新潟奇譚集 戊辰が吼える時   作:吉川晃司Mk2

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鎧潟の秘密

皆さんは新潟は字のごとく大量の潟があったのをご存知でしょうか。

 

 まず皆さんに潟について紹介いたしますと、潟というのは沿岸流などによって浅瀬の砂が運搬され、堆積することによって砂州が形成され内側に取り残されてしまった海水が段々と淡水化してできる一種の湖沼であります。

 新潟平野では住人の生活は潟と切っても切り離せないものであり、魚介類や水どりをタンパク源とし、また水は田畑に引いて使うと余すことなく活用していたと言われています。

 

 そんな潟の中に「鎧潟」というものがありました。この面積約9平方キロメートルの巨大な潟は新潟市西蒲区にあり、1966年に田畑を開くための干拓が終了するまでは新潟県最大級の潟として並々と水を張っていました。

 さて皆さん、なぜこの潟は鎧潟などと呼ばれているのでしょう、なぜおおよそ潟には似つかわしくない鎧という文字が使われているのでしょうか。

 

 

 そこにはこんな悲しい物語が存在したのかもしれません。

 

 

 越後長岡藩――今の新潟県北部――に無敵の新左衛門と呼ばれる大層大きな侍がいました。

 

 この男、年は二十そこらですが、身長は五尺六寸、体重は二十三貫と大変恰幅良く育ち、剣術、槍術、馬術、そして砲撃術と様々な武術を大変よくこなし、水泳をさせれば佐渡ヶ島まで行って帰ってきてしまうと、長岡藩でも一目置かれる存在であったと言われております。

 

 しかしながら大変古風な侍であり、茶会をすれば何百両するという茶器を壊し、挙句の果てには庭園の池にジャポン!と落ちてしまい、はたまた俳諧を嗜んでみよとお殿様に命令されれば稚児よりも出来の悪い俳諧を江戸の大先生の前で大声で、それも自信満々にさも大傑作が出来たかのように発表するのですから全く生まれる時代を間違ってしまったと言われるばかりでした。

 

 そんな新左衛門ですが学がないのかと言われればそういうわけではありません。

 

 長岡藩の大改革の際に河井継之助とと知り合った新左衛門は様々な新しい時代の風を運んでくるものに出会いました。ある時は西洋の兵法書、またある時は欧米の新型銃や新型大砲と欧米の強大さをまじまじと感じ、こっそり港にやって来る欧米人に英語を教わっていたともいわれております。しかし、この時代に英語を学ぶというのは相当難しい事です、というのも英語を直接学んでも理解が出来ないわけでして一端知っている言語を介さなければいけません、ですが今の様に英和辞典というものはありませんから、知っている人も多かったオランダ語を介して勉強をしなければならなかったのでそれはそれは大変な事でした。一説によると福沢諭吉もこの様にして学んでいた時期があったそうです。

 

 

 剣道場は熱気に包まれており、男たちが木刀を振るい合い、面や木刀が飛び交い、汗が飛び散る中、その中にひときわ図体が大きく、出す声も人の何倍も大きい声の男がいた。何を隠そうこの男こそ鎧潟の悲しい伝説の主人公新左衛門である。

 

「そんな振り方じゃ実践では人は殺せんろ!相手を同じ藩の仲間と思うな、敵だと思え。」

 

 全員が「はい!」と非常に大きな声で答える。

 

 男達は汗でビショビショで足元がおぼつかない者も何人かいたが、日が落ちかけるまでその鍛錬が終わることはなかった。

 

「ようし、今日の鍛錬は終わり。帰ってええぞ。」

 

 そう新左衛門が言うと、汗でビチョビチョになった侍たちが剣道場を怖い怖い

疲れた疲れた

と言いながら去っていきます。彼らは長岡藩の未来を担う若い藩士であり、新左衛門の様に立派なお侍になってほしいという事で教鞭をとっているのでした――もちろん芸術文化は別の先生です。

 

「新左衛門さん!ひゃっこいお水を持ってきましたよ。」

 

 新左衛門が道場を出て水浴びに行こうとすると、そう言って水桶を持った女性がやってきました。

 

「お妙さん、ありがとうございます。しかし俺のような貧乏侍と喋っているとお父様の迷惑になるろ。」

 

「そんなことはありません。父も新左衛門さんの様な立派な侍ばかりならばこの藩は安泰なのに、と毎日口を言っておりますから」

 

 そう言ってお妙は朗らかに笑う。

 

「それはそれは、俺には勿体ないお言葉だろ。」

 

 新左衛門は顔を赤くしながら言う。実のところ新左衛門はお妙の笑顔が好きであり、ヒマワリの様な笑顔が新左衛門に疲れを忘れさせてくれるというのが大きな原因であった。

 

「では新左衛門さん。私は用事がありますので。」

 

「お妙さんも気をつけて。」

 

 そう言って手を振って見送っていると、行水を終えて、目ざとくそれを見つけた生徒達が話しかけてきた。どうやら先ほどの一部始終を最初から最後まで見られてしまっていたようであった。

 

「先生、なじょしたんですか顔真っ赤にして、もしかしてお妙さんが好きなんですか。」

 

「バカ、先生が女に現を抜かす訳ないが。風でも引いたんろ。」

 

「いや先生はお妙さんが好きさ。俺には分かる。」

 

 生徒たちがクスクスと笑い始め、やがて大爆笑が引き起こされた。全員、新左衛門がお妙の事が好きというのは分っていてそれを小馬鹿にするというのがいつもの流れであるのだ。

 

「バカなこと言ってねえでそろっと帰れ。辻斬りが出るかもしれないろ。」

 

 新左衛門は顔を真っ赤にして言う。まるでタコのようだった。

 

「それじゃ先生、俺たち帰りますんで。また明日。」

 

「じゃあ先生さようなら。早くしないとお妙さんとられっつぉ。」

 

 生徒たちはまた笑う。

 

「やかましいわ。それじゃまた明日、明日はもっと厳しくすっからな。」

 

 新左衛門はそれだけ言うと家路についた。新潟の街を歩きながら空を見上げると満月さえも自分を笑っているような気がした新左衛門は月に向かって思いっきり石を投げつけた。

 

 

 郊外の家に着いた新左衛門は「ただいま」という事もなく一人で飯の準備を手際よく始める、というのも新左衛門は流行り病で両親を亡くしており、兄弟もいないため天涯孤独の身なのであった。とは言え一人暮らしだからと言っても特に生活に困ったりはしない、金が無ければ傘張り、下駄修理の内職をするし、野菜などの近所の人からのお裾分けなどもあるからだ。

 

 そんな新左衛門だが、お妙さんへの態度からも分かる通り1人が良いわけでは無い、もちろん良い人が見つかれば結婚をしたいし――それがお妙さんなら最高である――男の子が生まれたら武術を教えて立派な武士に育て上げたいという夢も持っているのである。

 

「いただきます。」

 

 そう言って新左衛門は玄米、野菜の味噌汁、野菜の漬物、そして焼き魚と質素な食事をとる。なんとも貧相な食事ではあるが、武士たるもの質実剛健、剛毅朴訥でなければいけないというのが新左衛門の考えであり、常に徳川吉宗様のようであろうというのが目標であった。

 

 大量のまだ湯気の立った炊き立ての玄米をかきこみ、これまた熱々のみそ汁で流し込むとあっという間に食事を新左衛門は済ませてしまう。

 

 食事を済ませるとさっさと膳を片付け、今度は刀の素振りを始めるのである。昼間の道場とは違い真剣で素振りをするのはまた違った趣があり、新左衛門もそれが好きだった。真剣の紋様が月明かりで輝き、美しい表情をみせるこの瞬間が大好きであったのだ。

 

 新左衛門はそれほど武術を愛していたが、それは人を殺したいという事では無かった、というよりも人――藩の民衆や仲間を、そして何より愛するものを――守りたいために武術を修めているのであり、この太平の世の中が続くならば万々歳であったし、仮に使うとしても最終手段として使うと心に決めているのである。

 

 しかしながら、この幕末の争乱は新左衛門にそれを許してくれはしないという事を思い知るのであった。

 

 

 時は流れて慶應元年、この年に河井継之助が長岡藩を大規模に改革することになり、その波に新左衛門も飲み込まれていくことになるのでした。

 

 ある日の剣道場で新左衛門が今日もその手腕を発揮していると親友である吉之助が大慌てで入ってきた。

 

「暫し休憩!午後からは水練をやるからそっちにいってること。」

 

 新左衛門が言うと若者はぞろぞろ出て行く。すると吉之助が肩で息をしながら口を開く。

 

「自分聞いてないんか。なんでも継之助さんが言うには長岡藩も西洋の軍隊みたいにするんろ。」

 

「本当か!そんなんしねばええんな、それで俺に何の関係があるんだ。」

 

「それで自分が練兵所の教官に推薦されたんろ。だから急いで向かった方がええぞ。」

 

 それを聞いた新左衛門は返事もせずに急いで道場を駆け出るとバッタリお妙に出会ってしまった。

 

「新左衛門さん、どうかしたんですか。そんなにしかも急いで。」

 

 お妙はいつも通りニコニコと笑いながら話しかける。手には大きなおむすびを2つ包んだものを持っていてどうやら新左衛門に持ってきていたようであった。

 

「お、お妙さん。今は継之助様に呼ばれて急いで向かうとこなんよ。」

 

 新左衛門は足踏みしながら話した。

 

「あら!それはゴメンなさいね。新左衛門さん、じゃあ急いだ方が良いわ、お屋敷すごい遠いですもの。」

 

「ああ、お妙さん。また後で。」

 

 そういうと新左衛門はまた駆け出した。巨漢に見合わぬ快速であり、まるでイノシシかクマのようであった。

 

 汗をダラダラと垂らしながら河井継之助の屋敷に着いた新左衛門は流石に息が切れてしまっていた。大きな背中から湯気が漂っていた。

 

「何奴だ。ここは河井継之助様のお屋敷であるぞ。」

 

 汗をダラダラと垂らしている巨漢を流石に門番も怪しいと思ったのか声をかけてきた。

 

「俺は清野新左衛門(せいのしんざえもん)だ。継之助様に呼ばれて参上したんだ。」

 

 新左衛門はさっきの吉之助の様に肩で息をしながら答える。

 

「おお、思ったより早かったな。継之助様は中でお待ちだ、無礼が無いようにな。」

 

 そう言って門番は新左衛門を通した。屋敷の中は継之助継之助の家柄にしては大きく、かなり藩主からの寵愛を受けているのが見受けられた。

 

「は~、大きな屋敷。俺もこんなとこに住んでみたいものだ。」

 

 長い廊下を進み、何枚もの扉を潜り抜けて縁側にでると、そこに継之助継之助本人がいた。彼の眼は鳶の様な濃い茶色であり、物事を簡単に見透かしてしまいそうな目ではあり、額も広くて知性を感じるが、全体としては穏やかそうな顔立ちであった。それに、服装も着流しとゆったりしたものであり、厳しそうな老人を想像していた新左衛門はとても驚いた。

 

 継之助は新左衛門に気づき、座るように声をかける、新左衛門が座ると先に口を開いたのは継之助であった。

 

「君、本は好きかい。」

 

「はい、好きです。」

 

 新左衛門が答えると、継之助は暫し考えて話す。

 

「そうか、本は良いものだ。これからはどんどん新しい知識を取り入れないかんからな。」

 

 新左衛門はこの継之助という男は一体何を考えているのだろうと思う、こんな無駄話をするために呼んだはずではないはずだ、もしかしたらこの継之助という男は今も自分の何かを測っているのではないかと。

 

「継之助様、俺を練兵所の教官にするという話は本当なのでしょうか。ですが俺は下級武士の家系です。」

 

「長岡藩はね、身分に関係なく雇用することにしたんだよ。だから君に白羽の矢が立ったって訳だ。」

 

 継之助はそう言って鯉の餌を池に撒くと、鯉が勢いよく集まってきて餌にありつこうとする。それはどことなくグロテスクな感じがしたが、新左衛門にはなんと形容すればいいのかわからなかった。

 

「この餌が今の幕府と譜代大名ってとこかな。それで鯉が薩長だ、このままじゃ餌みたいに俺たちの藩は討幕派どもに飲み込まれてしまう。だから俺たちはこの藩を改革せんといかんのだ、だから君を呼んだ。」

 

 継之助は話を続けながら鯉に餌をやり続ける。

 

「ありがたき幸せ。ですが俺は何をやればいいのでしょうか。」

 

 新左衛門がそう言うと、継之助は立ち上がりどこかに去った。しばらく待っていると継之助は大量の本を持ってきて新左衛門の前に置き、本について説明を始めた。

 

「これは三兵答古知幾、それでこっちは陸軍字彙字書原稿でそれは砲科新論だこっちは・・・後は忘れた。どれも日本の武術を嗜んでいる君ならすんなりいけるかもしれんし、いけんかもしれん。まあ頑張ってくれたまえ。」

 

 新左衛門は風呂敷に大量の本を詰めながら何回も平伏し感謝の言葉を述べた。継之助が自分を頼ってくれているというう事への感動が6割、新しいことを学べるという知識欲を満たしてくれたことが4割であった。

 新左衛門が帰ろうとすると継之助が何か思いついたようで、また鯉に餌を上げながらこっちを見ずに話しかけてきた。

 

「そうそう、新しい洋式銃を採用するんだけど見るかい。君もこれから毎日見ることになるんだし見といた方がいいろ。」

 

「はい、俺見たいです。お願いします。」

 

「ほらよ、これが新式のミニエー銃って奴だ。君は何がすごいかわかるか。」

 

 新左衛門はその大きな目玉でまじまじとミニエー銃とか言う新式銃を見つめるが銃と言えばゲベールと種子島くらいしか見たことのない新左衛門にはいささか難しくあっという間に音を上げてしまった。

 

「すいません継之助様。全く分からないです、何分銃には疎いもんで。」

 

 新左衛門がそう言うと継之助はハハハと笑って説明を始めた。今日一番の饒舌で、これほど興奮しているとはこのミニエーとかいう洋式銃は凄いんだなあと新左衛門は感心した。

 

「ハハハ、先が思いやられるな。良いかい、このミニエーは先込めなのは変わらんけどね、銃身に施条が彫られててこれでゲベールよりも良く飛び、命中度もゲベールが老人の小便に思えるほどだ。」

 

 ほら見てみろと言って継之助が新左衛門に銃身を覗かせる。新左衛門が覗くと、確かにらせん状の溝が彫られていて、ツルツルのゲベールとは全く違った。感嘆を新左衛門があげると継之助はさらに上機嫌になり説明を続ける。

 

「弾も凄いんだぞ。椎の実みたいな形で撃つと回転して、しかも良く飛んで威力もとんでもないんだ。当たれば腕がもげたりする。それにさっきは言わんかったが銃の扱いも簡単でな引き金を引くと撃針が雷管を撃ってその爆発で弾が飛び出すって仕組みなんだ。この銃じゃゲベールが1発撃つ間に10発撃てるぞ。」

 

「そりゃとんでもない銃だ。でもそんな凄い銃じゃ高いんろ。」

 

「高いは高いがこんなときにゃ買わないかんろ。今薩長に飲み込まれる方がもっと高くつくからな。それにこのミニエーで止めはせん、もっと新型の銃を新潟港で買うつもりよ。」

 

 継之助の野心を聞いた新左衛門はいつもの数倍軽い足取りで帰路を急いだ。新左衛門はミニエー銃に感動していた、確かに俺の修めた剣道も大事かもしれんがあれにはかなわんな、これからは銃の時代になるはずだ。月も今日は新左衛門の出世を祝って笑っているように彼には思えた。

 

 家に着いた新左衛門は軒下に人影がいるのを見つけた。改革に反対する者か、と思った新左衛門は刀を抜き、こっそりと近寄る。

 

「何奴だ。姿を見せろ。」

 

 そう言って刀を振りかぶるとそこにいたのは新左衛門愛しの人であるお妙であった。

 

「まあ、新左衛門さん。驚かせてしまったようですいません。」

 

 お妙は怯えた様子もなく新左衛門に話しかける。新左衛門は顔を真っ赤にし、慌てて刀を鞘にしまう。

 

「お妙さん、これは申し訳ない。とんだご無礼を働きました。ところで何の御用で。」

 

 そう新左衛門が言う。

 

「新左衛門さんが出世するって言うでしょ、それにお昼の握り飯渡せなかったからね。今日はお料理をしてあげようかと材料だけ持ってきたの。鍋を使ってもいい?」

 

「もちろんいいに決まってるろ。俺なんかのためにしかも勿体ない。」

 

 新左衛門の話を聞くとお妙は手際よく鍋の準備を始めた。新左衛門がいつも使っている包丁――刀とは正反対に全くもって研がれていない――を使って簡単に葉物を切り、下ごしらえされた肉をさっさと鍋に入れてあっという間に鍋を後は煮えるのを待つだけにしてしまった。お妙さんならゲベールが一発撃つ間に10人前の料理を作れそうだなと新左衛門は思い、少し噴き出してしまい、お妙は不思議そうな顔で新左衛門を見ていた。

 

 暫く待ち煮え切ったところでお妙が、はいどうぞと言ってお椀一杯に鍋を持ってくれた。普段の質素な食事と違った豪勢な食事に新左衛門は少し罪悪感を感じたが、空腹とお妙の手料理と言う誘惑には勝てなかった。関が原合戦のような見事な負けっぷりであった。

 

「どうですか、新左衛門さん。もしかしてお口に合わなかった?私、江戸での生活が長いから・・・」

 

 お妙はお椀を置き、無言で鍋を食べ続ける新左衛門が自分の料理を気に食わなかったのではないかと声をかける。

 

「俺こんなしかも美味しいの食べるの久しぶりだ。ありがとうお妙さん。」

 

 新左衛門はお椀から顔を上げて不器用な笑顔で笑いながら答えた。それを聞くとお妙は先ほどまでの不安そうな顔を一変させいつもの笑顔に戻った。

 

「本当に!良かった~新左衛門さんに喜んでもらってうれしいわ。」

 

「俺もこんなうまい料理食べれるんだから出世してよかったよ。しかしこの部屋はしかも暑いなあ。」

 

 新左衛門は食べ始めてからずっと顔を真っ赤にして汗をダラダラかいていた。熱い鍋をお妙と食べている気恥ずかしさもあったが、実は別の原因があったのを新左衛門はすぐ知ることになる。

 

「新左衛門さん、この肉何だか分かる?」

 

 お妙も顔を真っ赤にして質問をしてくる。白い肌に紅潮した頬が新左衛門の目にはいつも以上になまめかしく見えて仕方なかった。いったい俺はどうしてしまったのだろう、お妙さんをそんな目で見るなんてと新左衛門は自分を叱るが、体は正直でお妙の事を目で追ってしまっていた。

 

「分からんなあ・・・いったい何の肉何だい。」

 

 新左衛門が言うとお妙は先ほど以上に顔を真っ赤にして、恥ずかしながら小さい声で答えた。

 

「これね・・・新潟港で手に入れたオットセイのお肉なの。それでオットセイの肉は惚れ薬みたいなものって商人さんにきいたから・・・新左衛門さんに。」

 

 それきりお妙は黙ってしまった。

 

「お妙さん、そんなことしちゃいかんろ。でもこんな夜道を返すわけにはいかんし・・・」

 

 新左衛門がうんうんと呻って無い知恵を出そうとしていると――新左衛門は兵法の知識はあっても恋愛の知識は1つもない――急に押し倒された。普段なら有り得ないことではあるが、頭が茹だってフラフラとなっていた新左衛門は、お妙にとっては藁よりも軽く感じられた。

 

「新左衛門さん・・・これはオットセイのせいです。そういうことにしておきましょう。その方が…二人にとってもいいはずです。」

 

 お妙の顔が近づき、吐息のかかる距離まで来る。新左衛門は愛しの人と今一線を越えようとしている緊張でまったく声が出ず、お妙のなすがままとなろうとしている。顔にお妙の息がかかり、鼻腔がお香の匂いで一杯になり新左衛門はあまりの刺激に卒倒しそうになる。

 

「お、お妙さん。これは――」

 

 お妙を制止しようとした新左衛門の口は、柔らかくまるで絹の様なお妙の唇で塞がれてしまいそのまま、まな板の鯉の様に新左衛門は何も抵抗できずに服を脱がされてゆく。

 

 その夜、新左衛門は一線を越えた。

 

 次の日の朝、新左衛門とお妙は気まずい朝を過ごした。昨日の情熱的な夜とは打って変わって口数はとても少なく、挙句の果てには目も合わせられない始末であり、遊郭好きな継之助がこの状態を見ればミニエー銃を手に入れた時より間違いなく笑っていただろう。

 

 朝食の準備をしながら気まずい時間を2人で過ごす中、先に口を開いたのは新左衛門であった。

 

「お妙さん、あの・・・」

 

「はい、新左衛門さん。何か・・・」

 

 お妙が答えると、新左衛門は大きく深呼吸をして答える。

 

「俺、昨日寝ずに考えたんだが嫁いでこんか。俺もこんなになってしまった結果の責任を取らないかんろ。」

 

 お妙は目を見張り、しばらく黙ったかと思うといつもの笑顔を取り戻し返事をした。

 

「喜んで!私、新左衛門さんとずっと一緒になりたかったんです。不束者ですがどうぞよろしくお願い致します。」

 

 そう言ってお妙は深々とお辞儀をした。

 

 

 祝言は盛大に行われた。お妙の両親は泣いて喜び、新左衛門は義父に孫を立派な武士にしてくれと泣きながら頼まれたり、新左衛門が素っ頓狂な歌を詠んで会場が笑いの渦に飲み込まれたりと終始和やかな雰囲気であった。食事では鯛と白米、そして舶来品のカステラやみかんが出たりと非常に豪勢であり、新左衛門は初めて食べる豪勢な料理に舌鼓をうった。

 

 結婚後、新左衛門は今まで以上に精力的に働いた。朝早く起き、水練をしてそのまま練兵所に向かってフランス式の軍隊に長岡藩をするために手腕を振るい、お昼はお妙の握った大層大きまおにぎり2つとたくあん、梅干しで済まし午後からは若者たちに剣道、馬術、銃を教え、帰ってからは夕飯を食べながら兵法書を時には辞書を片手に読み込む日々であった。もちろん、跡取りを作る試みも忘れることはなかった。

 

「新左衛門さん、そんなに頑張っていると体壊してしまいますよ。」

 

 お妙が心配して声をかける。明かりに油を足しに来てくれたようであった。

 

「心配かけてすまんな。だが継之助様のためにも、藩のためにも俺はしっかりと勉強しなければいけないのだ。」

 

 新左衛門は本から目を話さずに答える。今、新左衛門は雷銃操法というミニエー銃のマニュアルを読んでいた。

 

「そうですか、私はいつでも新左衛門さんの力になりますからね。」

 

 そう言ってお妙は寝室に向かっていった。結局この晩、新左衛門は寝ずに本を読み終えた。

 

 そんな生活を続けていると時代は慶応4年となり歴史は大きく動いていた。

 

 この年の十月に幕府の徳川慶喜は大政奉還をし、政治を天皇に返した。また政治に幕府が影響力を持てるようにしようとしたのである。しかしながらそうは問屋が卸さなかった、討幕派である薩長は王政復古を発することで幕府をつぶそうとしたのである。そして慶応4年、鳥羽・伏見で旧幕府軍対新政府軍の戦いが勃発、かくして戊辰戦争が始まったのである。

 

 着々と北陸にも新政府軍の魔の手が迫る中、新左衛門は継之助に呼ばれて彼の屋敷に来ていた。

 

「君、よく来たね。まあ座りなさい。」

 

 そう継之助が言う。新左衛門が見た横顔はどことなく物悲しそうな顔であった。

 

「江戸からお戻りになられていたのですか。よくぞ御無事で。」

 

「堅苦しいのは抜きにしよう。薩長は全くとんでもないことをしてくれたね。」

 

 継之助はハハハと笑うが、ミニエー銃を見せてきた時とは違った笑いであった。

 

「長岡藩はどうするんで、会津藩達と同盟を結ぶんですか。」

 

 新左衛門が言う。

 

「君には言っておこうかな・・・長岡藩は獨立特行の体を取るつもりさ。どっちにもつかずあくまで中立で新政府と会津藩達の調停役をやろうと思ってる。」

 

「彼らは許してくれるでしょうか。ええと、彼らっていうのは両方の陣営ってことです。」

 

 継之助はパイプで煙の輪っかをプカプカと作りながら熟考していた。

 

「厳しいだろうな。薩長はコテンパンにしたいはずだ。だからこそ俺たちは武装を強化しないといけないわけだ。俺が江戸に行っていたのもそのためよ、役に立たん骨とう品を全部売りさばいて全部武器に変えてきたんさ。」

 

「今度はどんな武器を買ってきたんですか。」

 

 新左衛門は継之助がまた武器の事になると上機嫌になるかと思ったが、予想した結果は得られず、相変わらず継之助はパイプを咥えていた。

 

「アームストロング砲ってデカい後詰めの大砲に、スナイドルって後詰めのミニエーさ。それにガトリングって連発銃も2丁買ってきた。こいつは何百、何千発も撃てるんだ。こんだけあっても薩長に勝てるかは疑問だがな。」

 

「大丈夫だ。長岡藩はあんな田舎侍どもに負けるような根性なしじゃないろ、しかも強いさ。」

 

「ああ、その通りだ新左衛門。お前が育てた兵士だ、弱いはずがない。俺は少々弱気になってたみたいだ、今日はありがとな。」

 

 そして運命の日、5月2日がやってきた。

 

 早朝、新左衛門が寝ているとドンドンと木戸を叩く音で目を覚ます。新左衛門が開けるとそこには見知らぬ侍が立っていた。

 

「継之助様からの書です。何やら一大事のようで。」

 

 使いの者に渡された手紙を読むが、悪筆でそれも急いで書いたようであり新左衛門は全く読めない。継之助は『河井は字を書くのではない、字を彫るのだ』との悪口を言われるほどの悪筆であったのは有名である。

 

「ううむ、全く読めんわ。仕方ない、継之助様の屋敷に行くぞ。」

 

 新左衛門が言うと、使いの者は頷き、また馬に跨る。新左衛門も同様に馬を出してきて跨ると、木戸が開き、お妙が顔を出した。

 

「新左衛門さん、行ってしまうのですか。」

 

 心配そうにお妙は聞く。

 

「ああ、もう帰ってこれんかもしれん。すまんな。」

 

「武士の娘として、妻として覚悟は出来ております。それに新左衛門さんが死ぬはずはありません。」

 

 お妙はキリっとした目で新左衛門を見つめる。

 

「この長岡の街も、お妙さんも俺が守ったるから安心せえ。俺は無敵の新左衛門よ。」

 

 新左衛門はそう言うと馬を出した。お妙は新左衛門の姿が見えなくなるまで深々と頭を下げ続け、その頬には涙が伝っていた、まるでこれが今生の別れであるかのように。

 

 新左衛門が屋敷に着くと継之助はお付きのものを何人か連れて、門の前で馬に跨り待っていた。額にはかなり大粒の汗をかいているのが見て取れた。

 

「新左衛門、やっと来たか。一大事だぞ。」

 

「何が起こったんですか。俺はてっきり新政府軍が攻めてきたんかと。」

 

「奴らは小千谷まで来ている。そこで会談することになったんだ、だから付いてきてくれ。」

 

 継之助はそう言うと新左衛門の返事を待たずに駆け出した。馬で越後の平野を抜け、どんどん森や山を抜けていく、その間も継之助、新左衛門含めて誰一人口を開かなかった。

 

 小千谷の慈眼寺に着くころにはもう日が落ちていた。新政府軍の兵士に出迎えられ、新左衛門達お付きの者は外で、そして継之助は1人寺の中へ入っていった。扉の隙間からちらりと見えた、岩村高俊という新政府軍の軍監はいかにも偏屈、横柄といった感じで新左衛門はいけ好かなかった。また、新政府の兵たちはエンピール銃を持ち、軍服を着ており、よく訓練された屈強な兵士であることが見受けられた。

 

「薩長は、新政府は長岡藩の事を信じてくれるろか。」

 

 お付きの一人が話す。

 

「大丈夫、新政府が天皇様を大事にする気持ちは俺らが将軍様を敬う気持ちと一緒だろ。きっと分かってくれるさ、戦争なんて起こらんろ。」

 

 とは言ったものの新左衛門には確証はなかった。今は継之助を信じるしかなかった。

 

「そうだと良いが。まあいざという時は新式銃もあるし、なにより自分がいるから安心だ。」

 

 そう言ってポンポンと新左衛門の肩を叩き笑うが、すぐに笑いを止めてしまう。全員心配で、不安でしょうがないのだと新左衛門は思うが、特に励ますといったことはしなかった、新左衛門自身も不安だったのだ。

 

 継之助と岩村の会談は夜が更けるまで続いた。新政府軍のキャンプにかけられたカンテラの明かりがちらつき、お堂からも蝋燭の明かりが漏れ出していた。 お付きの若者の1人が、睡魔に耐え切れず寝てしまっているが新左衛門は寝ずに継之助が出てくるのを待った。議論も白熱しているようで、お堂からは時たま怒号が聞こえてきた。

 

 会談が終わったのは明け六つであった。継之助は肩を震わせながら出てきた。いつもの継之助と違い、声を荒げていた。

 

「全員帰るぞ。アイツらは大間抜けだ、俺らを奥羽の手先だ何だとぬかしやがった。大将にもそんな奴らはあわせんとよ。」

 

「継之助様、では戦争になるのでしょうか。」

 

「ああ、開戦もやむなしだ。長岡の街に帰って、急いで準備せんといかん。」

 

 この会談の時、継之助は自分を相手にしようとしない岩村高俊相手に、倒幕と会津征伐の理由は本当は私的な制裁と権力奪取が目的なんだろうと言い切り、 その正論に岩村は答えられず会談は破綻したのだという。

 

 戦争がはじまると新左衛門は一端継之助と別れ、長岡城の守備に就くことになった。長岡藩士の大半は榎峠の防衛に向かい、新左衛門と長岡城に残ったのはごくわずかな藩士と若者達が大多数であり、もちろん新左衛門の教え子も大勢いた。

 

 戦争は全くの膠着状態に陥っていた、両者ともに決め手を欠いていたのである。先手を打ったのは長岡藩であり、榎峠を攻撃して奪還した。その後も新政府軍が榎峠を奪還しようと朝日山を攻撃するが長岡藩兵と桑名藩兵の強力な反撃の前に失敗をし、指揮官が死亡するという失態を犯していた。しかしながら、その後両者は砲撃船に突入し、アームストロング砲が火を噴き、もはや兵士の出る幕は無いように思われた。

 

 新左衛門はと言うと、左手には最新鋭のシャープス銃――この銃は南北戦争で狙撃部隊が使うほど精度に優れ、尚且つ大口径で威力も高かった――右手には刀を持ち、胴体に甲冑、頭には白ハチマキとずいぶんちぐはぐな恰好であり、さながら喜劇役者のようないで立ちであった。

 

 何時ものように新左衛門が見張りを行っているとかつての生徒たちが近寄ってきた。フランス式の軍服に身を包み、頭にハチマキ、手にはミニエー銃を持っている。馬子にも衣裳とはよく言ったものだと新左衛門は心の中で笑った。

 

「先生、俺たちの命先生に預けます。」

 

「俺たち先生のためにも、お妙さんのためにも絶対に新政府の奴らは通しません。」

 

 先生、先生と若者たちがワラワラと集まってきては口々に新左衛門に話しかける、新左衛門も胸に熱くなるものがあった。

 

「自分たちの命は俺が預かった。新政府軍の奴らは絶対に通さんぞ、奴らに目にもの見せてやるんだ。」

 

 全員でエイエイオーと言って士気を高め、また各自持ち場に着く。新左衛門は大分気持ちが楽になっていた、生徒たちに励まされたこともあるし、この継之助が置いてくれたガトリング砲とミニエーを持った士気の高い兵士が居ればあんな田舎侍どもに負けるはずが無いという考えだった。

 

「お妙さん、待っててください。きっと俺が守って見せるから。」

 

 新左衛門はそう言ってお妙と旅行に行ったときに写真館で撮った写真を握りしめた。写真の中のお妙の何時ものヒマワリの様な笑顔は新左衛門を励ましているように見えた。遠くから聞こえてくる砲の音に耳を澄ませていると、吉之助が大急ぎで走ってきた。吉之助も数少ない藩士として、新左衛門の友として長岡城に残ってくれていたのだ。

 

「大変だ、新左衛門!新政府軍の奴らが信濃川を船で渡ってきやがった、こっちにやって来るぞ。」

 

「本当か、全員配置に付け!」

 

 そう新左衛門が言うと、兵士の1人がラッパを吹く。トテチテターというラッパの軽快な音と共に長岡藩のアームストロング砲が一斉に火を噴く。

 

 ドドドカーンと爆音が響き、榴散弾が爆発し破片が長州の奇兵隊や薩摩藩の官軍に襲い掛かり無数の死者が出、それと同時に一斉にミニエーが火を噴きバタバタと倒れていく。しかしながら、官軍も幾多の戦場を駆け巡ってきたつわものぞろいで態勢を整えてゲベールとエンピールを途切れることなく撃ってきて死者が長岡藩にも出始める。

 

 銃弾の嵐の中新左衛門が「それっ。」といって刀をもって突撃する。

 

「新左衛門に続け。」「サツマッポどもに負けるな。」と声を張り長岡藩士もミニエーに着剣し叫び声と共に新左衛門に続いて駆け出し、それに気づいた新政府軍も同様に突進をはじめ白兵戦が始まる。その間も両者の砲は火を噴き、両者ともに吹き飛ばされ、手足、怒号、血しぶきが飛び散る地獄に長岡城下は一瞬にして変わる。

 

「押し込まれるな。援軍が来るまで耐えるんだ。」

 

 新左衛門が砲声に負けじと大きな雷のような声で仲間を励ましていると新政府軍の兵士が切りかかってくる、新左衛門は刀で野太刀を受け火花が散る。

 

「拙者は薩摩の高橋小兵衛。示現流の鬼の小兵衛とは拙者の事よ、いざ尋常に。」

 

「俺は清野新左衛門だ。お前ごときにゃ負けんぞ、覚悟せえ。」

 

 キイエーイと叫び声をあげ、小兵衛は新左衛門を滅多打ちにしてくるので新左衛門は防戦一方となってしまう。

 

「一刀流はやはり道場剣術よ。おはんさんじゃこの示現流の相手にゃならん。」

 

 ナニクソと言って新左衛門は自慢の馬鹿力で小兵衛を吹き飛ばし距離を置く、その周りでは銃床や銃剣、はたまた地面に落ちてる石やらなにやらで殴り合う熾烈な白兵戦が繰り広げられていた。

 

「小癪な、このデカ男め。次で決めてくれるわ。」

 

 そう言って小兵衛が振りかぶった瞬間、新左衛門はその刀に自分のが真正面に当たるように振り上げ――次の瞬間小兵衛の刀ははじかれ顔を一刀両断される。

 

「や・・・るな。この小兵衛一生の・・・不・・・覚。」

 

 小兵衛はこと切れた。新左衛門は立派な武士であったと心の中で弔い、戦いに戻る。新左衛門はまるで阿修羅か何かの様に大奮戦。斬っては撃ち、斬っては撃ちと死体の山を積み上げ、ハチマキは真っ赤になってしまっていた。疲れから新左衛門が立ち尽くしていると生徒の1人が駆け寄ってきた。

 

「先生!大変です。」

 

「どうした、何があったんだ。」

 

 新左衛門の鬼の形相に若者は一瞬怯えるがすぐに立ち直り、要点を伝える。

 

「城門前に新政府軍の別隊が来ています!今は我々だけで応戦中です。至急来てください。」

 

 そう言って生徒は銃弾、砲弾の中を走り抜ける。新左衛門も負傷者を助けたり斬り合いをしたりしながら追いかけた。

 

「こりゃ酷い。」

 

 新左衛門が思わず口に出してしまうほど城門前の状況は酷かった。血をダラダラと流している者、銃弾で手足を損傷してしまった者、恐怖から縮こまってしまっている者、しかも全員が若者であるのだ。新左衛門は思わず涙を流しそうになったがグッと堪えて全員に指示を出した。

 

「全員、銃を持つんだ!銃が無けりゃ石を投げろ、手足が無けりゃ噛みつくんだ!十重、二十重と新政府軍は俺たちを囲んでるがまだ希望はある。継之助様が来るまで耐えきるんだ!」

 

「先生・・・自分はもう。」

 

 若者の1人が涙を流している。この男、仲間が、友が傷つくのを見て怖気ついてしまったようだ。

 

「馬鹿野郎!自分が諦めたら死んだ奴らはどうなるんや、無駄死ににするんやない!」

 

 新左衛門は平手打ちをして奮い立たせようとする。これは自分を奮い立たせるためでもあった。

 

 何とか立て直した新左衛門と生徒たちは城門で孤軍奮闘していた。ミニエーを乱射し、一歩も近づけないようにしようとするがやはり新政府軍の方が数が多くじりじりと近寄ってくる。もはやこれまでと思った瞬間、数人の若者が声を荒げながら中から出てきた。

 

「ガトリング砲の準備が出来ました!先生、いつでも撃てます!」

 

「よし、分かった!」

 

 そう言って若者達はガトリング砲に着く。新政府軍は待ちきれなくなったのか、この寡兵なら勝てると思ったのか白兵戦に持ち込むために銃剣を構えて突撃してきたその時――「今だ!」新左衛門の号令と共にガトリング砲から何百発もの弾が放たれ、新政府軍がバタバタと倒れていく。それと同時に残った者のミニエーも一斉に放たれ城門前は血煙が漂うところとなっていた。

 

 新左衛門達は奮闘した、ガトリングからアームストロング、そして自分の体を使って長岡城下のありとあらゆるところで戦った、新政府軍も大損害を被りはしたが所詮長岡藩は小藩である、じわじわと新政府軍に追いつめられ、半日で終には抵抗むなしく長岡城は敵の手に落ちてしまった。

 

 栃尾――筆者が思うに栃尾は油揚げが美味しいので新潟に来たら絶対に寄るべきである――にまで退却した後、兵力を蓄えた後今町を奪還し、新左衛門達は継之助達と合流した。

 

「やあ、君よく生きていたね。」

 

 継之助は飄々と話す。が、その目はしっかりと長岡の方向を見据えており頭の中には次の盤上での動きが出来上がっているようであった。

 

「しかしながら長岡城を取られてしまいました。切腹したい程です。」

 

 新左衛門はうつむきながら話した。

 

「いや、君にはいてもらいたい。それに奪われた者は奪い返せばいいだけよ。」

 

「不肖、新左衛門どこまでもついていきます。」

 

「ありがとよ、新左衛門。それに嫁さんも気になるだろ。」

 

 新左衛門はお妙の事を思い出す、今まで余裕が無くすっかり忘れてしまっていたが元気だろうか、まあお妙の事だから何とかやれてるとは思うが、そう思う新左衛門の頭上には真っ黒な雨雲が浮かんでいた。

 

 今町を奪還した長岡藩士達は逆襲に転じていた。各地で新式銃を装備した長岡藩士達は他の奥羽諸藩の兵士と共に反撃を繰り広げ、中越は戊辰戦争でも最大級の戦場となっており、新政府はたった七万石程度の小藩に苦戦を強いられていた。

 

 そして七月二十四日、かの有名な八丁沖の戦いが勃発するのであった。

 

 夕刻、新左衛門は継之助と共に八丁沖に来ていた。長岡藩兵17小隊約600名と会津藩、桑名藩の同盟軍がこの地に集結していたが、情報漏洩を危惧して新左衛門にすらこれから何をするのかは教えられていなかった。

 

「これから何をするんですか。」

 

「この八丁沖を渡って長岡城を奇襲するんだ。こいつは成功するぞ。」

 

「この大沼を渡り切るには何時間もかかると思いますが大丈夫なんですか。」

 

「だからこそやるんだ。虚を突かれた新政府軍はあっという間に瓦解するぞ、そろそろ始めるから自分の小隊に戻れ。」

 

 小隊に戻った新左衛門に小隊員が話しかけてくる。全員作戦内容が知りたくてうずうずしていたようであった。

 

「これからこの大沼を渡って奇襲するんだ。」

 

「先生、本当ですかそれ。この時期の水はひゃっこいですよ。」

 

「やるしかないんだ。長岡城を取り戻すにはな。」

 

 しばらく待っていると全体がぞろぞろ動き始め、沼を渡り始める。足をぬかるみに取られたり、水草を切り払ったりしながらそろりそろりと進んでいく。小隊員でも若い奴らは歩きなれておらず何度も足をぬかるみに取られて進軍は遅くなり結局反対側についたのは真夜中であった。

 

「新左衛門、そろそろ始まるのか。」

 

「先生、突撃のラッパはまだでしょうか。」

 

 全員が大粒の汗を額に浮かべながら話しかけてくる。奇襲の緊張感で神経が皆、新左衛門も合わせてまいってしまいそうであった。と、その瞬間長岡藩からはラッパの音が、他の藩はホラ貝を吹いて奇襲の合図が下る。

 

「そうれ、突撃!」

 

 そう継之助が号令をかけると真夜中、月明かりだけを頼りにした戦いが始まった。両軍の銃が火を噴き、刀がぶつかり合い火花が散った。新政府軍は奇襲の対応に手間取り、自慢の砲も満足に準備できておらず、また月明かりだけで誤射せずに発射するのは困難であった。

 

 甲冑を着た新左衛門も小隊員と共に新政府軍に切り込み、猛烈に戦う。他の藩も新左衛門に、長岡藩に負けじとゲベールを一斉に発射し、さらに死人が増える。しかしながら、新政府軍も次第に体制を整え長岡藩士も押され始め、次々と倒れて行った。そんな中、新左衛門の小隊もバタバタと倒れ始め吉之助も胸にミニエーの弾丸をうけて倒れてしまった。

 

「吉之助、死ぬんでねえど。」

 

 新左衛門が涙を堪えて言う。

 

「すまねえ新左衛門。俺はもうダメだ、お妙さんをよろしくな。」

 

そう吉之助は言うと目を閉じてそのままうなだれてしまった。

 

「くそう、吉之助の仇!」

 

 新左衛門は怒りのままに刀を振るった。生き残った新政府軍の将兵からは山形有朋に「鬼神のごとく戦う大男あり、撃てども死なず。」との伝令が飛び、山形を唸らせたという。

 

 戦いは終始長岡藩の有利であったわけではないが、長岡城を取り戻すことが出来た。一度落とされた城を取り戻されるというのは前代未聞の大失態であり、継之助の用兵と長岡藩士のたぐいまれなる士気と新型の武装の影響が大きかったのが見て取れる。

 

 新左衛門は継之助に会いに来ていた。戦闘中に負傷したという話を聞いて様子を見に来たのである。

 

「大丈夫ですか、足のけがは。」

 

「いやあもう歩けんよ。ミニエーっていうのは凄いなあやはり、買って正解だったろ。」

 

 継之助はベッドに横になりながら言う。軽口を叩いてはいるがひどい傷だというのは医術の心得が無い新左衛門にも一目見れば分かった。 

 

「きっと治りますよ。俺はお妙の様子を久しぶりに見に行ってきますので、お大事に。」

 

「ああ、悪いね。お妙ちゃんに俺の事もよろしくよ。」

 

 新左衛門は深々と頭を下げてテントを出て行った。継之助には、何だかもうあの気の良い熱心な大男に出会えない気がしたがきっと傷で気が弱くなっているのだろうと忘れてしまった。

 

 家に着いた新左衛門が見たのは荒れ果てた家であった、扉や障子は外れ、壁はところどころ崩れてしまっていた。

 

「お妙~いるか。出てきておくれ。」

 

 そう呼びかけるが返事はない。廊下には複数の男物のブーツの後がついていたのを見つけ新左衛門は嫌な予感がよぎる。

 

「お妙さん、どこだい。俺だよ、新左衛門だよ。」

 

 返事は無く、新左衛門はさらに奥に足を踏み入れる。ツンとした臭いが新左衛門の鼻をつく。

 

 不安で足早になる新左衛門がお妙を見つけたのは座敷であった。彼女はこと切れており、近くには何かの薬と書が散らばっていた。何時ものヒマワリの様な笑顔を携えていた美しい顔は苦悶の表情を浮かべていた。

 

「お妙さん・・・いったいどうして。」

 

 新左衛門は近くに落ちていた遺書に目を通す。そこにはお妙がいつも書いていた繊細な美しい字があった。

 

「 新左衛門さんへ、この様な先立つ不孝をお許しください。ですが、武士の妻としてでなく、私自身の思いであなたには私のこの様な姿は見られたくないのです。あなたの中の私はいつまでもきれいなままでいたいのでこのようなことになってしまいました。

 

 事の顛末はこうです、あの日、長岡城が新政府軍の手に落ちた日から私は彼らにずっと睨まれていました。無数の官軍を殺した、賊軍の妻であると、店での買い物を断られたり、誰も私と話さなくなってしまいました。ですが、私は武士の妻としてこれは仕方ない事であり、新左衛門さんが継之助様と共に信念のために挫けず戦っているのだから私が弱音を吐いてどうするのとずっと耐え忍びました。

 

 しかしとうとう新政府軍の若者たちが私たちの家に押し寄せてきました。彼らは酔っぱらっており冷静な判断を欠いておったので、私の寝室の戸を蹴破ると銃や軍刀を突きつけ脅してきました。賊軍の妻も夫と同罪、天誅を下すなどと言って私は辱められてしまいました。生涯、新左衛門さんだけに尽くすと決めていたのに私は汚れてしまったのです。彼らが処罰されたかどうかは関係ありません、私はもう新左衛門さんに見せる顔がないのです。

 

 どうか私の屍は2人で一緒に水どりを見たあの潟のそばに埋めてください。きれいな思い出と一緒でありたいのです。」

 

 遺書はこれで終わっていた。新左衛門は涙と後悔の念が収まらない、無敵だなんだともてはやされながら妻一人、大切な人を守れない自分は武士失格であると。新政府軍への憤りよりも自分への不甲斐なさが強かった、結婚しても仕事にかまけてあまり構ってあげられず、それでも我慢してくれた妻、それでも自分の事を愛してくれていた妻を守れなかった自分はなんと情けないのであろうかと。

 

 お妙の屍を担いだ新左衛門は馬に跨り、あの日見た思い出の潟に向かった。もう新左衛門にとって新政府も長岡藩もどうでも良かった。継之助や生徒のことは気がかりであったがお妙の死からすると些細な事であった、端的に言えば新左衛門は自暴自棄になっていたのだ。

 

 何日も馬に跨り、新政府の検問を突破しあちこちに銃創、切創を作りながら新左衛門は思い出の潟に着いた。当初はピカピカに磨かれていた鎧も今では新左衛門のか敵のか誰の者とも分らぬ血で黒ずんでしまっていた。体のあちこちから血を流し、息も絶え絶えな新左衛門はやっとの事でお妙を潟が見下ろせる小高い丘に運んできた。

 

「お妙さん、来世ではもっと平和な世の中で会いましょう。自分は念仏も戒名も分かりませんが安らかにお眠りください。」

 

 そう言って土を掘っては丁寧に被せていく。最後の最後、顔に土をかける瞬間、新左衛門にはお妙の顔が見つけた時より安らかな顔に戻っているような気がした。

 

「さて、俺はどうしようか。」

 

 新左衛門は殆ど死に体であった。ここまでお妙を運んで埋葬できたのは奇跡か何かのようであり、手の感覚ももうほとんど感じられなくなっていた。

 

「俺、お妙さんと離れたくねえ。だから、俺は潟に沈むことにするよ、お妙さんがいつでも俺を見れるようにね。」

 

 そう言うと新左衛門は長岡の方向に深々と頭を下げ謝罪した。

 

「継之助様、俺は弱い男です。最後まで付き合い切れず本当に申し訳ない。どうかお許しください。」

 

 暗闇の中新左衛門は潟に一歩一歩足を進め、大きな体を沈めて行く。2、30歩歩いたところですっぽり頭まで埋まってしまいもう上がってこなかった。

 

 あくる日、新政府軍の兵士が新左衛門を追って潟に来てみるとそこには大きな鎧だけがプカプカと太陽の光を受けて気持ちよさそうに浮かんでいたという。

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