2人の奇妙な日常をお楽しみください
新潟県には新発田駐屯地というとても歴史の深い自衛隊の駐屯地が存在するのは知っている人も多いのではないでしょうか。
元々は新発田城の跡地であり、戦前、戦中には歩兵第16連隊や歩兵第116連隊が設置されており、中でも歩兵第16連隊は激戦には必ず参加していたと言われるツワモノぞろいの部隊でした。また、彼らは非常に郷土愛が強く、古参兵による新人のいびり、制裁は皆無であったと言われています。
さて、話は変わりますが新発田駐屯地の隅には非常に古い井戸があったそうです、戦前――もしかしたらもっと昔かもしれません――からある井戸は非常に不気味な雰囲気を醸し出しており、夜のパトロール中に「助けてくれー」という恨めしそうな声や何人もが行進する音を聞いた者、はたまたカーキ色のシャツを着て帽垂布の付いた帽子をかぶっている男をこの目でしかと見たという者が大勢おったそうです。
幽霊の正体見たり枯れ尾花という言葉はありますが、いくら鍛え抜かれた丈夫な男たちと言っても怖いものは怖いわけで次第にその井戸には近づかなくなってしまいました。
さて、今回の物語はそんなおどろおどろしい井戸にまつわる少し不思議な自衛隊員の若者と16連隊の軍曹のお話でございます。
清野哲夫は肩に64式小銃をかけて夜の基地をパトロールしていた。月明かりと自分のライトだけを頼りに歩き回るというのは中々難しく、半年ほどたった今でも枝や石に引っかかって時たま転びそうになる。
「石村とか言うクソインテリ野郎め。今に見てろよ。」
そう言って哲夫は石を蹴っ飛ばし、フェンスに当たって軽い金属音が鳴る。自分で鳴らした音が思った以上に大きく哲夫はビクッとしたが、またすぐに巡回ルートに戻り歩み始める。
哲夫が腹を立てていたのは東京からやってきた石村一樹とかいう2尉であり、感情を逆なでする男であった。この男、自分が防衛大卒業でエリート街道を邁進しているのを鼻にかけているので、事あるごとに哲夫を含めた下士官をいびり散らすのである。また、それだけでは飽き足らず武道――特に銃剣道――も強い、射撃もピカ一と性格以外は抜群でありそれが哲夫に嫉妬などを交えた複雑な憎悪の念を抱かせていた。
「戦争になったら敵より真っ先にアイツを撃ったるわ。」
戦場で背中から弾倉の弾を石村に全部撃ちこむ妄想をすると哲夫は一時は清々しい気分になったが、想像中の死に顔がやはり腹が立ってさっきより余計に腹の虫が収まらなくなっていた。訓練中の「田舎者だから銃は上手いだろ。どうしてあんな的に当てられないんだ。」という言葉が頭の中を山手線のようにグルグル回る。
大股で哲夫が歩いていると問題の井戸の近くまで来ていた。哲夫はサッとルートを離れて井戸に近寄りポケットから煙草を出す、この井戸は薄気味悪くて誰も近寄らないのでタバコを吸ってサボるのに絶好の場所であり、哲夫はこの井戸に巡回当番である日は毎回寄っていた。
「やっぱアイツを打ち負かすには銃剣道やな。得意分野で負かした時のアイツの泣き顔がたまらんやろうなあ。」
肺一杯にため込んだ煙をフーっと吐き出し、紫煙が月明かりに照らされる。タバコを2,3本ゆっくりと最後まで吸うと肩から銃を下ろし、石村を負かす妄想をしながら銃剣道の真似事をするがどうも上手くいかず、すぐにやめてしまう。哲夫も自覚はしていたが武道や射撃といった人を傷つける類のものは得意では無く、彼が自衛隊に志望したのは災害救助をしたいという動機からである。
「俺はやっぱダメやな。田舎に帰って農家継ごうかなあ。」
またクシャクシャになった箱からタバコを出して吸い始める。自衛隊に入ってから――いまいましい石村に会ってから――哲夫がすうタバコの本数は倍近く増えていた。このままじゃ肺がんで十中八九死ぬだろうな、とは思ってもストレスからか吸う本数を減らす試みはことごとく失敗しており、本人も半ば禁煙は諦めている。
タバコを1箱吸いつぶして最後の一服を堪能していると突然大きな突風が吹いたと思うと――。
「おい、そこで何をしている。」
怒号が井戸の方向から響き、哲夫はしまった上官に見つかったかと思い振り向くが、見た瞬間、男の様相に開いた口が塞がらなくなってしまう。男はカーキ色の所々が破れたシャツを着、頭にはネットの付いた鉄帽、おまけに腰にはなにやら日本刀のようなものを差していてどこからどう見ても映画やドラマで見た日本兵そのものであるのだから。
「だ、誰だお前。ここは駐屯地だぞ、一体何をしているんだ。」
哲夫は銃を向けながら詰問するが、男は全く慌てる様子が無い。幽霊の二文字が哲夫の脳裏に浮かぶ。
「私は大日本帝国陸軍第16連隊所属の軍曹、長谷川幸之助だ。人様に名を尋ねるときは自分から名乗らんか。」
「は、はっい、失礼しました。自分は第30普通科連隊所属の清野哲夫一等陸士であります。」
咄嗟に敬礼をして自己紹介をしてしまう。哲夫は完全にこの謎の男――九割九分幽霊であろう男――に気圧されてしまっていた。
幸之助は清野と一言呟くと黙り込んでしまう。よく見ると足が無く、胴体も半透明であるので向こうのフェンスが透けて見えるので、哲夫はこの男が幽霊であるという事に完全に気づき、足は生まれたての小鹿の様にがくがくと震えていた。
そんな哲夫の事などつゆ知らず、幸之助と名乗る幽霊は何かを思い出したようでさっきとは違って陽気に話しかけてきた。
「君、やっぱり貞氏上等兵の所の子かい。彼にはノモンハンや太原では大いに助けられたよ。」
「貞氏は自分の祖父であります。ところで、あのぉ・・・」
私が口ごもっているとまた彼は機嫌を悪くしたようで口調がきつくなる。
「どうした、男ならもっとしゃっきりせんか。君の祖父はそれはそれは豪胆な男だったぞ。」
意を決して哲夫は幸之助に尋ねる、その声は上ずり鳥の鳴き声のようであった。
「幸之助さんは幽霊なのではないでしょうか。」
「ああ、そうだよ。ガダルカナルで死んだんだ。」
実に淡白な返答であり、あっけにとられた哲夫を尻目に幸之助は話を続ける。
「いやあ、魂だけここに帰ってきたみたいでね、自分も詳しいことは知らないんだけど。」
「ど、どうして俺なんかに話しかけたんです。もしかして俺を呪い殺そうと・・・」
「貞氏君に似ている子がサボっていたから叱ってやろうかなあと思ってね、うん。脅かそうとしただけなんだけど波長が合ったんじゃないかな、同じ兵隊同士、それで見えちゃったって感じだと思うよ、多分ね。」
「なーんだ、ハハハってオイ。」
恐ろしい鬼軍曹という先ほどまでの様子から一転、幸之助は実に気さくな人物であり、話してみれば梅雨時の信濃川の様にあれこれ喋り始め、パトロールの時間が終了しそうになる頃にはすっかり2人は打ち解けてしまっていた。哲夫は幸之助が話す自分の祖父の失敗談が非常に気に入ったのであった――特に好きなのは、祖父である貞氏が抗日ゲリラのハニートラップにハマって地雷原に置いて行かれた話であった。
「じゃあ幸之助さん、また明日。」
「おう、また明日な。そうそう、分かってると思うけど午前中に来てもいないからな。幽霊ってそういうもんだろ。」
「おう、分かった。じゃあ俺は帰るから。」
幸之助はお茶らけて敬礼してみせ、哲夫もそれに答えて敬礼をし、奇妙な出会いの一日目は終わった。
次の日の午前中、哲夫は非常に気分が良かった。同僚である神田一等陸士が気味悪がってしまうほどであり、いつにもまして哲夫はニコニコしていた。
「清野、お前どうしたんだ。今日は気分爽快ってかんじだな。」
神田は言った。
「ああ、分かるかい。昨日の夜良いことがあったんだ。」
64式の引き金を絞りながら哲夫は言う。パン、パンという銃音も今日は子気味良く感じた。
「何だよ、女か。俺にも紹介してくれよ、同郷のよしみだろ。」
神田が女好きであるのは部隊中で有名であった。現に哲夫も神田とは同じ高校であったので、隣町までナンパをしに行ったり、女子高の文化祭に神田が立ち入り禁止にされたりした伝説の事は知っていたしその目でしっかり見ていた。
「女なんかじゃないよ。それよりずっと良いね。」
「ほーん、まあええわ。お前の性格じゃ女なんかあり得ないのは分り切ったことやし。」
ハハハと2人で笑ってまた的に狙いを定めて撃つ。なんだか今日はいつもより当たる気がした。
「おやおや、2人そろって仲良く談笑ですか。田舎者はのんきで良いですねえ、僕なんか昨日も・・・」
問題の石村がやってきた。この男、嫌みが言えるとなればどんな場所にも出没するのである。恐らく太陽系ならどの星のどんな環境であろうと嫌みを言いに現れると哲夫は睨んでいた。
石村は姑の様にお小言を続ける。
「いやあ、君たち姿勢がダメだね。全然、なってない。防衛大の生徒の方が百倍マ――」
「二尉殿、危ないです。」
そう神田が言うと薬莢が石村の方向に真っすぐ飛び、顔を掠めてヒッと小さな悲鳴を上げて後ずさる。
「君!危ないじゃないか。僕が指揮官なら軍法会議ものだよ!」
石村はぶつぶつ言いながら去っていった。哲夫は小さな声で「ざまーみろ。」と言ってまた神田と話し始めた。
「神田、今のわざとか。」
「んなわけあるか、どうやって薬莢の飛ぶ方向を操るんや。ダンボなんかお前。」
「そりゃそうだ、でもスカッとしたな。」
哲夫が射撃訓練に戻ろうとしたとき、妙に冷たい風が背中をさすっていった気がした。
夜になると哲夫はまた幸之助の所にやってきていた。幸之助は井戸に寄っかかってこくこくと居眠りをしていたので、哲夫はトントンと井戸を叩いて音を立てた。
「おう、哲夫か。スマンスマン寝てたわ。」
幸之助は幽霊とは思えないほど人懐っこい笑顔で笑うと、慌てて鉄帽をかぶり体を哲夫の方向に向ける。
「幽霊も寝るんすね。俺驚きましたよ。」
「ダンボかお前。幽霊だって寝るだろそりゃ疲れるぞ一日中暇だし。今日なんて半分成仏しかけたわ。」
軽快な幽霊ジョークをかました幸之助はそのまま話を続ける。
「お前の上官の石村とかいう奴はいけすかん奴だなあ。新潟男児として負けたらいかんぞ。」
「なんで知ってるんですか幸之助さん。午前中は・・・」
哲夫が不思議そうにしているとこれまた幸之助も不思議そうな顔になって問いてくる。
「お前もしかして勘違いしとらんか。午前中は会えないってだけでいるに決まっとるやろ。そんな人間が突然消えるわけないろ。」
お前は人間じゃなくて幽霊だろと突っ込みたいが呪われたりしたら嫌なので黙って本題に入る。幸之助を歴戦の強者と見込んで今日、哲夫はあるお願いをしに来たのだ。
「自分を弟子にしてください!石村の奴に一泡吹かせたいんです!」
土下座をして頼み込むと、幸之助は慌てて哲夫の頭を上げさせ考えこみ始める。哲夫の手も手汗でびっしょりになり、手のひらに爪が食い込むほど強い握りこぶしを作っていた。しばらく考えた幸之助は「よし。」といって顔を上げた。
「幸之助さん、よしってことは先生になってくれるって事ですか。」
「うん、ええよ。でも俺の頼み事も聞いてくれるろ。」
「もちろんです、先生のためなら例え日の中水の中です。」
「頼みって言うのは、阿賀町に住んでる京子って女の子に俺の手紙渡したいんよ、渡せず死んじまったからな。あと先生ってのはやめてくれ、幸之助さんかこうちゃんが良い。」
幸之助は泥で黒ずんだ顔を真っ赤にさせながら頼んでくる。
「はあ、分かりました。それで手紙って言うのは何処にあるんですか。」
哲夫が聞くと幸之助は当たり前だろとでも言いたいかのような口ぶりで答えた。
「そりゃあガ島よ。そこで死んだんだもん、手紙はカンカラに入ってるから大丈夫だから安心せえ。」
「もちろん良いですよ!沖縄観光のついでにでも取ってきます!」
哲夫はガ島を沖縄の何処かと勘違いしているようであっさりと快諾してしまった。幸之助はニヤーっと幽霊らしく薄気味悪い顔で笑って抱き着いてくるが、そこは幽霊あっさりすり抜けてしまう。
「ようし明日から銃剣術の特訓や!太平洋戦争で鍛えた腕が鳴るでえ。」
そう言ってブンブン振り回す手からは朝日が透けて見えていた。