川神学園の昼休みは、時間にして五十分と割と長い時間がとられている。この間、生徒たちはグラウンドに出て身体を動かしたり、部活動がある者は短時間トレーニングをこなし、大会へ向けた練習をすることもある。そんな風に少しずつ暖かくなり人気がなくなってきた屋上では、日を避けるようにベンチに座る二人の男女生徒がいた。
「──へぇ、灯火君と清楚の組み合わせなんて珍しいわね」
「ああ。自分もまさか、話題の転校生と作業をすることになるとは思わなかった。それに、どうやらこちらに来る前にも花の世話には慣れていたのかやけに手付きが良かったな」
「清楚は暮らしていた島でも花を育てていたみたいだから、それが理由ね」
「なるほどな……」
──一際、強い風が吹いた。
黒より黒い絹髪を持つ女生徒──最上旭は反射的に靡く髪を抑えた。そのおかげか、隣に畳んで置いてあった風呂敷包みが飛んでいく。
「あ──……」
と声を漏らすが、それに気付いた灯火が、ベンチに立てかけていた刀を宙に伸ばすことによって事なきを得た。
「風呂敷は弁当の下に敷いた方が良いと言っているだろ」
「ありがとう……だって、食べる時に一緒に持ち上げなきゃならないから食べにくいじゃないの」
「そういうものか。次からは尻にでも敷いて食べるんだな」
「あら、お尻なんてえっちね」
「はぁ……」
二人の出会いを思い返せば、二年前になる。
元々帯刀許可者であった灯火は学園長に誘われ、推薦を経て川神学園へ入学することになる。推薦といっても学術試験は存在し、普段から勉学を怠ることなく納めていた灯火は無事Sクラスへ三年生まで所属することになるのだが、灯火と旭の出会いはそこが始まりである。
───入学を経て、ある日を境に最上旭という女生徒の存在が
その不気味ともいえるクラスと旭の様子を蚊帳の外から眺めていた灯火は自分には関係ないと思っていたのだが、やがて完全にクラスメイトが旭のことを認識せず、話題にすら出さない状況にもなるとどうしたものかと考えた。教師はそのことを知っていたのだろう。席替えは旭のぶんの席は予め一番右の後ろへ固定しており、評議会に入ってからは度々授業中に姿を消すこともあった。
そんな折、二学期が始まる直前の夏休み。ようやく二人の声が交わされた。灯火が道端で困っていたお婆さんに話しかけ、建物の場所を尋ねられるのだが高校生になって川神に来た手前その場所がわからなかったのだ。そこへ偶然にも通りかかったのが最上旭という女生徒で、気配を消して生活する彼女に話かけるのもどうかと逡巡したのだが人助けの前には止むを得ず声をかけたのであった。
『最上旭、と言ったか。少し道を尋ねたいのだが大丈夫か?』
『──え、私、かしら?』
『ああ。最上以外に誰がいる。お婆さんが困っている、もしメモの場所を知っているならば教えてほしい』
お婆さんは誰に話しかけているのか首を捻っていたが、取り急ぎ解決が先だと促した灯火によって旭の疑問は後回しにされた。お婆さんと別れたあと、適当に入った喫茶店にて彼女と初めてまともに会話する灯火であったが、ある程度実力があるものならば対象者の存在が薄くとも感知くらいはできると説明した。武神でも違和感を持つ程度であったのになぜ完全に目を合わせて捉えられたのか聞かれたが、元々気配察知などは得意分野であると説明した。
「それにしても、灯火君の柄の京紫は相変わらず綺麗な色をしているわね」
「ありがとう。最上のほうはまだ皮衣のままなんだな。鮫か?」
「
「本当か?」
「あら……嘘に決まってるでしょ、おもしろいんだから」
くすくすと面白げに笑う旭に、灯火は肩を竦めた。
「でも、那須与一の弓や武蔵坊弁慶の錫杖は九鬼の技術開発部によって配合された武器だと聞いたことがあるわ。先日与一が決闘で使っていた弓なんて見るからにカーボン製だったもの」
「先日……三年のボクシング部主将との決闘か」
「ええ。まあ、結果はわかっていた通り与一の勝ちだけど」
「それでも、今まで
「壁は越えてないけど、スポーツの中ならば良い線を行っているわね。卒業後も活躍が出来そうだから、今のうちに唾をつけておこうかしら?」
男女の意味、ではなく卒業後に活躍をした生徒は学園に呼ばれて講演会などを開くことがある。総合体育大会前や、在学生が全国大会に出場した際など激励に招待するのだ。評議会議長である旭は生徒会と協議してそういった人材を確保する必要があるので、唾をつけるとはそう意味である。
「灯火君ももう少し有名になったら呼ばれるかもしれないわよ?」
「さぁ、どうさな」
「動画サイトに上がっていた
「む、あれを見たのか」
「ええ。すごいかっこよかったわよ」
「そうか……知り合いに見られるのは恥ずかしいものだな。松永にも知られていたようだが」
元流──とは、梧前灯火が受け継ぐ流派である。
剣術から体術まで、様々な範囲を取り扱うオールマイティな流派だが、その在り方は力の強さを高めるものではなく精神を成長させることに依る。川神院ほど名を馳せている流派ではないが、度々舞踊による行事が公式で動画サイトに上がっているため日本より海外のファンが多数存在する。どうやら旭もそれを見たようで、少し揶揄うように感想を述べた。
「燕は情報通だもの。私もインターネットの使い方がわかっていればもっと早く見れただろうけど、ああいうマシンは苦手だから……」
途方に暮れた様子を見せる旭に、灯火は以前スマートホンに
尚、宛先やタイトルを付けるような作業があるメールは出来ない。
「意外と抜けているところがあるからな、最上は」
「う、そういう灯火君はいつも一人ぼっちじゃない」
「それは最上も同じだろう?」
「私は修行の一環で気配を消してるだけよ?あら、灯火君も気付かないうちに気配を消していたのかしら」
「まったく。ああ言えばそう言うな」
「別に、事実を言っているだけだもの──」
恰も本気でそう思ってますといった表情を浮かべて灯火のほうを向く旭。こうなった旭は面倒臭いと知っていた灯火は無理やり話題を変えた。
「来週末には学年対抗の川神大戦があるみたいだな」
あからさまな話題変換に突っ込んでも良かったが、辟易とされるのも嫌なので旭はそのまま同調した。
「二年生には義経たち新戦力、一年生には大将の素質と頭も切れる紋白がやって来た。私たち三年生には燕や清楚もいるけど、今回の勝敗は百代だけでは簡単に決着出来ないでしょうね」
一年生には九鬼紋白の他に、彼女の護衛であるヒューム・ヘルシングもいる、彼がいるならば一年生が単独優勝しても何らおかしくはない。
「さすがに九鬼の従者は出ないと思うわよ?助っ人枠には参加する人もいるかもしれないけど」
「最上はどうなんだ」
「──義経と戦えるなら、私も出るわ」
「そうか……本当に義経が好きだな」
「可愛いもの。それに──いえ」
「…………」
義経といえば二人の会話にはよく上がる後輩だ。内容から旭は義経を気に入っている節があり、そういったところからの言葉だったが旭自身にはなにか思うところがあったらしい。
僅かに沈黙が続き、どちらか声を発しようとしたときタイミングよく五分前の予鈴が鳴った。
「行きましょうか」
「ああ、そうだな」
灯火にとって、最上旭という彼女の本質は知らない。なにかを隠しているのだろうという漠然とした感覚はあるが、それを追及するのも無粋だろうと放ったらかしにしている。別に薄情ではなく、彼女ならば、話すべきときが来たのならば話してくれるだろうと信用しているからだ。
二人が知り合いになって二年。灯火が知る彼女は──よく自分を揶揄い、少し下ネタ好きな愉快な女生徒である。