ただ『流刃若火』がしたかった。   作:神の筍

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 坐禅、という言葉がある。

 坐禅は字の通り、座って禅と向き合うことを表す。禅とは心の別名であり、つまり坐禅とは座りながら自身の心と向き合うことをいう。

 灯火が継承する元流にはその坐禅を終えた者に、更なる禅の方法が授けられる。

 名を、

 

 ──刃禅

 

 己が生涯をかけて振るい、付き合っていく刀の真心と向き合い、対話するという修行方法だ。第三者から見ればただの精神修行の一環なのだが、元流を収める者の中には極稀に本当に刀の心と触れ合える者が現れるという。

 

 曰く──刀の心に触れた者は、強大な力が与えられる、と。

 

 

 

 

 

一、

 

 

 

 

 

「────」

 

 静謐な雰囲気がその場を支配していた。

 池を泳いでいた鯉は水音を立てずに泳ぎ、花の蜜を吸っていた蝶は花弁に止まり翅を動かすばかりである。先程まで唄っていた鳥は口を開かずに首を動かしながら様子を窺っている。やがて滑空するように彼の上に降り立つと、まるで巣穴にいるかのようにグルーミングを始めた。

 

「──────」

 

 彼──灯火の姿は見る者が見れば首を捻るであろう。

 従来の禅は足を組み、その上に手を乗せるのだが手があるべき場所には普段腰に差している刀が置かれている。彼は自身が刀掛台になったかのように微動だにせず、肩に止まった鳥を煩わしく思うことなく黙し続けた。

 何度か強く風が吹いたが、鳥ばかりが体勢を崩すだけで灯火自身は眉間を歪める動作すら許すことはない。

 その様子を見ていた者がいた。

 最近、園芸部の活動を通じてよく一緒にいる葉桜清楚である。彼女は時間通りこの場所に来たのだが、目にしたのは既に一通り作業が終わった跡で、灯火がどこに行ったのか探しに来たためにこの光景を目にしたのだ。

 彼女はいつの日かの会話を思い出した。

 

『灯火くんって、他の皆みたいに決闘とかはしないの?』

 

『さぁ、どうだろうな。自分はあまり、戦いを好んでするタイプではない。武術を嗜んでいるのも戦うためではなく、どうしても戦う必要があるときの手段の一つにしか過ぎない』

 

『そうなんだ。てっきりモモちゃんみたいに、道場を継いでいくのかなって』

 

『ああ、それもある。だが、道場や流派もまた正しいことを行える人間を作る、手段の一つでしかない。流派と名乗り、その心が、精神を一人でも多く受け取ってくれるならば自分は全力で守り続けるさ』

 

 浮世離れした空間にもう一歩踏み出そうとしたが、いつもとは違う清楚の知らない誰かが無意識にその足を止めた。変な違和感を覚えた彼女だが、灯火の気配に圧されたのかなと考えてその場に立ち尽くす。

 芸術のような空気に目を奪われたのもあるが、何分経ったのか。自身が深く呼吸をしていることに気付いたとき、丁度灯火の瞼が開かれた。

 

「──葉桜か」

 

「あ、うん……ごめんなさい、じろじろと見ちゃって」

 

「気にするな。そんなことを一々気にしていたらここでは出来んからな」

 

 それは暗に、清楚以外にも見られていると言っていることに彼女自身は気付かない。

 

「あの──」

 

「刃禅と言って、自身が持つ刀の心と向き合う修行だ」

 

 清楚が最後まで聞くよりも先に、灯火がそう答えた。どうやら聞きたいことの内容はあっていたようで、清楚はただ「すごいね」と返した。

 続けて、

 

「刀の心っていうことは、灯火くんの教えでは刀は生きているって考えるの?」

 

「いや違う。似たような意味ではあるが、自分の場合は刀に宿る何者かの心と触れ合う」

 

 武器とは、持ち主気色で性質を変えるものである。

 暴力的な者が持てば暴力的な色になり、落ち着いた者が持てば落ち着いた色になる。すべては持ち主次第なのだが、一度持てば永続的にその色が続くのかといえばそうではない。あくまで持ち主が持っているときにその色が浮かび上がる。わかりやすく言えば、同じナイフを持っていても「他者を傷つけることに使うか」「誰かを守るために使うか」の違いである。

 

「灯火くんは──どういうときに刀を抜くの」

 

「──目の前の誰かが真実と高潔さを穢されたとき。また、それらが蔑ろに扱われれば自分は容易く刀を抜く」

 

「優しいね」

 

「そうか?」

 

「うん。誰かのために強くなって行動出来る人間なんてそうはいないよ?それを誰かに伝えることも、普通なら恥ずかしくて出来ないもん」

 

「馬鹿にされてるのか」

 

「あっ、違う違う!私はまだ自分の心がわからない(・・・・・)から、そうやって(しん)に決めたことに沿って生きられるのは羨ましいなって……」

 

「そうか」

 

 自分の心がわからない。

 葉桜清楚という人間は、人格は本当に自分なのだろうか。源義経、武蔵坊弁慶、那須与一のような英雄が本当の自分ならば、英雄ではない、何の力も持たない清楚は仮初めの人格で、本当の自分を知ってしまえば消えてしまうのではないかと何度も考えた。

 小さい頃は何も考えず。小学の頃は不安になった。中学の頃は周りに悟られないように過ごした。そして、高校になって向き合う決心をした。

 それでもやはり、自分が消えてしまうかもしれないと考えれば──恐い。

 

「葉桜は今、悩んでいるのだろう?」

 

「うん」

 

「そして、それを解消すべく行動も起こした」

 

「うん」

 

「自分が知っている葉桜清楚は、そういう恐くても行動ができる勇気を持った葉桜清楚だ。

 自分が知る葉桜清楚はそれしか知らない。ならば、その葉桜清楚が失われそうになったとき──自分が全力で取り戻す」

 

 人は生まれながらにして、何ら命題を背負っている。

 これは灯火自身の考えで、物事全てには流れがあるという意味である。そうであるならば、清楚という人間が生まれてきたのは必然であり、そこに意味が無いなんてことが無いはずなのだ。

 

「ありがとう、灯火くん」

 

「なに、気にするな。自分も残りすくない期間とはいえ園芸部の仲間がいなくなるのは悲しい」

 

「私、入部届け出してないけど……」

 

「なんだと──」

 

 何はともあれ、真実を目にする時は近い。

 

 

 

 

 

二、

 

 

 

 

 

 ──川神大戦。

 

 文武両道を志ざす者たちが通う川神学園にて創建以来から続く、かつての合戦をモデルに生徒たちが兵となり軍師となり、果ては大将となり切磋琢磨する競技である。どういった具合で軍分けされるのかは毎年時期によって異なるのだが、今年の夏休み前にある川神大戦は例年通り学年毎に分けられた。一年に於いて目玉選手と言えるのはやはり、

 

 黛由紀江、九鬼紋白

 

 この二人だろうか。

 前者は百代にも一目置かれる武を、後者は九鬼に恥じぬ判断力と見た目にそぐわぬ知恵、なにより少女には圧倒的数を率いるカリスマがあった。追随する今年の一年生は高水準な生徒が多く、ただの兵を数えるならば一番質が高いと言える。

 しかし、兵で勝つことができないのが合戦の常。その兵を率いる将が如何に力を引き出せるか──。

 将の数に於いて、一番優っているのが二年である。風間ファミリーを中心に、

 

 川神一子、クリスティアーネ・フリードリヒ、椎名京、マルギッテ・エーベルバッハ、不死川心

 

 さらに今年は源氏組も入り、

 源義経、武蔵弁慶、那須与一

 

 と少数で敵軍を壊滅させることができる実力を持つ者もいる。現に、三人が入ったことにより今年の川神大戦の軍配は二年に上がるのではないかと世間では広く噂されている。

 ただ、その強者たちを悉く正面から粉砕してきた最強が三年にはいる。

 

 ''武神''川神百代

 

 である。

 かつて最強と謳われた川神鉄心の孫娘であり、血の系譜は途絶えることはなく彼女自身も今では最強と並んでいる。時に百代と鉄心のどちらが強いのかと話題が上がるが、どうせ孫娘可愛さに鉄心が負けると言われるのが鉄板である。とりあえず、どう転んでも川神大戦で勝つにはまず百代の攻略から始めなければならないのが一年、二年と共通した議題である。だが、彼女だけを警戒していても足下が掬われる。今年はその百代に匹敵する、

 

 松永燕

 

 が源氏組より前に入ってきたのだ。

 彼女の実力は転校初日に行った百代との模擬戦で判明しており、単純な力では劣るものの素早さや手数の多さでは百代を上回る部分もある。百代ばかりに気を取られれば、頭も回る燕にいつの間にか大将の首を掻かれることになるだろう。その他にも、

 

 京極彦一、矢場弓子

 

 など、百代や燕には及ばぬものの技術の高い生徒が何人かいる。百代や燕という超級戦力に加え、部活動の主将や部長が集う三年こそが一番強力なのだろうか──?

 

 たとえ地力が強かろうとも、助っ人枠という外部協力者によって下馬評はひっくり返される可能性もある。

 安易に勝敗を予測するのは愚かと言えるだろう。

 

 

 


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