悪いことを続けていると、望む望まないに関わらず名前が広まってしまうものだ。
インターネットやSNS上では情報が更新され続けていて、
日々新しい悪役が誕生しては、その多くが討伐されて消えていく。そういう存在のほとんどは、名前も出ないような小悪党に過ぎないけれど。たまにタチの悪い奴が登場して、固有名詞がついたりするときもある。
当然ながら、このヒーロー飽和社会で彼らの取り締まりから逃げ果せることのできる
彼らも無能じゃない。悪いことをしたやつがいつまでも放置されるほど、この社会は甘くない。
しかし、逆に考えれば。
その中で身を隠し、あるいは逃げのびて。悪事を重ねても捕まらず、固有名詞を与えられて手配されるような奴というのは。そこらへんの一般通過
ヒーローの認知度の高さが、そのまま優秀さの評価軸につながるように。
最近話題の
この超常社会においても、殺人というのは忌避される行いとして古き時代と同じように罰せられる対象であって。それを何度も……しかも、ピンキリとはいえ決して弱くはないヒーロー相手に繰り返しているとあって、危険人物として名前が広まっている。
彼以外にも、
危険度も、やっていることも違うけれど。彼らに共通していえるのは、ヒーローの目をかいくぐって悪事を重ねられるくらいには実力や知恵を持っていて、厄介極まりないということ。
だから、まぁ、正直時間の問題だったんじゃないかと思う。
どれだけ実害を出していない……少ししか出していないとはいえ、犯罪行為は犯罪行為。僕がやっているのは悪事そのものであって、何の罪もない人々が不安に脅かされるのは間違っている。
それが分かっていてもやめられないのが、
頻度はそこまで高くないとはいえ、活動を始めてから一年と半年。それが長いのか短いのかの判断は、それこそ人によるのだろうけれど。事件に関連性が見られて、上の人間が事態を重く見たのであれば、名前が広まるのは時間の問題だった。
一応、趣向や地域や装いはその時その時によって変えてはいたのだけど。遅かれ早かれ、こうなるのは避けられなかった。
ついに僕にも、
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「わあ…………ショウくん、人気者になりましたね」
「最近ちょっと派手にやりすぎたね、文化祭でインスピレーションが刺激されて張り切っちゃった」
「そういうところ、すごくカアイイと思います」
「そう? トガちゃんのカアイイ判定、結構謎だよね」
二人きりの美術室、二人きりの部活動。
僕が趣味で絵を描いて、彼女はそれを見ながらお喋りをする。たまに彼女との約束を行ったりしているけど、普段は文化部らしく大人しい活動をしている。
今日は珍しく、僕も彼女も作業の手を止めていた。二人してSNSの画面を開いて、特定のワードで情報を検索している。
二人で体を寄せ合って、彼女の携帯の画面を覗き込む。振り返れば触れてしまいそうなほど近い距離、だけど、僕たちにとっては当たり前の間隔。
覗き込んだ先では、一本の動画が流れていた。
「この前のアレ、見られてたんだ……全然気がつかなかったな。アングルの向き的に建物の陰に隠れてたんだろうけど……撮影した人、よく逃げなかったね。手ブレがすごいや」
「でもでも、よく撮れてると思うのです。私はショウくんのこの姿は見たことないから、ちょっと嬉しいかも」
通行人を襲う、多足多腕の怪物。肌は白く、線は細く、質感はゴムのようで、顔は陰になって見えない。見るものに生理的嫌悪を与える不規則な挙動で壁や地面を這いずり回る姿は、出来のいいホラゲーのワンシーンのようで。
まぁ、有り体に言えば。趣味に夢中になって人を驚かせて、撮影されていることに気がつかなかった間抜けな僕の姿が、匿名で投稿されてしまったということであって。
前々から都市伝説に近い形で噂になっていた
「それにしても、随分と直球なネーミングですね。少しダサいと思います」
画面の中を動き回る怪物の姿を一通り眺めてから、トガちゃんは感想を口にした。正直さは美徳だと思うけど、その発言は色々な人に喧嘩を売ってるんじゃないかな。
いや、知らないか。結構古い曲みたいだし、僕も調べるまで知らなかったわけだから。
僕の話題でサジェストを汚してしまったことを、偉大なるシンガーソングライターに心の中で詫びつつ、口を開く。
「ダサい、かぁ…………トガちゃんがそういうなら、他にもそう思ってる人がいそうだね。ちょっと困るかも」
「え? どういうことですか?」
よく分からないという表情をしている彼女は、僕から見てもすごく可愛い。そんな彼女にも伝わりやすいように、なるべく分かりやすいように。頭の中で話を組み立ててから、もう一度口を開く。
「トガちゃんさ、怖いものとかある?」
「怖いもの……うーん、よくわかんないです」
「あんまり難しく考えなくていいよ。あんまり見たくないなって思うものとか、人とかいない?」
「怖いわけじゃないですけど、そういうことなら……両親ですね。すぐ怒鳴るし、叩いてくるので」
「じゃあさ……その二人の名前が『個性差別虐待太郎』とかだったりしたら、どう思う?」
「すごくダサいと思います」
「うん、つまりそういうことなんだよ」
頭の上に疑問符を浮かべて首を傾げている彼女の姿に苦笑しながら、説明を続ける。
「『恐ろしい』って感情はね、鮮度が大切なんだよ」
「鮮度、ですか?」
「そう……怖いって気持ちはね、『未知』からくるんだよ。名前が分からない、目的が分からない、正体が分からない……個性が分からない。分からないものに対して人は恐れを抱いて、逆に、知っているものにはそれほど抱かないんだ」
幽霊の正体見たり、枯れ尾花。幽霊だと思っていたものが、実は枯れているススキにすぎなかった。それまで怖かったものでも、その正体を知っていれば拍子抜けというか。実体がつまらないものだと判明してしまえば、対象への恐怖心は薄れてしまうものだ。
前時代の作品の一つに、こんな言葉がある。
人を恐怖させる条件は三つ。
一つ、怪物は言葉を喋ってはいけない。
二つ、怪物は正体不明でなければいけない。
三つ、怪物は不死身でなければ意味がない。
すごく噛み砕いて簡単に要約すると、人を恐れさせるには正体がバレてはいけないということだ。
「名前を知っている、行動原理を知っている、言葉が通じることを知っている、殺そうと思えば死ぬことを知っている。この全てが『相手が個性を使った人間である』という事実が周知されるだけで伝わってしまう。彼らは僕という未知の存在に名前をつけて、その姿と習性を伝えて、なるべく身近なものに置き換えようとしているんだ。僕が怖い怪物の姿に化けたとしても『
今の時代は特に、異形自体はありふれているわけだし。と、最後に一言付け加えて、口を閉じる。
トガちゃんは分かっているんだか分かってないんだか、納得できなさそうな顔で僕を見ている。
「でもそれって、あくまで強い人の理屈ですよね? 相手が
「いや、それがさぁ…………ほら、これ見てよ。もうまとめサイトまで作られてるらしいんだけどさ」
そういって携帯の画面を見せて、少し待てば。内容を読み込んだ彼女は納得したように一言……「あー」とだけ呟いてから、呆れたような視線を僕へと向ける。
開いたサイトのタイトルには、こう書かれている。
『【お騒がせ
「『ついに尻尾を見せたな、正体みたりって感じだ』『強個性使ってやることが驚かすだけって、両親に申し訳ないと思わないのか?』『こんなチンケな活動で
見たこともないくらい冷めた表情で書き込みの言葉を朗読されて、なんとなく恥ずかしくなってしまう。
「いや、なんかほら…………僕って一度も怪我人出してないからさ。今まで別々の犯人の犯行だと思われてた通り魔事件が一つに統合されて、被害者がいないってのがバレちゃったっぽくて。それで、なんかこう……おもちゃにされちゃった」
「えぇ……」
危険性がないと分かった時の、第三者のバイタリティというものを甘く見ていた。
目撃証言どころか、遭遇した経験談までが一瞬で集まって。話題と情報に飢えているインターネットの住民たちは、飛びつくように群がった。
動画のキャプチャを使用したコラ画像まで作られているんだから、本当に恐れ入るというか。正直なところ、乾いた笑い声しか出てこない。
「ショウくんはこれでいいんですか? 街の人全員が知ってるわけじゃないかもしれませんけど、これだと有名になればなるほどショウくんの望む反応が出なくなると思うのです」
「あぁ、いや、全然……って訳じゃないけど、あんまり気にしてないかなぁ。どのみち、いつからこうなるって思ってたから……こんな変な形で広まるのは流石に予想外だったけど」
「ふーん……ショウくんが困ってないなら、別にいいですけど」
どちらかといえば楽観的な彼女にしては珍しく、心底心配していますという態度を取っている。なんていうか、ちょっと彼女には申し訳ないけど。あまり見られない表情を見ることができて、少し嬉しい。
「でもこれ、詳細の正否はともかく個性のことも言及されちゃってますよ。色々な姿に変身していたのがバレてるから、もしかしたらクラスメイトとかが正体に気づくかも」
「そこは大丈夫、ちゃんと対策してるから」
入学してから、さらにいえば夜遊びに目覚めてから。僕は学校にいる間、人に見られている間はなるべく真面目な姿を見せている。
課題は必ず提出しているし、試験は高得点をキープして順位を高く保っている。無断欠席をしたことはないし、遅刻だってしていない。
同級生との交流だって欠かさず、常に明るく振る舞い、時には個性を使ってお調子者っぽさを演出している。
趣味は読書や映画鑑賞、そして絵を描くこと。コンクールに何度か入賞しているし、みんなの前で表彰されたこともある。
教師受けだって悪くない。困ってる人を利用するようで悪いけど、クラス内でのいじめ問題を解決したこともある。
たまに息抜きをしすぎるけど、それすら好意的に受け取られるように、許されるラインの線引きはしっかり決めている。
少し問題はあるけれど、基本的には優等生。そんな擬態を欠かさず行い、トガちゃんに見せているような「素」の自分を一度だって晒したことはない。
そう、この前の文化祭での明らかな問題行動でさえ、普段の行いを鑑みて不問にされるくらいには。ホラー映画好きが高じて、ちょっと凝りすぎただけと思われるくらいには。僕は周囲の信頼を手にしていて、犯罪行為に手を染めるような奴とはこれっぽっちも思われていない。
人は、普段の行いがいい人間を疑い続けられるようには出来ていない。怪しいと思うことはあれども、証拠や確信もなしに疑惑を抱き続けられるほど、良心が欠如しているわけではない。
だからこそ、本当の悪人というのは市井に紛れ込んでいるもので。周囲の信頼という盾を手にして、影では好き勝手振舞っている。
真の邪悪は、笑顔の中にある。
「まー、こうなったら暫くは大人しくしてようかな」
「大丈夫ですか? 我慢できます?」
「トガちゃんは心配性だなぁ……たしかに、ちょっと辛いとは思うけどね。べつに、ただ何もせずに毎日を過ごすつもりはないからさ」
「あ、また悪い顔してますね」
「…………僕って、そんなに分かりやすいかな?」
「はい、すっごく」
ニコニコと嬉しそうな彼女の真似をして、彼女の顔でニコニコと笑い返す。そんなに顔に出てるかなって、なんだか不安になるけれど。ニュアンス的に、彼女にしか分からないような違いなんだろう。
だったら、問題ない。
顔を自分のそれに戻してから、彼女に向けて宣言する。
「この前のお化け屋敷、あれで要領は掴んだからさ。ちょっと準備に時間が必要だと思うけど──期待しててよ、面白いものを見せてあげる」
まだ見ぬ誰かの悲鳴を想像して、期待に胸が膨らむ。感情の高ぶりと共に変化を始める体を抑えることなく、高揚感に身を任せる。
部屋の窓に映り込む僕の姿は、やはり人間のものからはかけ離れていて。その「出来」が以前より良くなっているのを確認して、自然と口元が緩む。
耳元で、彼女が囁いた。
「────楽しみにしてますね、ショウくん」
ペニーワイズがミーム化して怖くなくなったのと同じような理屈です。