私、藤丸立香がこの世界に来て初めて目を覚ましたのは薄暗い林の中だった。
頭上には爛々と輝く満月がその圧倒的存在感をもって辺りを照らしている。まるで夜とは思えないほどに明るい珍しい光景に思わず目を奪われた。
現状をまるで把握できないままぼうっと月を見上げていれば、段々と頭の中がクリアになって来る。
確かあの時私は新所長とムニエルさんが車に男の娘がどうたらと熱い議論を繰り広げているのを華麗にスルーしてシャドウボーダー内の自室へ向かい、そのまま今日一日の疲れ全身に感じながら備え付けの無機質なベッドへ体を放り出したはず……。
そこまで思い出した時点で私は『あぁ、また例の
周囲に他人の気配は無く、物音一つしない。目を瞑って自信とサーヴァントとのパスを確認しようとすれば、繋がりこそ感じられるが何やら感覚がおかしい。何というか、サーヴァントの存在は感じられるけれど実体は感じられないというか、霊体化しているのとは全く違う状態のような気がする。存在を感じ取れるサーヴァントもいれば、全く反応なしの方々も。存在を感じ取れると言ってもサーヴァント達の現在位置は直ぐ傍の様な、全く違うような……ダメだ、分からない。取り敢えずわからないことが分かったので良しとすることにした。何はともあれこのままここに留まっていても何かが解決するわけではないことは確定的である。
ともすれば、自身の状況を概ね理解した私の行動は早かった。
ここがどんな時代のどんな場所であれ、兎にも角にも人を探さなくてはいけない。何もせずこのままここで野垂れ死になど嫌に決まっている。
幸い、林の密度がそこまで高くないことも相まって月明かりがよく通っている。多少躓きこそすれど、前も後ろも見えずに立ち止まらざる負えないということはなさそうだった。
ざくざくざく、と草木を掻き分けて前へと進んでいく。
しばらく行けば、何か物音が聞こえてきた。
もしや誰かいるのでは、そう思い先程より駆け足で進んでいく。
息を弾ませながら生い茂った枝を避け、盛り上がった木の根を乗り越える。ようやく音の発生源目前までたどり着いた、その瞬間自身の危険信号がガンガンと警報を鳴らしていることに気が付いた。
目的地は林の中でもある程度開けた場所で、より一層月明かりで良く照らされていた。
だからこそ見えてしまった。異形のエネミーが、何かの肉を貪っている所を。
慌てて目の前の茂みに身を隠すが、こちらは盛大に音を立てながら近づいてきたのだ。これまでの経験上ああいった手合いは鼻がよく聞く。現在はこちらが風上。気付かれないはずがなかった。
「人間…それも女だな。出てこい、そこに居るのはわかっているぞ」
冷や汗が頬を伝うのを感じながら、ギリリと歯噛みする。
ゆっくりと茂みから顔を出せば、先程と同じく月明かりに照らされた異形がこちらを見ていた。
その額からは一本の小さな角が生えており、その様相は以前訪れた鬼ヶ島で見た鬼に酷似している。
現状こちらに手はない。何とかして時間を稼ぎながらこの場から離脱する策を練らなければ。
目線の合った異形は私の顔を見てやはり、というように喜びに顔を歪めた。
私の使える魔術で攻撃的なものは一つだけ。それもあくまで足止めが目的であって撃退できるわけではない。取り敢えず会話で時間を稼ぐことにする。
うっすらと手に滲んできた汗を拭うようにスカートの裾を握りしめ、できるだけ心を落ち着かせて口を開いた。
「あなたは何?見たところ人間ではなさそうだけど」
「俺か?俺は鬼だ。人食い鬼だ。人間を襲う悪鬼だ」
「それじゃあ今持ってる
「そうとも。こいつは俺を殺しに来た鬼狩りだ。さっき襲い掛かって来た所を逆に殺して食ってやったわけさ」
どうやら異形は私の思った通り鬼らしい。鬼ヶ島のアレより幾分理性的というか、会話が成り立つのは人の肉を食らったばかりだからだろうか。
それと、聞きなれない単語が会話中にあった。
"鬼狩り"
今まで旅してきたどの特異点や異聞帯でも聞いたことがない言葉だ。聞いた感じ鬼と敵対している人物――いや、組織だろうか。
「鬼狩りっていうのはなに?」
「俺もあんま詳しくは知らねえが、俺達を殺しに来る人間達のことだ。このご時世にせっせと刀を携えて鬼のえさになりに来る奇特な連中さ」
嘲りの色を多分に含んだ表情で鬼が指をさした方向を見やれば、地面に突き立てられた真っ青な刀身をした刀があった。恐らく今鬼に食べられている鬼狩りという人物の持ち物であったのだろう。
月光を浴びて輝くも、共にいるはずの主を失った刀はどこか寂し気に見えた。
刀から視線を鬼に戻し、鬼が手に持った肉塊を口へ運ぶのを見る。もはや血濡れでそれが肉であるとしか認識できないモノを見れば、その惨たらしい最後想像してスカートの裾を握りしめたままの拳に無意識に力が籠った。
手のひらに残った大きな塊を口の中に放り込み、咀嚼を経て飲み込み終えた鬼は、ニタリと笑ってこちらを向いた。
「さぁて、冥土の土産は楽しんでもらえたかな?」
「情報は有り難かったけど、これを手にあの世に行く気はまだないかな」
「そりゃあ残念だぁ――ッ!」
こちらに鬼が勢いよく飛び込んでくるのを
着ていた極地礼装を盛大に土で汚しながらなんとか鬼から距離を取った。
「うぐっ」
「はっはは、ほら、どうしたよ。逃げねぇと死んじまうぞ」
いざとなればいつでも殺すことができるという自負と、先程たらふく人を食った余裕からかこちらをいたぶる気まんまんのようだった。
逃がす気など毛ほどもないくせに。
そう心のなかで悪態を付きながら走り出そうとするが、視界の端にキラリと光る何かが見えた。
そこにあったのは先程も見た持ち主を失った青い刀。
それを視認した瞬間、心臓の奥がドクリと震えた。先程まで震えていた両足に力が漲り、いかに目の前の脅威を退けるかを必死に考えていた頭の中が一気に晴れる。
半ば無意識のうちに体が駆け出して地面に突き刺さった刀を引き抜いた。刀身に付着した土を流れるように払い、鬼を迎え撃つように刀を構える。
「あぁ?その刀で俺とヤり合う気か?鬼狩りが勝てなかった俺と?ただの小娘のお前が?ハハハッ!おいおい、正気かよ」
「…………」
今までまともに刀なんて扱ったことはないはずなのに、それでも手の内のこれをどう扱えばいいのか理解できる。流れ込んでくる。
これがイリヤ達の言っていた
今私は一振りの刀を両手で正眼に構えているけれど、これに多少の違和感と左手に些かの物寂しさを感じるのはこれが彼女の力だからか。
「本気みたいだなぁ…それじゃあ、その右腕から貰おうかぁ!!」
「――っ!」
両目を見開いて迫りくる鬼の腕を見切る。
鬼の鋭い爪が最低限当たらないように体を反らし、すれ違いざまに鬼の頸へと刃を滑らせる。
流れるように描かれた刀の軌道は青い軌跡を描いて鬼の頸を切り裂いた。
「――は?」
間の抜けた声を上げながら鬼の頸が地面に落ち、体が倒れ伏す。
鬼はそのまま目を見開きながら塵となって消えていった。
それを見届けた所で肺に溜まっていた空気を一気に吐き出す。
「ぷっはぁ!はぁ、はぁ、はぁ……」
ガクガクと震える足腰を支えていられずにそのまま地面に手を付いて俯いた。
全身が暑くて、心臓がどくどくと煩い。自身の身の丈にそぐわない行動を取った代償だろうか。魔術による正規の手順を踏んだわけでもなく英霊の力の一端を奮ったのだからそれは跳ね返りがあって当然だと納得しながらも、額や顎を伝って地面に止めどなく流れ落ちる汗を眺める。
ああ、そうだ、人里を目指していたんだった。食料どころか水分を補給できる目処も立ってない。
何よりさっきのようなエネミーが居ることが判明した以上、それに対する対策もどうにかしなくてはいけない。
ここでバテて倒れるわけには行かないのだ。
こんな所で人知れず死んでいく気は毛頭ない。
亡くなった鬼狩りの人には申し訳ないけれど、この刀は借りさせて貰おう。一段落したら返しに来るから、それまで――そう考えた時、背後の茂みでガサリと音がした。
「っ!?」
「よもやよもやだな。ああいや、そう警戒する必要はない。先程の一閃、単純な動きだったからこそ君の優れた技巧が見えた」
茂みを押し退けながら現れたのは、金……否、黄に赤の混じった頭髪の男性だった。
「俺は鬼殺隊所属炎柱、煉獄槇寿郎だ」
腰に刀を携え、燃える炎のような羽織りを羽織ったその人は、笑いかけながらそう名乗った。