空を眺めていると、昔の空を思い出す。
こうなる前だった自分。この世界に来る前の自分。
視界の景色は違えど、
──空の色は同じだった。
一、
視界に広がる青空に影が差した。
学園の屋上、ベンチにて首を上げていた灯火の前には川神百代が覗き込むようにして立っていた。
「近いぞ」
「良いじゃないか、こんな美少女だぞ」
「大前提として、美少女は自分で美少女とは言わない」
あっけらかんと言い放った灯火に、そんな冗談も言えるのかと感じた百代は喉を鳴らして笑った。
「冗談じゃないからな」
「美少女パーンチ☆」
「──痛い」
殴打を喰らった灯火は思わず左腕を摩る。普段の巫山戯た小突きならまだしも、今の攻撃はそこそこの威力が込められていた。彼を押すようにしてベンチを開けた百代はそのまま横へ座ってにんまりとしていた。
「私も私が美少女であると言っていることは、冗談じゃないぞ」
「わかった。美少女であることを認めるから、その上げた腕を下ろせ」
「っち、仕方ないにゃ。久々に本気で殴れると思ったのに」
彼が密かに呟いた「危ない」という言葉が百代には聞こえたのかは不明だが、それ以上の応酬が無かったがために恐らく聞こえていないのだろう。それはともかく、なぜ百代がここに来たのかわからないので適当に話題を振ろうとすると、それよりも先に百代が口を開いた。
「今、ファミリーのみんなで清楚ちゃんの正体を探してるんだ」
「そうか」
「素っ気ない返事だな。興味はないのか?」
「興味があるかと問われればあるさ。ただ、積極的に知りたいわけではない。川神たちも葉桜から頼まれて探しているんだろう?」
「当たり前だろ。私が清楚ちゃんが知りたくもないことを調べるわけがない。むしろそういう奴がいたら粛清するぞ」
「自分も葉桜から頼まれれば調べくらいはするが、生憎と頼まれていないからな」
「おやおや、親密度では私の方が上みたいだなぁ」
「わからんぞ。あまり仲が良くない人物に頼んだ方が気が楽だったのかもしれん」
「なわけないだろ。きっと清楚ちゃんの私に対するハートゲージはマックスを超えて燃えてるぞ!」
相変わらず楽しそうな百代の様子に灯火はくつくつと笑った。同時に清楚の正体、即ち九鬼が蘇らそうとしていたクローンについても考える。
義経、弁慶、与一といえば織豊徳に並ぶ英傑だ。三人の共通点を挙げれば源氏、細かく見れば与一のみが頼朝側の人物なのだがその辺の事情は九鬼側の考慮があったのだろう。例えば、戦いにおける距離感──義経は刀による近距離、弁慶は格闘から錫杖における中距離、与一は言わずもがな弓による遠距離である。清楚自身は紫式部が良いなどと言っていたが、その可能性は低い。単純な話だが三人目まで武芸に長ける英雄であり、なにより軍師や策謀家のような英雄であれば清楚にその正体を隠す必要がないからである。もしそうであれば、幼少の頃より正体を明かして勉学に努めさせるだろう。
「……なるほど」
「何がだよ」
「葉桜の正体について考察していてな」
「お、あんなこと言いながらやっぱり気になるんだな」
注視すべきは勉学だ。もしくは時間、これは成長とも取れる。義経は個人の武が優れていたと共に、兵法家としても名を馳せている。その従者として弁慶や与一はたしかに正当性が取れた組み合わせではないだろうか。つまり、理性的な人物だと分かっていたからこそ三人の正体は生まれたときから本人たちに教えていた。それとは逆に、清楚は史実や伝聞など理性的ではない、破天荒な伝承が残っていた。故に、九鬼はクローンという国際的タブーに挑戦することへ一抹の不安すら摘むために正体を隠蔽した。
すべては、葉桜清楚という人格が本来の葉桜何某の枷や理性的な部分となるように。
「お前は誰だと思う?」
「まったく。どういう気風の人物かは想像出来るが、正体まではわからんな。川神は?」
「私はやっぱり織田信長か宮本武蔵だな。もし織田信長が正体なら、九鬼が隠す理由も何となくわかるし、宮本武蔵は何より私が戦いたい」
「川神のことだから呂布とでも言うと思ったが……」
「……あっ、そうか。別に日本だけじゃなくても良いのか……くそぅ、義経ちゃんたちが日本の英雄だから清楚ちゃんもそうだと思い込んでた」
「その考えは別に間違ってないと思うぞ?源らが日本だから、葉桜も日本というのはおかしくない」
「でもやっぱ宮本武蔵とも戦いたいしなぁ……」
「別に川神が考えた者が正体になるわけでも無し。そこで悩んでいても仕方ないだろう」
「瓢箪から何とやら。私は口に出す言葉は選んでるんだ──」
二、
百代によれば今日が清楚にまつわる答え合わせらしく、集会に行かなければならないと灯火の下を去った。その際「当日はお前も来るか」と誘われたが「頼まれたのは風間ファミリーであって自分ではない」と断りを入れた。
一応、灯火は三年であり、半年と少しで進学か就職をするわけだが、卒業後は本格的に元流道場の指導に従事するため暇な時間が受験生とは違いいくつか出来る。S組なので教室の夏休み前の受験ムードは妙に心地悪く、こうして放課後は他のクラスメイトとは違い自由に過ごしている。
校舎を抜け、金柳街で肉饅でも食べようかと足を進めたとき、グラウンドの隅で何やら疑問符を浮かべている旭を見かけたのでそちらへ向かった。
「何を困っているんだ、最上」
「──あ、灯火君」
灯火に気付いた旭が手に持っていたスマートホンと共に寄ってきた。
「む、それは……」
「この『新しいスマートフォンが入手できる応募に当たりました』と通知が来たから押してみたんだけど、それから動かなくなったのよ」
「いや、それは、完全にアレじゃないか」
「最近は私もこのマシンを使いこなしてきたから、最新機種を持っても大丈夫だと思うわ」
「大丈夫ばないぞ、それは」
とりあえず渡されたスマートフォンを受け取る。特別機械に強いわけでもないが、これ以上変なところを押して被害が増えても困る。何度か画面をタッチしてみるがうんともすんとも言わず、立ち往生してしまった。
「これは携帯会社に行くしかないな」
スマートフォンを旭に返す。
「やっぱりそうなるわよね。どうしようかしら。お父様は最近、会社での仕事が忙しくて帰ってこられないし……」
「今から時間はあるか?一人で行くよりは、二人で行った方が心強いと思うが」
「本当?……でも悪いわ、私の用事に付き合わせるなんて」
「そんなこと今更だ。最上さえ良ければ、付き添いくらいはできる」
「ありがとう。じゃあお願いするわ」
旭は教室に鞄を取りに行くとのことで、灯火はその場で待つことにした。三年の教室は最上階にあるので、五分ほどはかかるだろう。
ぼんやりと青々とした広葉樹を見ていると、最近見知った顔に話しかけられた。
「何してんの、先輩?」
振り返ると、そこには気怠そうな瞳を携えた武蔵坊弁慶が立っていた。
「久しぶりだな、武蔵坊」
「ん、で。こんなところで立って何してるの?」
「クラスメイトを待っている。一緒に出かける予定でな」
「さっきの女の人?」
「む、見えたのか?」
「……?うん」
どうやら灯火と話していたせいで、旭の気配が少し漏れていた。弁慶が視認できたのもそのおかげだろう。
「気にするな。武蔵坊も用向きか、主君がいないようだが」
「別に
「そうなのか。噂に聞く三人は、那須はともかく二人は一緒にいると聞いていたからな」
「一応クラスも一緒だからね」
灯火にとって弁慶と与一は義経に付き従う者と考えていたが、どうやら良い意味で違うのだと認識を改めた。河川敷で会った凛々しくも初々しい感想を抱いた義経にこの従者あり。察するに弁慶は史実通り智謀に長け、義経の忠臣たらしめんとする関係にあるようだ。
「あ。そういえば先輩って園芸部なんだよね。校舎裏の木犀ってどこにあるか知ってる?」
「木犀──?」
金木犀、銀木犀。季節を表す植物として小説の情景描写にはよく使われ、実物はともかく名前を聞いたことがある人は多いだろう。両方とも十月頃に鮮やかな花を咲かせるのだが、季節外れなこの時期に一体何のようだと言うのか。
「いやぁ、たぶんなんだけど今から告白されるんだよね」
まるで他人事のように告げた弁慶に灯火は目を丸くした。
「用件は書いてなかったけど、校舎裏に呼び出しなんてそれしかないじゃん。字も男っぽいし。
本当なら行くつもりなんて無いんだけど、偶然下駄箱に入ってる手紙を主人に見られてね。『断るにしろちゃんと伝えに行くべきだ』って言われたから今回だけ」
「告白に木犀か。ならば、校舎裏の花壇奥の池の淵にある枯れた木犀のことだろう」
「枯れてるの?」
「微妙なところだな。学園長からの又聞きだが、枯れた様子を見せてから既に数十年は経っているらしい。この学園ができるまでは大変綺麗な花を咲かせていたようだが、周りの植物たちとの生存競争に負けたようだ。だが、いつ朽ちてもおかしくないのにも関わらず残っていることから、いつの日からその木の下で告白すれば……そうだな、簡単に言えば永遠の愛を誓える、なんて噂があるみたいだぞ」
「聞かなきゃ良かった」
「……何はともあれ、池までの道は舗装しているが滑らないように気をつけると良い」
「そこまで柔じゃないから大丈夫だよ」
「そうか──なら、早く行った方が良い」
「ん、そうするよ。
…………ああ、あと私のことは武蔵坊なんて他人行儀じゃなくて弁慶で良いよ。もしくは弁慶ちゃんも可」
「ふむ。なら、弁慶ちゃんと呼ばせてもらおう」
「うお……冗談が通じるタイプ」
「老成しているとは言われるが、弁慶とは一つしか変わらんぞ」
「みたいだね──結構楽しかったから、また先輩のところに行くよ。ばいばい」
「ああ、わかった」
弁慶を見送ってすぐ、旭が鞄を持ってやって来た。
その後携帯会社へと赴くことになるのだが、旭のスマートフォンが踏んだURLはそこまで悪質なウイルスではなくただ悪戯にアイコンが強制変更になるなど稚拙なものだった。今回は小さな問題で済んだが「次はないぞ」と注意し、二人は駅前で軽食をとって別れたのであった。
百代ちゃんのヒロイン力が止まらない。
主人公は、ネコが気にいる日向やストーブ・暖房みたいなイメージなので百代や弁慶が無意識によってくのも仕方ないね。