刃朽ち、風、鳴り止もうとも   作:とりなんこつ

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機は満ち、風、再び鳴動す

瀟洒な壁紙。

明るい陽射し。

温かいざわめき。

漂う甘い香り。

五感に訴えてくるそれらの馴染みない感覚に、非常に腰の据わりが悪い。

 

「…やはり、悠長にこんな場所で逢引きなど」

 

「公休を消化しろとの業務命令ですからね。致し方ないです。我慢しましょう」

 

いつも通りの冷静な慎次さんの物言いに、私は微かに眉をしかめた。

宮仕えである以上、上司の命は絶対であろう。

碌に休暇も取らずに防人の務めに邁進していたことも承知している。

なのにこうも心が曇るのは―――ああ、私は、この逢引きすら命令であると言われたように思ったのか。

慎次さんも不承不承付き合ってくれているのでは? などと考えてしまった自分を叱りつける。

そんなことは万が一にもないだろう、と断言できる根拠は、私の目前に座る彼の格好だ。

白いスラックスにポロシャツを着て、肩にカーディガンを羽織っている。

思えば、慎次さんの私服姿を見たのは、これが初めてではあるまいか。

いつもスーツ姿の彼に比べ、新鮮極まりなし。

シャツの胸元や袖口に視線を向けて、そこから覗く肌に顔を伏せる。

女性のふくらはぎに見惚れて雲から落ちた仙人の寓話を思い出す。

 

「どうしました?」

 

「いえ、別に…」

 

誤魔化すように目前の飲み物に口をつけた。

ストローを通って口の中に溢れる液体に頬が歪む。

甘い。

〝抹茶ラテ〟なる代物のはずだが、巨大なホイップクリームまで載せられた様は、まるでパフェだ。

店員からトッピングは? と尋ねられ、せっかくだから全てと答えたのが仇となったか。

 

「よければ僕のと交換しませんか?」

 

慎次さんが、自分のものを卓上に滑らせてきた。

私が承諾する前に、私の〝抹茶ラテ〟を勝手に啜っている。

涼しい顔で「僕は意外と甘党なんですよ?」と答えられ、私もおそるおそる彼が注文したものをストローで啜る。

これはなかなか私の口に合っていた。

「なんですか?」と尋ねたら〝ほうじ茶ラテ〟だとのこと。

なるほど、味も趣味も渋い。

 

「さて、これからどうしましょう? 映画でも観に行きましょうか?」

 

「海! 海を見に行きたいですッ!」

 

咄嗟にそう答えてしまい、即座に赤面。

彼の提案を一顧だにせずなど、図々しいにもほどがある。

自己嫌悪で打ちひしがれる私の手に、そっと慎次さんの手が重ねられた。

 

「あなたの行きたいところなら、涅槃の果てまでお供しますよ」

 

 

 

慎次さんの操るバイクのタンデムシートで海へ向かった。

日暮れまで波打ち際を疾駆する。

奮発して高級旅館へと投宿し、新鮮な海の幸に舌鼓を打ち、温泉を堪能した。

優しい腕に抱かれて眠りにつき、潮騒の音で目を覚ましたのは夜明け前。

彼の寝顔を見ることが叶った私は、一人心の中で喝采を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

打ち付けの叔父の帰還より、早一か月が経過しようとしている。

私たちを取り巻く環境は、目まぐるしくその様相を変えていた。

既に働いていた防人たちの士気が昂ぶっているのは勿論だが、かつて止むを得ず職場を去ったもの、もしくは閑職で無聊を囲っていたものなども続々と舞い戻ってきている。

畢竟、今の特異災害対策室が手狭になるのは自明であり、伴い、大規模な施設の移動も行われていた。

その設備の拡充たるや、かつての特異災害対策機動部に追い付け、追い越せと言わんばかりの隆盛である。

無論、これは叔父の将器によるものだけで道理が通せるはずもなく、お父様の政治的手腕と根回しの成果に拠るところが大きいのだろう。

そこまで思い至った時、過去の私たちの活動も、いかにお父様の手腕に支えられてきたものであるのかと嘆息する思いだった。

ともあれ、四肢をもがれ、牙すら朽ちかけていた私たちは、たちまち翼を備えた虎のように躍進を遂げていた。

まさに破竹の勢いの如く、全てが思いもよらなかった方へと回天していく。

晴れて総司令の座に復職した叔父が出した命令は、従来から精勤してきた旧スタッフへの労いと休暇の言い渡しである。

ほぼ二年もの激務に対する当然の福利措置でもあるが、戦場に身を浸している日常に慣れ過ぎたこの身には、実は持て余し気味だ。

今日も今日とて、こうやって雪音らからの誘いの話がなければ、官舎で茫然とするしかなかったであろうという確信がある。

 

「それにしても…」

 

私はキッチンで鍋を操る雪音を見やる。

 

「そんな腹部で、動いて大丈夫なのか?」

 

「まあ、出来る範囲内で運動していたほうが出産は楽になるかもね」

 

と、マリア。出産経験があるだけに非常に含蓄に富んでいる。

 

「あたしも家事とか出来ることは出来るだけするようにしているよ…っと」

 

言いながら、雪音は皿に料理を盛り付けている。独特の脂の香りに、カレーの匂いもする。

 

「…これは?」

 

「羊肉のピラフみたいなもんかな? 中東じゃ豚肉は喰えねえから、こんなんばっか作ってたよ」

 

雪音の台詞に、エルフナインの言を思い出す。

 

「アラブの方でアウツヴァッフェン波形が観測されたというのは、やはりおまえだったのか?」

 

雪音は薄く笑っただけで答えない。

 

「いいから喰いなって。冷めると不味いぜ?」

 

「む…」

 

いただきます、と手を合わせ、匙で茶褐色の米を頬張る。

炒められた玉ねぎの甘味に、干しブドウに豆も入っているようだ。

見た目通り脂が強いが、その分旨味も濃い。

クセのある風味は羊肉と何かしらのスパイスだろうか? 

日本人の嗜好に合わないかなと首を捻るも、口に運ぶたびに不思議と後を引く。

 

「なかなか美味しいわね」

 

とコメントするはマリア。続いて、

 

「でも、ちょっとばっかり妊婦が食べるにはハイカロリー過ぎるわ」

 

睨まれ、雪音は肩を竦めている。

 

「別にいっつもこんなの食べちゃいないさ。今日は御馳走ってことで」

 

「…この脂は、赤ん坊じゃなくて母体に行くわよ?」

 

言われて、雪音は匙を置いている。非常に分かり易い。

 

「まあ先輩のいうことは聞いておくか」

 

この場合の先輩は私に非ず。妊娠経験者であるマリアを指しての先達という意味であることは説明するまでもない。

 

「ところで、やっぱり子供産むときは…痛ぇのか?」

 

「そりゃ痛いわよ。鼻からりんごを出すとかって比喩もあるけど、それの比じゃないわね」

 

「うわ、マジか…」

 

心なしか顔を青ざめさせる雪音。

雪音には叔父上とどのように一緒に旅をしていたのか、マリアにはお父様との馴れ初めを問い質そうと目論んでいたが、こと妊娠出産の話題となれば、私は鼻白むしかない。

 

「もう本当、全身がバラバラになるかと思うくらい。自分の骨の軋む音が聞こえるのよ? でも…」

 

「でも?」

 

「子供が産まれたら、そんな痛みも何もかも吹っ飛んじゃったわ。嬉しくて、嬉しくてね」

 

「…そっか」

 

青かった顔に喜色を宿し、雪音はゆっくりと己の腹部を撫でている。

その仕草、佇まいに、なぜか私は羨望を覚えた。

私にお母様の記憶は薄い。私を産んですぐに亡くなったと聞いているが、それは果たして病によるものか失意によるものか。

 

「それよか、マリア、あんたはあの冴えないおっさんのどこに惹かれたんだよ?」

 

雪音が実に不躾なことを口にする。

奇しくもそれは私もマリアに尋ねたいものと同義だったが、業腹の方が先に立つ。

 

「雪音、貴様、人のお父様を掴まえて冴えないおっさん呼ばわりとは何という言い草だッ」

 

思わずそう口を挟めば、マリアはまるで狼狽えた様子もなく。

 

「その台詞は、そっくりそのままクリス、貴女に返すわよ?」

 

するとすかさず雪音は破顔。

 

「そりゃ違ぇねえ」

 

そのまま二人して呵々と笑われては、憤慨する私の立場がない。

憮然としている私にマリアは言う。

 

「ところで、翼の方は緒川さんとどうなったの? もう抱いてもらった?」

 

「ぶふッ!?」

 

あまりにも明け透けかつ不躾な問いかけに、不覚にも動揺してしまう。

 

「わ、私と緒川さんはそんな関係ではッ…!」

 

思わず否んでしまう私に、マリアは顔を近づけてスンと鼻を鳴らす。

 

「嘘おっしゃい。男に抱かれた女は匂いが変わるんだから」

 

「そ、そんな馬鹿なッ!?」

 

思わず私は自分の胸元を広げ立ち昇る体臭を嗅いだ。

駄目だ、変化など分からない。

それから顔を上げれば、マリアと雪音はそろってニヤニヤ笑いを浮かべている。

さすがにこの反応には私も悟らざるを得ない。

 

「マリア、おまえ、私を謀ったなッ!?」

 

「よくもまあ、ここまで純だこと」

 

呆れ顔のマリアに、何か言い返そうとして結局私は口を噤むしかない。

 

「ま、とりあえずおめっとさんって言っておこうか?」

 

雪音の台詞には返す言葉が見つからぬ。

結果、そっぽを向いて口に出すは、どう割り引いても負け惜しみだ。

 

「そうやって私を嬲るのがこの集まりの主旨ならば、帰るぞッ」

 

「別にからかっちゃいないわよ。ただ、母親として、年頃の娘のことは心配じゃない?」

 

「…ッ! だからそれが嬲っているというのだッ!」

 

マリアがお父様と正式に婚姻を結んだかどうかは聞いていない。

しかし、実際に縁組がなされれば、血縁上はマリアを義母と仰がねばならぬ。

 

「分かった。分かりました。これ以上、貴女が不快に思うなら口にしないわ。約束する」

 

諸手を上げてのマリアの誓約に、私もいつまでもヘソを曲げては大人げない。

そう分かっているが、素直に機嫌を戻すにはしばしの時が要る。

 

「娘っていやあ、あの、カノンちゃんだっけ? まだおっぱいが必要な時期じゃねえのか?」

 

絶妙の機に質問を口にしてくれる雪音。  

 

「ああ、そうね」

 

「だったら、こんなとこでのんびりしてていいのかよ?」

 

俗に、生後三か月の赤子では2~3時間置きで母乳を飲ませる必要があると聞く。

確かにそんな子供を放っておいてこんな風に安閑としていては、不出来な母と揶揄されるかも知れぬ。

 

「大丈夫よ。あの人が面倒を見てくれているから。ミルクの飲ませ方とオムツの交換くらいお手のものね」

 

あの人とはお父様を指しているくらい理解できる。

しかしながら、あのお父様が年端もいかぬ赤子のオムツを交換し、ミルクを飲ませ、泣き止ませるためにあやしている姿など。

絶句する私の傍らで、返す刃でマリアは雪音へ言の葉を放っている。

 

「そういう貴女も、今のうちから色々と勉強させておいた方がいいわよ? 子育ては女の仕事ってのは封建的だわ。今は夫婦一緒でするのがスタンダードなのだから」

 

「…肝に銘じておくよ」

 

そう答えた雪音の声音が威勢に欠ける理由も、非常に良く私には共感できた。

あの無骨な叔父上が赤ん坊の世話をする様子?

思い描くには、私の想像力は致命的に欠落している。

 

「引き換え…」

 

「な、なんだ?」

 

マリアと雪音がそろってこちらを見てくるので、私は狼狽してしまう。

 

「貴女の彼が羨ましいわ」

 

ぼやくようにマリアが言う。

 

「し、慎次さんが何か…」

 

「その慎次さんとやらは、ずっと先輩の身の回りをしてきた家事の達人なんだろ?」

 

私の応えに、雪音が被せてきた声は事実だ。

 

「翼の面倒を見てきたのだから、赤ん坊の世話をするのなんてお手の物でしょうね」

 

「いざとなれば分身して色々と一気に片付けてくれるだろうしな」

 

「ああ、それは言えてるわね」

 

好き勝手いう二人の話題に理解が追い付かない。

全ては私と慎次さんが結婚し、子供が産まれているという前提で進んでいることに、頭がの奥が燃えているように熱くなる。

マリアが私は赤ん坊以下と揶揄していることすら理解できず、不甲斐ない私と赤ん坊の面倒を見てくれている慎次さんの姿だけが克明に浮かぶ。

そしてその妄想の中の彼は、私に向けて諦めたような悲しい溜息をついている。

 

「ちゃ、ちゃんと私だって勉強するもんっ……!!」

 

自分が何を口走ったか理解するより早く、マリアに抱きしめられていた。

おどろいて目を見開けば、雪音は目を丸くしている。

 

「先輩、泣くなって…」

 

「別に泣いてなんか」

 

「ああ、本当に可愛いわね、この剣はッ!」

 

抱きしめられたまま、髪の毛をかき回された。

 

「安心して。上手くいくよう、私たちがフォローして上げるからね」

 

そう言ってくるマリアに、礼を言うべきだろうか? やはりいうべきだろう。

 

「あ、ああ。ありがとう」

 

「先輩。あたしも身内ってことで、いくらでも協力してやっからさ」

 

雪音もそういってくれる気持ちはありがたい。

 

「なんせ、あたしにとって先輩は可愛い姪っ子だからな」

 

感謝の気持ちも一転、私はげんなりした気分になる。

雪音も叔父といずれ婚姻を結ぶだろう。

となれば確かに雪音にとって私は姪という位置に当たるわけだが、どうにも子供扱いされている気分になるのは否めない。

 

「わかったよ、先輩が嫌っていうなら、マリアと同じでもう口にしねえよ。なっ?」

 

私の表情から気持ちを看取したのだろう。そういって雪音はマリアと目線を交わしている。

その姿に、私の中で沸き立つ新たな疑問。

 

「時に、雪音とマリア、いつの間にそんなに仲が良くなったのだ?」

 

互いに姿をくらましている間に交流があったとは思えぬ。

でなければ、先の帰還において、お父様の存命を雪音が驚く道理がない。

そう言うと、二人は顔を見合わせ、どちらともなく笑み崩れた。

雪音が更に大きくなったように見える胸を張る。

 

「そりゃ血縁上はあたしとマリアは義理の姉妹ってことになるんだからなッ!」

 

それは、いささか私には衝撃的な発言であり、事実であった。

お父様と叔父は兄弟だ。

そしてマリアと雪音がそれぞれの妻となれば、なるほど義理の姉妹に相違ない。

どうにも私自身を中心とした血縁関係ばかりに思いを馳せていたものだから、マリアと雪音二人同士の関係への思考を欠いていた。

その上で私が口を噤んだのは、私が実はお父様の子でなく、風鳴赴堂の実子であるという秘すべき事実に思い至ったため。

これを白日に晒せば、私はお父様、叔父に次ぐ、風鳴家の末妹ということになる。

この事実はマリアは了承しているが雪音は知らぬはず。

もし詳らかになれば、私にとってマリアも雪音も義理の姉ということに相成る。

この時、私の中に生じた命題は、非常に卑近なものであったことは否めない。

すなわち、マリアを母と仰ぎ雪音に姪と呼ばれる関係と、二人の末妹となる姉妹の関係の、どちらがより将来的に相応しいのか。

無論呼ばれ方など、私が我慢すれば良いこと。

赤面しつつ思考を飛ばすは、もし、私と慎次さんの間に子が産まれれば、その子たちの立場も違ってくるやもという未来。

 

―――この命題は、当面、或いは一生決着のつかぬ問題かも知れない。

 

 

 

 





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