百合の花〜三題噺の箱庭~   作:しぃ君

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 今回の話は地震が主軸に入っているので、嫌だと想ったらすぐにブラウザバックしてください。


いつか来る終わり

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「『終わり』、『明日』、『無意味』」

 

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 私、震河(しんかわ)(いつき)の日常はごく普通の物だった。

 産まれは秋田の農村で、高校入学と同時に東京の学校に行く為に一人で上京。

 入学してからの一ヶ月は地獄のようだった。

 家事全般は出来たものの、慣れない言葉でクラスメイトと話したり、バイトをし始めたりして、苦難の連続に見舞われた。

 

 

 それでも、最初の一ヶ月を乗り切れば意外と何とかなるもので、私は周囲の環境に適応していった。

 三ヶ月目ともなれば、方言は殆ど顔を出さず、満員電車に乗るのも苦と感じなくなるように。

 

 

 夏休みに突入した今日はオシャレの街と言っても過言ではない渋谷に来ている。

 両隣には高校で知り合い親友とも言える間柄になったクラスメイトの二人。

 優美(ゆみ)美佳(みか)だ。

 休日なのにも関わらず、学校の制服に身を包みながらスクランブル交差点を歩く。

 

 

 何でもない話をして、笑って、ちょっと怒って、私達は歩いていた。

 ……本当に唐突だった、終わりと言うのは。

 

 

『緊急地震警報! 緊急地震警報! 大きな揺れが来ることが予想されます! ────』

 

 

 その次に続く言葉を、私は聞こうとしなかった。

 地震なんて、そんなに珍しくもない。

 どうせ、何時もみたいにちょっと揺れてそれで終わりだろう。

 

 

 そんな風に……私は考えていた。

 甘かった…甘すぎた。

 非日常的な事も、慣れてしまえばそれは日常。

 地震と言う非日常的な事象を、私達は多く経験しすぎてしまった。

 過去の記録が、被災の爪痕が、未だ残っているのにも関わらず。

 重く現実を受け止めようとしなかった。

 

 

 遥か昔、天災は神が起こすものだと信じられていたらしい。

 もし…もしも、これが本当だったなら。

 学校の授業で習うものこそが偽物だったなら……この天災は神様からの罰なのかもしれない。

 

 

 私は、そう思った。

 

 

 揺れた。

 横ではなく縦に揺れた。

 自分が今まで感じた地震なんて目じゃない。

 立っていることは出来ず、ましてやまともに辺りを見渡すことも出来ない。

 

 

 この時、初めて知った。

 幾ら経験しようが…無意味なものはあると。

 激しい揺れは数十秒と続き、辺りは阿鼻叫喚の地獄絵図。

 逃げようにも逃げられず、崩れゆく建物に押し潰された人は、何十、何百、何千、何万と居た筈だ。

 

 

 日常はたった今、呆気なく崩れ落ちた。

 

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 どうやら、途中から意識を失ってたらしい。

 時間を確認するためにスマホを見ようとしたが……

 

 

「ウソ…最悪だ」

 

 

 画面はバキバキに割れていて、時間が見えやしない。

 辺りを確認しようと顔を上げると……辺り一面が瓦礫で埋め尽くされていた。

 両隣に居た筈の優美と美佳も…居ない。

 大丈夫! きっと先に起きて辺りを探してるだけだ! 

 

 

 そう決めつけて、私は辺りの探索に乗り出した。

 もし怪我をしてたり、困ってる人が居れば助けなければ。

 田舎暮らしだった私は、自分の安全を確保するより、周りの人間を助けることを第一に動き始めた。

 擦りむいたのか、膝から血が出ているが気にしていられない。

 

 

 奇跡的にほぼ無傷だったのだから、出来る事をしなければ。

 制服についた汚れを叩いて落とすと、辺りを散策するため歩き出す。

 目に映る限り全ての建物が倒壊しており、倒壊していない建物は見当たらない。

 あの揺れなのだから、倒壊していない建物を探すなど、砂場から針を探すより難しい。

 

 

 体感的に十分ほど歩いたが、一向に人が見つからない。

 もしかしたら、私は逃げ遅れてしまったのではないか? 

 そう思ったが…お門違いだったらしい。

 …紅い水溜りが見えた。

 そこかしこに、紅い水溜りが見えた。

 

 

 瓦礫の下から、少しづつ、少しづつ、溢れていく。

 どこまで行っても所詮女子高生、こんな状況に陥る可能性は皆無だ。

 当然動揺するし、腹の底から形容し難い感覚が、喉元まで押し寄せてくる。

 必死に堪えて出すことはしなかったが…口の中には胃酸特有の少々酸っぱい香りが残っている。

 

 

 …だが、それでも私は歩いた。

 優美や美佳、それ以外にも人が生きていることを信じて。

 その時の私は知る由もないが、この首都直下型地震の死者数と行方不明者数、並びに建物倒壊数は桁が一つ違ったり、数倍になっていたりした。

 それは揺るぎない記録として残っている。

 

 

 また、時間が経った。

 歩けど、歩けど、人は見えない。

 絶望に染まっていく心を支えていたのは、親友の優美と美佳の存在。

 二人ならきっと大丈夫、希望的観測どころか幻想にも近い想いは、ある一つの物を見た瞬間砕け散った。

 

 

 風に運ばれて来たのか、緑色のリボンが足元に落ちる。

 緑の他にも黒のラインが混ざっている物で……私が制服の胸辺りに付けているものと同じだ。

 歓喜した。

 リボンが流れてきた方向に行けば、会えるかもしれないと分かったからだ。

 

 

 けれど…足が動かなかった。

 …何せ、リボンは微かに鉄臭く…そして湿っていたからだ。

 冗談だと、そう思ってやり過ごそうとしたが…視線が自然とリボンに落ちていく。

 

 

(ダメ! これ以上はダメ! 戻れなくなる!)

 

 

 そう強く想っても、自然と視線は落ちていき……

 さっきはパッとしか見ていなかったリボンを、じっくりと見直す。

 …私の予想は当たってしまった。

 緑と黒で配色された綺麗だった筈のリボンは、全体に薄く紅いナニカが滲んでいるようだ。

 

 

 涙が出ると思ったが、不思議と出てこなかった。

 それもその筈だ、とっくのとうに私の心は壊れてしまったのだから……

 小さく嗚咽を漏らすが、反応する者は居ない。

 何故なら──みーんな肉の塊になっちゃったから! 

 

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 今も小さな余震が続いている。

 一夜が明けても、私の見る景色は殆ど変わらなかった。

 瓦礫、血の海、瓦礫、血の海、瓦礫、血の海。

 食べ物は食べていないし、飲み物も飲んでいない。

 念の為にと残してある。

 

 

 もし、困ってる人が居たら、助けてあげなくちゃ! 

 鼻歌交じりにステップしつつ、辺りを見渡していく。

 やはり、人影は見えない。

 しかし、どこからが泣き声が聞こえた。

 

 

「おかーさぁん! おかーさぁん!」

 

 

 子どもかな? 

 泣いているなら、笑わせてあげなくちゃいけない。

 私は高校生のお姉さんなのだから。

 声のした方向へと進行方向を変えて走り始める。

 親御さんの状態次第では助けられるかもしれない。

 

 

「大丈夫?」

 

「…ゔぅ、あ゛ぁ~ん! おねーさん! おかぁさんを助けて! 下、下に居るの!」

 

 

 可愛らしい洋服を所々血で濡らし、焦茶色の瞳から涙を流しながら懇願してくる。

 夜空色のロングヘアーが愛くるしさを増幅させるのと同時に、少女の体中に見える擦り傷や血の跡が加速度的に、愛くるしさの増幅を止めて押さえ込んでいく。

 

 

「……待っててね、おねーさん頑張ってみるから」

 

「…うん」

 

 

 少女が指をさした瓦礫の下に紅い水溜りが見えることから…答えなど分かりきっている。

 だが、少女の願いを無下にする訳にはいかない。

 出来る限りのことはしよう。

 

 

「ふっ! んぬぅ!!」

 

 

 幾ら瓦礫を持つ手に力を入れようと、ピクリとも動かない。

 少し動いてくれるだけでも希望はあるのだが……

 

 

「づぅ!」

 

 

 どうやら、先に限界が来たのは私の体のようだ。

 昨日は怪我をしているのなんて、膝だけのものだと思っていたが、腕も怪我をしていたのかもしれない。

 制服の上とワイシャツを脱ぐと……腕には青アザが出来ていた。

 肘から上の二の腕辺りを覆うように青アザが出来ている。

 

 

 痛みの原因はこれだ。

 

 

「…ごめんね。……おねーさんじゃ、ダメだったみたい」

 

「ううん。おねーさんは悪くないよ…。私が悪いの。おかあさんとの約束を破って先に行っちゃったから……」

 

 

 またしても、先程と同じように涙を流そうとする少女の体を、私はゆっくりと抱き寄せた。

 無意味な行為かもしれない。

 母親との別れを経験するには幼すぎる。

 見たところ小学校低学年…と言った所だ。

 

 

 心が壊れてしまった私には分からないが、凄く悲しくて苦しい筈。

 だったら、優しく抱き締めて上げなくてちゃ。

 温かく、包み込むように抱き締めて上げなくちゃ。

 悲しいって感情が、苦しいって感情が和らぐように。

 

 

 私が、助けて上げなくちゃ。

 私は、おねーさんなんだから。

 

 ──────────

 

 私の家におとうさんは居なかった。

 おかあさんだけが、私の家族。

 私の明日の為に、おかあさんは頑張っていた。

 私が学校に行くのと同じ位に『行ってきます』をして、『ただいま』をするのは私が家に帰ってきたずっとあと。

 

 

 疲れるのに、私のご飯を作ってくれて、寝るまで本を読んでくれる。

 大好きだった。

 本当に…大好きだった。

 

 

 だから──あの日、私は泣いた。

 泣きまくった。

 体中の水分が無くなるんじゃないかってくらい泣いた。

 

 

 泣いている私を抱き締めたのは、知らないおねーさんだ。

 ショートに切りそろえた焦茶色の髪と、夜空色の瞳が綺麗なおねーさん。

 かっこいい服を着て、私のお母さんを助けようとしてくれた。

 でも、助けることは出来なかった。

 当たり前と言えば当たり前で、おねーさんは怪我をしていたからだ。

 

 

 …だけど何となく、怪我をしていなくても助けられなかったことを、私は──宮地(みやじ)水香(すいか)は知っていた。

 

 

 その後は、おねーさんと一緒に居た。

 おかあさんとお別れして、瓦礫だらけの街を歩いた。

 自衛隊のおにーさん達に助けられるまでの一週間、少ないご飯を分け合って食べた。

 ……本当は、おねーさんが水以外を口にしていないのを知っていたけど、私は何も言わないように口を噤んだ。

 

 

 だって、私が何か言ったら本当に何もかもが壊れてしまいそうなくらい、おねーさんの笑顔は脆く見えたから。

 自衛隊のおにーさんに助けられた後、私はおねーさんの家に行く事になった。

 

 

「おかあさんは助けられなかったから、私が水香ちゃんのお母さんになるよ!」

 

 

 あまりにも脆い笑顔で言うものだから、私は傍を離れるのが怖くなっておねーさんと家族になった。

 養子縁組?と言うらしく、家族構成的には私はおねーさんの妹になる。

 そうなる事が分かると、おねーさんは言葉を変えた。

 

 

「お母さんにはなれなかったけど、おねーさんにはなるから! よろしくね!」

 

 

 少し年の差がある筈なのに、同い歳と言っても信じられる程の純粋さがおねーさんにはあった。

 おかあさんを失った事で出来た穴に、おねーさんがすっぽりとハマる。

 抜こうにも抜けない程に、すっぽりとハマった。

 

 

 多分、おねーさんの心は終わってしまった──ううん、壊れてしまったのかな。

 脆い笑顔が、明日を心から待ち遠しいと思えるほどの笑顔になるまで、私は傍にいようと思う。

 もし、おねーさんがそうなれたら、この想いを伝えよう。

 

 

 あの、地獄の日々で芽生えた淡い想いを伝えよう。

 

 

「おねーさんのことが大好きです」

 

「私も大好きだよ?」

 

 

 今はこんな風に流されてしまうけど…何時かきっと。




 次回もお楽しみに!

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