個性は身体能力の一部だと考えられている。
足が速いとか、握力が強いとか。そういったものと同じような扱いでありながら、幼少期の覚醒を除いて、突然手に入れたり失ったりというケースはほぼ存在していない。
五体の概念に個性を加えて六体満足と表現する人がいるくらいには、個性を持っていることが健全という考え方をされていて。
元から備わっているか、否か。
そこに例外は存在せず、個性とは一生付き合っていくことになる要素の一つなのだから。ある日突然腕が三本になったりしないように、無個性の人に個性が発現することを期待するのは酷というもの。
だからこそ、無個性は腫れ物扱いをされているというか。人類の総数でみればそこそこ存在しているのにも関わらず、学校レベルのコミュニティでは爪弾きものになってしまう場合が多い。
話が逸れてしまった。
個性が人の身体能力の一部ということは、それはつまり、ものによっては努力次第で成長させられるということなので。
筋トレなんかと違って方法には個人差があるけれど、努力の方向性さえ間違っていなければ、基本的にその性能は伸びていく。
たとえば僕なんかは、絵を描き始めたことで変身の精度が格段に向上した。これは僕の個性が「イメージ力」というものを発動に必要としているからであって。デッサン力、つまりは、物体を正確に捉える力を身につけたからこその、理論ありきの成長なのだから。
僕がよほど才能がなかった場合を除いて、ほぼ確実に効果が見込まれている方法ということになる。
だけど、肉体能力を向上させる増強系の個性の持ち主に関していえば。僕のやってきた方法を真似したところで、望む結果を出すことはできないだろう。単純な筋トレをして基礎的な身体能力を身につけたほうが、遥かに成長に繋がるのは目に見えている。
当たり前だけど、個性の制御ができないのは社会で生きていく上で大きな弊害となるのだから。コントロールを鍛えるというのは、割と誰しもやっていることであって。
発現して以降、個性が全く成長していないという人は、逆に珍しい方だと思う。
結局、僕が何を言いたいのかというと。
個性が成長するのは、実はそこまで珍しくないということ。それが基礎性能なのか、技術なのかの話はともかく。人が自分の体を鍛えて、知識を身につけるのと同じように。個性は鍛えることができて、練度を上げることは可能であって。
だけど、それとはまた違うアプローチで。
僕の個性は、これまでのそれとは全く違う段階へと進化を遂げていた。
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僕の個性は、肉体に関していえばある意味では無敵に近いと診断されている。
人間には…………というか、生き物には。本能的に生へと執着し、自身の命を繋ぎ止めようとする習性がある。あるいは、次の世代へと自分の遺伝子を残そうとする働きがある。
だからこそ、ある程度のダメージを受ければ。本能が個性へ働きかけ、肉体の損傷を勝手に回復させるだろうと。担当の医師からは、そう言われている。
それは意識しているとか、していないとかの段階ではなく。たとえるならば、反射に近いものらしく。熱せられたヤカンに触れた人が、考えるよりも先にヤカンから手を離すように。生きるという意思を示した体が、勝手に傷を治してしまうということで。
それこそ、僕が自分自身の意思で再生を止めでもしない限り。僕の肉体は「健康体」へと戻るように、変身するようにできているらしい。
らしい、という曖昧な表現なのは。単純にこれまでの人生の中で、そんな危機に陥ったことがないからであり…………まぁ、そんな機会は一生こなくてもいいかなって思ってたわけなんだけど。
結局、一度も使う機会がないままに。僕の体は、そんな機能が不要なものへと変化してしまった。
「うわ……どうなってるんだろう、これ」
僕の個性である『変身』は、イメージに沿って肉体を変化させる力だ。
当然の話、変わるのは見た目だけではない。想像が行き届くのであれば、その中身も変化させることができる。
ただ、何事にも限界はある。
素となる肉体は人間のものなのだから、どういじり回したところで臓器は必ず必要だ。特に脳なんかは、想像のためには不可欠な存在なわけで。これが不足すると、僕は再起不能になってしまう。
いや、普通の人間は脳が無ければ死ぬと思うけど。
だからこそ、どれだけ肉体が人間のものを離れていったところで。その内側には臓器が存在していて、血が通っていて、一つの命として存在している。
生き物としての規格は、満たし続けている。
そう
だけどそれは、僕の勘違いでしかなかったらしい。僕だけじゃない、担当してくれている医師だって、両親だって、誰だってそういうものだと考えていた。
僕の目の前の光景は、それを完全に裏切っていた。
出来るという確信はあった。トガちゃんが僕の本当の顔を教えてくれて、自分の肉体を最適なものへと変化させたあの瞬間から。僕の頭の中の何かが…………言葉で表現するのなら『価値観』というやつが。カチリと音を立てて、それまでとは全く別の何かへと変貌して。
それを本能で、感覚で、個性で理解していたから。だから、出来ると思った。
不可能だと思っていたことが、可能になったんだと。そんな直感に等しいものが、頭の中を駆け抜けたから。
だけど、それはあまりにも逸脱しすぎているというか。常識からかけ離れているからこそ、本能は信じていても、理性では信じられなくて。
だから、目の前の光景は。そんな僕の矛盾を、一発で解決してくれた。
両親が個性の訓練のためにと買ってくれた、僕の背丈よりも大きい姿鏡。
その中に映り込んでいるのは、勿論のことながら、僕の体で。それは僕の個性に起きた変化が、現実のものだと教えてくれる。
指先から肉体が崩壊し、肘から先が砂のようなものへと変わる。それは重力に従うことなく、腕の形のままで宙を舞っている。
想像力を膨らませて、粒子状になった腕を動かす。砂嵐のように渦を巻いては、その動きを変え、今度は羽虫の集合体のように、不規則な軌道を描いて部屋の中を飛び回る。
そこそこ広い私室を一周して戻ってきたそれは、僕の肘から先に収まる、再び人間の腕に変化する。確かめるように何度か触ると、確かな体温と肉の感触が返ってきて。
台所からくすねてきた包丁で思いっきり斬りつけると、赤くて熱い血潮が飛沫をあげて、今度はちゃんと地面に向かって滴り落ちる。
だけど、痛みはほんの少しも感じない。トガちゃんにカッターで切られた時のあの感触は、今は全く伝わってこない。
僕が、
それを理解した瞬間、乾いた笑い声が口から漏れた。
それがやがて愉快そうな笑声になって、涙が出るくらい楽しくなって。そして、その全部が他人事のように感じられるほど。今の僕は、自分の個性のことだけに意識が向かっている。
つまり、なんだ。
僕は自分が思っていた以上に、人の形に拘って、人間という枠組みに収まろうとしていたのだろう。それこそ、自分の個性の限界を勝手に決めてしまうくらいに。
元々は人なのだから、こうでなければいけない。人として、この部分は抑えていなければいけない。
そんな固定観念……常識といえばいいのだろうか。存在もしない制限を付け加えて、人のフリをしていたのだろう。
もっと異形型について考えていれば、気がつくことが出来たのだろうか。人らしい体でなくたって、生きているんだと。そもそも、発動型でさえ、人の形でなくなる者もいるのだから。人間であるということが、肉体に限界があることとイコールではないということに、気がつけていたのだろうか。
いや、不可能だろう。たとえ気がついていたとしても『
もう二度と、元に戻れないかもしれない。そんな不安が頭の中に残っている限りは、こんな発想に届くはずがない。
だって、何回も言い聞かせてきたのだから。僕の個性はイメージ力によって左右されて、だからこそ、より強く人間としての自分を意識しないといけないのだと。
そういうふうに自分を縛って、殻に閉じ込めて。決まった形に当てはまることでようやく、自分を見失わずに済んだのだから。
そこまでしてようやく、自分という存在を確立していたのだから。
だけどそれは、もう必要ない。
人の形でなくても、臓器がなくても、血が流れていなくても。有機物でなくても、そもそも、物質じゃなくてもいい。
まぁ…………血は、トガちゃんのためにとっておくとしても。
そういう固定観念や常識は、僕の身を守ってくれていたけれど。これからは、もっと自由な発想で生きよう。
だって、もう二度と自分の姿を見失うことはないのだから。
安心して、自分の個性に身を委ねることができる。
これからは、僕の変身する姿は、僕の好きな姿にしよう。もっと楽しく、もっとステキに。人の形に拘ることなく、自分のやりたいようにやろう。
殻を破ろう。今この瞬間こそが、僕が本当の意味で世の中に生まれ落ちたんだということを自覚しよう。勇気を持って世界に飛び出した、雛鳥のように。
ああ、そうだ。
そうだった。
僕はずっと、抽象的な絵を描いてみたかったんだ。
描きに行こう、今すぐ。
もう、自由なのだから。
-2-
親に内緒で外出するなんて、初めてのことだ。夜中に一人で出歩くのも、個性を使って空を飛ぶのも。ずっとやってみたかったことで、ずっと我慢していたことだった。
適当な山の頂上に着地して、個性で生やしていた翼を体の中へと仕舞う。羽の一枚一枚が子供の手で作られた、見るも悍ましい翼だけど。どうしてこれで空が飛べるのかは、僕にも分からない。
分からないけど、その理由は知っている。
僕が人間じゃなくて、化物だからだ。
暗い中でもハッキリと見えるように
家にいないことがバレたら、親が心配するから。与えられた時間は、それほど多くはない。
だけど、問題はない。勿体無いとは思うけど、今日はすぐに終わらせることにしているから。
体から複数の腕を生やして、同じ数だけ瞳を作り出す。一つの腕が伸ばす先を、一つの瞳で認識する。
用意していた数本の筆をとって、同時進行で線を走らせる。
瞬く間に、絵が描画されていく。機械のように正確に、人間のように繊細に、そして人ならざるタッチで。
それは人物画でもなければ、風景画でもない。僕の頭の奥底に眠っていた、知らず知らずのうちにしまい込んでいた空想を取り出すための、人ならざる姿のイメージ画。
線を引くごとに、色を重ねるごとに。生やした腕を除く体の全てが変質し、人の形を外れていく。
頭部は生々しい音を立てて、木の幹のように天へと昇る。胴体は風船のように膨れ上がり、至る所に口と目と鼻が生まれる。筆を持つ腕が中程で枝分かれし、枯れ木のように萎れては、地面を這うように伸びていく。
その変容していく様子を、高い視点から見下ろす。
それはまさに、キャンバスの中の怪物そのものであって。
その姿に、どんな名前をつけようかと。
限られた時間を無駄にしないように、僕はどこにいってしまったのかも分からない脳を動かして、言葉を探した。