「その男の瞳は、ひどく懐かしい、故郷の大地の色をしていた。」

一般人軍医の男とアーサーの、“国”たる彼らにとっては一瞬の出会いの物語。


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APH一般人シリーズが書きかけの小説の欄に埋もれていたので投稿いたします。
※このお話は、あらゆる国、組織、軍とは一切関係のない、個人の妄想の産物です。ご承知おき下さい。


我が祖国

快晴の冬の朝。抜けるようなという表現が正に相応しい空が、突然シュヴァインフルト・グリーンの瞳に遮られた。気取らずに語るならばそれは若草色で、故郷の草原がこんな色だっただろうか。瑞々しく萌える若葉のような色の瞳にじっと見つめられている。

「…っ、ははっ!お前、面白い奴だな!けど、そんなんじゃ戦場で真っ先に死ぬぜ?好奇心は猫を殺すが、無関心は人間を殺す、なんてな。」

「あ、いえ。私は軍医なものですから…それに、貴方の瞳の色が、私の故郷の草原の色に似ていて。ところで、どちら様でしょうか?」

「ああ、俺は…」

しかし自分の名前か、それとも所属かを告げようとした彼は、そこで少し躊躇したようだった。ふむ、と白い手袋を嵌めた右手を顎に当てて悩んでいる。

「止めた。お前みたいな面白い奴とはもっと話がしたいからな。この戦争が終わったら、まあ教えてやらないこともないぜ?」

「誠に申し訳ないのですが、死亡フラグを立てないでください。」

これが、私と彼との一度目の出会いだ。

 

不思議な人だった。

私よりもずっと若いのに、何処か達観したような、老成したような雰囲気を纏っていた。特に偉ぶったところも無いのに威厳があり、それなのに時折ひどく子供っぽいところもあり、気さくなのにどこか浮世離れしたような事を時々口にする。残念ながら私に妖精は見えない。いたら良いのにな、とは思うが。

そうそう、不思議といえば、彼は出会うたびに違う軍服を着ていた。最初は陸軍の下士官、それから二度めは海軍の将校だったか。

 

「よう、思ったより早く会ったな。」

医務室を彼が訪ねて来たのは、珍しくそこに私だけが居た時だった。この間の不思議な青年が、片手を上げてひらひらと降っている。

「こんにちは。けれど、貴方が訪ねてきたのだから、“思ったより”と言う言葉は間違いだと思いますが。」

「いや?だって俺は、お前が陸軍の軍医だとは知らなかったんだからな。それにお前がいるタイミングで俺がここに来たのも偶然だし、何より俺がここに来る気になったのこそが一番の偶然だろ。」

「屁理屈だと思いますが。」

「それもそうだな。じゃあ、俺がお前に会いにきたって事にしておいても良いぜ。」

五秒後には忘れるような、今日の天気よりもどうでも良い会話をしながら彼は木製の椅子にどかりと座った。僅かに跳ねたファン・ヘ、ミルクティー色の髪がふわりと揺れる。傾き始めた午後の光が作り出したキューティクルの輪はそれよりも淡い、ペール・アプリコット。因みに今日は雲こそあるが清々しい晴れだ。

しかし、何故この間とは違う軍服を着ているのだろう。そして、何故海軍の将校が陸軍の、それも下級兵士の医務室にいるのだろう。或いは所属は陸軍下士官か?何故海軍の将校の格好をしているのかという謎は変わらないけれど。

「何故、この間と違う軍服を着られているのですか?」

「うん?ああ、俺にとってはどちらも俺の軍服だからな。俺は海軍にも陸軍にも、そして空軍にも属している。或いはその全てが、俺に属している。」

「謎掛けですか?」

「そう、かもな。お前は何と解く?」

「そうですね…酔っ払いの戯言とでも言っておきましょうか?」

「酷いな、俺は英国紳士だぜ?昼間に嗜むのは皮肉と紅茶だけだ。イタリアじゃねえんだから。」

「では、紅茶狂いの戯言と。」

「更に辛辣だな。何、俺って出会って二度めの奴に酔っ払いとか紅茶狂いとか言われるような奴なのか?」

「いえ、どこからどう見ても英国紳士ですよ。ジェントルマンです。」

そう、完璧なる英国紳士…とまでは言えないが、立派なジェントルマンだ。ただ、出会って二度めの筈なのにどこか懐かしい。慕わしさ、或いは郷愁。父か祖父を相手に話しているような、どんなに意地悪を言っても心の底では敬愛しているのだ。愛とか恋よりももっともっと純粋な、思慕。

尤も、これは自分より遥かに年下の青年に対しての物言いでは無いけれど。

「まあ、どう解くかはお前の自由だよ。ところで、包帯はあるか?」

「勿論。その腕ですね?」

彼がここに来てからずっと気になっていた、左腕。青の軍服に包まれたそこを、ずっと庇っていた。

「よく分かったな。」

「ええまあ、これでも軍医ですからそれぐらい。見せて下さい。応急処置はしましたか?」

「ああ。慣れてるからな。」

上着を脱いだ彼は、左袖を捲ってみせた。応急処置と思われる白いハンカチを解くとそこには、まるで刃物の紙吹雪にでも遭ったのかと言うような細かい傷が無数に。出血量は大したことないが、如何せん数が多い。取り敢えず消毒液を傷口に塗る。

「一体何がどうしたらこんな傷が付くんです?」

「あー、オーブンでスコーンを焼いてたら何故かオーブンが爆発してな。ちょっと庭に出てたもんで、吹っ飛んだオーブンの蓋が突っ込んで粉々になったガラスの破片でやっちまった。」

「一体何をどうしたらオーブンが爆発するんです?」

「ん?ああ、スコーン作ってたんだ。三回に一回ぐらいは爆発するだろ?」

「どんなスコーンですか。ダイナマイトでも入ってるんですか?」

「ん?普通のスコーンだぞ?何なら今度食べてみるか?」

「いえ、遠慮させて頂きます。私はまだ死にたくないので。」

死の誘いを断りながら、傷口に包帯を巻いていく。腕には、古傷の跡と思われるものもあった。白い肌にうっすらと残ったこの線は、恐らく鋭い刃物で斬られた痕跡。二の腕には縫い痕もあった。軍人とはいえ今は銃撃戦が主流、刃物で斬られるような事など殆ど無い。

どんな人生を送ってきたのか、この青年は。

 

それが、私と彼の二度めの出会い。三度めの出会いの直前に、私が軍医として所属する部隊を含む幾つかの部隊が敵と交戦し、多数の犠牲者を出しながらもその戦場で勝利した。

私も当然駆り出され、そして暫くして漸く日常が戻ってきた頃だった。

 

「貴方にずっと聞きたいことがあったのですけど。」

「何だ?」

低く甘い声を持つ彼は、その声をもって私の言葉にそう答えた。初めて出会った時から、ずっと抱いてきた疑問。悩んで悩んで、夜しか眠れなくなった事もあった。答えが知りたい、しかし訊いて良いものなのか分からない。けれどそんな葛藤を打ち砕いたのは、この間の戦闘だった。軍医とはいえいつ死ぬか分からない。それならば、心置き無く訊いておきたかった。

「…貴方の眉毛って、どうなってるんですか?」

「あ?英国紳士の印だよ、当たり前だろうが。」

「どう考えても異常ですよね。」

「だーかーら、英国紳士の印だっての!」

「眉毛が?」

「それ以外に何があるんだよ?」

「少々お待ちくださいね、今検査の準備をしますからね。大丈夫、きっと、多分、恐らく治りますよ。」

「眉毛は異常じゃねえよ馬鹿ぁ!」

「何をおっしゃるんですか?頭の検査に決まってるでしょう?」

「え?」

「え?」

どういう仕組みなのか全くもって理解出来ないのだが、五、六本は段になって並んでいる濃すぎる眉毛。正直言って、異常だ。これは検査しなければならない。医者としての、使命だ。

「使命じゃねえよそんな使命あってたまるか。」

「なんで分かったんです?」

「考えてる事、全部口に出てたぞ。」

はあ…と彼は溜息を吐いた。呆れたように此方を見て、形の良い頭をがしがしと掻く。

「お前、東洋人の血が入ってたりするのか?」

「ええ…よく分かりましたね。突然なんです?」

「知り合いの東洋人に、よく似てるから。例えば…そうだな、慇懃な所とか。」

「おや。光栄です。」

「お前の慇懃は、慇懃無礼だがな。」

「光栄ですね。」

「何でだよ?」

「皮肉と紅茶は、英国紳士の嗜み…ですから。」

「お前のは皮肉というより、ただの悪口だと思うんだが。というかそこまで親しくもない人間にそんな毒舌を吐いて良いのか?」

「…貴方には、なんだか、嫌われないような気がして。」

そう、いつの間に気を許していた。こんな毒舌を吐いても許されるのは、ほんの一握りの極々親しい友と、それから家族だけだったはずなのに。何故なのだろう、ここ最近はおかしい。

「あー…」

「いえ、今のは忘れて下さって構いませんよ。むしろ忘れていただければ有難いですね。不快な思いをさせてしまったのなら、誠に申し訳ございません。これからは気をつけますので、どうぞご容赦ください。」

「いや、別にそこまで不快って訳じゃねえよ。会話にはある程度のスパイスが必要だしな。…いやけど、俺はここまでめんどくさい性格じゃねえよな?ツンデレって言われるけど、ここまでじゃねえよな?」

ぶつぶつと独り言を呟く彼を一瞥し、私は安心した。お世辞や皮肉ではなく、本当に不快ではないようだ。良かった。

「よかった、です…」

「おいおい、これがツンデレっつーもんなのか…?」

これが、三度めの出会いだった。

 

四度め、彼は少し年上の青年と一緒に空軍の制服を着て歩いていた。廊下ですれ違った彼は、こちらを見つけてそのすらりとした指を上げたのだ。

「よう、久しぶりだな。元気だったか?」

「ええ。ここ一年は大きな戦いもありませんでしたしね。」

三度めの出会いから一年と少しが経過していた。相変わらず、軍人なのにどこか浮世離れしたような雰囲気を与える彼だが、しかし青年と共にいる姿は少し人間らしかった。

「兄さん、紹介する。こいつは陸軍の軍医で、俺の個人的な友人というか、まあそんな様なもんだな。んでお前、こっちは俺の兄さんだ。」

「ウェルと呼んでくれ。よろしく。」

「いえ、こちらこそ宜しくお願い致します。ではこれから診察があるので、これにて失礼。」

「ああ、愚弟をよろしく。」

そのまま診察に向かった私の背後で交わされた密かな相談を、私は知らない。

 

「おい___」

「何だよ?」

「お前、多分あれは善良な人間だが、それでもあまり親しくするのは良く無いぜ?あの様子じゃ、お前の正体を知らねえんだな?知られた時もしかしたら気味悪がられるかもしれねえし、それに、必ずあいつの方が先に死ぬぜ?」

「___分かってる。」

「そうかよ?」

「…ああ。」

 

それから私と彼は、偶然だったり彼が訪ねてきたりして、紅茶を飲みながら話した。一ヶ月と置かずに会うこともあれば、一年間出会わない事もあった。そしてあれから、三十年以上が経つ。当時はまだ二十代だった私も、今ではすっかり老けて皮膚に皺を刻んでいる。

二十と余年前、私は陸軍の軍医を辞めた。歳のせいという事もあるし、愛しい娘が独り立ちして私が稼ぐ必要も殆どなくなったという事もある。何にせよ、軍医としての最後の日、あの日が私と彼との最後の出会いだった。

 

「今日で、終わりなのか?」

「ええ___今日で私は、軍医を辞めます。」

その神秘的で、そしてやはりどれだけ経っても懐かしい色の瞳はこちらを見つめて、寂しそうに微笑んだ。出会った時から柔らかい髪の色も、透き通るような白い肌も、纏う雰囲気も何一つ変わっていなかった。そう、けれど彼が何者なのか私は聞かない。ずっと友人か、或いは話し相手で居たかったのだ、彼とは。

「そうか。…寂しくなるな、お前みたいな面白い奴が居なくなるのは。」

「未だに面白いと思っていたのですか?」

「勿論。」

「光栄ですが、貴方の方がよっぽど面白いですよ___我が祖国。」

私の言葉を聞いて、彼は驚いたように目を見開いた。バレないとでも思っていたのだろうか、彼は。イギリス軍全てが、彼のもの。つまり、彼こそがイギリスそのもの、この国の化身という事だ。父親がよく話してくれた祖国の化身の話を、私は忘れていない。物語るのが苦手だった父が話してくれた、美しい彩りに満ちた物語を。

「そうか。」

短い言葉に込められたのは、親愛と惜別の念。もう二度と、会う事も無いだろう。だから、彼に言おうと思った。これだけは、言わなければならないと思った。

「我が祖国よ、永遠なれ。」

貴方のその全てが、変わらぬ故郷でありますように。


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