるけど。その雰囲気に反して、表情は笑顔そのもの。彼女の顔が整っているのもあって、普通の人なら違和感を覚えたとしても勘違いだったんだと流してしまうだろう。
ただ、それは彼女が身につけた擬態に騙されているだけ。
だって、ほら。
体から沢山の腕を生やして、部屋中の机を移動させている僕をみても眉ひとつ動かさないのだから。そんな人が浮かべている笑顔ほど、信用できないものはないだろう。
僕は好ましく思ってるけどね、あの表情。
腕をいくつか伸ばして椅子を二つ確保して、彼女と僕の前に設置する。空いている手を使って、ジェスチャーで着席を促す。
何を考えているのか。流石にそこまでは窺い知ることはできないけれど……僕の勘違いでなければ、この状況を楽しむように。彼女は抵抗することもなく、勧められるがままに席に着いた。
それを確認してから、僕も席に座る。
こちらの様子を観察している彼女と目を合わせて、数秒。衝動的に誘ってしまったから、世間話の話題の一つも考えていなかったけれど。この際、直球で本題に入っても構わないだろう。
いまさら一般人を装って雑談に興じたところで、寒いコントみたいに見えるだろうし。
「実は、ちょっと頼みたいことがあるんだよね」
「頼み…………私に、ですか?」
「うん、実は────あっ、その前にちょっとだけ確認したいことがあるんだけど、いい? 頼みごとの内容に関係してるからさ」
「えっと、内容によりますけど」
とりあえず、話を聞くくらいのことはしてもらえるらしい。悪くない感触に、自然と口元が緩んでしまう。それはもう、ニコニコの笑顔になっていることだろう。
まぁ、フードで隠れてあまり見えていないと思うけど。
「自己紹介で言ってたけど……トガちゃんさ、個性で他人の姿に変身できるんだよね?」
「そうですね……条件はありますけど」
彼女の言葉に、自分でも大袈裟だなって思うくらい首を縦に振る。聞きたかったのは、まさにその条件のところなのだから。話に入りやすい返しをしてくれた彼女への好感度が、また一つ上がったのを感じる。
「僕もさ、変身できる個性なんだよね。でもさ、僕たちみたいな個性ってやっぱり発動条件とか制限とか…………そもそも、どんなふうに変身するのかっていう特性自体が人によって違いがあるでしょ?」
「はい」
「たとえば僕なんかは、厳密にいえば『他人に変身する個性』じゃなくて『頭の中に思い浮かべた姿に変身する個性』なんだけどさ。条件が緩いかわりに『見たもの、イメージできるもの』にしか変身できないっていう縛りもあるんだよね」
「私の個性とはかなり違いますね」
「便利だとは思うけどね。時間経過で記憶を忘れたりしたらイメージする姿も曖昧になるし、夢で見た内容次第で寝起きの時に勝手に体が変化してたりもするからさ。クセが強いんだよ」
「なるほど……苦労してるんですね」
普通の人なら、こういう言葉を返す。そんなイメージだけで作られているかのような、そんな会話だ。腹の探り合いをしている気分になるけれど、彼女はそんなつもりじゃないってのは分かってる。
僕の勘違いじゃなければ、の話だけど。
「それで……トガちゃんの個性の条件とか、出来ることとかを知りたいんだけど、教えてもらえる?」
「その前に、一ついいですか?」
「うん? 何か聞きたいことでもある?」
「先に頼みごとの内容から教えてもらいたいんです。私、あまり個性について話さないように親から言われてますから……頼みごとの内容次第で、出来るか出来ないか教えます」
「ああ、うん、そうか、そうだよね。ちょっと気持ちが先走っちゃったかも、ごめんね」
思いのほか真剣な顔つきで口にした彼女の言葉に、それもそうかと頷く。
自分も含めて、子供っていうのは自分の個性をベラベラと喋りたがるもので。それを心配する親というのは、どこにでもいるものだ。なんなら、僕も親に個性の情報の取り扱いには注意しろって言われてるからね。つい今しがたベラベラ説明したばかりだから、申し訳ないけど。バレなきゃ怒られないし、黙っていればいいだろう。
彼女の親がどんな心境で口を出したのかは、知らないけどね。
「頼みごとっていうのは……その個性を使って、僕に変身してほしいってことなんだ」
「…………? 私が、モモヅラくんに?」
「そうそう……あっ、でも、ちょっと違うんだよ。トガちゃんから見た僕って、制服の中にフード付きの服を着込んでて、顔を隠してる状態でしょ? その姿を真似してほしいんじゃなくて……素顔を真似してほしいんだ」
「えっ、と? それは要するに、自分の顔が見たいってことでいいんですか?」
「そう! そのとおり! …………実は僕の個性って、微妙に融通が利かなくてさ。異形型の個性と変形型の個性の複合型だから、一度変身したら個性を解除しても元の姿に戻らないんだよね。だから、その都度自分の顔をイメージし直してるんだけど……それは『こんな顔だったかな?』っていう曖昧な投影の繰り返しでさ、本当に自分の顔なのかって自信が持てないわけ」
病院で何度も説明されて、何度も相談してきた内容を。医者と家族以外には一度も告げたことのない悩み事を、出会ったばかりの女の子に口にしている。
それだけで気分が楽になって、胸の内に抱えていたものが解けていくのが分かる。自分でも知らず知らずのうちに、気づかない間に、大きなしこりになっていたんだろう。
期待と、解放感。相談しただけで、これなのだから。なるほど、たしかに。何でも話せる友達っていうのは、必要なのかもしれない。
いや、今日が初対面の女の子捕まえて何言ってるのって話かもしれないけど。怪物や化物には、それなりの付き合い方っていうものがあるわけだから。僕の彼女に抱いてる感情というのは、世間一般的なものとは大きく違うわけで。
「だからさ、トガちゃんの個性が…………たとえば『相手の遺伝子情報を元に姿を変化させる個性』とかだったらさ。もしかしたら、僕の本当の姿を真似できるかもしれないでしょ? 個性に目覚める前の、普通の人の姿だった僕がそのまま成長した姿が分かるかもしれない! 僕はそれが見たいんだ!!」
「…………モモヅラくんって、私の個性について誰かから聞いてたりします? っていうか、絶対に知ってますよね? 私の個性の条件」
「────あ、分かっちゃった? さっきクラスメイトでトガちゃんと同じ小学校だったって子がいたから、聞いちゃった」
微妙に眉をしかめたトガちゃんの言葉を素直に認めて、両手を合わせてごめんなさいのポーズをとる。流石にこれは自分でもどうかなって思ってたから、わざわざ本人から聞き出そうとしたわけだけど。バレてしまったものは仕方がない。
フードの中からチラリと様子を窺うと、彼女の表情はいつのまにか、デフォになってる貼り付けたような笑顔に戻っていた。
「まぁ、いいですけど」
「いいんだ」
「
「? じゃあ、受けてくれるってことでいいの?」
「でも、その代わりに条件が三つあります」
「条件? どんな?」
交換条件を持ち出してくるのは、予想通りだった。というか、頼みごとをしている以上リターンは用意するべきだし。彼女が何も言わなくたって、僕から言いだすつもりだった。
本当に、話が早くて助かる。
「まず、希望通りの結果にならなくても恨まないでください。私の個性のことは私自身がよく分かってますけど、モモヅラくんの体がどうなってるのかは知りませんので」
「そりゃあ、もちろん」
「二つめ…………知っていると思いますけど、私の個性は『血を摂った相手の姿に変身する個性』です。摂った血の量がエネルギーになるので、変身時間は摂った量に比例するんです」
「じゃあ、沢山飲めば何日でも変身できるんだ」
「そうです、コップ一杯で一日くらいです。だから、モモヅラくんの頼みだけなら少量でいいんですけど…………血、少し多めにください」
そう言ったときの彼女の瞳のギラつきを、僕は見逃さなかった。
獲物を見つけた獣のような、本能に忠実に動く者特有のそれ。彼女が今まで隠してきた欲望が、今この場で溢れ出しつつある。
そう、それでいい。僕がそう振る舞うと決めたのと同じように、君も自分に正直になればいい。
そうすればきっと、僕たちはもっと仲良くなれるはずだ。
「それで、最後の一つなんですけど────」
「ん? ────────げっ」
気がついた時には、彼女はすでに僕の目の前まで迫っていた。いつのまに、とか、どうやって、とか。色々な考え事が頭の中を巡っていくけれど、それよりもずっと気になることがあって。
あのカッター、いったいどこから取り出したんだろう。
そんな、ちょっと間抜けな言葉を最後に。
「今日ここで起きたことは、みんなに内緒にしてくださいね!!」
その手に持った刃物を、僕へと突き立てた。
-2-
「実は私も、モモヅラくんの個性について聞いてたんです! クラスに斉藤くんっていますよね? 色々教えてくれました! いい人ですね!」
「モモヅラくん、あっ、もう友達だからショウくんって呼びますね! ショウくんの用事も、なんとなくわかってたんです! わかるんです! だって、私とショウくんは同じですから!」
「ここにくるまでずっと、いいのかなって考えてたんです! だって個性を使おうとしたらいつも怒られるんですもん! 笑ったら叩かれるんです! もっと自由になりたいって思いませんか? 『
「私が素直になれるように、個性を使って見せてくれたんですよね!! ショウくんらしくてステキです! 私もショウくんみたいになりたいです!! ショウくんの血をチウチウしたいです!! これって両想いってことですよね!?」
「ずっと、ずっと我慢してたんです!! でもよかった! 我慢しててよかったです!! わたしにはわかります! 全部この日のためだったんです!! 運命なんです!! 初めてです!! 初めてこんなに素直な気持ちをぶつけられました!! 大好きです、もっと吸わせてください!!」
「産まれてきてよかった!! 生きててよかったです!! あの人たちは産まなければよかったなんて言ってましたけど、そんなの嘘でした!!」
「だって、こんなにも楽しい!!」