育手である桑島慈悟郎は先日まで居た少女を思い出す。
同じ育手である鱗滝左近次から手紙が来たときは何事かと思ったが雷の呼吸を学びたいと言う彼女の熱心さに折れ。ついつい教鞭を振るってしまった。
彼女はどんな事にも真剣で、教えた事は貪欲に吸収していった。その成長振りがつい面白く、他人の教え子でありながら惜しげもなく型を伝授してしまった。
久し振りに気骨ある若者だった。
最近は同じ流派である、育手の監督に専念していたが、久し振りに自分自身が教えるのも良いかも知れない。
志望者を待つのでは無く有望な人材を探してみるのも面白い。
旅をしてみるのはどうだろうか。最近は家に籠りがちであった。まだ身体が動く内に旅を楽しみながら才ある若者を探す。
我ながら名案だ。
では支度をしよう。まずは北か、南か。
いや、やはりどちらでも良い。着の身着のまま気の向くままに、旅とはそうあるべきだ。
主発は明日にしよう、実に楽しみだ。
桑島慈悟郎、我妻善逸と出会う一年前の出来事である。
◇◆◇◆◇◆
岩を斬った日、鱗滝さんは自分達に何も追及する事は無かった。
二つの呼吸を使う意味、仕草や態度がちぐはぐな自分達。思えば聴きたい事は沢山あった筈だ。
鱗滝さんは気にした様子も無く、自分に最終課題を達成したお祝いと最終選別の厄祓いを兼ねて赤飯を炊いてくれた。
食事は以前の世界を考えると質素な物だったが、一つ一つ鱗滝さんが手間を惜しまず作った食事は大変温かく、嬉しい気持ちで満たされる。
食事後伸びた髪を切り整える鱗滝さんに自分は何とも言えない気持ちになりポツリポツリと自分達の事を打ち明ける。
全ては話せず表面的な部分のみだったが鱗滝さんは静かに耳を傾け「そうか。」と最後に一言呟いた。
自分の中では壮大な告白だったが意外と反応が薄い鱗滝さん。やはり、真菰の言う通り自分達には気付いていたのかも知れない。
そう言えば真菰と彼は何処に住んでいるんだろう。鱗滝さんの教え子だとは思うけれど…。
鱗滝さんに尋ねると髪を切る手が止まる。自分は二人に最終課題の時にお世話になった事、真菰が鱗滝さんを好いてる事を話した。
お面を着けてるので鱗滝さんが今どんな顔をしてるのかは分からない。でも途中から自分の肩に手を置く鱗滝さんの手が震えている事に気付き、自然と話の声量が尻窄みになる。
話の最後に「二人は元気だったか?」と鱗滝さんが尋ねた。
自分が答えると鱗滝さんは嬉しい様な悲しそうな声色で「そうか。」と言う。
結局二人の事は聞けなかった。
それから鱗滝さんはお面をくれた。名を「厄除の面」という。悪い事から身を守ってくれるようだ。真ん中を境に左右非対称な顔が彫られている面は成る程良く自分達を模していた。
鱗滝さんは藤襲山で行われる最終選別が一週間後なので移動を考えると明日にはもう発たねばならない事、明日も早いのでもう寝る様にと言われ、その日を終えた。
早朝、水場にて身体を清め、藍色の着物に手を通す。腰には鱗滝さんから借りた日輪刀を携え、頭に貰った面を斜めにかけた。
気のせいか着物丈が合わない気がする、少し身長が伸びたかも知れない。この身体になってから測って無いが今の彼女は大体百五十台後半くらいだろう。前の自分が百六十そこらだから視線にも違和感が無い。
(嬉しいけど、私的にはこれで止まって欲しいかな。)
(女性は小さくってやつ?多少大きい方が健康的で良いんじゃないかな。この世界は時代柄、比較的皆小さいけど俺の世界は大きい女性も結構居たよ。)
(それでも駄目。…食べるの減らそうかな。)
それこそ駄目だ。鬼殺隊は身体が資本、沢山食べて沢山動かないと。そう考えると健康的な生活してるな、睡眠も早いし背も伸びる訳だ。
うぅ…。と嘆く彼女を無視して身体を見る。姿見は無いがこうして見ると結構良い感じじゃないかな。刀も様になってきてるし。
「うむ、似合っているぞ、結。」
後ろから鱗滝さんに褒められる。
「ありがとうございます、鱗滝さん。」
(馬子にも衣装と言うしな、それに多少なりとも彼女は整った顔立ちだ。まぁまぁだな、まぁまぁ。)
(うるさいなぁ…全くもう。)
「…もう出る時間だな。結、教えられる事は全て教えた。後はお主次第だ。」
「はい、本当にお世話になりました。」
一礼し、家を後にする。手を振ると鱗滝さんも手を振り返す。時間にすると一瞬の事、だが高い視力が「それ」を見た。
(…ちょと代わるね。)
彼女は直ぐ様来た道を戻り、鱗滝さんの手を握る。
「そうだ!無事に帰ったら鱗滝さんのお面の下の素顔見せて下さい。」
彼女は彼女と自分の鱗滝さんの顔の予想やお土産の事等、取り留めの無い話をしている。
(……全く。)
恐らくこんな日を鱗滝さんは何回も行って来たのではなかろうか。そしてその内の何人かは帰ってくる事は無かった。
あの瞬間見たものが正しければ鱗滝さんが自分達に振り返すその手は震えていた。
彼女はその後も話を続けた。少しで終わるかに見えた話は彼女の終始一方的なもので話を続け、鱗滝さんが流石に出発を促す半刻の間続けた。
「行ってきます!」
彼女に振り返す鱗滝さん。その手に震えは無い。
(女子の話が長いのは本当らしい…。)
(もう… うるさいなぁ!)
藤襲山までの道のりは交代で進んだが自分の歩みは驚く程軽やかなものだった。
この世界での存在が彼女で良かったと改めて感じた日であった。
◇◆◇◆◇◆
夜の藤襲山。鬼殺隊の最終選別の場。
(うわぁ…綺麗だね。)
(そうだな。こんなに沢山咲いてると絶景だ。)
現場の麓から山道まで藤の花が咲き乱れ月の光に照らされている。鬼は藤の花の持つ独特な香りを嫌うと言う。たがこれだけの量、人為的で無い筈が無い。
(鬼から何かを守っているか。その反対か。)
(…どういうこと?)
(行けば分かる。)
山道を登り終えると自分と同じ様に刀を携える同年代の男女が二十人程待機していて中央にはこの場に不相応な着物を着た幼い少女が二人立っている。此所が試験会場らしい。
(可愛い子達。双子かな?)
多分な。自分は人形みたいで余り好きでは無い。七五三の日本人形が幼い時から苦手なのもあるかも知れないけど。
定められた時間になると二人の少女が話を始める。どうやら此処の担当者らしい。鬼殺隊の有力者の娘だろうか。
曰く、この藤襲山には生け捕りにした鬼が閉じ込められている。この藤の花の柵の中で一週間生き抜く事が最終選別合格の条件だ。
一週間生き抜く。つまり鬼を倒す必要は無いと言うことだ。
鬼は夜活動を始める。日中は日当たりの良い所で休息を取り、夜は身を守る為の立ち回りが求められるという事。
(とりあえず今日は朝日が登るまでが勝負だね。)
開始を言い渡されると自分達選別受験者は藤の花の柵を越えて山の中へと散り散りとなる。
山道を数分歩くと周囲に幾つもの人ならざる者の気配。
(作戦通りいくぞ。結、準備は良いか?)
(大丈夫。任せて。)
身体の主導権が私に代わる。
作戦は至極単純だ。様々な条件に対応出来る水の呼吸の使い手である私が主に戦い、不測の事態になった時は雷の呼吸の使い手である彼が前に出る。彼は水の呼吸も使えるが私の呼吸よりは威力が劣るらしく、今回は補助的にしか使わないらしい。
急な呼吸の入替えは身体に負担が掛かる。前回の異なる呼吸からどれだけ時間が流れ、身体を準備出来たかにもよるが一回の戦闘において問題無く交代出来るのは現段階では一回が限度だった。
「久し振りの人肉だぁ!!」
「若い女。それにこの匂いは!?」
目の前に二体の鬼が現れる。
(落ち着け、今のお前ならいける。)
そうだ、大丈夫。彼に守られていた以前の私とは違うんだ。落ち着いて型を繰り出せ。
全集中!!
《水の呼吸 肆ノ型 打ち潮》
振るうその数、数閃。
二体の鬼は狙い通り、その頚と攻撃に用いていた手を失い、力無く崩れ灰となって消えた。
(良くやった、結。)
うん!斬れた、鬼に勝てた。鍛錬は無駄じゃ無い。確実に実力は身に付いている。
その後も鬼は現れ続け、六人目を斬った所で初日の朝を迎えた。
(お疲れ、結。後は俺が見る、休んでいてくれ。)
ありがと、後はお願いね。
命のやり取りは一晩しか経って無いものの私に少なく無い疲労感を残していた。彼の言葉に甘え、身体を彼に譲り、意識を休ませる。
日中とは言え、周囲に鬼が隠れるこの山で意識を完全に手放すのは危険が付きまとう。身体はその回復力も強化され多少睡眠を欠く位は問題無いが精神面は別だ。
だから日中は身体を休ませながらも彼に周囲を警戒して貰い、私は安心して精神を休める事が出来た。
そんな日を何日も繰り返し、私達は無事に最後の晩まで生き延びていた。途中、何度か他の候補者達の危ない場面に遭遇したが私達が問題無く対処出来る範囲内だったので可能な限り助け続け、その度他の候補者達に下山を促した。
能力不足だったとは言え、彼等も私達と同じ様に帰りを待つ育手の方がいるのだ。皆まだ若い、命があればまたやり直せる。死んだら此処で終わりなのだ。
そうして今日までに斬った鬼、その数は三十程になっていた。
何回か話を試みたが鬼はまともに取り合う事は無かった。人と同じ言葉を使うがその関係性は隔絶している。鱗滝さんから基本的な事は聞いていたが未だに鬼が一体何なのか私達は測りかねていた。
「ぎゃああああ!!」
突然上がる誰かの悲鳴で私の全身はびくん、と跳ねる。
近い距離だ。今急げば間に合うかも知れない。
向かう事を彼も肯定し、私達は声の主まで駆ける。
今までの鬼の歯応えの無さに私達は疑問を感じていた。鱗滝さんの教え子の多くはこの最終選別で戻らぬ身となっている。
だが私達は兎も角、あの鱗滝さんの指導を受けて、この程度の鬼にやられるとは思えない。そんな力量ならばまず鱗滝さんは最終選別へ向かう許可さえ出さないのだ。
だからきっと彼等が戻らない理由がある筈。そう思って今まで夜を駆けて来た。
声の主まで駆けると何者かが宙に浮いているのが見える。
「ッッッッ!!」
月の影に隠れていたそれは目を凝らすと、最終選別の受験者の一人。
その人は首元を何者かに握り潰され絶命していた。
握る手は驚く程長く、薄青白い、手は暗い森へと続いている。
「また来たな。俺の可愛い狐が。」
ズルッ。と言う不快な音と共に姿を現れしたそれは私に声を掛ける。
月光に照らされてた姿は大きく、全身が無数の腕で覆われていた。