扶桑海軍少佐、坂本美緒の朝は早い。
日が昇り始めて間もない青と黒の入り混じった空の下彼女は起床してまず基地の敷地内でランニングを行う。
そうして身体を温めて汗を流し、基礎の体力作りを終えるといよいよ本命の工程、木々の中で愛刀烈風丸の素振りに入る。
一太刀、一太刀想いを込めて垂直に振るう。
ここまではいつも通りの普通の流れ、たった一人きりの落ち着いた時間であった。
しかし今日は違った。
八百二十六回目を越えたあたりから後ろに何やら気配を感じる…が敵意のようなものを向けられてはいないと感じたため彼女はそのまま素振りを続ける。
日課の千回目を終えて坂本は息を吐く。そして視線を背後に向けるとそこには男が一人
「もう起きていたのか、目覚めが早いな」
「その言葉そのまま返すよ。鍛錬、こんな朝早くからやってるんだな」
腕を組みながら立っていたのはソーマだった。彼は汗をかいた坂本にタオルを渡して歩み寄る。
「毎日やらねば落ち着かなくてな。一日気を引き締めるためにもこの時間にやるのがいいんだ。ところでお前は何故ここに?私に何か用か?」
「いいやこれといって用事とかはないんだ。散歩がてら歩いてたら窓から少佐が見えてさ。気になってそれで来てみたんだ」
「ふむ、そういうことか」
ソーマの言葉に坂本は得心がいったように頷くと不意に彼にある提案を持ちかける。
「どうだ、私と剣を交えないか?」
「え?今から?」
思いがけない誘いにソーマは目を丸くする。
「お前も剣を使うだろう。お前の剣の腕を確かめたいんだ」
「それは構わないけど危なくないか?寸止めで止めてくれるんだろうけど俺シールド使えないし」
「シールド張れないのか?それは知らなかった。どうしてもというのなら無理にとは言わんが」
「まあ、変身した状態ならある程度問題ないけど」
「なら変身してくれていい。やるなら気を遣わずにしたいだろう」
「おっけ、それなら喜んでやらせてもらうよ」
そういう条件ならばと申し出を受けたソーマはドライバーを起動させ、黄色の指輪を翳して変身する。
『ランド、プリーズ!ドッドッド、ドッドッドン!』
『コネクト、プリーズ!』
指輪と同じ色の魔法陣が足元から頭上にかけて体を通過し、ソーマはランドスタイルへの変化を終える。
コネクトの魔法でウィザーソードガンをソードモードにし、刀身に左手を添える。
「黄色の姿か…準備は整ったな。では、行くぞソーマ!」
「ああ、いつでも!」
剣を向け、構えを取る両者。
二人は距離を縮め、透き通った音が木々に響く。
「いやぁ、いいなぁ実にいい鍛錬だった。やはり打ち合う相手がいると剣筋にも張りがあるなぁ!」
「さすが剣の達人…変身してても結構ヒヤっとしたよ…何回か」
素振りをこなした後の勝負であったというのに息を乱さず疲れを見せない坂本。打ち合ったソーマは変身を解いて、その場に座り込む。
「でも勉強になったよ。さっき少佐も言ってたけど剣の立ち合いなんて滅多にできないし、戦闘の動きの確認にもなるしやってみたら結構タメになるな」
「身になったのなら申し出た私としてもありがたいところだ。なんなら今日だけでなくこれからも定期的にやるか?」
「本当か?少佐がいいなら喜んで」
「よし、ではまた明日だな。今日のところはひとまずこれで終わりにするとしよう。朝食まで時間もある。風呂にでも入って汗を流してくるといい」
「少佐は?」
「私はまだここにいる。まだ三十キロ走り終えてないからな」
「さんじゅっ!?…」
ケロッと何食わぬ涼しい顔で言ってのけた扶桑海軍少佐の前にソーマは耳を疑い唖然とする。
とんでもない体力お化け…そんなフレーズが頭に浮かんだがそれを目の前の上官にぶつける度胸は彼にはなかった。
嬉しそうに剣を交錯させる坂本。
その姿を一部始終、遠くから望遠鏡越しに眺めていた…もとい監視していた者がいた。
「ぐぬぬ、何なんですの!あの方は!」
唸り声を溢してペリーヌは仇敵を見るかのようなギラりとした鋭い目つきを坂本の隣にいるソーマに対して叩き付ける。
「坂本少佐とああも親し気に…!なんてうらやま、いえ礼儀知らずなのです!」
ペリーヌは嫉妬の叫びを上げる。閉め切った自室のため幸いそれを聞く者はいない。
ソーマ・スペランツァそして宮藤芳佳、この二名がペリーヌには堪らなく気に入らなかった。
前者については得体の知れない力と姿を除けば階級が上なこともあって極力不快感を表に出さないようにしている。
だが後者よりもっとそれ以上に不快、もとい敵視しているのは宮藤の方だ。自らの意志で軍人になる道を選んでおきながら戦争はしたくないと知ったような口を聞く。そんな態度でありながら坂本が構っているのがペリーヌの神経を逆なでしていた。
あの二人とは反りが合わない。そして敬愛する坂本少佐が目にかけているのが忌々しい。
ペリーヌはそんな思いを持っていた。
それから小一時間程経った食堂ではソーマを交えたウィッチたちが一堂に会して宮藤お手製の日本食を食していた。
黙々とあるいは嬉々として食物を口に運ぶ中で一人、食事はおろか箸にすら手を付けずただぼんやりそこに座っているだけの人物がいた。
「ねぇ食べないの?トゥルーデ。食欲ないの?」
「あ、あのお口に合いませんでした?」
そのバルクホルンにハルトマンと宮藤が言葉をかける。しかし声をかけられた本人はどちらにも言葉を返すわけでもなく、席を立ち食器を片付けるため移動する。
自分の料理が何か勘に触ってしまったのだろうかと心配になる宮藤。その心理を読み取ったかのようにペリーヌが口を開く。
「バルクホルン大尉じゃなくてもこんな腐った豆なんてとてもとても食べられたもんじゃありませんわ」
「でも納豆は健康にいいし坂本さんも好きだって」
「坂本さんですって!?坂本少佐とお呼びなさい!」
「え、でも坂本さんが私たちは海軍だから階級とかは気にしなくていいって」
「また貴方は!私だって…さん付けで…」
宮藤に食ってかかるペリーヌ。
「確かにクセは強いけどそんなに強く否定するほどじゃない気もするけど…あ、悪い。ソイソース取ってくれるか?」
「おお、はいよ」
「ありがとな」
隣で勃発しているペリーヌ対宮藤の構図はさておいて、ソーマはシャーリーから受け取った醤油を白米にかけて納豆と一緒にかき混ぜ出す。
ネバネバの糸と鼻につく特徴的な匂いとぐっちゃりと混ざった見た目にソーマの隣にいるルッキーニは顔をしかめる。
「うぇ~変な見た目~臭いもすごい酷いし」
「でもこうして食べるのが扶桑流って聞いたぞ。だろ?」
「はい、醤油も納豆もご飯にも合いますから。扶桑じゃ両方かけて食べる人は珍しくありませんよ」
「見た感じすごく体に悪そうなのにな。お風呂といい扶桑の文化は変わってんな~」
宮藤の説明にそう感想を呟くシャーリー。彼女たちの会話に耳を傾けていたソーマが目を別の方向に向ける。
一人食堂を後にするバルクホルン。そんな彼女をソーマは目で追っていた。
「私ってバルクホルンさんに嫌われてるのかな」
朝食後次のお茶会に備えてリーネが準備をしていると宮藤がふとそんな言葉を呟いた。
「え?どうして?」
「なんか避けられてるような気がして」
「気のせいだよ。バルクホルン大尉は誰にもあんな感じだよ。あ、でも中佐とハルトマン中尉は別だけどね。あの戦いが始まった時からずっと一緒だったんだってあの三人」
「へー」
そんな二人のやり取りを少し離れたところで聞きながらソーマは椅子に座っていた。片肘を机に付いて外の風景を何の気なしに眺めていると空から赤い影…機械でできた赤い鳥が足で指輪を持って舞い降りた。
それに疑問を露わにすることなく窓に近づいてソーマは鳥を招き入れる。
「お疲れさん」
労いの言葉をかけると赤い鳥は身体を指輪に変形させて動かなくなる。その指輪をポケットに仕舞い込んでソーマは鳥が運んできた指輪の表面を確認する。
左向きの矢印と右向きの矢印、二つの矢印が上下に分かれた紋様が彫られている。
表面をまじまじと眺めてソーマは指輪をまた仕舞いこんだ。
そしてテラスで行われる交流会に三人は共に向かった。三人が顔を出すと彼ら以外は全員着席していた。
宮藤とリーネは同じ席に座った。だがソーマは足を動かしたのは彼女たちとは異なる別の席。
「ここいいか?」
「いーよ。トゥルーデもいいよね?」
彼が向かったのはハルトマンとバルクホルンのいる席。
快く了承してくれたハルトマンに反してバルクホルンからの反応はない。ひとまず「ありがと」と感謝を告げてソーマは彼女たちと同席する。
「作戦室からの報告では明後日が出撃の予定です。ですので皆さん今日はゆっくりと英気を養ってください」
ミーナの言葉で懇親会が始まりを告げる。
「何か持ってこようか?」
「いいの?じゃあケーキお願い!種類はおまかせするよ」
「おっけ、バルクホルン大尉は?」
「必要ない」
「そっか」
立ち上がってケーキを取りに行くソーマ。彼に向かってバルクホルンは叩き付ける。
「お前といいあの新人といいわざわざ最前線にまで来てやることが馴れ合いとは…呆れ果てたものだな」
新人、それが誰を指しているのかすぐに見当がついた。ソーマがその新人に目を向けると、紅茶のすすり方で粗相をやらかして恥ずかしそうに赤面し、ペリーヌにまた呆れられていた。
ソーマはバルクホルンに異を唱えることも、振り返ることもせずケーキを取りに歩みを再開した。
「待って!」
お茶会が終わった後部屋に戻ろうと一人廊下を歩いていたソーマにハルトマンが声をかける。
「ハルトマン少尉、どうした?」
「さっきはごめんね、ソーマ。トゥルーデが」
「大丈夫、気にしてないよ」
「トゥルーデが不愛想なのはいつものことなんだけど今日はなんだかいつにもましてるような気がするなぁ…なんでだろ」
バルクホルンに代わって詫びたハルトマンは深く考える。その彼女にソーマは問いかける。
「ハルトマン中尉ってバルクホルン大尉とはここに配属される前からの付き合いって聞いたけど心当たりとかないのか?」
「心当たりかーうーん…もしかしてクリスのことかな」
「クリス?」
「トゥルーデの妹だよ。カールスラントの撤退戦の時にね、ネウロイに襲われたのが原因でずっと意識を失ったままで今は病院にいるんだ」
ハルトマンの話を聞いてソーマはバルクホルンの言動に納得する。
「とにかくトゥルーデのことは嫌いにならないでね。さっきはあんなこと言っちゃったけどたぶん悪気があって言ったんじゃないんだ。ちょっとピリピリしてて余裕がないだけで本当は―」
「わかってるよ。バルクホルン大尉が思いやりのある人だってのもハルトマン少尉が信頼してるのも。わざわざ言いに来てくれてありがとな」
「ん、こっちこそありがと。そう言ってくれて助かるよ。じゃあまた後でね」
「おう」
そう言って踵返すハルトマン。角を曲がってそのまま自分の部屋に戻ると思いきや、ひょこっと顔を出す。
「あ、そうだ。私のことハルトマンでいいよ。そういうの苦手だし」
「ああ、改めてよろしくなハルトマン」
上げた片手を振ってハルトマンは足音と共に遠ざかっていく。過ぎ去ったハルトマンの背に軽く微笑んでソーマは自室のドアに手をかけ、そのまま動きを止める。
「妹、か…」
今日一日のバルクホルンの様子を思い返してソーマは呟く。窓から差し込む黄金色の温もりを背に受けた彼の体は自室へと消えた。