《柱みたいな建物ね》
三次試験会場として受験者が飛行船から下ろされた場所は、チョークを机に立てたような奇妙な形をした円柱状の建造物――トリックタワーであった。
試験課題は下まで降りてくることであり、ゴン、キルア、レオリオ、クラピカはその方法を模索している。そんな中、アトラは縁に座りつつ、風を楽しんでいる様子だった。
(ジャンプして降りればいいのに……それもできないなんて本当に可愛い生き物ねぇ)
自信に溢れた様子で、壁を伝って降りていくクライマーの受験者を見つつ、ふとそんなことを考えるアトラ。目を細めてスイスイと降りていく光景を眺めていると、4~5羽の牙の生えた赤子に羽を付けたような奇妙な造形の生き物がクライマーに向かって飛んで来ていた。
(可愛くないデザインねぇ……)
そんなことを考えていると、怪鳥の集団はクライマーの周囲を飛びながら鳴き、クライマーは悲鳴を上げる。
(あんな大きさの生き物に寄って集って腹の足しになるのかし――)
特に思うところもなく、弱肉強食の摂理として、クライマーが喰われる様を見送ろうとしていたアトラであったが、ゴンとの"約束"を思い出し、人差し指を糸に変えてクライマーへと伸ばした。
喰われる寸でのところでクライマーは腰に巻き付いた糸に引き上げられ、怪鳥の顎は空を切る。そのまま、クライマーは無造作にアトラの背後に放り投げられた。
「おじさん大丈夫?」
「す、すまん……助かった……」
「助けてくれたんだね! ありがとうアトラ!」
《b》
ハンドサインで行えばいいことを何故かホワイトボードに書くアトラ。そんな微笑ましい光景をクラピカとレオリオは笑みを浮かべて見守り、キルアは釈然としないような複雑な表情を浮かべていた。
その直後、餌を奪われたことに激昂した怪鳥たちが受験者たちのいるこの場所まで上がって来る。怪鳥らはアトラとその後ろにいるクライマーやゴンたちさえも餌食にしようと迫り――。
『無粋ね……』
アトラはポツリと呟き、少しの殺意と嫌悪を孕んだ視線を向け、彼女の前で全ての怪鳥は行動を停止させる。その後、2~3秒ほどその場でホバリングした後、鳴き声すら失った様子で一目散に逃げていく。
その光景を目を三角にしつつ頬を膨らませて見送り、見えなくなったため、ゴンらに目を向けるとゴン以外の三人が、やや離れたところに移動して冷や汗を流していた。また、受験者の数人が泡を吹いて気絶しているのも目に入り、アトラは目を丸くする。
「お、おい……お、お前に近付いて大丈夫なのか……?」
「今のは……あれが殺気だと……そんな馬鹿な……」
「――――――!?」
「え? 今のはただの警告だよねアトラ?」
《まあね。殺す相手にイチイチ警告なんてしないわ》
(ホント、可愛い生き物ねぇ……)
アトラは人間そのものを微笑ましく思い、幼子を見守る母親のような柔らかな笑みを浮かべていた。
◇◆◇◆◇◆
《多数決の道:君達5人は ここからゴールまでの道のりを 多数決で乗り越えなければならない》
壁に貼ってあった説明文にはそんな指示が書いてあり、その下にある円柱状の台には、マルとバツのボタンがついたタイマーが五つ置いてあった。
トリックタワーは上部に回転式の床板があり、一人だけ通れる仕掛けだったので五つの床板が密集しているところで全員で踏んだところ誰も別れることなく、このような場所に辿り着いたのである。
短い別れだったと思うと共に五人がタイマーをはめると、壁の一部がせり上がり、開けるか開けないかという二つの選択肢が出題される。
「こんなの開けるに決まってるじゃねーか」
《チュートリアルって奴じゃないかしら?》
「……ああ、そういう」
割と冷静な様子のアトラに突っ込まれ、理解したレオリオはタイマーのボタンを押し、続くように全員が押した。
結果はマルが五人。滞りなく鉄扉は開き、三次試験が幕を開ける。
「うっしゃー! 行くぜー!」
《おー!》
レオリオを先頭に五人はトリックタワーを降って行った。
◇◇◇◇◇
現在いる吹き抜けのリングのような場所に出るまでに特筆すべきことはあまりなかった。
強いて言えば、左右を選ぶときに人は無意識に左を選びやすいので、それを見越して罠を張る可能性が高いため、右に行った方が安全という理論をクラピカから聞いたぐらいであろう。
(知らなかったわ……)
ちなみにアトラが押した方はなんとなく左である。とは言え、アトラナート族にもそれが当てはまるのかは謎であろう。
石造りの冷たいリングを挟んで向こう側には、フードつきのローブを纏って手枷をはめられた人間が五人いることがわかった。そのうちの一人の手枷が解除され、ローブからスキンヘッドの体格のいい傷だらけの男が出てくる。
フードつきのローブ姿の者らは超長刑期の囚人であり、彼らとひとりずつ何かしらのルールで戦い、3勝すれば通ることが出来る。逆に囚人らは一時間毎に一年刑期を短縮する恩赦があるので、全力で足止めをしようとしてくるとのこと。ちなみにルールの方は囚人が提案する。
最初の相手は説明をしたスキンヘッドの男であり、こちらが誰が出るか決めることになった。
(うーん、生命力はこちら側と同じで扱え無さそうだけど、最初に白星を上げた方が、後の子たちもやり易いわよねぇ。それに見たところ、体を動かすモノを提案して来そう――)
「よっしゃ! 俺が行くぜ!」
アトラがまず名乗り出ようとホワイトボードにマーカーの先を付けた瞬間にレオリオが名乗りを上げ、そのままリングへと行ってしまった。
(………………ヤバくないかしら?)
純粋にスキンヘッドの囚人とレオリオの身体能力を顧みた結果、アトラは負けると判断し、ルールと恩赦の性質上、何らかの方法で時間一杯までゲームを引き伸ばされる可能性が高いと結論を付ける。
案の定、スキンヘッドの囚人からデスマッチが提案され、レオリオはそれを受ける。そして、覚悟を褒めた後、囚人はレオリオに飛び掛かり、囚人がレオリオの喉に手を掛けようとし、レオリオが相手の速さに驚愕したような目を見せた瞬間、アトラは指を弾いた。
『フィッシュ!』
「うぉぉぉおぉぉ!?」
その直後、糸の巻き付いた胴を中心にレオリオが引っ張られて、アトラの腕の中に収まる。当然、他の者が手を出したという事で、レオリオは反則負けとなった。
「アトラ、お前!? 何すんだよ!?」
《ごめんね》
「……いや、今のアトラの判断は正しい」
「どうしてだよクラピカ!?」
「だってアイツ、明らかに元軍人か傭兵だぜ。喉を潰されて、まいったと言えなくされた後、時間一杯まで拷問でもされてただろうな」
「………………マジ?」
最初アトラの行動に怒りを浮かべていた様子だったが、クラピカとキルアの弁明によって、強制回収されなかった場合を提示されたレオリオは目を点にしながら顔を青くする。
《仕方ないわ、医者志望のアナタには縁も所縁もないことよ》
「すまねぇな……」
◇◇◇
次の対戦相手は、話し合いの結果クラピカになり、対戦相手は青い肌にゾンビのような顔をした男の囚人である。
(整形に失敗でもしたのかしら……?)
アトラはあんまりなことを考えつつ、前の囚人の三分の一の能力すら無さそうな囚人だったため、クラピカの圧勝になると結論付けた。
「なあ、お前さ……どうして試験中に誰も殺さないんだ?」
すると試合に釘付けな様子のレオリオとゴンを尻目に、キルアがアトラにだけ聞こえる声量でそんなことを聞いてきたため、意識をそちらに向けた。
あまり他者に聞かれたくない雰囲気を感じ取ったアトラは、ホワイトボードにいつもより小さく書き、キルアとだけ会話する。
《それはどういう意味かしら?》
「俺、殺しの家業をしてるから、お前みたいな奴のことはよく分かるんだよ。殺すことに何の躊躇も覚えないし、後悔もせず、数秒後には忘れているようなタイプだろ?」
(…………へぇ)
それは常人に言えば失礼極まりない事柄であったが、アトラにとっては概ね間違っていない評価のため、生命力も見えないにも関わらず、比較的穏和に振る舞っていた自身の様子からその答えを導き出したことに大きな関心を抱いていた。
《それはそうだけど、私は快楽で殺しはしないわね。理由がなければ特に殺そうとも思わないわ》
そう書いた後、マーカーの先が止まり、すぐに更なる文字を書く。
《…………いえ、そういう時期がなかったとは言わないけど、遠い昔の話よ。あの頃は若くて、血に餓えていて、自分以外の全てを撃滅しなければ気が済まなかったのよ》
「お前、この試験で一番ヤバい奴だもんな。というか、お前よりヤバそうな奴は見たことないぜ」
《否定はしないわ。私が一番ぶいぶい言わせていた頃だし、本質は今でも大差ないもの》
そう言うアトラの目は酷く懐かしく、途方もないほど遠くを見るような何とも言えない目をしていた。
《けどね。そういう事って永遠には続かないものなの。と言うよりも私が飽きてしまったわ》
異常なまでの弱肉強食の連鎖。何処まで行っても喰らい合い、騙し合い、殺し合いしかない凍てついた暗い世界。それは"深淵"と呼ぶに相応しいものであり、"深淵の主"と呼ばれた彼女はそれ相応に長い年月をそこで過ごし、ひとつの頂点まで登り詰めた生粋の怪物である。
《滴り落ちた血と溢れた臓物に先はなく、死と怨嗟に果てはなく、何処まで行っても変わらない闇だけ。明るさ、楽しさ、温かさ、そういう綺麗なモノはそこでは決して得られないものなのよ》
「………………」
《アナタはゴンや私を含めた他の子たちと会えたことを後悔してるかしら?》
「してないし……すごく心地いいよ。どうでもいいようなことなのに……楽しくてさ」
《ならアナタの欲しい答えは決まっているんじゃないかしら?》
その答えにキルアは目を見開く。しかし、アトラは少しだけ冷たい目になり、続けて文字を書いた。
《でも、守れるのは精々、自分ともう一人が関の山。強いから誰も彼も守れるだなんて、それこそ身の程知らずの戯れ言よ。一人で闇にいた方が楽なことこの上ないわね。だから、闇に身を置かなくなった時点で、確実に弱くなるわ。強さを取るか、光を取るか。それを選ぶのはアナタ次第ね。私も、過激な頃に比べれば弱くなったもの》
「結局、どっちか答えになってねぇじゃねーか……」
《当たり前よ。イチイチ、発言に責任なんて取れないもの。大人はいつだってズルいのよ。悩めるうちに自分のことぐらい自分で悩み、答えを出しなさいな、ひよっ子ちゃん》
「……うっさい」
そんな会話をしていると、丁度クラピカが囚人の顎を掴み、床に殴り付けたところだった。
《終わったわね》
「見る価値もねーよ」
◇◇◇
その後、三人目の対戦に入る前、三人目の囚人が出て来て、二人目の囚人はデスマッチを提案したが、死んでおらず気絶しているだけとして、試合はまだ続行中と言った。それに対し、クラピカは既に戦意のない相手を攻撃してしまったため、これ以上敗者に鞭を打つような真似はできないとして、目が覚めるまで待つことを表明した。
《失礼》
「……な!?」
その会話の後、三人目の囚人が控えの場所に戻った瞬間、アトラは糸を飛ばして、二人目の囚人の顔の前に置かれていたメモだけを拾い上げる。そして、それをレオリオに渡した。
「ああん……"気絶したフリを続けろ、このメモは口の中に隠せ"だぁ!? ふざけてんじゃねーぞテメェ!」
「チッ……勘がいいわね」
《どうどう、メモを落とすのがOKなら勝手に回収するのもOKでしょ。まあ、これであの囚人は起きたら反応するわよ》
それからしばらくして二人目の囚人は起き、デスマッチを再開するという話をクラピカからすると、更に真っ青な顔をして"まいった"と言って戻って行った。
◇◇◇
《よろしく、私はアトラク=ナクア。アトラって呼んで。アナタのお名前は?》
「あら、よろしく。私はレルートよ」
勝負の内容はこちらの時間を50時間、レルートの刑期を50時間をチップとして10時間単位で賭け、交互に賭け事や問題を出し、どちらかの時間がゼロになるまで続けるというルールである。
ニコニコしながらホワイトボードを持つグラマラスな体型のアトラと、線の細い小柄な体型をして吊り目をしたレルートはある意味対照的と言えよう。
《先に聞いておくけど、全く同じ問題はダメ?》
「ええ、全く同じモノはダメ。互いに別の問題にしましょう。まずは私からね。10時間賭けるわ」
そうして、アトラ VS レルートのクイズ対決が幕を開けた。
「朝は4本、昼は2本、夜は3本足の生き物ってなーんだ?」
「なんだ、ただの子供のなぞなぞじゃねーか。アイツ、阿呆なのか?」
「いや、待て! 相手は人間ではなく魔獣のアトラだ。これは……」
「外野は黙ってなさい。さあ、答えて」
(いくつか考えはあるけど、まず人間の言葉遊びに馴染みはあるかしら?)
レルートは小手調べとして、少しずつアトラの苦手とする問題傾向を把握し、答えにくい問題で固めて少しずつ追い詰めて行こうと考えていた。
アトラはしばらく真面目な顔で考えながら、頭に手を当てて悩む仕草をし、時間一杯まで悩み抜いた末に確信を抱いた表情で文字を書いた。
《ショゴス》
「ぶー、正解は人間でした!」
《どーゆーこと……?》
「言葉遊びよ。赤ちゃんがハイハイするから4本足、次第に立って歩くようになるから2本足、最後は老人になって杖を突いて歩くから3本足よ」
《ああ、そういう謎掛けね》
(ビンゴ! この路線でいいわね。ショゴスってなにかしら……?)
カウンターがアトラが40時間、レルート60時間を指し示し、問題の回答権が入れ替わる。
《うふふ。じゃあ、私も10時間ね》
(どうも他の受験者に比べれば遊び半分で参加しているように見えるし、この分なら問題もそこまでは――)
《965482×791534は?》
「は……?」
レルートは唐突かつ難解極まりない問題内容にピシリと固まる。
《5》
《4》
《3》
《2》
《1》
ホワイトボードの字を書いては消してを繰り返して、アトラはカウンダウンを行ってゆく。
《どうぞ》
「わ、わかるわけないわよ! というか答えのわからない問題を出すのは――」
《正解は764211829388よ》
「え……え……?」
《965482×791534は764211829388ね》
(え、なんなのコイツ……だったらさっきのなぞなぞの回答はなに……?)
レルートがより困惑する中、自身の携帯電話に目を落としていたクラピカが口を開く。
「試しに携帯の計算機で計算してみたが、正しいようだな」
「アイツ、普段はあんなにすっとぼけてんのに頭いいのかよ……」
「アトラは俺の勉強の先生だもんね。一回、読んだ教科書の内容とか全部暗記してるんだ」
「替え玉受験してくれねぇかな……?」
(やっべ……コイツガチだ……)
アトラは小細工や心理戦が全く通じないタイプだということを痛感し、レルートは頭が真っ白になった。
全く同じ問題を出してはならないかをレルートに聞いたのはこれをするためだったのであろう。屁理屈だが、一桁でも数字を変えれば別の問題であり、何度でも使うことが可能であり、アトラに問題を回せば必ずやってくることであろう。その上、頭の回転速度が常人の比ではないことも明白であり、生半可な問題では簡単に答えられ、なぞなぞにも限度がある。
ちなみにアトラとしては、レルートが全く答えられなかった様子なので、算数の問題を出すのは止めようと考えているが、レルートの知るところではない。
時間はアトラ50時間、レルート50時間に戻る。
(長期戦は敗北確定……勝算のある運ゲーに持ち込むしかないじゃない……ご、50年刑期増えちゃう……)
無論、レルートはわかっていれば最初からこのようなゲームの提案はしなかった。それどころか、捕まる前から絶対に相手にはしなかったような人種である。
しかし、メモは回収したが、二人目の囚人のマジタニが気絶中、のほほんとした顔で、少年らと手の大きさを比べたり、他の四人にあやとりを教えたりしながら時間を潰していた変な奴が、ここまでの者だとは誰も思わないであろう。
そして、考えた末、レルートは腹を決め、ここで最後の勝負に出た。
「次はジャンケンにしましょう。50時間全部賭けるわ」
《ジャンケン》
(ん……? なんだか様子が……)
それを聞いたアトラはこれまでしていた朗らかな表情が能面のような面持ちに変わる。そして、そこからにこりとレルートに笑い掛ける。子供っぽさと大人びた妖艶さと人外の魔性を含んだ笑みに同性のレルートも思わず、胸が高鳴るほどであった。
そして、再び表情を真顔に戻し、大袈裟に肩を竦めてから四人のいる背後に振り返る。
《ねぇ、みんな……》
アトラは真顔のまま、色を失ったかのような表情で、全員に伝わるように自身の真上の空へ、糸で文字を浮かべた。
《ジャンケンってなに……?》
『「「「…………えっ?」」」』
「………………え?」
ここに来てアトラはハンター試験中、初めて顔をひきつらせ、焦りの表情を浮かべつつ青い顔をしていた。無論、レルートが千載一遇のチャンスを見逃して、問題を変えて貰える訳もない。
それどころか、早口で最初はグーから行われ、とりあえずグーの形を真似たアトラとレルートのジャンケン結果は――。
「私の勝ちー! オーホホホ♪」
《 (´・ω・`) 》
ジャンケンのルールを知らず、チョキとパーを知らない暗黒大陸の生物に、その課題はあまりに酷な内容であったと言えよう。こうして、彼らは囚人との対決に勝ってもアトラの敗北が原因で、50時間の足止めをされるのであった。
アトラク=ナクアこの世界で初敗北。原作から特に何もしていない男性囚人共とは違い、実質的にハンター試験編全体を通して、ヒソカの次ぐらいに個人でゴンとその仲間を苦しめたと言っても過言じゃないレルートさんは流石だぜ……。後、アニメだと結構可愛い(小声)