その日はやけに粘ついた情調を感じた。
天気は晴れているが、肌に触れる空気は訴えるように擦りついてくる。
「これは──」
男の腰に下がった刀は、いつもより紐が硬く結ばれていた。
一、
「──で、あるから。平安京はヘブライ語でイールシャロームと言い、現地では聖地エルサレムを表すことからユダヤの関係が──」
四時限目、三年Sクラスでは歴史の授業を受けていた。
ここ、川神学園では個性的な生徒に対し当然教師も色濃い人物が在職し、歴史教科担当の綾小路麻呂は中でも一、二を争うほどである。授業は三年間通し平安時代を抜けることなく永遠と続き、一応他の時代も扱うのだが授業開始の五分ほどで終わり残りすべては平安時代に費やされる。好きな人は好きかもしれないが、受験生である三年では度々小さなボイコットが起こっていた。しかし、Sクラスではさすがと言うべきか、殆どの生徒が真面目にノートを取っていた。
その殆どに入っていない生徒である灯火は、同じく殆どに入っていない生徒である、隣で何やら内職を続ける燕をぼんやりと眺めながら今朝の感覚について考えていた。
「…………」
武人、武道家、格闘家、スポーツ選手も含むだろうか。何か一芸に秀でる者は、その道に関連することで時折虫の知らせのようなものを受けるという。灯火が家を出る瞬間に感じた重たい圧のようなものは恐らく──危険信号の類。
「……本日の授業は終わり。復習はきちんとしておくように、の」
綾小路が最後にそう言い残すと教室から立ち去った。
「あのですね。あんまり見つめられると恥ずかしいというか何と言いますか……」
普段は付けていない眼鏡を外しながら弁当箱を出した燕が言った。
灯火は一度瞬きをして背筋を正すと、一言謝って自身も弁当箱を取り出した。
「すまんな。考え事をしていた」
「へぇ、灯火クンがぼーっとしてるなんて珍しいよん」
「そうでもないさ。最近は皆、受験勉強やらで忙しそうだからな。特に進学を考えていない自分は暇で、日頃他愛無いことを考えるばかりだ」
「わお。難関大学を目指す人が聞けば怒りそうなセリフ」
「松永も進学を目指しているのか?」
「んー、どうだろう。夏休みに考えてることが上手くいったら行くかも」
「そうか。なら、勉強しておいて損はないな」
「だね……灯火クンは?」
「自分は──」
灯火の目の端で、教室から出て行く清楚を捉えた。百代と待ち合わせをしていたようで二人は会話を交わしながら歩いて行く。視線を向けたのは一瞬で、燕に悟られることなく言葉を続けた。
「道場に従事する予定だ」
「元流だよね。機会があれば私もお邪魔して良いかな?」
「是非、と言わせてくれ。燕ほどの実力者が来てくれれば道場の活性が上がる。大々的に歓迎するぞ」
「お、良いねぇ。そのときは灯火クンが相手してくれると嬉しいな」
「そうだな。道場主として、客人の相手はしっかりさせてもらおう」
「モモちゃんが聞いたらついてくるから、内緒だね」
「ああ、違いない」
二人で笑いながら話していると、話題は進学から一週間先にある川神大戦の話へと移った。
「場所は川神山だな。あそこは景勝も良いが、合戦に向いた地形が並んでいる。拓けた川辺を中心にどの方角を取るかは両陣営で話し合う。決まらなければ賽を振り、運が良ければ望んでいた陣を張れる」
「テレビ中継で何度か見たことあったんだけど、やっぱり参加するとなると楽しそうだね」
「好きな者は好きだろうな。この合戦はただ戦えばいいわけじゃない。身体を動かすのが苦手な者でも、軍師となって知恵を絞り出すこともできる」
「軍師か……やっぱり策では二年生が優位なのかな?」
「自分たち三年は川神という武力があるから策に頼ることは少ない。逆に、一年と二年は突出した戦力の差があるために策を張って彼女に対抗しようとする。たしかに策、軍師の活用では二年生は一歩前進しているだろう」
「やっぱモモちゃんの攻略から始まるんだね。今までモモちゃんを止めたこととかあるの?」
「二年のSクラスとFクラスの川神大戦ではあったようだぞ。そのときはたしか、Fクラスの直江が九鬼揚羽を連れてきた。川神に勝つことはなかったが、川神も決定打を入れきれず引き分けになっていたな」
「揚羽さんか……たしかに出来そう」
「む、知り合いか?」
「ちょっとね。偶然おとんの仕事先で」
「ほう。奇妙な縁もあるものだな」
九鬼揚羽といえば、現在世界で一番多忙な女性と言ってもおかしくはない。軍需産業から農林水、様々な分野に手を出す九鬼財閥の長女だ。九鬼帝によって指示されている九鬼財閥だが揚羽が成人して以降は一部権限を譲渡され、軍需生産に関しては彼女が全てを任されている。
揚羽に出会う職場なら、燕の父はかなりの高給取りではないのかと灯火は思った。
「今回のは灯火クンも出るんだよね」
「原則全生徒参加の行事だからな。まあ、いつものように後方支援に集中するが」
「帯刀許可者なんだから戦え、なんて言われない?」
「川神がいるのに言われるわけないだろう」
「あ、そっか」
「うむ」
そこで話を区切ると、二人は昼休みが終わってもいけないので弁当箱の蓋を開けた。
燕による納豆空襲があったのだが、何とか切り抜けた灯火が手を合わせたとき────。
「──む」
「うわぁ、これは──」
「弁慶、与一──!」
「わかってる」
「っち、刺客が解き放たれたか……」
「あらあら、これは荒れそうね」
「ぬ。どうやら元気な子が目覚めたようじゃのう」
「──紋様、失礼」
「ヒューム……?」
確かな実力者たちは、封印を解かれた英雄の気配を全身で感じ取った。
川神百代に勝らずとも劣らぬ、中心から吹き荒ぶ暴風のような気。禁忌に触れたかのような怒りは学園生へ振動となって知らされる。
かつての
──覇王・項羽だけが超越者の眼差しで見下ろしていた。