超人秘密結社元構成員『緑谷出久(21)』の活動記録   作:久路土 残絵

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第1話 Hello,world

宵闇に―――怨嗟(えんさ)の叫びが木霊(こだま)する。

 

ここは魔界都市ヘルサレムズ・ロット。かつてニューヨークと呼ばれた大都市。そして異界と人界が交差し、超常犯罪が飛び交う『地球上で最も剣呑な緊張地帯』だ。

 

街には数多の異形生物が闊歩し、魔法に肉体改造、霊的現象などは当たり前。『異常』事態、『怪奇』現象なんて言葉は死語になって久しい。

まさに『異常が日常』となったこの街ではあるが、しかして今宵の『日常』は些か以上に飛び抜けていた。

 

かの災厄が現れてから僅か十数分、無数の建造物が塵と消え、数多の命が路傍の染みと化した。

事の下手人は《血界の眷属(ブラッド・ブリード)》。

太古の異界存在が、人間のDNAに術式を書き込み、改造する事で造り上げられたとされる怪物であり、人界においては『吸血鬼』として伝承される人外の徒だ。

その腕の一薙ぎはビルをジェンガの如く崩落させ、悠久の時の中で培われた叡智は人類の遥か先を往く。さらには焼き尽くされ灰にされようが即座に再生してしまうほどの絶対的な不死性を宿している。

 

そして人類にとって災厄なことに、個の戦力で軍を凌駕する究極生物であるところの彼らの食物は―――人間の血液だ。

つまりは食物連鎖のピラミッドにおいて人類を見下ろす捕食者。人間が動物にそうしてきたように、人の命を摘み取り糧とする上位存在である。

 

しかし、その絶対的上位存在が今―――断末魔を上げていた。

 

「ザリド・ファズルルス・ギル・バ・アギラメニカ。貴公を密封する―――!」

 

 決死の殺気を撒き散らす上位存在に臆する事無く、静かに、されど猛々しく拳を引き絞るのは獣の如き巨躯の紳士。

 彼こそは血界の眷属に対抗するべく結成された《牙狩(きばが)り》の一組織、《超人秘密結社ライブラ》の統括責任者(リーダー)、クラウス・(フォン)・ラインヘルツである。

 彼は文字通り血で血を洗う決死の時間稼ぎの末に、遂に仲間が()()()吸血鬼の真名―――諱名(いみな)を握ることで、あらゆる機器、センサーを透過する血界の眷属(ブラッド・ブリード)、その不定形な実体を、自らの奥義に捕捉した。

 

(にく)(たま)え、(ゆる)(たま)え、(あき)(たま)え、人界(じんかい)を護る為に行う我が蛮行を―――」

 

 手向けとして捧げられた言葉は、これから永劫の拘束を受ける上位存在への敬意、そしてせめてもの慈悲。それらを握り、クラウスは拳を固める。

 呼応して、左手に装着した十字架を象ったナックルガード、その内側にある鋭利なエッジがクラウスの皮膚を食い破り、《滅獄》の属性を宿した血液を内部に装填した。

 

 

 

      ブ

      レ

      ン

      グ

      リ

      |

      ド

      流

      血

      闘

      術 

 

      9

      9

      9

      式

 

 

 

 その拳こそ血界の眷属の不死性を打倒し得る人類唯一の牙。

 不死者の完全な無力化という、クラウス・V・ラインヘルツが仲間の力を借りてのみ為せる血法の絶技。

 

久遠棺封縛獄(エーヴィヒカイトゲフェングニス)!!」

 

 剛拳が不死者の胸を穿ち、ナックルガードから《滅獄》の血液が撃ち込まれた。

 不死者の天敵たる牙狩りの血液は、血界の眷属(ブラッド・ブリード)の体内を駆け巡り、皮膚を裂き、肉を溶かし、破壊の限りを尽くす。

 やがて血液は爆裂するように血界の眷属の身体から噴出し、不死の肉体が再生するよりも疾く、逃れ得ぬ血の牢獄を形成する。

 

「ぐぅうッ!牙狩りッ……風情がああああああああああ!」

 

 街を壊し、人を殺し、人外の力を以って暴威を振るった血界の眷属が今、叫喚とともに()()()()()()()()()

 血界の眷属は転移術式で逃走を図るも、最早何もかもが手遅れだ。

 苦しみもがく上位存在の最期に、クラウスは、胸に拳を当て、悼むように瞑目する。

 

「どうか安らかに―――」

 

 やがて断末魔が止むと、地面に一つ、不死者の末路である醜悪な意匠の十字架が転がった。

ここに不死者の《密封》は成された。

 異界と対する人類の最前線、H・L(ヘルサレムズ・ロット)にて、今日もすんでのところで人界の平和は保たれたのであった。

 

「クラウスさん!大丈夫ですか!」

 

 終戦の静寂の中、クラウスに駆け寄ったのは一人の青年だ。

 名を、レオナルド・ウォッチ。

 万物を見通すと云われる《神々の義眼(かみがみのぎがん)》をその身に宿す、ライブラの構成員だ。

 此度(こたび)の戦いで血界の眷属の諱名(いみな)を暴いたのは彼の義眼の力に()るものであり、血界の眷属の密封に諱名の特定が不可欠であることから、勝利に最も貢献した人物の一人と言えるだろう。

 

 そんなレオナルドの問いかけに、クラウスは獰猛に尖った犬歯を光らせながら、紳士的な笑みとともに答えた。

 

「少々血を流しすぎたが……私の方は問題無い。それよりも『彼』だ。私が来るまで持ちこたえた『彼』の奮闘が無ければ、被害はこの程度では済まなかっただろう。レオナルド、頼めるか」

 

無言の首肯の後、レオは《神々の義眼》を起動する。

遠視、透視、眼球の乗っ取りから、幻術の打破までなんでもござれの神造物にかかれば、(くだん)の『彼』を見つける事は容易い事だ。

 

「あの瓦礫の下です!」

 

レオが指差したのは、無数の瓦礫の山のうちの一つ。

クラウスは満身創痍の身体をおして駆け寄ると、並々ならぬ怪力で瓦礫を(まく)りあげていく。

程なくして、一人の『青年』が掘り起こされた。息を乱しながら地面に背を預けた『彼』。

やや緑がかった黒い短髪、成人してなお、僅かな幼さを残した顔は疲労と苦痛に歪んでいたが、クラウスの顔を見ると安心したのか、柔和な笑みを浮かべた。

クラウスは『彼』に手を差し伸べ、抱き起こす。

 

「生きている様で何よりだ。そしてよくやった。『デク』くん」

 

*

 

『デク』と呼ばれた青年――緑谷出久(みどりやいずく)はこの世界の人間ではない。

青年がこの世界に迷い込んだのは、まだ青年が少年だった頃、もう七年も前のことだ。

そう、全ての始まりは出久がヘドロの《個性》を持つヴィランに襲われ、憧れのNO1ヒーロー、オールマイトに助け出されたあの日―――。

 

*

 

出久の生まれた世界は、総人口の八割が《個性》と呼ばれる先天的な超常能力を持つ超人社会である。

《個性》とは文字通り人によって千差万別、手汗がたくさん出るなどという宴会芸の様な《個性》から、森一つ焼き尽くせる炎を出す戦術兵器に匹敵する強力な《個性》、更にはファンタジーのドラゴンの様に翼が生える異形の《個性》までと枚挙に暇が無い。

 

話だけ聞けばまるでテーマパークのように刺激的な世界になったのだと感じるかもしれない。

しかし『人間を規格化出来なくなった』ことは、世界に未曾有の混乱をもたらした。

 

《個性》の暴走による傷害事件が多発、手口不明の窃盗事件の乱発。

《個性》を神の贈り物だという宗教、《個性》保持者を集めて徒党を組む反社会勢力の乱立。

 

《個性》に関連した犯罪件数は爆発的に増加し、警察等の治安維持機関は対応に追われた。しかし《個性》はあくまで身体機能。拳銃などと違い探知機にかかる訳も無い。少々大げさに言えば、人類の八割が不可視の凶器を持った社会となったわけだ。

鎮圧の為の武装も、犯罪に対する法も既存の物は『平均的な人間』を想定しての物だ。

当然の結果として、警察は後手に回り続け世界各地が無法地帯への一途を辿った。

 

そんな中、脚光を浴びたのが《ヒーロー》という職業だった。

始まりは単純。個性を使い悪行を為すものもいれば、個性を使い善行を為す者も居たのだ。

個性を以って個性を取り締まる。そんな有志の自警団から始まったヒーローは、対個性への各種整備が終わるまで多大な貢献をしたとして、その功績と有用性を認められ、今では国家資格職となった。

 

超常能力を駆使して悪を討つ。まるでコミックの中から飛び出したような職業だ。更には人気を得ればCM、TVにグッズ展開、富に名声が思いのままとくれば、小中高生が将来なりたい職業ランキングで数十年不動の一位を獲得するのも当然のことと言えるだろう。

 

そして『彼』、緑谷出久も、例に漏れずヒーローに憧れる少年の一人だった。

物心ついて間もないころ、TVのニュース映像で目撃したNo1ヒーロー《オールマイト》に憧憬を抱き、個性を使って多くの人々を救う自分を幾度も夢想した。

 

しかし―――出久に個性は発現しなかった。

ヒーローに憧れる少年は《無個性》と称される二割の(がわ)だったのだ。

 

*

 

社会で少数派(マイノリティ)に属するというのは、それだけで苦難を強いられる。

学校には当然のように個性に関するカリキュラムが存在し、その度に『無個性の子はこっちで』とより分けられる。学友からの奇異の目、嘲りや侮蔑は止むことは無く、他の事で見返そうと勉学に打ち込んだが、いくら結果を出しても『当たり前』を持っていないという劣等感は決して拭うことができなかった。

 

しかし、それでも二割。1万人いれば2千人は無個性だ。

法整備によって公共の場での個性使用が禁じられた。個性を必要としない仕事だってある。

凡庸な道を選べば、思い詰めるほどに苦悩することは無かった筈だ。

しかし出久は、凡庸を選べなかった。無個性でありながら、ヒーローになるという夢をどうしても諦めることが出来なかったのだ。

 

幼馴染には馬鹿にされ、教師には呆れられ、母は息子に個性を持たせて産んでやれなかった事を悔いて泣き崩れた。

 

それでも諦められなかった。窮地においても決して笑みを絶やさず、人々を救い続ける憧憬の存在の姿が、出久の胸の一番深いところにこびり付いて消えなかった。

だから進路には一貫してヒーロー養成の名門《雄英高校》を掲げ続けた。

しかし雄英は偏差値70以上受検倍率300倍の超名門校。筆記試験の判定を維持するだけでも並々ならぬ努力が必要だった。

 

当然、何度も挫けそうになった。

周囲の忠告にはすべて耳を塞いで歩いてきたが、自らの道程に最も不信を抱いているは出久自身だ。

自分の努力に意味はあるのか。この道の先に憧れたものはあるのか。常にそんな不安が胸中で燻っていた。

 

だから―――偶然にも憧れのNo.1ヒーローに出会えた『あの日』廃ビルの屋上で出久は尋ねたのだ。

 

『個性が無くてもヒーローになれますか』と。

 

その言葉の根底にあったのは、自分の努力が無駄ではないことを肯定して欲しいという願い。

リップサービスでもなんでも良かった。たとえ嘘だったとしても、憧れのオールマイトが肯定してくれたという事実があれば、それを拠り所に明日からも無個性な自分に絶望する事無く足掻(あが)いていくことが出来るから。

 

けれど、平和の象徴とまで呼ばれた稀代のヒーローは、何処までも真摯で、現実的であった。

 

『ヒーローはいつだって命懸けだ。個性が無くてもやっていけるなどとは、口が裂けても言えない』

 

―――それは、知っている答えだった。

 

消沈する出久に、オールマイトは他の道を歩むことを(うなが)した。

しかし、あの時の出久は憧れのヒーローの言葉だろうと、聞き取れるような精神状態ではなかった。

自らの人生の根幹を、他でもないオールマイト(憧れの存在)に否定されたのだから。

 

やがて飛び立ったオールマイトが巻き起こした風圧で、彼からサインを貰ったノートが手からすり抜け、フェンスのほうへ転がった。

そのノートはいつかの為にと、ヒーローの個性や戦い方を研究した出久の努力の結晶でもある。

出久は呆然としながらも、覚束ない足取りでそれを追いかけた。しかし、風に踊らされたノートは無情にもフェンスの隙間をすり抜けた。間一髪で手は届かない。ページを羽ばたかせ、重力に引きずられて落ちていく様は飛べない鳥のようだった。

その光景を、出久は唇を噛み、熱を湛えた瞳で見つめた。

 

ふと、その日の学校で浴びせられた幼馴染の罵声が過ぎった。

 

『そんなに個性が欲しいなら来世にかけて屋上からワンチャンダイブ』

 

デクは何かを振り払うように首を振る。

まさか、そんな馬鹿げた事を実行するつもりは無い。

少し、弱気になっただけ。高所からの景色に魔が差しただけ。

なにより、こんな自分でも死ねば母が悲しむだろう。それだけは嫌だ。

 

―――しかし、その思いとは裏腹に、出久の天地は逆転した。

 

『へ?』

 

遊園地のアトラクションでしか味わったことの無いような、圧倒的なまでの反重力。

命綱など無い自由落下。速度はどんどん増していく。

 

あまりに現実味に無い事態に、反対に出久は冷静になった。

そして、さらなる異常に気づく。

落ちているのは自分だけではない。自分が立っていたビルもまた、遥か上空から落下している。

そして景色までもが一変していた。昼が夜に、近代日本的なビル街は、写真でしか見たことのないニューヨークに近いものへと、瞬き一つの合間に変貌していた。

 

―――何の因果かこの時、出久はH・L(ヘルサレムズ・ロット)の再構築に巻き込まれ、別の世界に迷い込んでしまったのであった。

 

*

 

そして転移から七年。

出久は様々な出会い、挫折、運命の悪戯の果てにH・Lで秘密結社ライブラの構成員としての日々を送っていた。

始めは行く当てが無く、クラウスに拾われ、元の世界に戻るために。

やがて、自分を受け入れてくれた世界に住まう人々の安寧を守るために。

 

 

だが、唐突に始まったこの運命は、終わりもまた唐突なのであった。

 

「あれ、なんスかねコレ」

 

声を上げたレオナルドの視線の先にあったのは『孔』だ。

空間に黒のペンキを塗りたくったかのような光沢の無い黒い真円。

クラウスは先んじて二人を手で制した。

 

「―――近づかない方がいい。血界の眷属が密封される直前に編んだ転移術式のようだ」

 

クラウスが密封した血界の眷属は空間操作に長じた個体のようだった。密封に瀕して逃走の為に編まれた術ならば、行き先は自らの隠れ家か、それとも血界の眷属達の本拠地か。

何れにせよ、この穴の向こう側に値千金の情報があるのは間違いない。無論、相応の危険も伴うだろうが。

 

「レオナルド。少し、覗いてはくれないか。以前のように眼を眩ませられないように、ピントを絞って一瞬で良い」

「分かりました」

 

頷いたレオは、《神々の義眼》を起動する。

両眼に幾何学模様が浮き上がり、青白い光を淡く放つ。

そしてそれは一瞬で消えた。クラウスに言われた通り、一瞬で眼を逸らしたのだろう。

しかし、レオは小さく首を傾げると、もう一度《義眼》を起動した。

 

「どうしたレオナルド。向こう側には何があった」

「えっと……これ……気の所為じゃなければ……前に見せてもらったデクさんの世界っぽいような……。なんか、ちょっと未来的なジャパンって感じで……あと、デクさんの記憶にやたらと出てきた『ALLMIGHT(オールマイト)』って人の広告が街中に溢れてるんで多分間違いないと思います。ちょっと待ってください、今見せます」

 

 一拍おいて、出久とクラウスの眼前にもレオと同じく、青光の幾何学模様が浮かび上がる。

 《義眼》の能力の一つ、視覚共有だ。

 そうして与えられた光景に、出久は目を剥いた。

 

「本当に……僕の世界だ……」

 

 上空から俯瞰するような視点で広がる、自らが生まれ育った世界。

 しかも覚えのある街並み、自宅から中学校までを繋ぐ出久の通学路だ。

 建物に風景、七年どころか一ヶ月も経っていないように思える。

 あまりの懐かしさに、瞳が熱を帯びるのを感じた。

 しかし、郷愁に耽る間もなく、立ち上った爆炎が異常を知らせた。

 

「うおっ、あっちでもなんか事件っスかね」

「レオナルド」

「分かりました」

 

電子マップを拡大するように、爆炎の傍へと視点が移動する。

そして明らかになった事態に、出久は声を上げた。

 

「かっちゃん!?」

「知り合いかね」

「幼馴染です!仲が良かったかは、分からないけれど……。あれは?!」

 

幼馴染を襲っているのは、あの日オールマイトと出会う切っ掛けとなったヘドロのヴィランだった。よくよく見れば幼馴染の容貌は、遠い記憶と差異が無いように思える。

―――もしも、これが自分が転移したあの日だと言うならば。

 

(まさか、あの時僕がオールマイトを引き留めたから!?)

 

視線の先で、幼馴染は今もヴィランのヘドロ状の身体に飲み込まれるまいと必死でもがいている。

個性である《爆破》を駆使して、かつて出久が羨んだ狂気的なまでのタフネスと反骨心をもって懸命に。

周囲にはヒーロー達の姿も見えるが、敵の流体による物理無効と、爆豪の抵抗による絶え間ない爆発に二の足を踏んでいる。

 

(僕が……僕が行ければ……!)

 

この穴を通れば、向こう側に行けるのだろうか。

出久に一瞬過ったのはそんな考え。しかし―――可能だとしてもそれは出来ない。

ライブラは近々、血戦とも言える大きな戦いを控えている。

七年で培った出久の力は、微力ながらも戦力の足しになる筈だ。

 

(僕はまだ恩を返せていない。クラウスさんに、この世界に……!)

 

幼馴染を助けたい。けれどこの世界も護りたい。

今いるこの世界は出久の中で、前の世界と比べることが出来ない程に大切なものになっていた。

 

 強く握られた拳。指先が掌に食い込み、血が滴る。

 それでもどうにか、出久は深く、深く、呼吸を落ち着けることで、昂った衝動を押さえつけた。そして……この世界で何度も見てきた非情な決断を下そうとした。

 しかし、その瞬間、ヘドロに呑まれていた幼馴染が辛うじて顔を出した。

 喘ぐように空気を吸い込み、再び飲み込まれるまいとしてあがく彼の瞳は色濃い恐怖に染まっている。

 そんなハズがないのに、一瞬目が合った気がした。

 保育園から中学校まで共に過ごした中で、一度も見たことがない、勝気な彼の怯えた表情。

 歯の根を震わせ、涙を湛えた瞳で何かを訴えかける弱々しい表情。

 

それは―――『助けを求める顔』だった。

 

「あぁ……!」

 

「……」

「……」

 

 ―――葛藤する出久の後ろで、レオとクラウスの二人は顔を見合わせると、まるで悪童のような笑みを浮かべた。

 

*

 

 商店街に、悲鳴と怒号が飛び交っている。

 その中心で暴れ狂うヴィランは、自身の個性であるヘドロ状の身体に一人の中学生―――出久の幼馴染である爆豪勝己(ばくごうかつき)を取り込み、ヒーローを牽制している。

 抵抗する勝己の個性《爆破》によって周囲は火の海となり、更にはヘドロ男の物理攻撃無効の流体の身体に対抗できるヒーローが現場に居らず、事態は膠着していた。

 

 その渦中に一人の男が文字通り空から(・・・)降り立った。

 ネイビースーツに、グリーンのカラーシャツ。まるでイタリアの伊達男のような装いを血塗れにして、その場の誰よりも重傷を負いながらも、彼は不敵に口端を釣り上げた。

 

「まったく……乱暴だな。あの人たちは!」

 

*

 

「行ってしまったな」

「いや、行ってしまったってか、僕らが孔の中に蹴り飛ばしたんですけどね」

 

 もう、ゴルフのホール程度まで狭まった異世界への孔を見つめながら、二人は笑う。

 

「でも、心残りだろうなデクさん。クラウスさんに恩返しするっていうのが口癖だったじゃないですか」

 

「その事なら心配ない。デクくんが私に返すべき恩など初めから無いのだから」

 

「……それスティーブンさんも言ってましたけど、どういう意味なんですか?」

 

「私とスティーブンが彼と出会った時の話さ」

 

「異界と人界が交わった『あの日』、一人の子供が顕現した血界の眷属に捕らわれた」

 

「その場に居た私達は手をこまねいたものさ。何せあの時はまだ密封する手段も無かった。勝ち筋は皆無だったと言っていい」

 

「それでも飛び掛ろうとする私をスティーブンは必死で止めた。周囲には他にも大勢の民間人が居た。下手に刺激して血界の眷属が暴れ出すよりも、子供一人で満足して帰ってくれるのを待つのが賢い選択だった。私は葛藤し……結局は最善かつ最悪のその策に甘んじようとした」

 

「そんな私達の前で彼は飛び出した。血界の眷属の強大さが分からなかったワケではないだろう。『行けば死ぬ』そう理解していながらも彼は子供を救うべく血界の眷属立ち向かったのだ」

 

「結果、奇跡的な援軍があったことで、どうにか血界の眷属を退けることは出来たのだが、事が終わった後に私は堪らず彼に聞いたよ『何故』と」

 

「彼はこう答えた。『あの子が助けを求める顔をしていた』と」

 

「私は困難に立ち向かう時、あの時の彼の姿と言葉を思い出す。彼は私に決して折れない勇気をくれたのだ」

 

「私が彼の世話をしたのは掛け替えのないものを貰った対価だ。つまり彼が私への恩だと感じていたものは、私が彼に返した恩に他ならない」

 

「はは、昔から変わらなかったんスね。デクさん」

 

レオとクラウスはもう会うことの無いであろう友に思いを馳せ、笑う。そしてクラウスは、今にも消えそうな孔に向けて激励を送った。

 

「―――征け、緑谷出久。この世界は我々が責任を持って救ってみせる。だから君は君の世界を救ってみせろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ!そういえば、あの人まだチェインさんに告白してなかったですよね?!それも心残りなんじゃ……」

「…………そちらの心残りの責任は負いかねる」

 

 

*

 

 着地した出久は顔を上げる。

 今度こそ、確かに爆豪と目が合った。

 身体が動く。駆け出していた。

 クラウスと出会った、あの日のように。

 爆豪がかつて自らを虐げていた相手だと言う事は関係ない。

 血界の眷属との戦闘によって失血死寸前なんて事は承知の上。

 

 「なんだぁ!テメェ、ヒーローか?!!」

 

 向かい来る出久に、ヘドロ男が叫びかける。

 ヘドロ男は自らに迫る『青年』が、数時間前に襲った『少年』と同一人物だという事になど気付く(よし)もないだろう。

 

 出久から自然と、笑みがこぼれる。

 あらゆる意味で七年前と同じ状況。

 しかし、あの日とは決定的に違うことがある。

 

 (救う力が僕に在る!)

 

 出久の革靴に内蔵された機構が起動し、鋭利なエッジが足裏を突き刺した。流出した血液は靴底へと装填される。

 

 かつて出久は、無個性である自分に絶望していた。

 しかし、迷い込んだ世界で、出久は自らに秘されていた《個性》を発現させた。

 きっと世界を渡らなければ気付く事はなかっただろう、向こうでの出会いが無ければ人を護る力に変わる事はなかったであろう。

 

その《個性(ちから)》の名は―――。

 

全能血液(オールマイティ・ブラッド)

 

出久の血液型であるO型は、あらゆる血液型の人間に輸血することが出来る『万能の血液』などと呼称される事がある。しかしそれはO型血液には血液型抗原がなく他の血液型の抗体と凝集反応を起し辛いというだけで『万能』と表現されるのは、あくまで比喩に過ぎない。

 

しかし、出久の血液は真の意味で万能だ。

 

出久の血液を輸血すれば、相手が何型であろうと、血液自体が対応した型に変質する。

何型の血液を、どんな病にかかった血液を輸血されようと、出久の意志ひとつで無害なものへと自在に変質させることができる。

 

この《個性》そのものは一切の戦闘力を持たない。

だが、向こうの世界で血界の眷属(ブラッド・ブリード)と戦う者達―――牙狩りに伝わる、属性を付与した血液を操り闘う《血法(けっぽう)》と呼称される戦闘術を修めるにあたり、出久の個性は天賦の才能だった。

 

 

 

      エ

      ス

      メ

      ラ

      ル

      ダ

      式

      血

      凍

      道

 

 

 

 迫りくる汚濁(おだく)鞭打(べんだ)を掻い潜り、放たれるのは高速の蹴撃(しゅうげき)。血液に付与された属性は《凍結》。

 靴底の機構から霧状に散布された血液を、蹴りに乗せて(ヴィラン)に叩き込む。

 一発、二発、三発、四五六七八九十―――。蹴脚閃く毎に、爆豪に纏わりついていたヘドロは剥がれ飛び、同時に周囲の気温は急激に低下する。そして―――。

 

絶対零度の地平(アヴィオン・デルセロ・アブソルート)!!」

 

裂帛の咆哮と共に商店街は氷河と化した。

あんぐりと口を開けた野次馬たちが、その光景を仰ぐ。

ヘドロ男の個性で最も厄介な性質は、流体である事による物理攻撃無効。しかし絶対零度を前にして、そんなものが何の意味を持つと言うのか。

ヘドロ男は為す術無く氷の(オブジェ)と成り果てた。

 

事件解決(ケース・クローズド)

 

 その場に居た誰もが息を呑み、吐く事さえままならない。

 あまりに電撃的な解決に、心はまだ事件の中に取り残されている。

 しかし、数秒の沈黙の後、理解が追い付くと、パラパラと拍手が起こり、感嘆の声が沸き上がり、やがてそれは大気を震わす程の喝采へと変わった。

 

一方、一瞬の攻防の中で引き摺りだされ、今も出久に抱えられている爆豪は、苦痛が突如として終わったことに呆然としながらも、自らを助け出した人物を見た。

 

爆豪勝己は傲慢不遜を擬人化したような人物であり、命の危機から救われたとしても素直に感謝できるような性格ではない。

それどころか、常ならば敵に敗北し、助けられ、あまつさえ横抱き―――つまりは『お姫様抱っこ』されたとなれば、その屈辱に怒鳴り散らし、暴れ出していたことだろう。

 

けれど、そうしなかった。

そんな屈辱(こと)を気にしていられない程に、理解出来ない事態が目の前に在ったからだ。

見上げて、目が合った自らを助け出した人物。その面影に唇を噛む。

 

背が伸びている。特徴的だったソバカスも消え、顔つきは別人のよう。

そもそも思い浮かべた相手は《無個性》のはず。あの氷壁の説明がつかない。

否定する要素は数あれど、肯定する要素はまるで見当たらない。

しかし、曲がりなりにも幼馴染である爆豪は、直感で真実に辿り着いた。

 

「テメェ……デクか……?」

「うん。僕が来たよ」

 

物語は動き出す。本来とは違った形で。

ここから語られるのは、超人秘密結社元構成員。緑谷出久が最高のヒーローになるまでの、活動の記録である。

 




とびーらーひらーけばー♪

《Profile》

name:緑谷出久(21)

birthday:7/15

height:182cm

like:カツ丼

love:チェイン・(スメラギ)

quirk:全能血液(オールマイティ・ブラッド)

◯誰にでも輸血できるぞ!

◯誰からでも輸血できるぞ!

◯超性能の輸血パック人間だ!

◯本人は実は元からあった個性だと認識しているぞ!

〇でも本当は異界H・Lに適応するために少しずつ体が変質していった結果の突然変異だぞ!




【追記】
はたけやま様よりイラストをいただきました!
ありがてぇ……ありがてぇ……!

【挿絵表示】

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