「そうか……ご苦労だった」
通信機からの報告を聞き終え、ディーターは耳に当てがっていたそれを懐へ収める。ため息を吐くその表情は決して思わしくない。隣に立つヘンリーもまた、悩ましげに彼の姿を見詰めている。
そんな二人の周囲では、護衛を傍に各代表達が険しい顔で状況の進展を待つ。飛行艇によるテロリストの襲撃が訪れてから十分弱、そろそろ何かしらの事態の変化が起きてもいい頃合いだ。そしてまさに、ディーターが通信によって受けた報告がそれだった。
「皆様、一先ずご安心下さい。テロリスト達は無事に取り押さえられたようです」
ディーターの告げた吉報に、各々が胸を撫で下ろす。しかし、彼の表情は依然として思わしくない。皆が護衛を控えたまま会場の座席へと戻る中、ヘンリーは一人その事を気にしていた。
そして、直後に行われたディーターによる事の詳細説明によって、それは明らかとなる。
「先程の件について説明致します。飛行艇による襲撃犯達は紅の剣聖殿によって拘束、引き続き爆発物などの解体作業が彼によって執り行われているそうです……ただ」
「ただ?」
「共和国のテロリストと思われる二名は無事拘束に至りましたが……帝国のテロリストと思しき四名は、彼によって全員が斬殺されたようです」
言葉を失う、とはまさにこの事だった。ディーターの様子に首を傾げていたヘンリーを始め、オリヴァルトやクローディア、アルバートの表情は驚きに染まる。屋上で繰り広げられた余りにも慈悲の無いその行いには、皆も心を痛めている様だった。
更に、間髪入れずディーターの報告は続く。
「また、同時刻に地下区画にて多数のテロリストの姿をクロスベル警察が確認しましたが、そちらは赤い星座という猟兵団と、
「まさか本当にネズミ一匹入れないとは、驚嘆に値する」
「彼らは我々の友人のようなものでしてな、身分は保証しますのでご安心を。いや、しかし流石はグラン君だ。我々への接近すら許さないとは」
報告の最中、周囲の表情とは対照的にオズボーンとロックスミスは満足げに笑みをこぼしていた。グランの行いに対して称賛とも取れる発言を聞くに、他の者達との反応の違いは明らかだ。二人に浴びせられる視線は厳しい。
そして、地下に侵入していたテロリスト達の顛末についてもアルバートから確認が入った。
「して、地下のテロリスト達はどのように……」
「そちらも報告が来ています。共和国のテロリストは
「何たる事か」
ディーターの口から告げられた顛末に、アルバートは苦渋の顔で俯いた。帝国政府によるテロリストへの所業は、何れも人道的とは言い難い対処だ。各国代表の身を危険に晒した者達と言えど、この一時で何人もの命が失われたとなると、彼らも悲観せざるを得ない。
問題はそれだけでは無い。帝国側も、これらの行いが対外的にどの様な印象を受けるかは目に見えている。流石のオリヴァルトも隣のオズボーンに厳しい視線を向け、声を荒げた。
「宰相、これは一体どういう事だ!? 帝国政府が処刑を理由に、国外で猟兵団を運用しただと?」
「はい、確実を期すために。私は兎も角、皇子殿下の命までもを狙った罪は万死に値すると言わざるを得ません」
「くっ……グラン君は今、私が理事をする学院の生徒だぞ!? あろう事か、貴方は我が校の生徒に処刑を命じたのか!」
「私からそのような指示は出しておりません。ですが、彼ならば確実に我々の安全を保障してくれる。そう思った故に、対処の方法は彼へ一任しました。テロリストの背後にいる愚か者達への牽制にもなるでしょう」
「貴方という人は……!」
紅の剣聖という人物は、任務の際に護衛対象の身を脅かす存在と敵対した場合、例外なく排除する事を決めている。これは会場にいる皆が周知している内容であり、紅の剣聖と呼ばれている所以でもある。しかし同時に、敵対者への処遇に条件を付ければ、彼がその通りに任務を遂行する事もまた周知の事実だ。猟兵の雇用を禁止しているリベール王国が、紅の剣聖の特別雇用を認めたのもそれがあったからである。
今回の場合においても、処刑を前提で雇用した赤い星座は兎も角、現在は学生という立場でもあるグランに非人道的な指示を出せば国内外からの非難は確実だ。情報が漏れた際、帝国内でも名門と謳われるトールズ士官学院にも不名誉な烙印を押されかねない。だからこそ、オズボーンは敢えて帝国のテロリストに対する処遇について指示を出さなかった。帝国政府による指示でなければ、後は彼が勝手にやった事だ。その点に関与していない以上、帝国の立場からすれば何とでも言い訳が可能というわけである。おまけに共和国のテロリスト二名が生存しているという事は、国際的な問題を懸念してそちらはきっちりと指示を出しているという事だ。オリヴァルトの怒りも当然だろう。
「自治州法では、何れも公的執行権について認めざるを得ませんが……」
「だが、これは……余りに信義にもとるやり方ではありませんか!?」
会議に参席する弁護士の男の言葉に続くように、ヘンリーは声を荒げてオズボーン、ロックスミスの両者へ向けて言い放つ。国外における犯罪組織や猟兵団の運用、警戒されるテロリストについての事前情報黙秘、更にはそのテロリストに対する扱いまでも。幾らクロスベルの地で帝国、共和国に一定の権利が約束されているとしても、これ程の暴挙を流石に黙っているわけにはいかない。クロスベル側からの非難は必至であり、他国からも同様の反応があって然るべきだ。
「おお、それは誤解です」
「ところで、私の方から一つ宜しいかな?」
ロックスミスの弁明の後、オズボーンは右手を上げて注目を集めると、そばに控えていたレクターへ視線で合図を送る。彼が導力器を取り出して通信を繋げた後、扉が開くと隣の部屋からトワが姿を現した。少し元気の無い様子の彼女の両手には、複数枚を一つにまとめた書類の束が握られている。
彼女は手に持った書類を各代表の前へ配り終えると、レクターと同様にオズボーンの後ろへと控えた。そして、一同の手に渡り終えた事を確認した彼は、自身もその書類を手に取ると説明を始める。
「これは、此度の通商会議が開催されるにあたり、紅の剣聖殿が独自に考案した警備の再編案です。同様の内容が記載されたものが、クロスベル側にだけ提出されていたようですが……ご存知ですかな?」
「報告は受けています……あらゆる事態を想定した結果、この案を元に警備配置の見直しを行なったはずです」
書類を見詰めていたディーターは頷き、質問の真意を探る様にその視線をオズボーンへと向ける。ヘンリーも同様の視線を向けているが、彼は気にも止めていない様で、表情を変える事なく目を逸らした。
一方で、他の代表達の反応は様々だった。
「これは驚いた! 襲撃の方法や経路に至るまで書かれ、尚且つその推測の殆どが今回の件と一致している」
「これが、グランさんが考案した……」
「これが噂に聞く彼の”戦場読み”か」
「これを何故我々に?」
「先程、これらがクロスベル側にだけ提出されていると話しましたが、それには理由があります。紅の剣聖殿が考案した再編案の人員には、遊撃士を含めたクロスベルの治安維持部隊のみしか記載がありません……つまり、現時点でのクロスベルの治安維持能力がどの程度信頼出来るものなのか、その証明にもなる」
オズボーンの言葉に、クロスベル側の二人は僅かに表情を強張らせる。実際の所、クロスベル側がグランの提案した再編案を受理した訳ではないが、テロリストに関する情報を知った後、それを参考にして警備の配置を変えたのは事実だった。グランの再編案も少なからず影響している事から、オズボーンの話す様に今回の件が能力の証明となるのは確かだ。グランが事前にテロリストの襲撃を的確に予想し、彼らに知らせていた以上、クロスベル側にも有利な点はある。無論、言い逃れは出来ない。
「結果的に、先の襲撃は抑え込めたものの……彼はクロスベルの戦力のみと警備案に縛りを設けながら、実際には我々の用意していた戦力を頼らざるを得なかった。紅の剣聖程の人物をもってしても、クロスベルだけでは確かな安全を保障出来なかった……そう言えますな」
「なる程。要人警護において驚異的な任務達成率を誇る彼ですら、今回の件で失敗する懸念があったと。実際、紅の剣聖殿が飛行艇の襲撃を予見していながら、クロスベル側で事の対処を行えなかった訳ですから、我々の懸念が彼によって図らずとも証明されたという事ですな」
「ええ。更に言えば、彼が独自に持ち掛けたはずのこの提案内容が記載された資料が、どうやらクロスベル警備隊からテロリストへ漏洩していたようなのです。我々の協力者が、現場で応戦したテロリストから現物を確認しました」
「なんと!? 警備隊の情報管理はその程度ですか……いや、ここはそのハンデを背負いながらも対処して見せた彼を讃えるべきでしょうな」
「全くですな。ただ事実をはっきり申し上げますと、我々の配慮がなければ、敵を眼前に近付けただけでなく、この会場にいる方々に更なる危険が迫っていた。つまり、その程度の能力しか今のクロスベルには備わっていないという訳です」
会議の場は、再び帝国と共和国の両者が支配権を握った。グランがクロスベル側に配慮する形で行なった今回の行動は、返ってクロスベルの治安維持に対する不安を露呈させる結果となってしまう。彼らには知る由もないが、仮に警備隊がグランの再編案をテロリストへ漏らさなければ、帝国や共和国の思惑とは違う結果になっていた可能性もあった。治安維持能力の有無は別として、今回の件がクロスベル側の失態だと指摘される事に反論の余地は無い。
利用するつもりが利用された……この時、グランが先刻話していた愚痴の意味をオリヴァルトとクローディアの二人が理解する中、オズボーンは各代表へ告げる。
「先程の大統領閣下の駐留案、最早真剣に検討せざるを得ないのではないかな?」
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テロリストの襲撃、帝国と共和国の両思惑が絡み合う等様々な展開を迎えた西ゼムリア通商会議も、漸く閉幕した。会議後半は終始、クロスベル側が帝国と共和国から猛攻を受け、苦しい展開が続く事となったが、それも過去の話。会議の最後に、クロスベル代表の一人、ディーター=クロイスの放った発言が全てを持っていく形となり、今頃は記者達も慌ただしく編集作業に明け暮れている事だろう。
通商会議終了後。各国代表が次々と自国へ帰還していく中、帝国代表の二人も護衛や随行団を連れ、クロスベル駅に停車している専用列車へと向かった。帝国政府の護衛として訪れていたグランは駅のホームへ先行し、現在は列車の入口前で彼らが無事に乗車していく姿を確認している最中である。そして、程なくして軍の護衛を引き連れたオズボーンが駅のホームへと姿を現す。グランの姿を確認したオズボーンは彼の前で立ち止まると、その場で今回の護衛に関する最終確認が行われた。
「これで今回の契約は完了だ。送金手配を含めて、後の事は任せるぞ」
「フ、了解した。此度の護衛任務、実に噂に違わぬ仕事振りだった……些か、此方の要求よりも働き過ぎではあったがな」
通商会議における護衛任務の完了と共に、両者は握手を交わす。オズボーンの言葉に多少の嫌味が含まれている事には、グランも不敵に笑みをこぼした。今回の結果が会議にどういった影響を及ぼしたのか、グラン自身が事の詳細を知っている訳ではないが、オズボーンの反応を見るに彼の目論んでいた展開とは少し違ったのだろう。トワの身の安全を第一に考えた結果の行動ではあったが、それだけでも尽力した甲斐があると、グランの機嫌も上々だ。
互いに手を離し、話は通商会議の内容へ。
「クロスベルの国家独立の提唱……流石にアンタも予想していなかったんじゃないのか?」
「彼には驚かされたが、そもそも現実的な話ではない。気に留める程でもなかろう」
「所詮は理想論か。当ての無い発言をする人じゃなかったはずだが……その辺りは掴んでいるのか?」
「フフ、どうかな?」
通商会議の最後に、ディーター=クロイスによって提唱されたクロスベルの国家独立案。この発言が此度の通商会議における話題を全て攫ったと言っていい。発言に対し、宗主国である帝国と共和国は当然否定的な反応だが、クロスベルを後押しする方針のリベールやレミフェリアは理解を示した。近くクロスベルでは市民に国家独立の賛否を問うとの事だが、市民の理解を得た先が最も困難である事は言わずもがな。結果的に、オズボーンの話す通り現実的ではないとの見方が多くなりそうだ。少し考えるような素振りだが、グランの見解もどちらかと言うと否定的な見方のようである。
通商会議についての話題も終え、両者とも交わす言葉が尽きたのか。オズボーンは列車内へ、グランはホームの入口側へとそれぞれ体を向け、互いに視線を外した。
「では、ご苦労だった。後は帝国より、その身の無事を祈らせてもらおう」
「フン、心にも無い事を」
すれ違い様に発した激励の言葉と共に、オズボーンは列車内へとその姿を消していく。対してグランはホームの入口へ戻った後、帝国政府の関係者が無事に乗車していく姿を遠目に確認しながら、やがて彼の前には随行団のメンバーが駅のホームへと現れた。そして、メンバーが次々と列車内へ向かい足を踏み入れていく中で、一人の人物がグランの前で立ち止まる。
「グラン君、お疲れ様」
「会長もお疲れ様でした。帰りの道中は大丈夫だと思いますが、気を付けて下さい」
現れたトワの労いの言葉には、グランも笑顔で応えた。しかし、グランの表情とは対照的に、彼女はどこか元気が無く、複雑そうな表情を浮かべている。優しい彼女の事だ。随行団の一員として通商会議に関わった彼女が何故そのような表情なのか、グランが分からないはずもない。彼はその件に関して当事者という立場である。であれば、トワの心の内も読めるというものだろう。
「今回の事は、非難してもらって構いません。トールズを背負う人間として、貴女にはその権利がある」
トールズ士官学院の代表とも言える立場のトワには、身勝手な行いの結果として今回の件に関してグランを咎める権利がある。猟兵として請け負った仕事であっても、彼は未だ在学中の身。テロリストへの対処とはいえ、その行いの結果が学院の皆を巻き込まない保証はどこにも無い。どの様な正当性を主張しようと、やった事は人殺しだ。この結果が、様々な問題として指摘され、多方面に迷惑をかける事は想像に易い。そしてその被害を最も被るのは他でも無い、士官学院の教員や生徒達である。
グランの行いに対しての問題点は多々あるが、兎も角トワにはそれを責めるだけの権利があるわけだ。しかし、やはりと言うか。彼女はグランの言葉に首を横へ振ると、その言葉を否定した。
「ううん、私にその権利は無いよ。確かに思うところはあるし、グラン君のした事全てを認めることは出来ない。だけど、非難されるとしても、それはグラン君だけじゃない。今回の依頼を出した帝国側にもその責任はある……勿論、同じ現場にいた私も含めてね」
「そんな事は……」
「グラン君が何を抱えているのか、気付いてあげられたのは傍にいる私達だけだったから。力になれなくて……一人で背負わせちゃってごめんね」
自身の胸に手を当てながら、憂いた表情でトワは語る。自らをも責めるその言葉には、グランも心苦しさを覚えずにはいられない。
彼女がそういった考えに至る人物だという事は、この数ヶ月学院生活を過ごした中で彼も知っていたはずだ。トワの身の安全を確保する為の行いであっても、そこに彼女の笑顔がなければ当然意味は無い。だが、それを承知で事に至ったのだ。ならばこの結果は、自身への罰として受け止める責任があるだろう。
悲しげな表情のトワを前に、グランも中々かける言葉が見つからず。そんな両者の沈黙を破ったのは、列車の発車時刻が近付いた事を知らせるホームのアナウンスだった。気まずい空気を無視して場内を流れるアナウンスには、グランも助けられたようで。安堵の表情を浮かべた後、トワへ別れの挨拶を告げる。
「それじゃあ、リィン達に宜しくお願いします」
「グラン君は、一緒に帰らないの?」
「すみません、片付けないといけない用事が残っていますから」
グランの話す用事について、トワも彼がこれから何を行うのかは理解している。赤い星座の二人が話していた、グランの団への帰還と離別を賭けた決闘。勝敗によってはグランの退学が確定し、この先二人が会える保証はどこにも無い。もしかしたら、今行なっている会話が二人の最後になるかもしれない可能性もある。
そして、背を向けて数歩歩いた後。振り向き様に発した彼の言葉は、トワを更に不安にさせた。
「———どうかお元気で。会長の幸せを、誰よりも願っています」
「ぁ……」
彼女が手を伸ばした先、グランは振り返る事なく進んでいく。引き留めたくて思わず伸びた手は、グランがホームから姿を消した事で力なく項垂れる。その場に佇むトワの表情には憂愁の影が差し、ホームの入口を向いていた顔も次第に俯いていった。
伝えたい想いは未だ伝えられず、助けると誓った彼の心は未だ救えていない。彼の行く先を照らしたいと、共に歩んで行きたいという彼女の願いは、このままでは終ぞ果たされる事はない。
本当にこのままでいいのか。グランが戻って来る一縷の望みに賭けて、ただ待つだけの自分の姿に後悔は無いのか。自らの心に、彼女は問う。
「(私は、どうしたいんだろう)」
自分が何をしたいのか、どうしたいのか。辛く苦しい道のりを進んできた彼の心を救う為に。掛け替えの無い仲間と共に、日々を楽しく過ごしてきた彼の学院生活を守る為に。そして何より、そんな彼のあどけない笑顔を、この先も隣で見続ける為に。
「私は———」
そして答えを見つけた時、彼女の足は自然と進むべき方向へと動く。胸に当てていたその右手は、自身の決意を表すかのように力強く握られていた。
次回から遂にパパとの決闘が……シャーリィさんは大人しくしててね?
六章閑話、グランと保養地ミシュラムへ同行するのは誰?
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トワ会長
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ラウラ
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エマ